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現代国家における教育権とは何か。

前文に変えて(問題の源泉)

思い描いてくれたまえ。人間たちが地下の洞窟のような所に住んで居るんだ。この洞窟の口は明りに向かって、

洞窟の差し渡し一杯に開いている。人間たちは子供の頃かたここにいた。そして足と区部を鎖でつながれているものだから動くことはできず、自分の前だけしか見えない。なぜなら、鎖は彼らが振り返ることがで寿培養名具合に結ばれているからだ。彼らの背後、はるか上方に燃え上がる火が輝いている。そして火とこれらの囚人たちの間には高いところに一本の道がある。見ればその道の沿って低い壁が作られているのがわかるだろう。人形遣いが自分たちの前にしつらえるあの衝立に似ている。彼らはその上から人形たちを見せる。

わかります、と彼はいった。

それから、と私はいった。思い描いてくれたまえ。人々がその壁に沿って様々の器を持って通っている。それらの器は壁の上にのぞいている。彼らはまだ木や石や様々の素材でできた、人間や動物の像も運んでいく。君もそう思うだろうが、囚人たちの中には声を出しているものもいるし、黙っているものもいる。

これは不思議なイメージですね。彼はいった。そして奇妙な囚人たちですね。

我々のようにね。私は答えた。彼らは自分自身の陰しか見ていない。あるいはお互いの陰しか見ていない。火の光が向かい側の洞窟の壁に投げかける陰しか見ていないのではないか。

その通りです。彼はいった。人々が頭を動かすことを許されていないならば、どうやって陰以外のものを見ることができるでしょう。

そして、このような方法で運ばれている物体についても、彼らが見るのはその陰だけだろうか。

そうです。彼はいった。

とすると、もし彼らが互いに語り合うことができるなら、自分たちが語っている名前は現に自分たちの目の前にあるものを指していると思いこみはしないだろうか。


(プラトン 国家より第7巻中「哲人統治と教育について」より)

ギリシアにおいて、市民権をもつ人々は観劇の義務を負っていた。この劇は政治劇であり、ギリシアが戦争を行った後でその相手方つまりは敵の立場に立った劇が行われていたという。

1.教育とは何か

教育権とは何か。それを考える前に、教育の意味合いを考える必要がある。国家は人によって構築された純粋に人的な構造体にすぎないからである。人は権力に必ず屈服し利用しようとする。この構造体は現代において非常に規模が大きくなりその構成要素がふえ、構造同士が多重化し融合し複雑な構造になっているが、基本原理は同じである。国家は、ひとりの正統権力者のもとに機械化された人的機構が配置され、最上位の権力者から最下位の部品に対して命令が伝達されそれが実行される。

教育は、必要な訓練を課すことである。この必要とされる訓練を課すのである。そして訓練を行うもの、この訓練の内容を決定するものはその時々の権力者である。どのようなものに、どのような訓練を課すのか、教育の対象と内容は、権力者の統治する社会に合目的的に権力者によって自ずと調整が為される。

原始社会においては、食うに困らないように行動することを訓練したのであり、身分制社会においては、それぞれの身分において世襲が為されていたわけであり、この点で教育はその身分にふさわしい行動をとるように訓練をすることである。

近代以前においては、訓練は基本的に社会において権力者を中心に統一的画一的に組織的には行われては居なかった。たとえと行われていたとしてもそれはごく小規模なものであった。これはもっぱら経済力の格差に起因するものであって、国家を構成するに当たって主要とされる帰属など有力な地位にあるものにおいては個人レベルでの教育が為されていたし、そういうような地位になくとも親から子への伝承やしつけという形で教育は為されていた。つまり、目に見える営為としては、教育は家族自治のものとして存在していた。しかしながら、その内容については、欧州ではキリスト教、中国などでは儒教など、権力者の定めた基準に沿って為され、社会においても、その基準で教育のあるないが判断された。

特に欧州において国家と教育の関係を見てみると、そもそも欧州においては宗教権力が世俗権力を凌駕して存在していた。それは、先に述べた国家の構造に照らせば、正当性の供給源として宗教という存在があったからである。政治はキリスト教の枠組みに取り込まれてしまっている以上、その宗教から正当性を供給される世俗権力は従属的に地位にしか素材史得ないのである。これはまさに、キリスト教が欧州において「基準」として確立していたために人々もキリスト教教育を受ける(所謂7つのサクラメント(注)のうちの洗礼に始まる宗教教育の教会の専属権)、故にその判断及び行動はキリスト教によって制御されることになり、世俗権力もまた例外なくその支配下にあったのである。

宗教革命、近代革命は、実態的権力者が教会ではなく、有産社会級に移ったということである。

(注)7つのサクラメントとは、教会の成員すなわち社会の成員として認められるための秘儀のことで、洗礼、堅信、聖餐、告解、終油、叙階、結婚がある。イニシエーション。

両革命以前の社会において求められたのは絶対的ヒエラルキーの構築である。つまりは階層化である。社会階層を固定することによって従来の権力構造は安定することになる。これは権力者が一般的に行うことである。細かく階層を設定することは、多重的支配を可能とする。一つの土地の対して、近代以降では考えられないことであるが、複数の初秋けが成立したのである(注)。つまりは、民衆と王侯と教会に適用される法が異なるのである。これは世俗的権力の散逸を意味する。統一的な支配権を持つのは、規範としてのキリスト教のみでありその規範の正当性起源を持つのは教会だからである。故に中世身分社会に起因する中世独特の重畳支配構造は世俗権力を衰退させ宗教的権威を強化せしめるのに十分であった。

