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「トルコ三大文明展 ヒッタイト帝国 ビザンツ帝国 オスマン帝国」 開催。
Three Great Civilizations in Turkey
The Hittite Empire,Byzantine Empire and Ottoman Empire
NHKテレビ放送50年・2003年日本におけるトルコ年 記念事業
取材日:2003年12月19日 掲載:12月21日 ストリート・アートナビ

前2世紀頃からアナトリアは、地中海地域に支配権を拡げてきたローマの属州となった。ヘレニズムの伝統を受け継ぎながら、神殿、劇場などの公共建築が、エーゲ海や東地中海沿岸のエフェソス、ペルゲなどの各地に建てられた。そして彫刻、壁画が建築を飾った。
395年のローマ帝国の東西分裂後、東ローマ帝国、すなわちビザンツ帝国は、コンスタンティノーブルを中心に東方的キリスト教文化を発展させた。
◎ローマ芸術の伝統と共にキリスト教世界の特異な要素を形成し、その特色を築いたビザンツ芸術。
写真下左:アルテミス・エフェシア像は神が天地を支配した頃、身体中に蜜蜂、花、かえる、ニケの女神が彫られ多産や豊穣を表している。)

前近代イスラム世界の最後の世界帝国ともいうべきオスマン帝国は、強靱な組織と強力な軍隊と豊かな経済に支えられて、中世末期から近世にかけて、西欧世界にとって最大の脅威となった。とりわけオスマン帝国の軍隊は、中央アジア以来の遊牧の伝統を受け継ぎ、刀槍と騎射を得意とする騎兵に加え、火砲に習熟した常備歩兵軍団イェニチェリを擁し、「旧世界」の三大陸の西半における最強の軍事力となった。その強大な軍事力の象徴として太刀や宝石を散りばめたあぶみやスルタン(帝王)の御座所となったテントなどがあげられる。

◎トルコ=イスラムとアナトリアの統合でオスマン時代にその頂点を極めた。
◎帝国の真の中心は帝都イスタンブルのスルタンの居城たるトプカプ宮殿であった。

◎トプカプ宮殿で豪華なのは、そこでスルタンとその家族の公的私的生活で用いられた衣服調度である。貴重な宝石や金を惜しげもなく用いた品々、当時、希少だった絹の衣服、中国陶磁器などは絢爛たる帝王の生活の予光を伝えている。
◎映画「トプカピ」で有名になった《トプカプの短剣》は、今日、トプカプ宮殿博物館の至宝となっている。しかし巨大なエメラルドを惜しげもなくちりばめた黄金造りの短刀は、実はスルタン自身のためのものではなく、東隣のライバルであるイランの君主に送るべく作られ、たまたまトプカプ宮殿に残ったものだった。
後年、トルコの至宝となるほどの宝物を敵国の主に贈ろうとしたのは、「豪奢をもって威服し得れば戦うより安くつく」というイスラム世界の帝王学によったものである。
※映画「トプカピ」は日本ではオリンピックの年の1964年に上映された。トプカプ宮殿博物館の宝剣に魅せられた女盗賊が仲間を組んで、すり替えようとしたが最後は些細なことで失敗するコメディータッチのハリウッド映画。
◎「陶磁の道」は中国とイスタンブルを結ぶ。トプカプ宮殿に残された膨大な中国陶磁器コレクションはその名残りである。
記念品コーナー
※上記のキャプション、写真説明は展覧会報道資料と同館学芸員の説明を参考にしました。
取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ 中田耕志
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