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政治家長女の離婚に関する記事を掲載した週刊誌について、プライバシーの侵害による販売差止の仮処分命令の申立が認められなかった事例について

<仮処分決定許可決定に対する保全抗告事件>

抗告審      東京高裁H16.3.31 民5部決定 (判時1865号12頁)

原審(保全異議) 東京地裁H16.3.19 決定 (刊行物未登載)

原決定(仮処分決定) 東京地裁H16.3.16 決定 (刊行物未登載)

原決定および控訴審に関する解説類として

山川洋一郎・法時76巻7号85頁(2004)

浜田純一・法時78巻7号92頁(2004)

鈴木秀美・法セ595号70頁(2004)

松井茂樹・法時76巻10号96頁(2004)

1章 判例分析

1節 本判例の判事事項

【事実関係】

X女は元首相を祖父に持ち有名政治家夫妻(父・参議院議員、母・衆議院議員)の長女である。長女は両親と行動をともにすることが多く議員活動においても同行することがあったという。X女は、X男と結婚したが一年足らずで離婚した。Yは週刊誌を発行する出版社である。Yの出版する週刊誌においてX夫妻の離婚について取材し記事にした。この記事の掲載に先立ちYはXらに書面により取材の申し入れをした。書面では本件雑誌の発売日は平成16年3月17日と説明し、Xらのすむ米国西部時間同月14日午後三時までの取材を求めていたが、同時期に取材の申込みをしたXらの知人宛の書面では、発売日は同月18日と説明し、更に取材期限を日本時間同月16日午後5時と説明した(本件週刊誌は同年3月17日発売予定であった)。Xらは前述各書面の内容を知り、本件記事の不掲載をYに申し入れるなどしたが受け入れられなかった。そこで、Xらは同月16日に本件仮処分命令の申立をした。

原決定をした裁判官は仮処分命令の申立のあった当日午後4時30分から当事者双方が立ち会う審尋の期日を開きX本人及び双方代理人の出席を得た。この期日においてYから印刷済の本件雑誌が提出され、本件記事の内容が明らかになった。本件記事には「独占スクープ (X女母の名前)長女わずか1年で離婚 母の猛反対を押し切って入籍した新妻はロスからひっそり帰国」と題し、B5版の誌面3ページのわたって前述離婚に関する内容が書かれていた。

審尋において仮処分命令の申立についての決定をするために必要な事実関係について争いがなかったことから即日原決定をした。原決定正本は同日午後7時45分にYに送達を完了した。

平成16年3月16日の時点で本件雑誌は77万部が既に印刷されており、同日本件雑誌を取次業者に順次出荷していたところ、原決定正本の送達を受け作業を中断したが、既に約74万部が出荷され、取次業者への搬入及び受け入れの確認を終えていた。Yの下には作業中断により約3万部が出荷されず保管されたままとなった。

取次業者に引き渡された約74万部のうち相当部数が更に小売店などに出荷され、原決定を知り小売店などの判断によって一般購読者への販売が自粛されたものもあったが相当数は販売された。

【原審及び控訴審の要旨】

刊行物に未登載であるので、判時1865号12頁より、原決定異議審および抗告審を若干長めに引用する。

【原決定異議審】仮処分命令許可決定

「プライバシー権は、未だ十分に議論が成熟していない権利であるが、他人に知られたくない私的事項をみだりに公表されない権利を含むものであって、憲法13条に由来し、名誉権などとともに人格権の一部を成している。同条が「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定していることに照らしても、プライバシー権は物件の場合と同様に排他性を有する権利として、その侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。しかし、プライバシー権が絶対的な権利でないことは言うまでもなく、公共の福祉のために制約を受けざるを得ないことも又、同条の明記することろである。(中略)表現の自由は改めて論ずるまでもなく民主制国家の存立の基礎ともいうべき重要な憲法上の権利であり、とりわけ公的事項に関する表現の自由は特に重要な健康上の権利として尊重されなければならない。しかしながら、あらゆる表現の自由が無制限に保障されているのではなく、他人のプライバシーを侵害する表現は表現の自由の濫用であって、これを規制することを妨げないが憲法の表現の自由保障の重要性に鑑みその限界につき慎重な考慮が必要となる。とりわけ、公的事項に関する表現の自由の事前の規制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法21条の趣旨に照らし厳格且つ明確な要件の基においてのみ許されるものと解すべきである。」