(注)ロベスピエール(白水社・マルク・ブルロワゾ)、ローマ法とヨーロッパ(ミネルヴァ・ピーター・スタイン)に詳しい。

宗教革命、近代革命はこの重畳支配構造を打破すること、つまりは社会の均質化をすることで、教会の権力を奪い、資力で勝る有産階級が権力を握ろうとしたのである。

均質化という意味では近代以前の社会に於いてもその社会階級内における均質性、同じ身分であるという意味での均質性はあったが、これは狭い均質性であり、上層から下層への多段的なヒエラルキーの中にあるものである。つまりは王侯を頂点として貴族、農民というピラミッド構造のそれぞれの階段の中にある要素同士の均質であって、階層を超えたところには区別がある。この階層を構成している要素は「身分」である。身分は実力に基づいて恣意的に構築されている。勢力を実力によって構築していた頃は軍団を効率よく運営するためのヒエラルキーとして作られたモノがそのまま社会を構築した。これは軍団そのものが社会の構成員であったからである。村が社会単位であった古代に於いては構成員はすべて等しく義務を負ったのである。しかしながら、集団が大規模化し、集団内部に於いて生産部門と統治部門が分離してくると、統治部門は統治の根拠が必要になる。その根拠が実力であり、その延長上に身分が発生したと考えられる。ここで言う実力とは軍事力と宗教力があげられる。軍事力は外部に対する集団の独立性を確保するための文字通り実力的装置として作用する。宗教力は内部に対して集団の統一性を維持するための社会的装置として作用している。宗教力は統一された体系的価値観を提示することによって、同じ価値体系を受け入れるものは根本的に同質であるということを担保した。つまりは、集団に参加できる条件を与奪する力なのである。かくして、社会は武力と宗教によってコントロールされていた。この構造は、必然的にヒエラルキーを作り出し、その結果が身分階層の出現である。

近代社会ではこの階層を構築する要素を否定することで均質化を図っている。つまりは、身分階層を発生させる武力と宗教の世俗化、大衆化である。社会すべての構成員が、等しく武力と宗教というこれら装置のすべてに参加する形を取ることで、社会全体の身分ヒエラルキーが武力と宗教内部のヒエラルキーによって決定されないようにするのである。武力と宗教という2系統の支配ヒエラルキーによって構成されている前近代社会は二重支配という矛盾とにもかかわらず宗教が優越的に支配権を持つという歪さを自ら抱えることになるが、近代社会は統一的支配が行われる。前近代から近代への移行は統一の一形態と考えることも可能である。統一的支配に最も適合したスタイルは、無段階ピラミッドの形を取ること、すなわち支配被支配の二極化であり、究極的には支配被支配の同時性である。支配被支配の同時性が達成されることで初めて完全な統一された一個社会が完成するのであり、近代社会とは一個一体の社会である。

この統一された一個社会において、教育が意味するところは、まさにこの一個化、個人化の推進役である。従前教会教育によって身分相応の振る舞いを訓練されてきたのに変わり、そういった身分を否定する思想、従前の思想に置換されるべき思想は、ふさわしい能力を身につけたものがふさわしい利益を得るという思想である(注)。

(注)この点は、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー)に詳しい。

フランスにおいて1905年にライシテ(政教分離法)が成立し、1875年憲法下において協和政権がが、教会を徹底的に敵視したことも、この流れの中にある。更にこれに続いて産業革命の要請によって強化された大量の労働者の確保、更に現代に向けてその要請は強くなり、競争と選別による労働力のカテゴライズという機能を担うに至っている。

近代革命成立後産業革命が進行し資本主義が爛熟期を迎えると、所謂1919年ヴァイマール憲法に代表されるように社会権というコンセプトが出現する。この段階にいたって自己実現、人間らしい人間の育成といういみでの現代的な教育が一般的なものとしてイメージされるに至る。

しかしながら、同時に資本主義の進展によって単純労働が機械化され、より高度複雑な労働が要求されるようになると、賃金格差というインセンティヴの下に適切な能力を持ったものに適切な訓練を施すことによって最大の利潤を引き出すことができるという考え方が所謂人間形成や文化的教育よりも前に出てくるのである。

私がこの段で主張しようとしているのは、教育の恣意性とその権力性である。教育とはまさに統治の基礎である。所謂「公教育と良心の自由」という問題ではなく、純粋に権力の正当性の問題として教育の問題があるということである。統治行為の一環として教育のコントロールを国家が行うのである。つまりは、統治と社会経済の要請に基づいて教化が行われるのであって、そして人々もまたそれを求める傾向にあるのであって(これが教化によって人々がそういう風になったというと、それは卵が先か鶏が先かという話になってしまうだろう)先に引用したプラトンの言うところにある囚人たちを有無にすぎないのである。これは民主主義の危篤を意味している。民主主義が想定しているのは、理想条件ではあるが、「独立した個人」であって、確かにこの個人は理想人であるが、この想定の基に立憲主義があるのである以上、民主主義国家に参画するものは、正しい知識と判断力を持った自立人であることが望ましくそれを担保するための教育権でなければならない羽津であり、この理想に近いのがやはり西欧における教育権を巡る政教分離と信仰の自由の対立構造の根底にある「個人の独立」なのである。

本来的に日本における敗戦後の教育というのは、その初期においては天皇制イデオロギーと軍国主義の解体に注力され、この流れが所謂平場主義、教室から教壇を無くし、徒競走ではゴール前で整列して一斉にゴールするなどの指導に現れる、偏った平等信仰を生み、一方で急激な経済成長によって、単純労働に大量に使役できる品質の整った労働者としての中学校卒業生(所謂金の卵)と国家指導を行うエリート層の育成に注力されることになり、高度経済成長に至りホワイトカラーの増産つまり高等教育の充実化がはかれるようになる。この段階までくると国民生活に余裕が生まれ、エリート層に自分の子弟を送り込もうとする動き、所謂受験戦争期に入る。一方で経済成長の需要の前に目立たない存在となった敗戦前教育への反動からくる平等信仰を生み出した流れは、自己実現や人間らしい教育というようなキャッチフレーズに現れるような風潮となり受験戦争に対するアンチテーゼ的な一に至ることにその存続を見いだしている。現在においても、これらは競争原理とゆとり教育という形で存続していると考えられる。現状においては折からの経済状況からもあり競争原理のほうにやや歩があるようである。

このような日本社会の変遷において、教育権はどのように位置づけられてきたかというと、欧米のように権力正当性から生じた宗教と国家の主導権争いという深刻な問題が生じ得ない社会構造である日本において、個人の自由と国家の政策の対立というような枠組みに位置づけられているのではないだろうか。国家による教育に対して「個人の教育の自由」を主張して政府の政策に対してプロテストとして何らかの作為の要求を行うという意味である。家永訴訟や旭川学テ事件にみるように「国家の教育権」と「国民の教育権」という形で教育の所在がどちらにあるべきかというテーゼの立て方が存在している。しかしながら、このよう枠組みにおいて、教育権を社会権の一部もしくは社会権と自由権のハイブリッドな存在として把握することが果たして適切なのであろうか。重要なのは教育の独立ではないだろうか。

2.憲法26条の制定過程

教育は、文化政策的側面と家族自治的側面の交錯する場面であり、欧米において、本稿では特に仏においてであるが、宗教教育家と公教育における政教分離という形で憲法テーマになる。

