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0と1の世紀 〜数値主義の時代〜 前橋敏之著 近代文芸社
本書は、様々な現象を数値として扱い、数学モデルを技巧によってコンピュータ科学の上に構築しあたかもそれが真実であるような顔で日々無自覚にも過ごしている現代社会を明らかにする。読むに当たっては数学的知識と高等学校程度のコンピュータの知識が求められるが、これらは例証を示し理解を深めるに必要なのであって全くこれらの知識を備えていなくても、実感を以て肉薄するのが多少困難にはなるだろうがよく日常を目をこらしてみてみれば十分に補いうる。それほどまでに現代社会は、無自覚に数値を弄している。パラダイムという考え方に共通すると考えられるが、公理というものをよく考えてみると、公理によって形式論理学の形式は成り立つ。そして公理自体を吟味することはなくその公理によって導かれる結果を検討しさらにその上に新たな結果を構築する。この繰り返し構造が相互に矛盾を抱えぬように吟味が繰り返される。この繰り返しが数学であるとして、コンピュータ科学はこのできあがった繰り返しをなぞる機械の科学であるという。だが同時にそこには純然たるものと機械の上との誤差が生まれる。しかしながらそれは精度という点ではなく、適用という意味でであるという。つまり、本来からかけ離れた方法で形式上の一致のみで様々なものがあちこちで利用されているという事に危惧を示している。
現代は、筆者のいう数値主義にどっぷりとつかっている。身近な例で言えば、それは偏差値であり、試験それ自体もそうであり、マーケティングの理論もそうといえる。特にここに統計学由来のものをあげているのは、統計では理由は必要なくそれが結果的真実として考えられることに関係する。とにもかくにも対象を数値化し式によって分析することである種の真実に到達する。だがしかし、それは真実なのか疑問に思うものがあるだろうか、あったとしてその疑問はただ単に数式にたいしてのみなのではないだろうか。数式は正しいと言える此はそれ自身の形式が正しいからだ。しかしこれが間違っているというならば、それは数値化の時点、モデル化モデル適用において誤りがあると考えられる。正しいモデル、いや、そもそもモデルが適用できるかの検討からして始めなければならないが、現代はモデル化しなければ進むことが困難なまでに数値主義が浸透している。つまり現代においてこのことに向き合うにはモデルを見抜く力が必要なのである。しかしながら、これはある先生のお言葉であるが、私も深く考えされられることでもあり重要な視点であるが、「即物的な現代」においてそれを期待できるのかどうかである。端的に言って現代は実用主義の名の下に様々な概念的思考というものがなおざりにされている。先生が挙げられた例として引用する所に「(コンピュータ上で)今はワープロファイルをクリックしてワープロソフトを起動させる。」ということがある。手順をすべて省略して直接的にそのものを扱おうとする。私は此が現代人の便利の正体であると考えている。現代人が便利というと基礎には手続きの省略、やがて此は前提の無視が潜んでいることになる。筆者は次のことのよう事を言う「出所のわからない数字に振り回される人類はやがては滅び、0と1でできたが学者の時代がくる」と。
本書は筆者の物事に対する態度から非常に実際的な論議が展開されている。本書の素材はコンピュータとそれによる数値処理の妥当性を疑うことにあるので、そのコンピュータ上の処理の実際やそれらの基礎にある数学的証明なども含まれているので前述のように多少の知識が必要になる。
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