聖書日課プロジェクト

「4年サイクル主日聖書日課」を礼拝・説教に生かすために

「海に投げいられるヨナ」(フランドル、1471年)

埋葬されるイエスの絵と、ヨナの絵が組み合わされている。
この2つを結びつけるのは、「予型論」。ヨナが魚の腹で3日を過ごした ように、イエスも墓の中で3日を過ごす。このように、予型論では、ヘブライ語聖書と新約聖書の2つの物語の間に類似する構造を見いだし、それらを組み合わせて読む、「間テクスト性」に基づく読みが行われる。その萌芽は、既に新約聖書の中に認められる(マタイによる福音書12:39-40参照)。

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更新日 2017-04-30 | 作成日 2017-04-30

朗読箇所間の関係

 「4年サイクル主日聖書日課」では、日曜日や大きな礼拝が行われる日のために、4つの聖書箇所が上げられています。これらは、もちろん、それぞれの箇所だけを読んで意義あるものですが、聖書日課として一緒に読まれるとき、別々に読んでいたのとは異なる意味を生み出します。

 聖書日課として選ばれて組み合わされるときには、4つの箇所には何らかの関連が意図されています。それを見いだせば、聖書日課を用いることが容易になります。

 

4つの日課

 「4年サイクル主日聖書日課」には、礼拝毎に、福音書・使徒書・ヘブライ語聖書(旧約聖書)・詩編の4つの箇所が指定されています。その中心となるのは、福音書です。ことに聖霊降臨節では、その年の中心となる福音書が継続に準ずる方法で読まれることになっています。
 4つの朗読箇所は、ある1つのつながりによって選ばれています。その関係を図にまとめると、次のようになります。
 
白抜きの文字は4つの朗読箇所、その間の青緑の破線と矢印は朗読箇所間に関係があることを表しています。
 
 このうち、日課の中心となるのは福音書です(日本基督教団から出版されるものには、期節によって「主要日課」が指定されていますが、これは以前からの方式を受け継いだもので、 JLG2 では「主要日課」を定めなくなっています)。福音書日課を中心にして、他の朗読箇所間の関係を概観します。
 

福音書とヘブライ語聖書

 ヘブライ語聖書日課は、福音書の出来事の「預言」とされているか、あるいは、「予型論的解釈」で結びつけられるものが選ばれています。

[預言]
 福音書日課に記されている出来事が、ヘブライ語聖書日課に記されている「預言」の「成就」、実現と考える結びつけ方。新約書がヘブライ語聖書を解釈する際にとった方法。
 例えば、A年降誕前第1主日。福音書日課〔マタイによる福音書1:28〜23〕ではイエスが「インマヌエル」と呼ばれるが、それは、ヘブライ語聖書日課〔イザヤ書7:10〜14〕を「預言」ととらえ、イエスにおいてその「預言」が実現したとする考え方に基づいている。

 

[予型論的解釈]
 福音書日課とヘブライ語聖書日課の間に、同じような論理、構成を認める読み方。通常、福音書に記されていることがヘブライ語聖書を凌駕していると考える。古代・中世を通じて、広く行われた。
 例えば、A年降誕節第3主日。福音書日課〔マタイによる福音書3:13〜17〕では、バプテスマのヨハネからイエスが洗礼を受けたことが読まれる。ヘブライ語聖書日課〔サムエル記上16:1〜13a〕では、ダビデがサムエルによって油注がれる。イエスもダビデも、この特別な召命のしるしによって、「聖霊」「神の霊」が降るようになる。

 

福音書と使徒書

 使徒書は、福音書の「解説」となっているものか、あるいは、福音書の出来事で述べられていることを信仰生活のために「適用」するものが選ばれています。

[解説]
 福音書の記述や出来事がどのような意味が持つのかを、説明する場合。
 例えば、D年降誕前第9主日。福音書日課〔ヨハネによる福音書1:1〜14〕は、「ロゴス賛歌」と呼ばれる箇所。使徒書日課〔コロサイの信徒への手紙1:15〜20〕は、ヨハネによる福音書1:2〜3で賛歌の形で述べられていた内容をより論理的なスタイルで述べ、それを、「御子による和解」へと結びつけます。

 

[適用]
 福音書の出来事で述べられていることを信仰生活に当てはめ、勧告へと導いていくもの。これには、2つのパターンがある。1つは、一般的な倫理的な教えを導き出すもの。もう1つは、新約聖書の箇所で、使徒たちがイエスと同じような出来事に出会ったり、同じような力を発揮したことを記す箇所を選んでいるもの。
 第1のパターンは、A年降誕前第4主日。福音書日課〔マタイによる福音書24:36〜44〕は、「終わりの日」がいつ来るのか分からないので、「用意して」いるようにと勧める。使徒書日課〔ローマの信徒への手紙13:8〜14〕では、具体的にどのような行動をすればその「用意」となるのかを説く。
 第2のパターンの例は、D年聖霊降臨節第9主日。福音書日課〔ヨハネによる福音書6:16〜21〕では、イエスが嵐の中湖の上を歩いて弟子たちの舟に近づき、イエスが舟に乗り込むと嵐が止んだと記されている。使徒書日課〔使徒言行録27:33〜44〕では、パウロの乗った船が難破したが、全員が助かった様子を記す。

 

使徒書とヘブライ語聖書

 使徒書が、ヘブライ語聖書日課の解説ないしは解釈となっている組み合わせもあります。

 A年降誕前第7主日のヘブライ語聖書日課は、アブラハムに対する神の約束を記している。使徒書日課〔ガラテヤの信徒への手紙3:1〜14〕は、アブラハム物語を解釈して、律法の実行によって「アブラハムの子孫」と認められるのではなく、信仰によって生きることがアブラハムの信仰を受け継ぐのだと強調する。

詩編とヘブライ語聖書

詩編は、朗読のためというより、聖書に含まれている「賛美」「祈り」として選ばれています。内容的には、その日のヘブライ語聖書日課と密接な関係にあり、ヘブライ語聖書日課に対する賛美、祈りの応答として用いることができます。

詩編交読


聖書日課を使っていない場合でも、詩編交読のために、聖書日課の詩編だけを用いている場合もあるでしょう。できれば、ヘブライ語聖書日課と共に用いるといいのですが、ヘブライ語聖書が朗読されない場合でも、他の日課箇所も主題的に結びついていますから、詩編日課を用いることは差し支えないでしょう。

説教のためのテキストとして


もちろん、詩編日課も、説教のためのテキストとして選ぶことはできます。その場合、詩編交読のためには、他の詩編を選ばなければなりません。ヘブライ語聖書日課が韻文(詩や預言)なら、それを交読に用いることもできます。