「(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決(北方ジャーナル事件)を参照した上で)、名誉は、それがいったん侵害されても金銭賠償の他に謝罪広告その他の方法により名誉自体の回復を図る措置を執る余地が残されている(民法723条)のに対し、プライバシーは他人に知られたくない私的事項をみだりに公表されないという権利であるから、他人に広く知られるという形で侵害されてしまった後ではそれ自体を回復することは不可能となる。このように、プライバシーの保護のため、侵害行為を事前に差し止めることは他の方法を以て代替することができない救済方法であるという側面があり、名誉の保護の場合よりも一層事前差止の必要が高いと言うことができる。(中略)名誉権にも続く出版の事前差止に関する最高裁昭和61年判決の要件よりも厳しい要件を以て挑む理由はないというべきである。(中略)公務員又は公職の候補者に対する評価、批評などに関する事項は、そのようなものであること自体から、一般に「公共の利害に関する事項」であるということができ、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み、憲法上特に保護されるべきであって、当該表現行為に対する事前抑制が原則として許されないということができる。そしてそのような事案であってことを考慮してそれでも尚表現活動の事前さしてお目を認めるためには表現内容が真実でないか又はもっぱら公益を図る目的のものではことが明白であることなどが必要とされたものと解される。」

「(最高裁平成14年9月24日第三小法廷判決(モデル小説「石に泳ぐ魚」事件)を参照した上で)同判決は「公共の利害に過川ならい被上告人のプライバシーにわたる事項」を表現内容に含む小説の差止を認めたが、一般論は示さずに当該小説の公表により公的立場にない被上告人の名誉、プライバシー、名誉感情が害されたものであって、当該小説の出版等によりそのものに重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあることを指摘しただけで、出版などの差止を認めた原審の判断に違法はないとしている。」

「以上の最高裁判所の判例に基づいて検討すれば、本件のようにプライバシー侵害を理由とする出版物の印刷、製本、販売、頒布などの事前差止は当該出版物が公務員又公職選挙の候補者に対する評価、飛翔などに関するものではないことが明らかで、ただ、当該出版物が「公共の利害に関する事項」に係るものであると主張されているに留まる場合には、当該出版物が公共の利害に関する事項に係るものといえるかどうか、「もっぱら公益の目的のものではないこと」が明白であって、かつ、「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」と言えるかどうかを検討し、当該表現行為の価値が被害者のプライバシーに劣後することが明らかであるかを判断して、差止の可否を決すべきである。」

「本件においては、Xらは公務員乃至公職選挙の候補者でもなく、過去においてその立場にあったものでもなく、これに準ずる立場にあるものと言うべき理由もないからXらの私事に関する事柄が「公共の利害に関する事項」に該るとは言えない。」

「Xらが私人にすぎないことからすると、本件記事を「専ら公益を図る目的のもの」と認めることはできないと言わざるを得ない。この点の判断は、Yの主観のみを以て行うのではなく本件記事を客観的に評価して行うべきである。そして、本件記事を熟読しても、私人の私事に関する事項であっても特別に専ら公益を図る目的で書かれものであると認めることはできない。」

「Xらが被る損害が、プライバシーは公表されることにより回復不能になる性質を有するので著しく回復困難な性質のものであることは、既に述べたとおりである。そこで本件においてはその損害が重大であるかどうかが問題となる。他人に知られたくないと言うことに関しては個人差が大きく、出版物の販売などの事前差止が表現の自由の制約を伴うことに鑑みれば単に当事者が他人に知られたくないと感じているだけでは足りず、問題となる私的事項が一般人を基準にして客観的に他人に知られたくないと感じることがもっともであるような保護に値する情報である必要がある。そして、出版物の頒布などの事前差止を認めるためにはその私的事項の暴露によるプライバシーの侵害が重大であって表現行為の価値が劣後することが明らかでなければならない。」

「Yは離婚の事実は本人にとって最も気に掛かる周囲の人々に対してはいずれ知られる事実であるというが、それをいつ、どのような形で知らせるかも含めて本人の決定すべき事柄である以上既に一部の人に知られている情報であっても他の人に広く知られたくない情報であれば尚プライバシーとして保護に値する。」