一般的に教育権について問題が生じる構造は、国家の文化政策に対して個人が広い意味での精神的自由を根拠にしてプロテストする場合であり、とりわけ欧米では宗教教育において政教分離上皇との関係で問題となってきたのであるが、日本においては教育の権利義務を定める憲法26条の内部的対立によって生じていると考えられる。日本と欧米においてはその前提となる社会状況が著しく構造を異にしている点も考慮されるべきである。欧米では宗教権力たる教会勢力が世俗的権力である王権に対して優位に立っている状況、具体的には、王立裁判所と教会裁判所が並立し、一方では国王の法をもう一方では教会法を運用するという重畳支配状況が長らく続いた中世の後に近代立憲主義が成立したのであって、近代化という社会を個人という単位に分解した上で子かという統一体に再統合するという事業においては、カノン法やキリスト教(カトリック)における生活と宗教の融合(7つのサクラメントと言われる生活にたいする教会の儀式による介入)を背景にした教会権力を否定する必要があり、この原理が政教分離条項であり、それを実体的に推進するのが中立無宗教的教育を義務的に行う義務教育の本来の意味である。

しかしながら、日本においてはそのような沿革の基に教育権が導入されたわけではない。そもそも、日本における公教育は教育勅語に始まる。その目的は富国強兵政策の一環であり、人材の育成に主眼がおかれているのであって、欧州における産業革命以降の教育に対する要請に基づいている。欧州であったように、権力の正当性を確立する一環として教育が為されたのではない。

以下に26条の成立過程を概括してみたいと思う。この項は「憲法26条制定の経緯;村元宏行;季刊教育法No125No127No128」の要約である。

敗戦後施行された憲法はマッカーサーノートに基づきGHQの民政局(GS)によって作成された。このとき26条についてはどのような制定過程を経たのであろうか。

松本委員会においては、明治憲法に徹底的に改正を加える案(宮沢甲案)と最小限にととどめる案(宮沢乙案)が検討されていたと伝えられるが、委員会では明治憲法19条風に表現し「日本国民は法律命令の定めるところの資格に応じ均しく教育を受ける権利及び義務を有す」とする意見が入江俊郎委員により出されている。基本的に松本委員会においては、従来は教育勅語を含む勅命によって整備されていた教育関連法政の新憲法に伴う移行によって、勅命を法律命令に置き換える以上、憲法中に明文規定を置く必要を感じていたとかんがえられる。最終的には、明治憲法に最小限の改正を加える案が採用される(宮沢乙案)。

結局は松本案はGHQにおいて不十分とされ新憲法とはならなかったのであるが、義務教育の無償かという点を除けば、現行憲法における26条のルーツであると考えてかまわないと思う。

次に、日本占領軍総司令部民政局(以下GHQ=GS)の草案策定において教育にかんする条項はいかにして生まれたのであろうか。GHQは政府案を毎日新聞のスクープによって知るのであるが、この案は徹底的に改正を加える宮沢甲案であり、教育に関しては30条に「日本臣民は法律の定むる所に従い教育を受けるの権利及び義務を有す」とされていた。GHQ=GSは他の条項などの判断も含めて政府による憲法の自主改正を断念し、マッカーサーノート、SWNCC228(既に極東委員会が設置され米国政府は憲法問題についての司令権を失っていので、マッカーサーに伝達されたときは情報として示されたが、起草段階においては拘束力ある文書として扱われた)に基づくGHQ案作成に動き出すのである。GHQ案では

21条「全て子は、その出生の条件のいかんにかかわらず、個人としての成長のため平等の機会が与えられなければならない。この目的のため、公立の小学校により8年間にわたる無償の普通義務教育(free, universal and compulsory education )が実施されなければならない。中東及び高等の教育は、それを希望する全ての能力ある学生に無償で提供されなければならない。教材は、無償とする。国家は、資格のある学生に対し、その必要に応じて援助を与えることができる。」

22条「私立の教育機関は、教科課程、施設及びその教員の学問的終業の水準が公立機関につき国の定める水準を下回らない限り、活動することができる。」

23条「公立であると私立であるとを問わず、すべての学校は、常に民主主義、事由、正義及び社会的義務の原理を強調しなければならない。また、平和的な進歩がきわめて重要であることを説くとともに、その教授内容の中で真理の尊重並びに科学的な知識及び探求を主張しなければならない。」

このように詳細な教育条項は、ベアテ・シロタ・ゴードンによることがベアテ・シロタ・ゴードンに関する文献から明らかとなっている(「1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝」(柏書房、1997年)などがある)。

子御詳細な規定はGHQ=GS内部において、社会保障整備に積極的な擁護派(ロウスト中佐)と消極的な削除派(ラウエル中佐;詳細な規定を御個々とによる日本側の反発をおそれたとも)との対立があったが最終的にはホイットニーGS局長によって、社会保障制度をしくべしという一般規定は置くが詳細規定は社会立法に任せるという方針となった。最終的には24条として「あらゆる生活範囲において法律は社会的福祉、事由、正義及び民主主義の向上発展のために立案されるべし 無償、普遍的且つ強制的なる教育(free, universal and compulsory education )を設立すべし 児童の尻敵国視はこれを禁止すべし 公共の衛生を改善すべし 社会的安寧を図るべし 労働条件、賃金及び勤務時間の基準を定むるべし」となり、ベアテ・シロタの起草部分は大幅に削除され残ったのは「無償の普通義務教育(free, universal and compulsory education )」のみである。

GHQはこのマッカーサー草案(GHQ=GS草案)を参考にして、憲法起草を日本政府に要求することになる。この要求を受けて、松本烝治(当時国務大臣)が第1章、第2章、第4章、、第5章を執筆し、佐藤達夫(当時法制局第一部長)が第3章を執筆し、入江俊郎(当時法制局次長)も参画して起草作業が進められた。結果できあがった初稿においては、第15条「国民は法律の定むる所に依りその能力に応じ均しく教育を受くるの権利を有す。 国民は法律の定むる所に依りその保護する児童をして(初等)普通教育を受けしむるの義務を負ふ。(特に法律の定むる場合を除くの外初等普通教育は無償とす)」とされた。

