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左:「モラン風景」(Landscape
in Villiers-sur-Morin)1928年/右:「彌智子像」(Portrait of Yachiko)1923年 |
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・佐伯の視点は、この頃から次第に個の建物に迫り、生活感の満ちた裏町の建造物を画面いっぱいに描き出すようになる。ヴラマンクの呪縛から解かれ、ユトリロの影響も脱し、佐伯が自らの眼で見出し、創りあげたパリの姿が、この時期確立するのである。《壁》では、画面のほとんどを占めているのはまさしく壁であり、画家の関心が、汚れたりはげかけたりしている壁の重厚なマチエールの表現にあることが分かる。古びた壁に実際に書かれていた文字がそのまま写し取られており、かすれた字体が古壁にさらなる表情を付け足している。(高柳有紀子/大阪市立近代美術館建設準備室学芸員)展覧会図録より部分転載(※上の作品の解説ではありません。以下同様) |
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左:「黄色いレストラン」(Yellow
Restaurant)1928年/右:「郵便配達夫」(Postman)1928年 |
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・佐伯のパリへの想いは消えることなく、むしろ日に日に高まっていった。パリにいた中山巍に、日本では描く題材に困っており、近いうちに渡仏してパリの黒ずんだ壁や広告や自動車小屋の横文字をもう一度うんと描いてみたい、という手紙を寄越したという(「佐伯の第二次滞仏」『一九三○年叢書(一)画集佐伯祐三』1929年)。(高柳有紀子)展覧会図録より部分転載
・石造りのパリの街も欧州の厚い伝統も、そして油彩画の王道も、ついに東洋からやって来た画家の前に扉を開くことがなかったのか。多分、佐伯は造形的な感興を覚えて扉をモティーフに選んだのであろうが、画面を支配するのは固く閉ざされた圧迫の感情である。(熊田 司)展覧会図録より部分転載 |
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左:「煉瓦焼」(Brickkiln
)1928年/右:「カフェ・レストラン」(Cafё Restaurant )1928年 |
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・佐伯ほど、作品と人生が結び付けられて語られる画家はいないだろう。またそうさせるのは、佐伯の生み出した作品が、その時々の心情の吐露であるかのように、強い個性を放っているからである。 ・実際に作品を目の前にした時に、画家が絵筆に込めた魂のようなものを感じずにはいられない。そこには佐伯祐三という画家の眼と手によって伝えられた個性を強く意識せざるを得ないのである。佐伯祐三にとって、パリとは、佐伯の個性を受け止める街だったといえよう。では、パリの街景に投影された佐伯の個性とは何だったのか。そしてこれほどまでに佐伯を制作へと駆り立てたものは、なんだったのか。佐伯祐三という個の人間の理解は、その答えに近づく一歩となるはずである。(高柳有紀子) |
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左:「靴屋」(Shoemaker)1927年/右:「レ・ジュ・ド・ノエル」(Les
Jeux de Noёl)1925年 |
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・佐伯祐三は、劇的(ドラマチック)な生涯と作品、遺族や友人たちの証言によって、日本の洋画家で最も伝説化されて語られてきた画家である。しかし佐伯の“伝説”や“神話”には、彼の逸話(エピソード)だけでなく、才能豊かなこの画家を没後に発見し、世に出した一人の蒐集家(コレクター)の物語が存在した。
・「こんな魂の籠った真剣な作品を、殆ど一生のものを、全部自分の所有に出来るといふことには感慨無量でした。/勿論同時に段々と不思議な情愛と責任感がついて来まして、最早どんなにでもして、この人の名を不朽なものにしなければならぬと決心したことでした。」 ・「芸術には個性がなければ生命がないわけである。それと同様に芸術の鑑賞と理解にも亦個性がなくてはならぬ」として「蒐集も亦創作なり」と言う。 ・發次郎の佐伯作品への理解そのものも個性的であった。彼が佐伯に魅せられた最大の理由の一つが、力強い輪郭や鋭い描線が“書”に通じたためであることは、次のように墨蹟や禅画との共通性を述べていることから想像できる。 ・發次郎が俵屋宗達(?〜1640頃)と尾形乾山(1663〜1742)など琳派に佐伯をなぞらえ
、「豪華な渋さ」と指摘したのは佐伯の本質を見事に衝いた言葉であろう。(橋爪節也/大阪市立近代美術館建設準備室主任学芸員)展覧会図録より部分転載 |
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左:荒堀立夫(近代美術館建設担当課長)/右:橋爪節也(大阪市立近代美術館建設準備室主任学芸員) |
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継続的にコレクション展をやって行きたい。 |
・荒堀近代美術館建設担当課長の話では大阪市立近代美術館建設の現在の進捗状況は中之島に用地は確保しているが昨今の経済状況の中でしっかりとした実施計画がないとのことであった。この心斎橋展示室は商業地、繁華街にあり、交通至便で買い物ついでに寄れるのでここを活用して継続的にコレクション展をやって行きたい。また国の内外からも見に来れるので期待していると語った。 ・主任学芸員の橋爪氏は「心斎橋展示室の開設記念に何をするか考えたが、考える迄もなかった。50点の油彩画、日本における最大の佐伯祐三コレクションは(戦前の蒐集家で実業家の山本發次郎氏の40点におよぶ佐伯作品や、墨蹟・染織など500点以上の作品が1983年に大阪市に寄贈された。)近代美術館構想のハート・魂にあたる部分であり、また佐伯祐三の短い人生がここにくれば分かる内容になっている」と熱い思いを話された。 |
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