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タイ・カンボジア旅行記(2003.8.26〜31)


聖池に映るアンコール・ワット

旅行日程

8月26日18:15成田発 NH915便,22:30バンコク・ドンムアン空港着
  27日 ワット・アルン,王宮等観光,アユタヤ等観光
  28日8:00ドンムアン空港発PG930便(空港税500バーツ),8:50カンボジア・シェムリアップ空港着,アンコール・トム等観光,アンコールワット観光(サンセットも)
  29日タ・プローム等観光,トレンサップ湖観光,旧市場見学
  30日バンテアイ・スレイ,アンコールワット観光,アフタヌーンティー,19:35シェムリアップ空港発PG943便(空港税15ドル),20:35ドンムアン空港着,23:50同空港発(成田へ)NH916
  31日7:55 成田着
(参考)成田空港の出発の際,パスポートコントロールを抜けた奥にヤフーの無料インターネット・カフェが出来た。ドンムアン空港は,ターミナル1のポストオフィースでインターネット90分10ドル。

メナム・リバーサイド・ホテル

 
住所 2074 NEW RD.,YANNAWA,BANGKOK 10120
電話 02-2891148
評価 B。アメニティは充実していて,ウェルカムドリンクも2本あり,ベッドルームは広くて快適だが,バスルームは古くて,壁の一部は壊れかけていた。館内はあちこち工事中で,プールも使えなかった。フロントにセーフティ・ボックスがあり,信用がおけそうな感じで,私も使用した。
 
 朝食はバイキングで洋食,中華,味は普通だが,メナム川を望むサンデッキでの食事は気持ちがいい。

タイの王宮


ドゥシット・マハ・プラサート宮殿。ラーマ1世によって最初に建てられた宮殿。王族の葬儀など国家的・宗教的に重要な行事が行われる。

 
チャクリー・マハ・プラサート宮殿。ラーマ5世(タイ近代化の父)によって1882年に作られたもので,西洋とタイの伝統的建築が融合している。ラーマ5世は,精力家としても知られ,王妃や妾は100人以上,子供は77人いて,いままでの宮殿に収まりきれなくなって,この宮殿が作られたとも言われているが,タイでは国王は非常に尊敬されているので,タイ人に国王の悪口を言うととっても怒られる。(;^^)


ワット・プラケオ

 これは,ラーマ1世が,1782年,バンコクに遷都すると同時に王朝の守護寺・護国寺として建設が始められた仏教寺院である。
 
左から金色の仏舎利塔プラ・シー・ラタナー・チェディ,経堂プラ・モンドップ,王室御堂プラサート・プラ・テープピドーン。半人半鳥像はキンナラ(聖鳥)。

 
御本尊エメラルド仏(1778年にラオスから略奪してきたヒスイの仏像)を納めた本堂とその回廊。


ワット・アルン(暁の寺)

 18世紀に,タークシン王によって最高の王室寺院とされた寺。バンコクのチャオプラヤ川(=メナム川)の河畔にある。ヒンズー教の影響が大きい。
 
渡し舟(片道2バーツ=約6円)から見たワット・アルン& 旧本堂。


礼拝堂

ランチ・バイキング

 
ツィン・タワー・ホテルでのランチ・バイキング。右上の汁椀はセンミー・ナーム(極細米麺入りスープ)。

バーン・パイン離宮

 アユタヤの南,約20キロにあり,プラサート・トーン王(在位1629〜1656)によって築かれた美しい夏の離宮。
 
プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアト。
ラーマ5世によって1876年に作られ,王の居室や謁見の間として使われた。
周辺の森には数軒の居宅が点在しているが,ラーマ5世が離宮に同道した妾たちの住まいだそうだ。元気だねえ。(^_-)

  
中国風のプラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン(廷臣の住居。1889年完成)& 見晴台プラ・ティナン・ウィトゥン・タサナー(1881年完成)とガイドのサムチャイさん。


ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  
1592年にナレーエンス王が建てた戦勝記念の仏塔& 寝釈迦仏& タイの女子学生

ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット


タイ最大のブロンズ仏像(1603年にここに移送された)を納めた本堂

ワット・プラ・シー・サンペット

 アユタヤ王宮の南側にあるアユタヤ王朝の守護寺院。1491年に建立されたが,1767年のビルマ軍による侵略のため仏像も僧院も徹底的に破壊された。
 
15世紀に建てられた3人の王が眠るチェディ(仏塔)& 破壊された僧院の跡


ワット・プラ・マハタート

 
高さ44メートルの仏塔が侵攻したビルマ軍に破壊された跡& ガジュマルの根の中に取り込まれた仏頭。

 
侵攻したビルマ軍に頭を切り落とされた仏像群& 仏塔と仏頭果(中央にある)