GHQとの折衝において、この初稿は1.「無償の義務教育をもうけるべし」というGHQ=GS草案と一致していない。2.教育条項を独立したものではなく社会福祉の一般規定(政府草案38条)に統合する案の検討。3.「法律の定むる所に依り」という文言の要不要。の3点が問題とされた。折衝の結果1と2の問題については、政府案が押し切り、3の問題については、草案中2項については削除し1項については維持することで決着をみた。結果的に第24条「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 すべて国民は、その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ。初等教育は、これを無償とする。」となった。

結局は、基本的には宮沢乙案甲案の策定過程の議論がベースとなり、そこに「無償で」ということが加えられた格好となったようである。

このGHQ=GSとの折衝を経た原案が更に政府内折衝及び帝国議会にかけられることとなが、いづれにおいても「無償」であることが最大の問題として扱われていると思われる。

政府部内で問題となったのは

1.草案21条「国民は凡て研学の自由を保障せられるべし」との関係

2.従前のが恒例の取扱

3.条文「保護に係る」の意味

4.「児童」の意味

5.「義務」の主体者

6.初等教育は国が行わねならないのか(私学を排除するか)

の6点である。今日憲法や教育法の解釈上も問題となっている1や5などの問題点が種で二件等対象にあがっていたらしい。

政府の理解においては3については子供を扶養することであり関連して5いついてもその扶養義務を負うものであるという意見に一致し、1と6についても他国憲法(注)から私学の自由は確認されていたらしい。私学による初等教育についても無償で行うという理解が為されていたことが入江俊郎のによる答弁文章に手書きで記されているという(参照文献中;入江文書:国立国会図書館県政資料室蔵)から、おそらくは当初の政府の理解においては初等教育については設立の区別無く無償とするものとして理解されていたようである。この点について手元にある制定過程をレポートした資料(憲法26条制定の経緯;村元宏行;季刊教育法No125No127No128)からは、政教分離について特段問題が指摘されることはなく、もっぱら費用関連問題、無償範囲は、授業料のみか、それとも授業料と諸費も含むか、無償の対象となる年齢はいくつまでなのかということが焦点となっており、逝去分離問題ももっぱらこの面で助成の可否について検討されている。結局の所政府部内においては、無償の範囲は義務教育として教育の授業料のみいであり、諸費については自弁を要すること、私学及び宗教教育は自由であるが、私学への助成はできるが宗教教育には条文上助成できないことが政府答弁として一致した見解となる。この点についてGHQ−文部省の折衝において、GHQ側(民間情報教育局(CIE))が教科書まで無償の範囲にすべきであるという態度をとったのに対して日本政府側は将来的には教科書まで無償にするのが望ましいという風にしていたが、当時の政府の財政状況から憲法を施行直後に教科書無償配布を実現する見込みがなかった、つまりは、憲法成立早々に意見上他愛が出現しかねないという危惧があったようである。

更に、帝国議会における憲法の審議においていかなる議論が為されたのかを見てみたい。

帝国議会では草案24条について以下の点が主要議題であったようである。

1.「その能力の応じて、ひとしく教育を受ける権利」について

2.教育を受ける権利に対する義務について

3.初等教育の無償について

4.私立学校の問題

5.24条2項の修正

6.高等教育の費用

以上の6点が主要議題であった。

1の点については、能力について所謂障害者や公正な試験による学力に応じてという理解で異論はなかったが、「ひとしく」が経済的弱者に対してどの程度の補助をするのかという角度で問題となった。この点について政府側は消極的な答弁しか行っていないようだ。

2の点については国の責任はあくまで政治責任であり法的責任ではないと答弁している。また、子供の教育を受ける権利に対応して親が教育をうけさせる義務を負い、全体的には教育を受ける義務であると理解されていたようである。

3の点については、あまり議論が深められていないようである。村元によれば、1の問題において「ひとしく」の解釈に関する議論と同じであると政府側が考え早々にこの3については議論を牛切ってしまったようであるとのことである。

4の点については、私学を許容するのが前提になっていたようである。その上で、その費用がやはり問題とされている。政府部内での意見においては私学も含めた無償化ということであったが議会での答弁では私学は無償の範囲にはいらないとしている。

5の点について「すべて国民は、その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ。初等教育は、これを無償とする。」とあったのを「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育はこれを無償とする。」とした。これは所謂旧制学校における青年教育のカテゴリーにまで義務教育化すべきという運動がCIEや政府に対して為されたことが背景にあるようだ。普通養育と改められたがこれについてはその内容についてつっこんだ意見が為されたわけではなくて、所謂科目体系としての職業教育であるか等々程度の意識であって、初等教育という言葉について政府側では必要亜基礎教育という意味で理解していたようである。この点についても先の義務教育の延長と絡んで「教育」に改めるという意見が出たが結局は普通教育で落ち着いたようだ。

6の点については、基本的には5の問題と同根であって教育の拡充という考え方が根底にあるようであり、それは国家を支える人材の育成という文脈の上に成立しているようである。この点についても最終的には憲法に取り入れるのではなくて法律によって整備うぃすすめるという方向で決着を見る。

以上見てきたように、その制定過程において教育条項は、あくまで教育勅語の延長線上にある新憲法下における移植問題であって、その際にGHQ側から福祉政策としての位置づけとして義務教育の無償という条件がついたのである。

故に、西欧における本来的な教育と立憲主義の関係の枠組みにおいて理解する文脈にそもそも乗っていないと考えられる。

つまり、教育の内容に対する本質的な国民として、民主主義国家に参画するものとしての国民の正しい判断力と知識を得る(根元的参政権とでも言うべきか)権利としての位置づけが起草過程からそもそも考慮にはなく、「国家による施しとしての福祉の一環、もしくは国家に有益な人材輩出のための助成」という国家中心的意識のもとに26条が形成されているし、まは後述する判例の分析においても、司法もまた訴訟当事者もそのような問題意識は必ずしも高くないと言わざるを得ないだろう。

敗戦前に行われていた特に戦時下において行われていたイデオロギー教育、戦時教育といったものに対しての警戒というものが起草過程を通して考慮されたような跡が見あたらない。この点については、GHQ=CIEなどの指導の下に行われる具体的な施策レベルでの問題であって、憲法や法律レベルでの問題ではないという認識であったのだろうか。本稿の執筆においては26条のみに的を絞ったリサーチをしたので当時の教育政策の実態についてはサポートし切れていないが、少なくとも26条の起草においては、国家による教育の濫用というようなものについては全く意識されていないといえるだろう。確かに、法律によって教育の内容を拘束することについては、学問の自由や思想信条の自由との抵触を生じかねないし、まして憲法において規定したならば、その時代々々のニーズに対応しきれないという指摘もあるだろうが、学問の自由、思想信条の自由に対する教育という国家による積極的施策に対するアプローチがあっても決してマイナスにはならないのではないだろうか。こういった観点に立つとベアテ・シロタ・ゴードンによる詳細な規定に関しても一考には値すると思う。

