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日本の医療事情に関する私見
 日本の医療状況を考えるにあたっての前提条件は4つと考える。

(1)世界経済に於る日本の立場が先行き不明であること・老齢化社会が急激に進むことより、平均すると国民一人あたりに掛けられる医療費が減少する点。
(2)一方医療技術は高度化し、ある患者さんに対しては莫大な支出をしなければならない点。
(3)医師の数が経済的な適正数を大きく上回る点。
(4)医師の大都市志向が強まっており、全国的に見れば不均衡な状態に陥っている点。

 (1)ついては皆さんご存知のように、健康保険料率のup、自己負担率のupが為され、続いて歯科と同様に混合診療の導入が模索され、(2)については、将来的には全額自己負担・自己責任に基づいた民間保険への加入促進が計られる予定。つまり政府としては個人の経済力に見合った医療が行われるようになるのは致し方ないとの考えである。わたしはこれらの動きに対しては反対。既に国民健康保険料滞納者が多数出る等、現在の健康保険制度が破綻を来たしているのは事実だが、日本の健康保険制度は、世界的に見て決して悪くない。むしろかなり偏差値が高い制度だと考えるからだ。現状では健康保険に加入していれば、高所得者と低所得者に施される医療はほぼ同じであるが、(慢性疾患で入院を要する場合は、差額ベッド代を支払えるか否かで差は出て来る。)上記プロセスが施行されれば、所得の多寡で診療内容は異なって来る。例えば米国では全て民間保険だが、保険料の支払い額によって保険がカバーする領域が異なり、高額保険では、日本では保険適用になっていないような医療も支払い対象になるが、低額保険では、日本で保険適用になっている医療行為もカバーされず、しかも医師は保険でカバーされない医療行為については、その存在を患者さんに知らせることさえ禁止されている有様。つまり自分達は高所得者であるので、低所得者のことはどうでもいいや的な発想が官僚や政治家に感じられる。医師は高所得者であるから、医師自体が犠牲を払えとの考えは小泉首相やおまけに朝日新聞までの論調であるが、わたしはある程度仕方ないと考えている。であるから平成14年度の史上初の診療報酬マイナス改定の受け入れを決意した、当時の日本医師会長の坪井先生の決断は支持した。これは15年度よりの社会保険本人自己負担upも込みでの受け入れであったから、大きな決断であった。この流れは小泉改革が速やかに進行する、つまり医師だけに犠牲を強いるのでなく、官僚等が進んで犠牲を受け入れるシナリオに沿ったものだったが、2年以上経過して目に見えた成果は上がっていないように感じる。このことは平成16年度の日本医師会長選で、坪井路線継承者の候補が敗れ、かつての、自民党に対する圧力団体回帰を掲げた候補が当選する事態を招き、今後他の圧力団体同様、兎に角自分達のパイは守るという方向性となり、いよいよ日本国が行き詰まるその瞬間まで、全く無策に終わる、つまり国家が崩壊する危険性が高まったと考える。

 (3)については既に急激に競争社会化が進んでいる。当院もご近所と呼べる範囲に皮膚科専科、および主に皮膚科患者さんを診られていらっしゃる医院が存在。差異化を計る為の投資で、わたしの収入は確実に減っている。(4)はその傾向を加速させるもので、わたしが思うにこのまま放っておいても、医師の所得は下がるし、患者さんの負担が増えることなく新しい医療が提供されるようになると思う。

おまけ1 大病院信仰  大病院信仰はかなり馬鹿馬鹿しい。わたしは開業医としては未だ若い方だが、わたしの年齢で大学に残っている同僚は講師に成っている。大学病院の初診外来は教授・助教授・講師が担当するのが通例であるから、わたしが拝見してもぎりぎり大学病院イコールであり、開業医の諸先輩方はより接近。場合によっては超越している先生もいらっしゃるのだ。加えて大学病院の果たす役割と開業医のそれは違う。貴方が世界で100例に満たないような珍しい疾患に罹患している可能性があると思うのなら大学病院受診を勧める。そうでないなら少なくとも初めから受診する必要はない。

おまけ2 美容  美容分野への進出は仲間内の話題に良く上る。過当競争もあり、自由診療へ活路を見出そう・またはエステで行われている、しっかりと訓練されていない、理論が理解されていない手技の結果生じた皮膚の健康障害を診ると、自分がやった方が良いのではというものだが、実際手掛けた方は少ない。最も危惧されるのはトラブル事例への対処だろう。形成外科医が開業する時、有能な弁護士を顧問にするのが最重要点のひとつと言われているが、経営的に皮膚科医が顧問料を支払うのは無理であるから、全て自分で対応しなければならない。そうして最もやっかいなのが、こちらに非がない事例、例えばごく少ない確率だが出現する副作用、医学的には何ら問題がないのだが、本人が神経症的に気にする場合、手技と全く無関係であるにも拘わらず、本人が勝手に関連付ける違う話し。こうした事例にも誠実に説明して差し上げるとなると、通常の診療にまで支障を来たしてしまう。
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