タイスキ

 
タイスキ(海鮮シャブシャブ)& 最後にそのスープでオジヤを作ってくれたウェートレス

アンコール・ワット

 アンコール・ワットは,スールヤヴァルマン2世によって12世紀前半に建てられたヒンズー教の寺院で,中央の祠堂は世界の中心山である須弥山を象徴し,周囲の回廊はヒマラヤ連峰を,環濠は大洋を意味しているそうである。
 この寺院は,ヴィシュヌ神に捧げられた寺院であると同時にスールヤバルマン2世を埋葬した墳墓でもあり,王が死後に住むための地上の楽園を意味している。
 この寺院だけは,西向きに作られているので,午後に観光するのがベストである。
 この周辺を観光するには,1日券20ドル,3日券40ドル(写真が必要。私はこれ)などを購入する必要がある。シェムリアップからはバイク・タクシーで片道普通2ドル。交渉次第では1ドルで行ったこともある。まず半分か3分の1から値切るのがコツ。

聖池に映るアンコール・ワット


アンコール・ワットにかかる虹

 
中央祠堂からの眺望(遠くに見えるのは観光用気球)& 降りる階段

 
経蔵と中央祠堂


第一回廊西面に彫られたインド神話「マハーバラタ」の戦闘場面。左側がカラヴァ軍,右側がバーンダヴァ軍。真ん中に身体にたくさんの矢を受けながらも指揮をしているカラヴァ軍の指揮官が描かれている。
 

第一回廊南面に彫られたジャヤバルマン2世。その右側には,出陣の日取りを占っている占い師と将軍がいる。
 
 今,私が歩いている同じ回廊の上を,約900年前に王や貴族や将軍たちが歩いていたのだと想像すると実に不思議な気がする。目の前に当時の豪華絢爛なアンコールワットの壁画と着飾った貴族たちが見えるような気さえする。

 
デバータ(女神)と内戦で破壊された外壁の弾痕。アンコール・ワットには何千というデバータやアプサラ(天女)のレリーフがあり,その全ての表情が違う。君にとっての最高のデバータはどこに存在しているのだろうか?

 アプサラ(天女)ダンス
 プノン・バケンは,高さ60メートルの自然の丘の上に建つヒンズー教寺院。ヤショーヴァルマン1世が9世紀末にアンコール朝最初の都の中心に須弥山を表して建てたものだそうだ。
 インドネシアのボロブドゥール仏教遺跡と形が似ているが,向こうには仏舎利塔が林立していたのが違う。
 夕陽を見るには,ここが最高だ。夕陽に照らされたアンコールワットが美しい。そして,カンボジアの地平線に沈む夕陽は雄大で,太陽が地平線に沈みこんだ瞬間,山頂をうずめていた観衆から一斉に拍手や歓声が飛んだほどだ。
 これほど美しく豊かな国で,キリング・フィールドと呼ばれるほどの大虐殺が行われたのはなぜだろうか?
 私のガイドのケロさんの父親も,ポルポト時代に虐殺されたそうだ。人口の約4分の1が虐殺されたという悲惨さが信じられないほどに,あの夕陽は美しかった。自然はかくも美しいのに,人間はなんと愚かな生き物なのだろうか。


アンコール・トム(王都)

 
アンコール・トム(王都)の南大門&バイヨン寺院(12世紀末創建)の四面観世音菩薩 2003.8.28撮影

 
民族衣装で記念撮影& ピミアナカス(天上の宮殿,11世紀初頭創建) 2003.8.28撮影

 
12世紀末に作られた癩王のテラス(テラスの上に癩王の像がある)& 象のテラス 2003.8.28撮影
これらのテラスの上で王が祭りの行進を謁見したと言われている。象の両側にはガルーダ(神鷲)がテラスを支えている。


バプーオン(隠し子の寺)。11世紀中頃建設のシヴァ神に捧げられたヒンズー教寺院 2003.8.28撮影
 シャム軍が侵攻してきたとき,王妃が我が子をこの寺に隠したという伝説から,隠し子の寺と呼ばれている。