3.憲法26条の運用状況

26条が争われたケースは総数43判決あり、内訳は地裁21件、高裁16件、最高裁6件である。43件全てを対象にしてクラス分けを行う(表示においては、最高裁判決があるものについてはそれのみを示した)。まず当事者という視点からは、当事者の捉え方が相対的になってしまい無理がある。なぜならば、基本的には教育者対被教育者という対決構造ではあるが、教育者に位置する者は、被教育者からは相対的な位置にあると言えるからである。例えば、国対生徒(父母)、国対教師(教科書著者)、教育委員会(学校)対教師、教育委員会(学校、教師)対生徒(父母)、という風に教育をコントロールする側とその影響に服する側とい分け方は可能であるが、それは単に規模レベルの違い消えてしまい有益ではない。

次に、訴訟物別では、教育に関する処分権限者による処分が26条に抵触するというもの、国もしくは地公体の為した決定や処分によって教育の機会が失われたとするもの、26条文言中の「義務教育は、これを無償とする」という文言に基づいて国に費用請求するものの3類型が憲法26条関連訴訟においてあるとおもわれる。

(東京高裁 平成6年(ネ)第1580号 は不明。)

1.教育に関する処分権限者による処分が26条に抵触するというもの

大津地裁平 成12年(ネ)第5863号

名古屋高裁 平成7年(行ウ)第3号

週刊誌報道によるプライバシー侵害事件

(最高裁2小 平成12年(受)第1335号)

東京高裁 平成10年(ネ)第2469号

(高等学校公民科現代社会教科書検定訴訟

新しい教科書を作る会事件)

横浜地裁 平成6年(行ウ)第16号

(神奈川県教育委員会(平塚養護学校)事件)

浦和地裁 平成4年(行ウ)第7号

最高裁判所第二小法廷 平成7年(行ツ)第74号

(「エホバの証人」高等専門学校生進級拒否・退学処分取消請求訴訟)

札幌高裁 平成5年(行コ)第6号

(特殊学級入級処分取消請求訴訟)

最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)第1119号

(家永教科書検定第三次訴訟)

最高裁判所第一小法廷 昭和51年(行ツ)第24号

(家永教科書検定第二次訴訟)

東京地裁 昭和42年(行ウ)第85号

(杉本判決)

【判旨】

憲法二六条は、同法二五条をうけていわゆる生存権的基本権のいわば文化的側面として、国民特に子供の教育を受ける権利を保障し、その反面として国に対し、この権利を実現するための立法その他の措置を講ずべき責務を負わせたものであり、この子供の権利に対応して親を中心とした国民全体が子供を教育する責務を負うものであるが、この責務の遂行を助成するために国に与えられる権能は教育を育成するための諸条件を整備することにあり、国が教育内容に介入することは基本的には許されない。

最高裁判所第三小法廷 昭和61年(オ)第1428号

(家永教科書検定第一次訴訟)

最高裁判所第二小法廷 平成7年(行ツ)第74号

(エホバの証人信徒公立高専原級留置処分事件)

神戸地裁 平成3年(行ウ)第20号

(筋ジストロフィー疾患を理由とする高校入学不許可処分取消訴訟)

大阪高裁 平成3年(行ス)第3号

最高裁判所第二小法廷 昭和57年(オ)第915号

(調査書作成は憲法に抵触するか)

東京地裁 昭和57年(行ウ)第151号

(キリスト教徒日曜日訴訟)

東京高裁 昭和56年(う)第1790号

(障害児と健常児と分離教育に対する統合教育運動について)

最高裁判所大法廷 昭和43年(あ)第1614号

(旭川学力テスト事件)

【判旨】

憲法上、親は、一定の範囲においてその子女の教育の自由をもちまた私学教育の自由および教師の教授の自由も限られた範囲において認められるが、それ以外の領域においては、国は、子供自身の利益の擁護のためまたは子供の成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において子供の教育内容を決定する権能を有すると解すべきであるから、教育行政機関が法令に基づき教育の内容および方法に関して許容される目的のために必要かつ合理的と認められる規制を施すことは、必ずしも教育基本法一〇条の禁止するところではない。

【一部引用】

国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。投言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。

 しかしながら、このように、子どもの教育が、専ら子どもの利前のために、教育を与える者の責務として行われるべきものであるということからは、このような教育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるかという問題に対する一定の結論は、当然には導き出されない。すなわち、同条が、子どもに与えるべき教育の内容は、国の一般的な政治的意思決定手続によつて決定されるべきか、それともこのような政治的意思の支配、介入から全く自由な社会的、文化的領域内の問題として決定、処理されるべきかを直接一義的に決定していると解すべき根拠は、どこにもみわたらないのである。

大阪高裁 昭和37年(わ)第1385号

(大阪の中学における全国一斉学力テストについて)

【一部引用】

・・・もともと教育は、人格の完成という内面的価値の形成を目的として行なわれるものであって、その性質上、自ら、他からの強制、干渉を排除して自由な状態に置かれなければその目的を十分達し得ないものであり、このことは教育基本法前文、一条、二条において明規する教育の目的、方針より導き出される当然の帰結であり、特に、同法一〇条は「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。教育行政はこの自覚のもとに教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない。」と規定している。これは過去における教育の国家統制によってもたらされた重大な弊害による失敗の反省から、教育の独立と自主中立性、殊に政治的、行政的中立性を明らかにしたものであって、右は、憲法二六条の「教育を受ける権利」の保障、特に教育の内容や方法などの内的事項の保障にとって重要な事項である。そして教育基本法一〇条一項にいう「不当な支配」というのは、教育の政治的、行政的中立性を阻害するような一切の干渉をいい、政党その他の政治団体、労働組合、一部父兄のみならず、行政機関による介入支配も当然含むものと解するのが相当である。

