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DNA THE SEACRET OF LIFE

著者の態度は一貫して生命科学、とくにDNA総合的解析の推進を訴えている。本書は前半部に於いてはDNAに視座を採った生命科学の概略を述べるのに当てられており、後半部に於いては前半部に於いて確認されたDNAを中心とした生命の解析の成果と問題点を指摘する体裁となっている。

前半部に関しては、DNAの解析という実験科学が中心となっていおり、理論生物学の解説は含まれていない。あくまでも、DNAの構造決定という生物科学上のパラダイム(中心教義)を中心としている。よって、DNAという物質について化学的に考察する努力に

ついての解説が詳細に述べられている。

本書を読むと、先ず始めに築く構造として前半と後半においての著者の社会と生命科学の関連についての態度を述べた呼応関係がある。著者は、生命科学と政治や倫理といった社会面の接合と摩擦について言及しているが、この点は後半部と関連している。

前半部に於いて優勢思想について非科学的な非事実に則ったものであるとして退けている。しかしながら、科学的事実に則った優生学は人類を進化させるモノとして歓迎している。これは、後半部に於いてあげられるGMフードについても同じであるし、犯罪捜査におけるDNA解析技術の応用についても、科学的な事実を明らかにする範囲で有効であるとしている。

著者は、非常に純粋な科学者であることが本書を通じて理解される。著者の立場は一貫してDNA解析科学の推進であり、それ以外のすべてに対しては余り興味がない。これは、著者がDNA解析科学の成果としている事象に対して一貫した態度を示さない点に現れている。これは後半部に於いて顕著である。特に商業と学術についての彼の見解が如実にそれを示している。彼は、DNA解析科学がBIG SCIENCEとなることについて、対象の資本投下による推進を歓迎している。一方で推進の成果が独占されることについては激しい嫌悪感を持っている。(但し、その過程に於いて科学が推進されることについては歓迎している。)彼の考え方はコンピュータにおけるオープンソースの考え方に近いものがあり、成果の公開によるさらなる技術開発の促進が富をさらに拡大させると主張しているが、彼の主眼と於いている部分は、開発の促進であり、富については余り歓心がないのも事実である。

よって、彼の関心はもっぱらDNA解析科学の推進であり、本書はそのためのリーフレットとしての位置づけがなされる。

著者は、DNA解析科学のモラトリアム宣言であるアシロマ会議について、全くの愚かな行為であるとして切り捨てている。つまりは、非科学的であり事実に反しているとしている。これはGMフードに対する反対運動や、生殖技術における倫理的問題についても同じである。確かに、これら生命科学にたいする反対派の主張は、推進派に対して十分批判をしているモノは皆無であることも事実である。たいていの場合は、安全性など科学技術の不安定さを強調するが、そういった論点は科学の推進自体によって解決されれば問題がないということになる。これらについて著者は単なる臆病者の弁、もしくは事実に目を向けようとしない誤った行為であるとしている。

著者の基本的な生物にたいする認識として、自然淘汰による世界の偶発的発生という世界観がある。すなわち、偶発的に発生したもについて、それが自然淘汰による偶発的分類を受けるとすれば、偶発に変わって人為であってもそれ自体問題のないことであり、偶然の積み重ねで出来た空間を隅々まで理解すれば、全く問題を生じることなく自然淘汰を演じることが出来るという帰結になる。

よってこの前提を支持する限りでワトソンの議論は適切であり、本書は科学啓蒙書として秀逸である。

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