労働の価値を如何にとらえるかという問題について、それは、その時代それぞれにおける人々の認識の仕方に大きく左右されていた。この点において、特に宗教的価値観の変化を徴表として分析したのがマックス・ヴェーバーである。認識の枠組みの変化によってその認識の主体が大きくその行動様式を変化させることを科学居おいても同じく思い出すことができる。トーマス・クーンの著書「科学革命の構造」にみるパラダイムという概念にそれを指摘できるだろう。つまり、ある認識の枠組み内においては、その内部の秩序にとらわれているので、その秩序に従って事実の羅列を再解釈しその解釈によって更に内部の秩序が精緻化される。この繰り返しおなかにおいて事実に意味をつけそれらの意味を選択し、真実を作り出し認識するのである。

科学、労働にもこれら上述のことが当てはまる。ラボアジェは酸素の発見者として知られているが、彼の言う酸素と現代の酸素は同一ではなく同じように、古代エジプトにおける労働と現代における労度津派同じではないし、貨幣に対する認識も社会に大きく依存している。そして、経済学の多様性も同じく認識の枠組みの違いに、つまりは社会的事実の意味づけの多様、要するに選択制の問題に帰着するのではないだろうか。これは社会学共通の問題であり科学として成立するか否かのネックであるし、同時に、自然科学が実験による検証にある程度、すなわち、パラダイムに拘束されながらも手順による結果の保証性による客観性を持つが故の自然科学と社会科学との間に生じうる根本的認識の差異を理解する上で非常に重要な問題である。

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