「離婚の事実やその経過の公表が常に重大な損害を生じこれを公表する表現行為の価値よりより優越することが明らかであるとまで言うのは困難である。しかし、本件記事は公務員でも公職選挙の候補者でもなく過去にこれらの立場にあったこともなければ政治家の親族であることを前提とした活動もしておらず、純然たる私人として生活してきたXらの私的事項について毎週集十万部が発行されている著名な全国紙を媒介として暴露するものである。しかも本件記事は(中略)Xらの離婚について読者の好奇心をあおる態様で掲載されたものである。(中略)これらのことからすれば、全くの私人の立場に立って考えれば、上記のような態様により私的事項を広く公衆に暴露されることによりXらが重大な精神的衝撃を受けるおそれがあるということができる。」

「以上によれば、本件記事は1「公共の利害に関する事項」に係る下は言えず、かつ、2「専ら公益を図る目的のものでないこと」が明白であり、かつ、3「重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」ということができるから、いずれの観点からしても、事前さして目の要件は充足されていると言うことができる。(中略)侵害行為によって被るXらのらの不利益と差止によってYが被る不利益(経済的不利益は重視すべきでない)とを比較衡量すれば「表現の行為の価値が被害者のプライバシーに劣後することが明らかである」ということができ、上記判断を左右しない。」

「Xらがプライバシーに属する事項を他人に知られない権利であって、そのような事項を知るものがふえれば、その都度、新しい侵害が生ずる性格の権利であるから、現にYの背入荷にある約3万部の雑誌が出荷され、一般購読者に販売されて、その読者がふえればそれに伴ってプライバシーの侵害も増大するものと言うべきである。約3万部という部数はそれ自体が軽視することのできない量であり、しかも、本件雑誌については原決定による差止がされたこと自体が大きく報道され、社会の関心を集めているところであってそのような状況において約3万部の販売が解禁され出荷されることになれば、出荷済の雑誌の販売蔵などと相まってXらのプライバシーに決定的な被害が生じるおそれがある。そうであるとすれば、Yの占有下にある約3万部の本件雑誌についてその販売などの差止が解かれることによるプライバシー被害は、観念的なものではなく著しく且つ回復不能なものであることが明らかであろうと言うべきである。よって、現時点においてもXらの申立に係る仮処分の必要性は失われていない。」

上記原決定を受けて、債務者側は、すでに大半が販売されており、民事保全法38条にいう保全利益がすでに喪失しており、原決定は不当であるとして東京高裁に抗告した。

【本決定】仮処分命令許可取消決定・仮処分命令申立却下決定

「結婚・離婚と、それを巡る事情といったことは、関係者の人間関係や社会的状況によっては必ずしも一様ではないであろうが、本来的には、お互い同士、一人間としての全くの私事に属するものとして守られるべきと言うべきである。そして、いろいろなことはあるにしても、離婚までには至らない人が多数を占めている社会が形成されている。このような状況の下において、離婚という事実はそれ自体本人によって重大な苦痛を伴うことは言うまでもないことであろうし、まして、それをいわば見ず知らずの不特定多数に喧伝されることにさらなる精神的苦痛を被るであろうことは、当然の事理であるというべきである。したがって、ある人の離婚とそれを巡る事情といったものは守られるべき私事であり、人格権の一つとしてプライバシーの権利の対象となる事実と解するのが相当である。そうすると、本件記事は将来における可能性といったことはともかく、現時点においては一私人にすぎないXらの離婚という全くの私事を不特定多数の人に情報として提供しなけれらばならないほどののことでもないのに、ことさらに暴露したものと言うべきであり、Xらのプライバシーの権利を侵害したものと解するのが相当である。」

「前記3要件(原審の示した1公共の利害に関する事項に係るものではない、2専ら公益を図る目的のものでないことが明白、3被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある)について考えるに、それは名誉権の侵害に関する事前差止の要件として樹立されたものを斟酌してして設定されたものと解されること、名誉権に関するものをプライバシーの権利に関するものに直ちに押し及ぼすことができるかどうかについて疑問がないわけではない。しかしながら、上記の3つの要件はその事態として本件における事前差止の可否を決める基準として相当ではないとは言えないし、当事者双方がこれらの要件自体については格別の異議を唱えず、専ら、本件を巡る事実関係ないしはそれに対する評価がこれらの要件を具備するものといえるかどうかを争っていることに加え、本件が保全事件であり本案事件とは又自ずと異なる手続的・時間的制約などの下に置かれているものであることなどを考えると、当裁判所としても、本件保全抗告事件においては、上記3要件を判断の枠組みとするところに沿って判断するのが相当であると解する。」

