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■ストリート・アートナビ取材:展覧会シーン/Art Scene (取材:12月6日/掲載:12月9日)
■〜花をうむ〜 熊谷紀子 展・中之島アートフェスティバル参加企画
■会期:2004年12月5日〜12月19日 ■会場:画廊大千 |
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植物に対して羨望にも似た気持ちをもっています。自然の中にいるときに感じる、大きさや空に向って伸びていく力にたいして。 私は人のかたちをつくるとき、生や動といった、人間そのものの生命感や生々しさといったものを極力排除したいと思ってつくっています。そこに他者の存在をみるのではなく、鑑賞者が空っぽの像の前に立つとき、それが内的世界への導きとなることを期待しているからです。ですからそれが『誰か』であってはいけないのです。 自分の抱く思いを、私自身も一鑑賞者になって初めてその中に見つけることが出来ているように思います。私にとってつくることは新しい関係を生んでいくことです。 熊谷
紀子(展覧会挨拶文より)
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・作品『LOTUS (ロータス/蓮)(テラコッタ)』は、この夏に東大阪市民美術センターの特別展「蓮によせて-いろいろなハスのかたち
-」に招待作家として出品する機会があり、滋賀県立「陶芸の森」アーティスト・イン・レジデンス(滞在型制作スタジオ)の施設や窯を使用して制作した作品。“蓮の花の精”を表現している。闇夜にすっと立ち月に照らされているかのように、また仏像彫刻を意識したものでもある。背中のラインが弧を画いて下腹が少し前に出て観音像の特徴を出している。目に切れ目が入っていて中が空間であることがわかる。深い闇を表現したのだろうか、そこからまた一つの新しい関係が始まる。作者は人間の生命力や生々しさから遠い距離にある仏像の持っている精神性に意識の中心を置きそこから形を捉えようとした。 ・作品『水音を聞く(テラコッタ)』は彫刻素材の樟(くすのき)を切ると意外に水が出る。自分の内にも血や水が流れている。自分の内面に耳を澄ます静かに。内に向って集中するその行為をしている人を表現。「耳はきちんと作った」と強調する。胸部をくり抜き枝のような木をはめ込んだ異素材の組み合わせが新しい関係を生んでいる。 |
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画廊大千のこの秋のロングランの展覧会の最終章を飾るのが「くまがえのりこの花をうむ」。熊谷紀子の初個展である。聞けば、通りのテラコッタをイメージした色合いの懸垂幕も作者自身でデザインされたとか、作者のこだわりを見る。出身は大阪で大阪市立工芸高校から東京芸術大学に進み修了制作作品は大学美術館に買い上げ賞となり作家として一筋の道を歩んでいる。筆者が初めて熊谷作品に接したのは一年前に同画廊に寄った時だった。ブロンズ、麻、樫の異素材を組み合わせた作品『漂流する意識』は、女性の胸から下が太い麻縄で何重にも巻かれ縛られていてそれが汚れた衣服のようにも見えた。足は3本の木で支えられ不自由な身で一歩前に進もうとしている姿で“求道者”のようでもあり、それは何とも言い様がないものと出会った瞬間だった。本当に女の人かなと思うぐらい力強い男っぽい作品だった。写真を撮ろうと考えたが作品が大きくフレームに収まりにくいのと、背景とマッチせず作者と自分の意図が写し撮れない気がしたので諦め心に刻んでおいた。 そのことがあって今回の初個展を楽しみしていた。ギャラリーに一歩入ると静寂の中に柔らかいスポットに浮かぶように作品達がある。社寺の堂内に入ったような心地よい緊張感は正面に蓮のつぼみを持った観音像『LOTUS(蓮)』のせいか。胸部を台形にくり抜き“木の枝”をはめ込んだ『水音を聞く』の意外性のためか。それとも作者と画廊の強い意気込みが無意識に伝わってくるからだろうか。 撮影の間にも訪れた方が作品購入を簡単に決めて帰ったり、コレクターが画廊と話を進めていたりする。作者にとって次の活動の資力となるのでそのことを目の当たりにして嬉しくなる。支流が本流となって大海に出るように次々と新しい関係を生み出しながら『くまがえのりこ』は作家の道を進む。See
You again. |
(Street Artnavi 中田耕志) |
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テラコッタ:粘土で作った細工物の、また建築材料としての装飾用の、素焼陶器。(terracotta) |
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〜花をうむ〜熊谷 紀子 展 |
2004年12月5日(日)〜19日(日) |
会場:画廊大千 |
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取材日:2004年12月6日/掲載:12月9日 |
取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ |
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