タ・プローム

 

 女神(デバータ)像
 タ・プロームは,アンコールの都を占拠したチャンパ軍を追い出し,アンコール朝最大の版図を作ったジャヤヴァルマン7世によって1186年に創建された仏教僧院であったが,後にヒンズー教の寺院に改修される。そのため,仏教色の強い彫刻は多くが削り取られている。
 東西1000m,南北600mものラテライトの壁に囲まれた広大な敷地に,当時,約5,000人の僧侶と615人の踊り子が住んでいたと伝えられる。
 その壮大な遺跡が巨大なガジュマル(スポアン)に被われ,自然に帰ろうとしている。どんな巨大な建築物も,悠久の時の流れと自然の力の前には実にはかないものなのだ。
 この西門でいきなり,ポリスにバッヂを突きつけられた。俺は何か悪いことをしたのかとびっくりしたが,どうやらバッヂを買わないかと言っているらしい。5ドルという言い値から3ドルまで値切ったが,2ドルまでは下がらないようなので買わなかった。
 ガイドの話では本物だそうだ。失くしたといえばタダで補充してくれるので,いい商売になるそうだ。カンボジア人は皆,商売熱心だねえ。(;^^)

 バンテアイ・クディ
 スラ・スランは,「王の沐浴のための池」で,ジャヤヴァルマン7世がバンテアイ・クディの正面に12世紀末に作った貯水池だ。
 バンテアイ・クディ(=僧房の砦)は,ジャヤヴァルマン7世が12世紀末に作った仏教寺院で,もともとはヒンズー教寺院だったものを改造したものだそうだ。


 タ・ケウ(=クリスタルの古老)は,アンコール・ワット造営の試金石とされる。このヒンズー教寺院は,ジャヤヴァルマン5世によって11世紀初頭に作り始められたが,王の突然の死によって,石材を積み上げた状態で未完成のままに放置されている。
 この頂上で涼んでいると,先程会ったポリスがまたバッヂを売りつけに来た。結構,きつい階段をだいぶ上がって来なければならないのに,実に商売熱心なものだ。(;^^)

トレンサップ湖

 トレンサップ湖は,カンボジア最大の淡水湖で,雨期(6〜10月)には琵琶湖の約10倍にもふくれあがり,湖の中程に行くと周りは水平線しか見えない。
 この湖の年間漁獲量は約10万トン以上(ナマズが多い)で,湖の周辺には10万人以上の人がボートハウス等に住んでいる。現在の政権がベトナム寄りであるためか,近年,ベトナム人の流入が多いようだ。
 

 
水上の魚市場& 養魚場兼みやげ物売場と船頭の少年

ボートハウスと水泳をする少年たち


オールド・マーケット

 
シェムリアップの旧市場& 夕焼け。庶民相手の市場で,非常に安い(ドリアン1個0.5ドル等)が,観光客向けの土産物は結構高い。近くにインターネット・カフェがあり,1時間1ドルが相場か? 日本語対応マシンあり。

バンテアイ・スレイ

 
967年建設のシヴァ神に捧げられたヒンズー教寺院& 私とガイドのタランさん
紅色砂岩で造られており,アンコールワットに比べて彫りが深く,そのデバータ(女神)像は「東洋のモナリザ」と言われるほど美しいが,内陣には立入り禁止のため,約10メートル離れた所からしか撮影できない。寺院の係員に写真を撮って来てもらうスモールビジネスを持ちかけてうまくいきそうだったが,女性職員が来てオジャン。洋の東西を問わず女性は真面目だなあ。(;^^) 望遠レンズが必須。


サリナ・ホテル

 
住所 AIRPORT ROAD, SIEM REAP, ANGKOR CAMBODIA
電話 855-63-380221
評価 A1.5個。値段の割に部屋も広くて奇麗で,スタッフが親切で笑顔が素敵だ。プールと新館を建設中。賑やかな通りからはちょっと離れているので,静か。ホテルの前に小さな市場があるが,完全に地元民向き。朝食は,バイキング(種類は少ない)だが,客が少ないときはイングリッシュ・ブレックファスト?で時間がかかる。

ラッフルズ・グランドホテル・ドゥ・アンコール

 
シェムリアップの最高級ホテルでアフタヌーン・ティー(午餐。一人前税サ込み$10.89)を,この旅で知り合った女子大生のIさんとKさんと共に楽しんだ。(^_-)

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