「(公共の利害に関する事項に係るものであるかについて)確かに、両親・祖父といった最も近い身分関係にあるものを公明な政治家として持つものは、草ではない境遇のも二の場合と比べて、将来、政治家を志すかもしれない確率が高いと考える余地もあり得るだろう。しかし、そのものが自ら将来における政治家志望などの意向を表明していたりあるいはそのような意図乃至希望を伺わせるに足りる事情が存する場合は格別、草でない時点においては、その者が、将来、政治活動の世界にはいるというのは単なる憶測による抽象的可能性にすぎない。このような抽象的可能性があることを以て、直ちに公共性の根拠とすることは相当とは言えない。しかも、本件記事の内容が、婚姻・離婚という、それ自体は政治とは何ら関係もない全くの私事であることも考えると、本件記事を以て「公共の利害に関する事項に係るもの」と解することはできない。」

「(専ら公益を図る目的のものでないことが明白かどうかについて)本件記事は、家族などの身内に著名な政治家がいるとはいえ、現時点では一私人にすぎないXおよびその配偶者であってX2という一私人の全くの私事(しかもそれは公表によってプライバシーが侵害される事柄である。)を内容とするものであり、「専ら公益を図る目的のものでないことが明白である」というべきである。(中略)主観的には「専ら公益を図る目的」であったからといって、それだけで掲載記事が「専ら公益を図る目的」であったとすることは到底できない。「公益を図る目的」の有無は、公表を決めたものの主観・意図も検討されるべきではあるにしても、公表されたこと自体の内容も問題とされなければならない。」

「(被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるかどうかについて)我が国における現行婚姻制度の下において、離婚は、一般的には、望ましいことではないにしても、また、それを余儀なくされた当事者の痛みの点はともかく、それ自体としては社会的に非難されたり人格的に負をもたらすものと認識・理解されるべき事柄ではないというべきである。本件記事が単なる婚姻・離婚の事実だけではなく、その経緯などについての言及によって、Xらの性格といった人格その者を記事の内容の一部としていることにはなるにしても、その内容及び表現方法において、Xらの人格に対する非難といったマイナス評価を伴ったものとまでは言えないことを考えると、上記の点は、前記判断を動かすものとは言えない。」

「本件記事は、憲法上保障されている権利としての表現の自由・行使として積極的評価を与えることはできないが表現の自由が受け手側のその表現を受ける自由をも含むと考えられているところからすると憲法上の表現の自由と全く無縁の下見るのも相当とは言えない側面のあることを否定することはできない。一方、離婚は、前記のように、当事者にとって喧伝されることを好まない場合が多いとしてもそれ自体は当事者の人格に対する非難など、人格に対する評価に常につながっているものではないし、もとより社会制度上是認されている事象であって日常生活上人はどうこうということもなく耳にし、目にする情報の一つにすぎない。さらには、表現の自由は民主主義体制の存立と健全な発展のために必要な憲法上最も尊重されなければならない権利である。出版物の事前さしてお目はこの表現の自由に対する重大な制約でありこれを認めるには慎重な上にも慎重な対応が要求されるべきである。このように考えると、本件記事はXらのプライバシーの権利を侵害するものではあるが、当該プライバシーの内容・程度に鑑みると、本件記事によってその事前差止を認めなければならないほどXらに「重大な著しく回復困難な損害を被らせるおそれがある」とまでいうことはできないと考えるのが相当である。」

「なお、プライバシーの権利を損害する事案においては事前差止のために「損害が回復困難である」ということまでを要求すべきではないという考え方がある。プライバシーが一度暴露されたならば、それは、名誉の場合とは必ずしも同じではなく、「回復しようもないことではないか」ということであろうかと思われる。本件においてはこの観点に立っても本件記事によるプライバシー侵害の内容・程度に鑑みるならば、事前差止はこれを否定的に考えるのが相当と言うべきである。」

2節 本判例に対する本稿における注目点

本判例について、私の理解する限りでは、以下3点の特色が認めれよう。

第1点には、本件の事件としての性質である。実体法的には、表現の自由とプライバシー権の保護という観点からは、出版(販売)差止仮処分請求事件であり、事前抑制に類する事案であるということ、手続法的には保全処分事件であるということである。前者についてはその判断枠組み自体が問われることになり、後者については手続保障的に問題がないかどうかが問題となる(注1)。本稿では前者について、従来の事前抑制が発動されたパターンと比してどういった違いがあるのかをみたいとおもう。