 従って、教育行政機関といえども、その公権力の行使は無制限ではなく、教育課程の基準設定、管理に関しても、同条項の趣旨、目的とする教育活動の独立と自主、中立性を阻害しない範囲で、当該権限を行使することが要請されるのである。右条項の趣旨に徴し、同条二項は教育行政につき、右のような目的を達成するため、主として教育の外的条件である教育設備などの充実に努めるべきことを示したものと解すべきである。・・・中略・・・・いま一つの教育活動的性格(右実施要綱に基き前認定のような方法内容の調査を実施し、個々の生徒の成績を評価するという点)を考慮しても、当該学力調査を実施することは明らかに教育行政機関である文部省が学校教育の方法及び内容(教員の具体的教育活動‖教材選定、成績評価権)自体に干渉するものであり、これに重大な影響を与えるものというほかはない。このことは、単に学力調査の実施に伴って生ずる授業時間の変更だけの問題にとどまらず、さらに、教員において右学力調査による個々の生徒の成績評価が自己の勤務評定などに関係することを意識し、平素の教育活動が自ら監督庁の設定した前掲学習指導要領による知育面に重点を置く傾向を生ぜしめ、これに伴って教員が本来、自主的に行うべき教材の選定、授業の方法、内容などの諸計画について修正変更を余儀なくさせ、これに基因して右教育活動の独立と自主、中立性(特に政治的、行政的中立性)を損う虞れがあり、その調査目的が的確妥当なものであってもこれを是認することはできないから、本件学力調査は教育の自主、中立性を阻害するものとして、教育基本法一〇条一項に違反し、行政権をもって、教育に不当な支配を及ぼした場合にあたるものといわねばならない。

高知地裁 昭和41年(わ)第274号

(佐川中学学力テスト阻止事件)

【判旨】

学力テストは教育に対する不当な行政の干渉ないし侵害ということはできず、、手続的にも実質的にも、これを無効とする違法はない。国家は国民の総意に基づき公教育を実質的に維持し保障していく義務を負うから、その職務達成のための行政調査として学力調査を実施しても、憲法二三条・二六条に違反しない。

最高裁判所大法廷 昭和44年(あ)第1275号

(岩教組事件)

など。

この類型は、26条1項の解釈について争われる。この類型においては、国家の地方教育行政の組織及び運営に関する法律施策に対して、国民がその政策の実施を阻止しようとする運動に付随して生じる事件が多くみられる。代表的なものとしては家永教科書訴訟や旭川学力テスト事件があげられる。欧米における宗教教育権と政教分離公教育の対決と類似している事件としては、日本においては、キリスト教日曜日訴訟やエホバの証人進級拒否事件などがあると言えるが、これらの事件は、宗教上学校史に求められたことができないゆえにそのことを以て振りに扱われることに対しての事件であり、欧米に見られるような政教分離を前提とする空間に対して直接宗教要素を持ち込もうとするタイプのもとは異なっている。むしろ先に挙げた家永訴訟や旭川学テ事件の方が、国家の政策に対して国民がプロテストをするという意味で欧米における宗教教育権と政教分離公教育との対立構造に近いと言えるだろう。

この類型の事件において原告側は、26条1項と合わせて13条を問題としている。原告側は13条の幸福追求の前提もしくはその一環として26条1項は国民は「適切な教育」を国に対して求めらる(国民の教育権)と定めたものであると主張し、その上で、国家の教育政策もしくはそれに付随する決定(国家の教育権)等は、国民の求める「適切な教育」に奉仕するものでなければならないとしている。

この解釈の仕方は、教育権を社会権と自由権の二面性を持った複合的権利としている。

この複合的権利を認める判決としては、第二次家永訴訟における第一審杉本判決があり、最高裁判決として旭川学力テスト事件最高裁判決において基本的に採用(上述引用参照)されている。学説においては、この複合的権利について教育を受ける権利を生存的基本権として位置づけながら学習権を中心に構成するもの(奥平康弘「教育を受ける権利」芦辺編・憲法3)。自由権としての性質と生存権としての性質の両面を持つことを指摘して、教育を受ける権利が二つの側面を併有した複合的性格の権利であるとしている(佐藤(功))。また、社会権がそもそも自由権と密接であることを指摘して学習権によって両者を接続する(兼子仁・教育法(1978))。以上三パターン有るがいずれも複合的性格を承認している。

この複合的理解の上で、どちらに教育権のイニシアティブが存在しているかが問題である。家永訴訟第一審(昭和40年(ワ)第4949号、昭和49年 7月16日、以下、高津判決)では、国家の教育権を重視する立場に立つ。杉本判決が国家の教育権の機能をあくまでも限定的にしか捉えないのに対して、高津判決では、思想的宗教的中立性を保証し得る(議会制民主主義による国民意思の反映)公教育にこそ近代における意義があり、国民の教育権は国家の教育権が発動される分野以外において十分に発揮されているのであるから、国家の教育権が国民の教育権を害しているとは言えないとし、国家の教育権は国民の総意の元に責任を持つのであって教育に介入できるとしている。

旭川学力テスト事件の最高裁は、前述の高津判決、杉本判決ともに極端すぎるとしていずれも全面的に採用できないとしている。最高裁においては憲法26条の教育権を「教育を施すものの支配権能ではなく、子どもの学習権に対応し」ているとし、子供に教育を与えるものの責務として行われるものとして定めた条項であるから、高津判決、杉本判決にみられるような教育権の所在というアプローチはできないとしている、その上で、国民に教育権については、基本的に子供が自立的に教育を受けるのだからその自由は保障されているのだからそれ以外のことに関して社会利益の観点から国家が介入できるとした。このアプローチは「教育権の分配アプローチ」と呼ばれ、国家と国民を々平面から見て役割によってその分配を行うべきであるという考え方である。

2.国もしくは地公体の為した決定や処分によってもしくは私人の行為によって教育の機会が失われたとするもの

東京地裁 平成5年(行ウ)第52号

浦和地裁 平成3年(ヨ)第32号

(ゴルフ場建設工事差止仮処分申請事件)

福岡高裁 昭和62年(行コ)第1号

(県教育委員会が、学校間格差の是正をその主要な考慮要素として採用した合同選抜制度が、憲法二六条・教育基本法三条一項に違反するか。学校選択の自由。)

最高裁判所第二小法廷 昭和51年(行ツ)第19号

(入学志願者選抜手続の瑕疵)

仙台高裁 昭和45年(行コ)第9号

(分校廃止処分不存在確認請求事件)

最高裁判所第二小法廷 昭和32年(す)第223号

【判旨】

裁判所の中等少年院送致決定によつて少年の高等学校教育を受ける機会が失われるとしても、その決定は憲法二六条一項に違反しない。非行少年を少年院に送致した結果、本人が勉学の機会を失つたとしても、教育を受ける権利を侵害されたことにはならない。

