聖書日課プロジェクト

「4年サイクル主日聖書日課」を礼拝・説教に生かすために

D年降誕節第8主日(復活前第8主日)

〈いやすキリスト〉

今週の聖句

今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない。
(ヘブライ人への手紙3:15)

「中風の人を癒す」(13世紀)

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更新日 2020-01-18 | 作成日 2017-10-20

聖書日課朗読箇所

ヘブライ語聖書

ヨブ記23:1〜10

1 ヨブは答えた。
 
2 今日も、わたしは苦しみ嘆き
 呻きのために、わたしの手は重い。
3 どうしたら、その方を見いだせるのか。
 おられるところに行けるのか。
4 その方にわたしの訴えを差し出し
 思う存分わたしの言い分を述べたいのに。
5 答えてくださるなら、それを悟り
 話しかけてくださるなら、理解しよう。
6 その方は強い力を振るって
   わたしと争われるだろうか。
 いや、わたしを顧みてくださるだろう。
7 そうすれば、わたしは神の前に正しいとされ
 わたしの訴えはとこしえに解決できるだろう。
8 だが、東に行ってもその方はおられず
 西に行っても見定められない。
9 北にひそんでおられて、とらえることはできず
 南に身を覆っておられて、見いだせない。
 
10しかし、神はわたしの歩む道を
   知っておられるはずだ。
 わたしを試してくだされば
   金のようであることが分かるはずだ。

詩編

詩編32:1〜7

1 いかに幸いなことでしょう
 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
2 いかに幸いなことでしょう
 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
 
3 わたしは黙し続けて
 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
4 御手は昼も夜もわたしの上に重く
 わたしの力は
   夏の日照りにあって衰え果てました。
 
5 わたしは罪をあなたに示し
 咎を隠しませんでした。
 わたしは言いました
 「主にわたしの背きを告白しよう」と。
 そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
   赦してくださいました。
 
6 あなたの慈しみに生きる人は皆
 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。
 大水が溢れ流れるときにも
 その人に及ぶことは決してありません。
7 あなたはわたしの隠れが。
 苦難から守ってくださる方。
 救いの喜びをもって
   わたしを囲んでくださる方。

使徒書

ヤコブの手紙1:2〜5

 2わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。3信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。4あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。5あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。

福音書

ヨハネによる福音書5:1〜18

 1[その後、]ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。2エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。3この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。†5さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。7病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」8イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。10そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」11しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。12彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。13しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。17イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。

ヨハネによる福音書5:1〜8は、ベトサダの池での治癒物語。しかし、この物語の中心は、自分を神と等しい者と宣言するイエスと、それに対する人々の無理解である(18節)。

ヨブ記23:1〜10は、ヨブの嘆き。神の前での潔白を主張する。

ヤコブの手紙1:2〜5では、忍耐することを説く。