第2点には、田中真紀子の長女は私人であり、本件において問題とされる記事の内容も童女の離婚問題という私事であるということである。このパターンの差止請求事件としては、モデル小説「石に泳ぐ魚」事件(H14.9.24第三小法廷判決)があり、私人の私事の暴露という類型に対する判断の蓄積として注目できよう。

第3点には、本判例において、差止の要件論が展開され、さらに原決定と抗告審において同じ要件を維持しながら、その判断が異なっている点である。具体的には、損害の程度の認定について判断を異にしているのであるが、この点についてプライバシーの保護必要性とは何であるかという問題を含むと考える。上述3点について前者2つについては、次節において従来の判例との比較することで本判例がどういった位置あるかを明らかにできると思う。しかし第3点については本判例内部における問題であるといえるので、4節において別途検討したい。

3節 従来の判例との比較

まず、本判例における問題点1について、その主体が私人である場合と公人である場合を分別するが、これは公人のスキャンダルと私人のスキャンダルでは、その社会的影響力が異なるからである。すなわちこの問題において検討するのは、公表による侵害性をどのように評価するかということである。この意味では、差止事件に限らず損害賠償事件ついてなされた判断も有益であると思う。

表現行為により不法行為がなされたとしても、違法性が阻却されるのが表現の自由が民主主義社会の維持のためであるとすれば、公人の情報はより公表されることにやむを得なくなる。このことは「宴のあと」事件において「公人の場合は合理的範囲において私事が公表されることを受忍しなければならない」(注2)と述べられていることにも見て取れる。すなわち公人であればその差止請求の心理はより厳しくなり私人であればより緩和されることと考えられるだろう。となると、当事者の立場と公表された情報の性質の組み合わせによって判断枠組みおよびその運用に若干の変化があるはずでる。

以下のその組み合わせを示すと、公人・公事、公人・私事、私人・公事、私人・私事というものができあがる。プライバシー侵害はこのうち、公人の私事を暴露したとき、私人の私事を暴露したときがそうであるといえる(注3)。公人の私事を暴露した事件としては、S39.9.28東京地裁判決「宴のあと」事件、私人の私事を暴露した事件としては「石に泳ぐ魚」事件、H9.2.12神戸地裁決定「タカラヅカ追っかけマップ」事件、H10.11.30東京地裁決定「ジャニーズ追っかけマップ・スペシャル」事件があげられると思う。公人の私事が暴露されるケースである「宴のあと」事件において、私事の範囲について要件が設定されている。その要件は1私生活上のことであって、2一般人を基準としてそのことが他人にしれることに不快感があり、3公表されていない未知のことというものである。この要件の2において、プライバシーとは知られることに不快を感じる、知られることで不利益を生じる情報であるということがいえる。すなわちこの点にプライバシーの保護利益が集約されていると考えられ、この利益とプライバシーが侵害されてもなおある表現される利益が要件の当てはめにおいて比較均衡される構造になっていると考えられる。このように理解すると、同判決が、公人は私事であっても合理的範囲内においてその公表を受忍しなければならないともしていることとも整合がある。

一方で私人の私事が暴露されるケースである「タカラヅカ追っかけマップ」事件、「ジャニーズ追っかけマップ・スペシャル」事件については、前者は住所が暴露されてしまうことによる不利益自体を取り上げて、回復不能な損害が生じるのはあきらかであるとして出版差止を許与している。この判例で興味深いのは、いわゆる表現の自由によって社会が得る利益ではなく、私人が芸能人であるという点に着目して、住所が公表されることは何らの利益をもたらさないとしている点である。次に後者の事件においては、表現内容について公共の関心事と公益目的という要件を持ち出して、いずれにも該当しないとしたうえで、回復不能な損害が発生するおそれがあるとし、差止を許与している。

この2つの判例の違いは、表現内容の評価を与えるときに枠組みを用いているかいないかである。前者においては個別具体的に慎重な比較較量をしているといえるが、一般的に差しと笑め判例で使われるプライバシー保護法益と表現による社会利益ではなくて、芸能人であるということに鑑みた宣伝効果による受益というものを持ち出しているので毛並みが違うものであるといえる。後者において採用されている要件論はその発端は北方ジャーナル事件において示された要件論に依拠しているとみられ、「宴のあと」事件において示されたプライバシー情報か否かの評価枠組みではない。おそらくは、住所という情報は、後者の要件論では満たされないが、公表されるにつきその影響力が大きい情報であるからである。すなわち、この判例においては、プライバシーを保護の理由として私事の秘密の保持ではなくて、生活の平穏をとったといえる。