東京地裁 昭和23年(ワ)第4532号

(退学処分無効確認事件)

など。

この類型は、26条1項の解釈について争われる。この類型にまとめたもは、何らかの決定や行為によって教育環境などが悪化しそれを持って教育の内容を決定する機会を喪失し、故に所謂国民の教育権が不当に侵害を受けたというものである。この類型に事件は、一つには学習環境権(学習するための環境の保護を求める権利もしくは環境が害されない権利)を主張して環境破壊につながる(もっともこの環境破壊につながる=>学習環境の破壊という主張であるので、そもそも環境破壊が認められないと意味がない)として原因行為に対して差し止めなどを行おうとするものと、行政の公教育予算執行に関して学校の統廃合にたいして上述と同じように主張を行いもの、そして学校への入学許可のプロセスにおいて不当な判断があったとするもの(学力のみで版dんすべきものを内申書で判断史とか、選抜においてくじ引きをしたであるとか)、変わったのもとしては、少年院に送致されたことによって教育の機会が奪われたとする古い判例があるがこれはここでは触れない。

原告は、類型位置と同じく13条を前提として、国民には教育を受ける権利があり、その教育の内容について主導権を持つのは国民であり、この教育の内容を決定する権利が、国もしくは地方公共団体の為した決定もしくは私人の行為によって害されたとする。この原告側の論理によれば、国民は教育内容についての自由権を有していることとなり、自由権が不当に侵害を受けたのであれば、その射程は一切の教育の自由に対しての侵害行為となるだろう。

3.26条文言中の「義務教育は、これを無償とする」という文言に基づいて国に費用請求するもの

東京高裁 平成1年(ネ)第1066号

(中学校制服代金等請求事件)

東京地裁 昭和56年(行ウ)第145号

(保育料変更処分取消請求事件)

大阪高裁 昭和55年(ネ)第942号

(私立高校生超過学費返還請求控訴事件)

最高裁判所大法廷 昭和38年(オ)第361号

(義務教育費負担請求事件)

など。

この類型は、26条2項の解釈について争われる。これは文言上無償とされる範囲についての争いである。起草過程においては、GHQ=GSと当時の文部省の一部いおいては、授業料及び教科書代が無償であると理解していた節があるが、帝国議会における審議においてはあまり深い議論が為されず、授業料のみが無償となるという理解の元に発布された。

更に無償化される範囲についても、義務教育のみなのかそれ以外の教育についても無償かもしくは助成をなす事を義務づけているのかということが問題である。原告側は、26条2項について国民の教育を受ける権利を前提にその権利を用意ならしめるための規定であるとしている。よってこの主張の下では、義務教育はもちろであるが、その前段階である保育費用についても、また高等教育についても無償化もしくは無償化の努力を要求できると言うことになる。

これに対して判例は、26条2項はプログラム規定であって、具体的な権利を規定していないとして訴えを退けている。

学説上は、授業料無償説と修学費無償説とが有る。

授業料無償説においては修学費(授業料以外の雑費を含む学費)についてもそのようにするのが責務であり、プログラム規定ではなく法的義務であるとしている(兼子・教育法、佐藤幸治・憲法)。一方修学費無償説においては、修学費まで含めて無償とされることによってより権利が権利として保護されるのであるとしている。

本稿においては、類型1と2について重点的に述べていきたいと思う。従って類型3については、また稿を改めたいとおもう。

類型1、2の憲法26条関連訴訟においては、教育に関連した教育実施者側から被教育実施者側に対して為された行為の正当不当を争うために、26条が用いられている。これは、教育権というものが、社会権的側面と同時に社会権の反射的効果としての自由権という相反する捉えられ方をされているからである(複合的権利説:注)。

国家にこれこれこういうことをせよと請求する権利は、近代立憲主義が資本主義爛熟期に入り、その唱うところの自由権の基盤たる「個人」の形成が困難であること、つまりは何らかの社会的弱者、実数的には多数であってもその存在において社会において小さき階層などの自由権の実質的な保証を目指して導入されたものである。故に請求権と言うときにその請求のイニチアティヴは基本的に受益者が持っていなければ目的を達成できないことになる。

26条には1項「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、均しく教育を受ける権利を有する。」第2項「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」とある。

26条1項を請求権として解する限りにおいて、その教育の内容についての一種の自由権が生じるのである。つまり、国の行う教育内容に対して国民の要求が「合理的と言える範囲で」反映されなければならいことになる(立法不作為の問題)。

このように解釈することは、本来的に教育というものが国家による統治行為の一環、政策として行われているという理解ではないので、その政策に対して国民の「教育の自由」が対立するという(注2)構造を生まない。

(注)この複合的権利説は、国民の教育権と国家の教育権という構成を取る。判例においては家永第1次訴訟における東京地裁判決、所謂杉本判決で示され、その後旭川学力テスト事件最高裁においても採用された。

(注2)例えば米国では公教育に対する訴訟は、連邦憲法周世1条に乗っ取って、政教分離の文脈で起こされる。また、フランスやドイツにおいても同じく宗教の自由=宗教教育の自由と公教育=政教分離の対立文脈で語られる問題であることは前述した通りである。

先に示した、旭川学力テスト事件最高裁における教育権の分配アプローチがまさにこのような理解に則っていると考えられる。つまり、分配されるということは両者が本質的に々であって対立することはないこと意味している。しかしながら、個人と国家は峻別されるべきであって々平面において理解されるべきではない。この点から、実際的に教育権を社会権をベースとして複合的に構成することが果たして有効なのだろうかははなはだ疑問である。

