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じかきかきかき        西井 義晃 (25年前の雑文)

 芸術家の敵は芸術だと言ったのは何処の誰方か知らねども、明日は解らぬ運命ゆえ、人生に晩年を感じた訳でもないのに一念発起。画業一筋、これぞ男の生きる道。

胸に一物背に荷物よと幾年月。日夜夜毎に自分自身に嫌悪を覚えだした秋寂一話。絵を売って飯を喰うなどという、ど厚かましき考えが我が脳裡をかすめることさえ無謀な行為であることは衆知の事実であるとは言え、絵描き稼業は気楽なもんじゃ御座居ません。絵とか芸術とかいうもの、世間にあっても、毒にもならなく、薬にもならぬ。喰えるでなく、電気製品の如く便利なものでもなく、簡単に売れる訳なく。自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れ、不甲斐なさを嘆き、才能の枯渇を愁い、俺は芸術家だと叫ぶ根性も我れ持ち合わせ無く、画くぞ、やるぞと犬の遠吠えにも似た御題目を唱え、大芸術家の如く、画材を部屋中に散乱させ、動物園の檻の熊よろしくアトリエを右往左往するばかりでは一文にもならぬ。これ全て己れの怠惰と劣情からくるものと自己批判すれど、別に策なく、成すすべも知らぬ。巷間を彷徨い、闇雲に酒をくらい、宿酔の連続では絵筆も持てぬ。

嗚呼なつかしき、今高青春の頃うらめしく、乏しき小遣い銭の中より、ジンク・ホワイトとプルッシャン・ブルーを買い、ベニヤ板に塗りつけることによって一幅の芸術出来上り。末はピカソかレオナルド。俺は天才ではなかろうかと疑いを持つ。虚勢か自己陶酔につつまれた自分自身の盲点の中で充実感らしきものを覚えた青春の屈折が走馬灯のように頭の中を駆けめぐる。
残酷なもので我が夢、泡沫と消え、芸術は本来、自己犠牲の上でしか成り立つものでなく、絵描きを職業とするには、一介の画工であらねばならぬと言う結論を見る。原点に戻って、河原乞食よろしく、御希望とあらば花も画きます。山も画きます。歌も唱わせていただきます。三つで五百円で御座居ます。
羞恥心などかなぐり捨てて、生まれは浪華の橋の下で御座居ますと開きなおれど絵は売れず、たまに売れれば生来の育ちの良さか、うしろめたさを覚えてしまう。これではいかぬと沈思黙考。目的なき人生はいけない、何か素敵な標的はと探究した末、いとおしき麗人のベッドルームを彩る飾りが己の趣味と一致するわいと自分の顔に似つかわしくないと他人のいう華麗なる絵を画こうと心に思った。それが果たして自分の本質と如何なる繋がりをもつか解らねど、これぞ蜘蛛の巣の中でもがいている我が身であることに間違いなく、もつれる糸の粘液の中に身を置くことが自分自身への道なのかも知れぬと思いつつ口に梅干し酢っぱかった酢っぱいは成功の素の諺にならい、猪突猛進らりるれろと闇雲にひとり口は喰えねどもふたり口は喰えるというお経を信じ、団十郎のごとく蜘蛛の巣バックにがま蛙の上の地雷也、宙に一文字を切り、人生はらったっただと目をつむり、華燭の典へと大見栄を切る次第。
素性解らぬ美男美女、人も羨やむ新婚夫婦。どうすることもきゃんのっと。出ていけ、出ていかぬ、裏口なけれど出口はあるぞ、お前悪いとほととぎす、早期発見、梅毒菌、人も羨む痴話喧嘩、出来ぬ、作らぬ、わしゃ知らぬ、言っている内三ケ月、今が大切、こりゃ一大事、芸術出来ねど子が出来た。出産費用の算段で、明日は東、今日は西、歳三十路が四十路にかかる、喰っていけるか、借金増えるか、思うだけでも身の毛がよだつ。
絵を捨てて街へ出ようと巷に出れど、いつも出るのは愚痴ばかり。早く払えとままさん各位。逃げるに逃げれぬ源氏店。ネオンの巷で私奴を、一寸でも見かけたら、どうぞ私を哀れんで、酒の一杯もめぐんでやっておくんなせい。

(与話情浮名横筆)

昭和56年(1976)大阪府立今宮高等学校 美術部 砂煙会 創立七十年記念誌より

西井 義晃 作品集
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