以上をまとめると、プライバシーを保護することの意味合いとして、私事の秘密の保持による利益と、妄りに私事を知られないことによる生活の平穏の維持という二つがあるといえ、前者の場合そのものの立場が公的ものであるか私的ものであるかによって保護の強度が変化する。後者においては妄りに知られないことによる平温の維持ということが重要なのであり、秘密の保持と近似してはいるが秘密であることよりも秘密によって平穏が守られるということが重要であり、秘密自体の価値はそれほど重くない。むしろ秘密の価値は平穏が害される可能性にかかっているといえる。故に公人私人関係なく後者は適用できるが、前者は社会的利益と比較較量が可能であるということになる。

ついで、本判例における問題点2について、従来の出版差止に関する判例において、プライバシー侵害の要件論に立ち入るものは、4つの類型があると考えられている(注4)。第1には、高度の違法性を持って差止を認めるもの(注5)、第2には事件について個別の慎重な比較較量を行うもの(注6)、第3には具体的要件論を設定するもの(注7)、第4には回復困難な損害の発生を強調し差止請求を容認するものである(注8)。

第1の類型は、高度の違法性が認められるときに差止が許与されるとするもので、この高度の違法性の内容はきわめて不明瞭である。

第2の類型は、プライバシーとしての保護法益と公表することによって得られる公益とを個別具体的に慎重に比較較量するというものである。

第3の類型は、プライバシー侵害について要件を設定するものであり、プライバシー侵害について損害賠償事件では「宴のあと」事件において判示された1.私生活について、2.一般人を基準として他人に知られることを欲しない、3.公衆に未知の情報がみだりに公表されることという3要件が存在しているが、こと差止事件において展開される要件論では、名誉毀損の要件から真実性をのぞいた要件、つまり表現内容が公益性を欠き、被害者が回復困難な損害を被るとき差止ができるとしている。これは、北方ジャーナル事件において示された名誉毀損差止の要件と類似しているといえる。

上述した、3つの類型は、出現的には高度の違法性によるものがもっともはじめであり、その後に慎重な比較較量が登場し、もっとも新しいと思われるタイプが名誉毀損の要件から真実性の要件を省いたタイプのものである。最後に第4の類型である回復困難な損害の発生を求めるタイプは、明らかに個人情報が本人の意に反して公表された事例においてみられ、この要件タイプは、すでにプライバシー侵害が高度な違法性を有するものであると認定してしまった上で、差止の要件として回復不能性をあげていると理解できる。

の上で、本判例は、第3の類型に属するものであると考えられる。本判例のあげる要件は、1公共の利害に関する事項に係るものではない、2専ら公益を図る目的のものでないことが明白、3被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれという要件を設定している。

これら要件について、それぞれの保護しようとする法益が何であるかを考えてみると、プライバシーの内容を二分し、うち秘密保持の法益と平穏維持の法益があると考えられる。秘密保持法益に立つと考えられる類型は、2があるといえ、平穏維持法益については4がいえるだろう。

類型2において展開される枠組みは、秘密にしていることによる利益すなわち知られない利益と社会がそれを知ることによって得る利益すなわち知る利益が衝突している場合の調整として理解できる。

ついで類型4においては、回復不能な損害の発生としてとらえられているのは、秘密が秘密ではなくなってしまうということではなく、そのことによって生じる損害についてとらえられていると考えられる。

では、類型1と3についてはどちらにあてはまるのであろうか。まず類型1については高度な違法性とされる内容が不明瞭であり、どちらについても言い得る。ついで類型3については、表現内容が公益性を欠き、被害者が回復困難な損害を被るとき差止ができるとしている。表現内容が公益性(公共の関心事であり公益の目的での発表)を欠くということは、従前のプライバシー侵害における要件(一般的に他人に知られたくない私事の公表)とどのように違うのであろうか。従前のプライバシー侵害の要件は公表された内容がプライバシーに当たるか否かだけを審査し、プライバシーといえるならば保護に値するという枠組みで機能している。一方で差止における本要件は、名誉毀損における違法性阻却事由から逆に違法となる要件を導いたうえで、真実性の要件をはずした内容といる。本来名誉毀損の違法性阻却事由に基礎をおいた北方ジャーナル事件において示された要件論は公表による侵害と公表による利益を比較する機能をもっていると考えられる。このとき真実性要件はその公表されることが真実であれば社会的利益ある価値がある行為であったという評価を提供する。侵害行為を正当化する事由としての根幹部分であるといえる。しかしながらプライバシー侵害においては、この真実性要件が取り外されており、社会的利益との比較較量をする機能は失われているといえるだろう。つまり表現の公共性の有無のみを問う形では、その表現が表現の自由の乱用であるか否かのみをはかり、その上で回復困難な損害を被るかを評価するので、権利乱用に生じた結果を評価して回復不能であるか否かを考えるプロセスとなっている。つまり類型3で展開される要件論は、プライバシーの範囲を確定するの機能はなく、損害を評価する上で、表現を行ったものを非難しえるかどうかのテスト機能であるといえる。非公益目的の権利行使により権利濫用があったとされるとき行為者を非難しえるとされ、その上で、当該行為によって損害が発生しているかを判断する。となると、類型1にみたのと同じくこの損害をどう評価しうるかは不確定であり、結果どちらにでも利用しうるであろう。

