表紙に戻る

ロベスピエール マルク・ブゥロワゾ著 遅塚忠躬役 白水社 を通じた近代市民社会省察

 本書は、フランス革命を指導したマクシミリアン・ロベスピエールについて、その激動の5年間の活動について解説したものである。構成としては、彼の思想哲学、5年間彼が携わった諸分野について、彼の革命中における活動とその演説から明らかにしている。

ロベスピエールという人物は、フランス革命の「伝説」と「物語」に彩られ、また現代の視点をそのまま持ち込むが故に、理想主義者であるように思われるかもしれない。しかしながら、本書によってその考え方を改めることを迫られる。ロベスピエールは現実主義者である。現実に抗するためにロベスピエールは彼の諸原理、つまりは「自由」と「人民の福祉」を貫こうとしたのである。「自由」を制御するための原則が「人民の福祉」でありその正体は「徳」である。最終的には「徳」に頼る政治態度を私は徳治政治であるという他にない。しかしながら、当時の世界を考えて頂きたい。絶対王政が絶対王政と呼ばれていなかった時代、つまりは、王政が当然であって王のいない国家がイレギュラーであり、人々は服を着るのと同じように階級に服していたのだ。ロベスピエールは「自由」を「独立した状態」すなわち「誰にも支配されず、誰も支配しない」ことであると考えた。であるからして彼は、まず貴族と戦い(身分による寡頭政治の打破)、そして経済的支配力の強大なるものと戦った(富による寡頭政治の打破)のである。そして彼は同時に「人民の福祉」をもってこの階級闘争をコントロールしようとしたのである。つまり「誰にも支配されず、誰も支配しない」というのは、独立した個人によって運営される理性の社会であり、いわゆる共産主義とは根本的に異なる。当時、共産主義はそもそも存在していない。私見であるが近代以降のすべての革命にとってロベスピエールの考え方はひな形になっているのではないだろうか。話を戻す。何もなかった当時、彼らは革命によって何をなすのか、つまり新しい価値基準を定める必要があったのだ。革命の前後の峻別をつけなければならなかった。革命の遂行時は価値体系が存在しない非常に不安定な状態にある。この脆弱な状態を守り革命を遂行するためにロベスピエールはあらゆる手段を用いた。そのすべての手段の正当化の根拠は民衆にあったのであり、ここで言う民衆とは独立した生産力を持つ市民である。つまりは、極端に富めるものでも貧しいものでもなく、まさに中産階級をそのよりどころとしたのである。にもかかわらず、ロベスピエールは最終的には断頭台に立つことになる。それは、革命のそもそもの原因は資本主義の展開圧力に、封建体制が耐えられなくなったためである。封建主義による流通の壁を生産の壁を崩すことが革命の主体となっていた上層市民たちの目的であり。それは必然的に富の二極化をもって安定するのもである。だが一方でロベスピエールの標榜する「自由」のためには、その道を途中で停止させなければならない。ここにロベスピエールとそのよりどころ中産階級の決定的な別離が現れるのである。ロベスピエールの目指した革命は頓挫したと判断せざるを得ない。彼自身革命の犠牲者であり決して殉教者などでないのではないだろうか。だが、その理念は今も多くの人々を引きつける。

 私自身、ロベスピエールという人物は非常に、現代的な人物であると思う。現代的という用語が的を得ているかか甚だ疑問だが、最終目標を現実にするためにはすべてを利用し、だからといって理想におぼれることなく非常に現実的な判断を下したと考えられるからだ。今降りかえって彼が評価されるとき理想に燃える闘志的に見られるが、それは当時の政治思想を考慮していないからではないだろうか?彼の考え方は今でこそ理想主義的と非難されるのであって当時にあっては非常に実質的な議論を展開していたと思う。

この本に基づいて、以下の点についての私の考察を述べてみたいと思う。

1.規律について

2.近代社会における規律

3.ロベスピエールについて


1.規律について

 社会を律するもの何であるかという問いに対して、法律と道徳であると答えることが一般的であるし、間違いも少ないと思う。法律といってすぐに議会によって定められたものを思い浮かべるのは我々がそういう社会構造に馴染んでいるからであって、王制下に於いても法律はある。ある権力の元にその権力を究極の担保として成立するものが法律である。しかし、近代社会と封建社会における法律は決定的に違う存在である。近代社会に於いては、支配被支配が同時であるから法律の権力名義人から権力宛名人へという構造は、循環的作用をする。また近代憲法といわれるものは、そのための特別の形式を持つようになった。すなわち統治編・人権編への分化である。しかし封建社会に於いては、法律は権力名義人から権力宛名人への一方通行である。いづれにせよ、権力が担保であることに変わりはない。では、道徳はどうであろうか。道徳の担保は社会集団への貴族政の承認にある。道徳を犯したものは社会からパージされるという制裁を負う。このパージと表現した内容が道徳の担保である。社会からパージされるというのは、その社会の構成員として見なされなくなると言うことである。道徳というのは価値観の体系でありこの体系を共有することで、ちょうど人体に於いて自己非自己が区別されるのと同じく、集団を構成するもの下層でないものかが区別される。社会の自己組織化の作用の一部として道徳というドグマの共有が構成員に求める力が働き、これに外れるものは社会の外の存在となるのである。

