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錯誤について (95条)

1.錯誤概念について

錯誤は、法律行為論では、効果意思と表示意思の不一致として説明される。しかし、日本国民法95条においては、このとき「「要素」について錯誤ある時」と表現されている。故に効果意思の範囲が不明瞭になり、表示意思の背後にある動機についても考慮されるようになっている。

ローマ法においては、現代において「要素の錯誤」とされているものは、錯誤としては扱われない。ローマ法では、「契約種類」「代金」「客体」が要素とされ、これらが一つでもかければ契約が成立していない(「ない」)ことになる。故にこの段階では錯誤はない。動機においてはこれは全くの内心であるので当然に錯誤において顧みられることはない。ローマ法において錯誤がある段階は、「性状の錯誤」である(ワインが酢であったとか)。

これは、性状についてそれが契約において本質的なものであるということで錯誤として扱われる。これに同じく、動機は内心であり契約本質に関係しないので考慮しゃれないのである。

あまり明確ではないが(まだなお勉強が必要だが)、ローマ法では、錯誤はコンセンサスの段階の問題であったのではないだろうか。むしろ、今日法律行為論で理解されるように、行為者ここの内部状態という物が観念されず、あくまでも当時夜間の関係において(コンセンサスにおいて)の問題として錯誤が観念されていたのであると考えられる。

これに対して、サヴィニー以来錯誤は、それぞれの当事者の内部における効果意思と表示意思の不一致として処理されているのであって、ここにきて「動機の錯誤」その延長で「性状の錯誤」が観念されている。つまり、「性状」というものが法律行為の要素という枠組みのなかで、客体についての理解なのか、それとも動機についての理解なのか私は混同しているように思う。性状についてそれを判断して売買に及んだのであるから、動機に近いとするか、それとも性状というのは客体に付随しているのだから客体についての錯誤とするか。

ともかく、サヴィニーに始まる法律行為論においては錯誤は「錯誤でなければ存在しなかった意思」というアイデアによって、錯誤ある法律行為について、意思欠缺により無効という判断を示すのである。だが、同時に意思の欠缺を強調すれば動機の錯誤による無効についても理解が示されることとなり、現に判例はこの点「動機」を拡張的に解釈していると思う。私は、動機と効果意思をより厳密に区部する必要があるのではないかと考える。

なぜならば、そこまでして錯誤によって解決しなければならないのかがそもそも疑問であるからである。特に性状の錯誤などは、95条ではなく、瑕疵担保責任などで解決が図られるべきではないだろうか?となると、性状についても合意の中に含まれていたという風な理解に発展することになる。となると、合意自体に錯誤があることになるので、その契約(取引)は不成立とかいするのが相当となる。結果、95条を持ち出すまでもなくそもそも不存在ということになるのではないだろうか。

2.95条について

95条の規定では、「法律行為の要素に錯誤有りたる時は無効とす」と定めている。法律行為の要素については、当事者の主観に相当一般人の観点を加えて、その行為において「重要な部分」として判断される。

動機=>効果意思=>表示意思というプロセスを経る中で、95条の作用するべきは、効果意思=>表示意思間である。法律効果の要素というものが確定する段階は、効果意思の時点であるからであり、それ以前において錯誤があったとしても95条の範囲外にある。

これを前提にして、「性状の錯誤」を考えると、性状についての理解は、動機形成の段階なるのであって、効果意思において客体の性状は意識されないのであり、95条のはにからはあぶれる。しかしながら、この錯誤が取引上重要な意味を持っていることは否定しようのない事実である。だが、それを95条によって保護すべきかどうかは疑問である。この性状の錯誤は、取引を律する法の中で処理されるべきではないだろうか?私は、性状の錯誤については、瑕疵担保責任において処理されるべきではないかと考える。つまりは、性状に関して問題を、瑕疵としてとらえ、瑕疵の責任を負うべきはどちらであるかについて議論すべきではないだろうか?

3.95条と96条について

95条が適用される場合と96条が適用される場合は峻別する。両方とも主張可能である場合、どちらか一方のみによる主張が可能である(一方は排斥される)。なぜならば、95条と96条では効果が異なるからである。そもそも95条はでは無効であり(取消的無効ではあるが)、96条では取消である。さらには、95条においては第三者効の定めがないが、96条には3項により善意第三者への効力が否定されている。確かに95条について94条2項の類推によって第三者効を考え得ることもできるが、94条2項は帰責性を要件としているのであり要件的に異なっているのであるから、やはり重複している合があるとしても峻別する必要がある。故に一方での主張をした場合もう一方での主張は排斥されるべきである。

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