-坂部 さんに寄せて/2001年12月18日 日本画家 竹内 浩一-
坂部さんに寄せて

 写真家の土門拳が古寺巡礼に寄せた、ぼくの好きな一文がある。斑鳩の法起寺で撮影を終
へ、法隆寺門前の宿に向って東院の築地塀を歩いているとき、昼間の喧騒は消え境内は夕闇
に沈み、扉もかんぬきもしめられ、だれもいるはずのない夢殿の中に、聖徳太子が静かに結
跏趺座し禅定にはいっている気配を土門は感じとるのである。厳粛な夢殿のシチュエーショ
ンと神秘ないざないに身ぶるいを覚える。
 今、目をとじれば、太子の禅定の姿が、パリのアトリエに座す坂部さんのシルエットと重
なってみえる。始めてパリのアトリエを訪ねたのは、随分むかしである。錫いろの空と冬木
立につつまれ、瀟洒な古いアトリエ、アパートはあった。二人のればいっぱいになる、エレ
ベーターの蛇腹トビラをしめ、階上のアトリエにはいったとき、ぼくは幽かな僧堂にみちび
かれる思いだった。一畳のたたみが敷かれ、大ぶりの凛とした亨保雛が飾られ、天窓から薄
すあかりがさしこみ、香がたかれ、瞑想の音色がひくく聴えている。それは、神聖な僧堂の
なにものでもなかった。
 白い壁に何点もの描きかけの作品がかけられていた。パリひといろの世界の中に、ひっそりとした東洋の小さな僧堂を想うと、坂部さんの軌跡の感慨とはるかな空間をみつめ描かれてきた作品たちを、いまいちど深く解読してみたいと思った。坂部さんの色階をおとした絵肌は、彼だけのものだと思う。あの淡いトーンのマチェールには、人の心を振幅させる調べがある。ヨーロッパの悠久の文化、そしてパリの生活環境が彼を育み、自然に描かせた肌合なのかも知れないけれど、初期の作品には、憂いとアンニュイな漂いがエレガントな画面につつまれ実にやさしく美しい。アンニュイな表情を描かせたものはなんなのだろうか、日本に里帰りしてくる彼と会うが、互の作品に触れはしなかったし、いわゆるよもやまのはなしを楽しみ気持よく別れるのが常であった。抒情の根にあるもの、又、叙情の先にあるものは何なのか、リリカルな営みはつねであり、情を外して人の生はない。1980年代の「カトリーヌの夢」、「想い」にみるアンニュイな人物画、パリ郊外で描いた「朝もやのリンゴ」の風景、そして、うずくまる鳩たちに托されたもの、それは、みる人にとっての癒しであっても、彼には切なさや無常の定めをも潜ませ、抒情を超えたはるかかなたをみつめていた孤独のときだったと想える。解説などしなくとも、慈悲にみちたやさしい画面に涙があふれるのが彼の絵である。
 いつからか彼に望郷の念、いや、日本文化への深い思いに目覚めていたのは知っていた。
アンドレ・マルローが根津美術館の「那智滝図」に大感動したのは承知の通りだが、どのよ
うに感激したのか語られていない。絵の面白さに魅せられたのには違いないし、高い審美の
はかりにかなったのも確かであろう。宗教学者の山折哲雄氏の分析には、日本人しか推し計
れない、極めて深い洞察が語られ興味を持つ、「那智滝図」ではなく「那智曼荼羅図」であ
り、絵の内容も密教の教義を含む秀れた仏画であるとし、曼荼羅のカテゴリーの垂迹絵画で、春日曼荼羅にならぶ仏画と加えている。絵柄にみる寺と神域の配置は、汎世界的な論理を持つ仏教が民族信仰を包摂した形をとり、仏の意を受け、日本の神々が現われたとする垂迹説をとかれている。マルローが神道や仏教をどれほど理解していたかわからないが、ここでも、深い考察の意を示している。
 坂部さんの近作には仏画のかおりのする作品が多くみられるようになった。想いかえして
みれば、彼が京に遊ぶとき、かならず禅寺の塔頭に宿泊していたし、社寺を歩き、東洋の古
美術と親しみ、気にいったものはパリに持ちかえっている。帰郷の度、想像をこえる日本文
化への興味と研究が深くひそやかに進んでいたことを知らなかった。想い返せば熊野へも何
度も足を運んでいた。
 近作「Paysage」の風景シリーズでは、密教仏画のエッセンスが彼の中に消化され魅力に
あふれ刺激的な好作に仕上がっている。初期の作品にあった憂いもアンニュイさも画面の奥
にしのばせ一層ひとをひきつける力に連った。仏教のはるかな空間とは、いくら高い問答を
してみても分別つかず答えが出ない。昨年、京都を訪ねてくれ、夜遅くまで呑んだ、彼に「
まだ古いもの集めてる」と尋ねたら、今は、ひとつひとつ身から離しているという。心境が
いちだんと深くなっているのがわかった。パリのアトリエから享保雛も消えているのだろう
か、禅の句に「門外雨滴聲」がある。真の禅定にはいったとき、僧堂の外にふる雪の音まで
聞こえ、その景色までみえるという。坂部さんは、もう雪の音を聴いているかも知れない。

2001年12月18日

日本画家 竹内 浩一

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