表紙に戻る

方の概念 H.L.A.ハート 矢崎光圀訳 みすず書房

本書は、法学のみならず広く社会を理解するためにも有益な書である。社会あるところ法ありという法諺は法学徒であれば耳にしないことはないと思うが、では何故に、法が必要であるか。多くは、社会契約論によって自然状態モデルから出発しより刑税的であるから社会的に権力を契約によって各人の権利を縮減して生み出すというフィクションによって説明される。法は、特に経済法をみればわかるが、何もサンクションのみがその存在を支えているのではない。ルールとして行動の可能性を担保しているという機能が事実あり、又それだけではなく、様々な機能を有し持って社会が成立している。

ハートは、「ルール」というキーワードから、法体系のありのままを捉えることによって、これらの疑問に対して、観察から得られる結果を基にした旧来の説に対する批判を行う。すなわち、フィクションによる原理(公理)から演繹的に現状を説明するという手法ではなく、現実にある法体系を、法の有り様を、その法が現れるときに伴う言葉の扱われ方を分析することによって、克明に観察し、社会を記述しているのである。

民法では、法律行為という概念が存在しているが、法律行為の下位概念としていい議されている契約、単独行為、合同行為がある。そしてそれらの裏付けとしての各種の行為(意思表示という共通点を持つが・・)もまた、同様に法律事実という上位概念によってくくられる。そして、この法律行為と法律事実に対して原則規定を定めるという形で民法総則が構成されているのであるが、この形式自体に果たしてどれくらいの意味があるのだろうか。実際に於いては、契約、単独行為、合同行為それぞれ共通点は確かにあるが、実際に於いてはかなり隔たりのあるものである。概念的に無理矢理あわせるために「共通性がある」というフィクションがここにはある。そしてまさに、このことは民法典の背景、日本法の背景にある法の継受過程を観察することで明らかになると思う。つまりは、日本法に於いて用いられている概念や理論が、輸入元ではどのような位置づけにあるのか、そしてその理論的限界を確認することは、輸入に際して重要なものが欠落していないかというチェックの上で欠かせないであろう。それは、とりもなおさず、問題解決のためには何が必要であり、その導入のリスクを知ることは法を厚生に運用するために重要な情報であるからだ。まさに本書によって法の実態を知る重要性が再確認されよう。

3d

表紙に戻る