5節 本事件における原決定と控訴審での判断の分かれ目について

原決定と抗告審との差異は、要件論的には、保護するに値する情報であるか否かの判断であったと集約できる。両者とも事実認定も同じであり、違っているのは全くの私人の離婚報道が当人にとってどういった意味を持つと判断したかである。

原決定は離婚報道について、まず離婚という情報の私生活性、さらにこの報道がなされたじきが離婚後間もないという点を指摘し、その上でその苦痛が雑誌の頒布によってさらに持続されるとし、これらをもって事後回復が不能な損害と評価している。これに対して抗告審は、離婚情報の私生活性は認めながらも、その情報はごくありふれた情報であり、そのことが報道されたことによって特段の不利益は生じないとしている。

この判断の違いは一見すると、民事保全法37条、38条にいう保全の必要性を書いたと抗告審で判断したということもできるが、セットとなっていいる要件全体からみると、原決定は、大々的に報道されること自体に問題性を見いだしているのに対して、抗告審は秘密の暴露という点に問題点を設定していると考えられる。

すなわち、抗告審は原審の要件論を維持しているかに一見見えるが、実はその依拠するところは「宴のあと」事件に示されたプライバシーとして保護する範囲にあるか否かという点と同じではないだろうか。

2章 私見

1節 本判例の意義

本判例は、その判断枠組みにおいて北方ジャーナル事件において展開された要件論を、きわめて明瞭ではないが、プライバシー侵害に基づく差止請求における表現内容の審査の基準として応用した「石に泳ぐ魚」事件を基礎においていると考えられる。

そして、原審においては生活の平穏を保護法益とするプライバシー保護をとり、抗告審においては秘密の保持を法益とするプライバシー保護を採用したため、離婚という情報が公表されるにつき、原審ではその情報が公表されたタイミングを重視し、精神的損害が大きいとして差止を許与したのにたいして、抗告審では離婚という情報はありふれていて秘密となはならないと判断しそれによる損害は小さいしている。このように理解すると、抗告審は原決定における要件論を否定し、「宴のあと」事件において展開された要件論をそのまま用いるべきであったといえるであろう。

しかしながら、本件は保全処分事件であって、暫定的な権利関係の確定をする簡易な手続きである。よって決定に既判力はないといえるので、ここで用いられた判断はきわめて実験的暫定的な要素が大きく、その射程はないに等しいだろう。しかしながら、プライバシーの保護において、その方向性の違いがあることとそれが表面化しにくいということを示している例といえるのではないだろうか。

2節 プライバシー権侵害の種類について

プライバシー権侵害についての先駆的判例は「宴のあと」事件である。この事件においてプライバシー侵害の要件として、1.私生活について、2.一般人を基準として他人に知られることを欲しない、3.公衆に未知の情報がみだりに公表されることであるとしている。一方で名誉権侵害については、刑法230条および230条の2が規定しているところである。そしてこれを元に北方ジャーナル事件において展開された相対性の理論によれば、1.公共性のある事柄を、2.公益目的で、3.その事実が真実、もしくは真実と信じるについて相当の理由を備えて公表したときは、不法行為性を否定される、つまり、1.公共性のないことを、2.非公益目的で、3.そのことが事実ではない、もしくは事実でないと知りながら公表することは不法行為であるということになる。