社会権というアプローチは、自由権を主眼にすれば、必ずしも有効なアプローチとは言い切れない。むしろ、たぶんに危険性を孕んでいるのではないだろうか。つまり国家による過干渉、社会権の履行の名の下に行われる行為全てが必ずしも国民のイニシアティヴの元に制御されえるのだろうか。人権の根本は「Just Say No」である。拒否権であるのであって、権力に対する相互監視監督が民主主義の根元的意味合いであるとすれば、その基礎を培う教育ほど重要なものはない。ここにこそ根本的人間形成の重要性があるのであって、特定の思想であるとか宗教であるとかその他一切とはレベルを異にして存在する。なぜならば、価値観の選択は基礎的な問題であるからだ。これを精神的自立あるいは独立の確保と表現し、民主主義の根幹であるという位置づけを与えると、社会権的教育権というコンセプトは、国家に対して請求する、つまり介入を許すという意味で、もはや自立した教育を放棄してしまうことになる。民主主義国家においてルソー的モデル、つまり国民意思の総意としての国家意思を肯定するのであれば、国家が教育に介入することが直ちに教育の独立を害するとは言えないが、しかしならが、社会権コンセプトのそもそもは実態社会においては社会的的実力が存在するというものであって、この社旗的実力から実施つてkに自由権を保護するというコンセプトであったはずである。この根本から考えると、スロー的モデルの前提となっている国民が皆同質である、すなわち国家意思形成においてそれぞれにおいて格差が無く皆均しく独立しているという前提自体に背理していると言わざるを得ない。すなわちルソーモデルを採用する限り社会権は容認できない。では、次にルソーモデルと対立するトクヴィルモデルについてはどうであろうか。トクヴィルモデルにおいては国家意思は国民の形成するコミュニティ(すなわち国民となる個人の集団)の反映の反映であり、すなわち社会的構造格差を積極的に認めることとなる。このため、コミュニティ間の相互独立と基本的対等が観念されるのであって、さらに個人はコミュニティにおいて独立して存在している。国家意思がコミュニティの反映である以上社会権というコンセプトは馴染まない。やはりルソーモデルと同じく社会権の危険性が表れるのである。故に社会権的教育権は教育が精神の自立を左右する以上社会権的に構成するには危険すぎるのであって、つまりは、必ずや何らかの恣意にとらわれる運命にあるのだ。

4.私見

日本には欧米に見られるような私学の伝統がない。近代という考え方は、社会を個人という単位に分解し社会契約というフィクションの元に再構築する考え方である。微分と積分である。このとき家族自治やそれぞれの個人の具体的要素などは捨象され、均一なる統一体として国家を想定している。近代の枠組みには収まらなかった社会機構があるのを見逃してはならないと思う。それは所謂常識といわれるものであり、日々日常行為として慣習的に文化的に行われていることは急激に転換することなくまた転換しきれずに取り残されてきている。つまりは、近代主義が私的自治に委ねた部分である。代表格としては家族の問題である。近年はドメスティック・ヴァイオレンスなどの問題に対して、従前ならば民事不介入として触れることの無かった問題が生じている。近代主義の知らない問題が出現している。これをやはり「個人の論理」に従って、家族といえども独立した個人の集合体であるとして処理することに、「家族の解体」と言うものもあると思う。J・S・ミルなどが唱える自由権のコンセプトの前提となる国家の役割は、私的自治を超えるものについて国家が処理をすると言うものである。社会権はこの領域に対してあえて踏み込むことによって、実質的な自由権の保証を目指したのであるが、このアプローチはそれ自体が矛盾を抱えることとなる。自由とは権力に対しての切り札であるべきなのに、それを権力から得るということになるからだ。確かに社会権の登場自体の背景は資本主義の爛熟による社旗的な権力構造に対する切り札という意味では有効であったが、その社会的権力に対して果たして国家が対決する立場にあるのであろうか。社会権力に対する切り札としての請求権にどれだけの意味があるのだろうか。むしろこの問題は「公共の福祉」として、自由権に基づいて、「行使しない自由」あるいは「行使を受けない自由」というような形で、まさに私的自治の自己抑制という形で、主権者が自ら国家に対してその介入の隙を与えないという意味で、自浄的に解決しなければならないのではないだろうか。

本来、教育とは私的自治の範疇にある問題であったが、これを政教分離の元に政策的に介入することで、近代国家が成立しえた。そしてこの介入に対してアンチテーゼとなるのが、私学の伝統、極論すればコミュニティの自立であった。しかしながら、日本において教育はどのように導入されたかというと、国家政策(上からの革命)そのものとして「教育を受けることは義務」という文脈において導入されたのであって、その公教育を関し監督する自立したコミュニティが存在しえなかったのである。故にあまりにも無防備であり、既に前述したが、特に教育というのものの危険性、国家に対する監視監督の基盤そのものを弱体化、もしくは権力主体的なのも似してしまうという危険性が常につきまとっているのである。その最たる例が、第二次世界対背かにおけるファシズム教育でありナチスドイツにおけるヒトラー・ユーゲントであり日本における軍国主義教育ではなかったのか。

教育の政治利用は民主主義国家において最も危険視するべき第一級の監視対象である野であって、国家に対峙しうるコミュニティが欠損している社会において社会権によって教育に関する権利を構成するのは危険ではないだろうか。

このことに関しては、二つのアプローチが可能であると考える。

価値の無菌室を貫徹することと一つは価値の多元性を容認することである。価値の無菌室アプローチは、ヨーロッパ、特にフランスにおける徹底した政教分離教育である。教育から一切の思想性を排除し、純粋な教育を提供するというやり方である。これは高津判決における国家の教育権の意義にそうものである。民主主義において国家意思は国民意思にイコールである、つまりはルソー型のアプローチにおいては、国家が国民に対して最終的な責任を持っているのであって公教育の役割について、積極的に介入することを是認しやすい構造となる。

一方で多元性を容認するアプローチは、トクヴィル型のアプローチであり、まず自由な価値観の往来がある中において、それぞれの思想信条に基づくコミュニティの存在を肯定し、それぞれのコミュニティの存在力の反映の結果として議会があり国家意思が決定されるおであるから、教育についてもこれと同様にコミュニティの反映が許容されるべきであり、そのコミュニティの価値観=教育を相互に許容することによって多様による中立性を実現しようとするのである。

私見では、権利というものはそもそものが謙抑的に使われるべき切り札として存在してこそその真価を発揮しうるのであると考える。つまり、社会権を許容しない。社会権の名の下に何らかの介入を許したらば最後もはや自由は失われる危険にさらされるのである。これは、「保護による依存」と呼ぶことができるだろう。つまりは独立して存在し得なくなった以上庇護者に対しては逆らえないのである。権利の本質は拒否権にあるのであって請求する権利というのは、拒否権の前提の元に独立的に存在するべきである。故に教育権においても、教育権の分配アプローチは、敗戦前に行われていた思想教育の反省をゆるめるものであって、特に教育という危険な行為において十分に警戒しなければならない。故に国民の教育権というアプローチに賛同するが、その構成において社会権から自由権的校歌を弾き出すのではなく、純粋に国民がけ養育を行うことについて自由権を設定するべきである。つまり教育の自由は精神的自由から直接に引き出されるべきであり、教育権ではなく精神的独立権という位置づけをするのがよりよいと考える。

以上。

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