上述のように名誉侵害に場合は、刑法上の名誉毀損が成立するのであれば、私法上も不法行為が成立するとしているといってしまってかまわないだろう。

名誉は毀損されてもある程度は、事後的に回復されるもの、信頼や評判というもの直接であり、また、信頼や評判といったものは公共性があるので、上述のような違法性阻却事由が憲法21条の趣旨から必要とされるのである。

しかしながら、名誉毀損の要件として、公表内容の公共性、公表目的の公益性、公表事実の真実性が求められるが、プライバシーに属するものは、大概、真実性を満たしてもほかの二つは満たさないだろう。この点、宴のあと事件において、公的存在の人物は、一定の合理的範囲内で私事であっても公表されることを受忍するべきとしている。確かに公的立場にある人物の品位という意味でその人の私事は公的関心事ではあるが、いわゆるフェア・コメントではないことも確かであり、役職についてのみ評価するべきか、公的立場にある人物について非政治的潔白さをももとめるかということであり、たぶんに文化的感情的なことで、公的な人物だからこそ受けるような攻撃があり、その攻撃から保護される必要がないとは言い切れないのではないか。プライバシーによる法益を平穏な生活の維持にあるとすれば、これらも含まれるのではないか。公的人物になったkらと言ってプライバシーの利益を喪失するといえるのか。プライバシーがその人の地位如何にかかわらず財産として保護に値するのならば、プライバシーというものは、秘密であること自体に価値があるのであって、その秘密が暴かれたこと自体が問題なのであるといえるだろう。

「石の泳ぐ魚」では、その判断基準として北方ジャーナル事件で示された枠組みを転用しているといえる。これは名誉の保護法益である社会的信頼や評価というものが、前述したプライバシーの保護法益のうちの平穏に生活するということと重なり合う部分があるからできたのではないだろうか。つまり両者ともある一定状態を社会において維持するという種類の法益であるから、その侵害の度合いを、被る被害の程度というものを考慮する必要がある。一方で従来のプライバシー論における秘密保持という利益は、暴露された時点で灰燼に帰す、程度の問題を本来的に含まないものであるといえる。故にその違法性を判断するには、単に秘密として保護されるべき範囲を確定するだけですむのであるが、これでは片手落ちであって、今プライバシーに求められる機能としては、秘密保持と平穏保持という一見すると近似であるが実は異なる利益ではないだろうか。

注1;この点については谷口安平「手続法からみた北方ジャーナル事件」ジュリスト867号38頁−43頁(1986)において詳しく論じられている。

注2;S39.9.28東京地裁判決 モデル小説「宴のあと」損害賠償事件

注3;この類型に当たるのは、H9.2.12神戸地裁決定 「タカラヅカ追っかけマップ」出版差止事件

注4;4つの分類方法については、前田陽一「プライバシー侵害と出版の事前差止――「週刊文春」差止事件」判例タイムス1156号83頁−90頁(2004)において述べられていた。ちなみに、本稿において私が実際に調査した判例は以下のとおりである。こられをもとに改めて4つの分類についてその意味を考えてみた。

S39.9.28東京地裁判決 モデル小説「宴のあと」損害賠償事件

S45.3.14東京地裁判決「エロス+虐殺」上映差止事件

S45.4.13東京高裁判決「エロス+虐殺」上映差止事件

S61.6.11最高裁大法廷判決 「北方ジャーナル」出版差止事件

H1.12.21最高裁1小判決 長崎公立小学校ビラまき損害賠償事件

H6.2.8最高裁三小判決 ノンフィクション小説「逆転」損害賠償事件

H9.2.12神戸地裁決定 「タカラヅカ追っかけマップ」出版差止事件

H10.8.24東京地裁判決 「共済ニュース」出版差止事件

H10.11.30東京地裁決定 「ジャニーズ追っかけマップ・スペシャル」出版差止事件

H14.9.24最高裁三小判決 モデル小説「石に泳ぐ魚」出版差止事件

注5;S45.3.14東京高裁判決「エロス+虐殺」上映差止事件

注6;S45.4.13東京高裁判決「エロス+虐殺」上映差止事件、H6.2.8最高裁三小判決 ノンフィクション小説「逆転」損害賠償事件

注7;S39.9.28東京地裁判決 モデル小説「宴のあと」損害賠償事件

H10.11.30東京地裁決定 「ジャニーズ追っかけマップ・スペシャル」出版差止

注8;H1.12.21最高裁1小判決 長崎公立小学校ビラまき損害賠償事件

H9.2.12神戸地裁決定 「タカラヅカ追っかけマップ」出版差止事件

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