 社会を規律する法律や道徳はその社会権力を担保として成立することを述べたが、では、社会権力が覆った場合、つまりは革命が起きた場合、これらはどうなるのか。フランス革命当時は単純に未曾有の混乱に陥ったのだろうか。否、人集まるところに社会あり社会あるところに法律あり。確かに権力の担保がなくなったのだからこれら規律は失われるであろう。しかしながら、以前の権力は革命を指導した権力に取って代わられるだけであり、規律そのものの存在は否定されないがその内容が大幅に書き換えられるのみである。


2.近代社会における規律

 フランス革命では、まさに根本的な権力の変動が生じている。革命という変化は瞬間的に捉えられる嫌いがあるが、実際には革命期間中の状況というのは旧権力から新権力への過渡期である。よって二つの権力の並列期が存在する。この期間に於いては両者とも社会を支配するという機能が果たせない。つまりは規則を維持する担保として無能力状態になる。通常、相容れない権力の併存は社会の分裂を招きやすいが、フランス革命においては革命前段階において国民の国家としての自我、つまりナショナリズムが存在していたために、社会の分裂は起こりえなかったのである。だが、規律を担保する権利が代わった以上、新権力に基づいた大幅な規律の書き換えが必要である。これが近代社会実現の具体的実質的”革命”なのである。封建時代、前近代社会において、「1.規律について」の項に述べたように、規律は権力名義人から権力宛名人への一方通行である。一方で、近代社会においては支配被支配の同時性により、規律はそれを担保する権力名義人から権力宛名人すなわち権力名義人へと強制力の方向が循環することになる。つまりは社会の自立性が規律の作用に具現化するのである。規律が新たな権力原理に基づいたものに書き換えられるのである。

 近代社会では支配被支配が同時になされることにより自律した一個の権力を持った組織体としての社会が成立する。前近代社会においては支配と被支配が分離され支配による権力の独占行使が前提となる。ヒエラルキー階層を下れば下るほどにその階層の他者支配性は増大する。逆にヒエラルキー階層を上昇すれば上昇するほどその階層は権力行使可能性が増大するのである。一方、近代社会では、その内部がすべて均質であるために、すべての構成要素が支配被支配の同一体である。すなわち、社会内部を均質に保つ原理が働く必要がある。すべてが権力を行使し、同時に、権力を行使されるのであるから、その相互のバランスを自動的に調整する原理が働く。権力行使を必要限度までに絞ることが、すなわち他体から受ける支配可能性を極限まで抑止し、社会内部の均質性が保障される。この一連のホメオタシス(自己均衡を図る作用)が「公共の福祉」である。

 公共の福祉には権力行使の均衡を持たせるためのバランサー的役割がある。社会が自らを保持するための原理として「公共の福祉」は作用する。この公共の福祉の作用こそ、権力作用の循環性に立脚した「新たな社会原理に基づく規律」である。

3.ロベスピエールについて

 ロベスピエールは、支配被支配の同時性が実現されたとき、支配者にして被支配者となった者の自我として「国民意識」と「公共の福祉」が必要であると気づいたのではないだろうか。フランス革命の期間中、旧権力から新権力に社会の原理が移行したとき、社会内部の均質を保つことができなくなれば、権力名義人が書き換わっただけで、原理の移行とは言えなくなり、フランス革命はただの前近代社会における内部支配階層権力闘争にすぎなくなってしまう。ロベスピエールはその演説や書簡の中で、再三「徳」(VERTU)というキーワードを訴えている。彼にとって「徳」という概念は、公共の福祉と国民としての自己同一性を融合させた概念であり、この概念を社会全体が共有することによって、自律した一個社会としてフランス社会を再構築しようと試みたのではないだろうか。「徳」を推進していくことで彼はフランス革命をリードし続けたが、彼は「徳」という概念に頼りすぎた嫌いがある。前述したが社会を律する規則は権力をその担保として必要とする。 しかしながら、彼の唱えた「徳」には、その完全な後ろ盾がなかったのである。革命により究極的には、支配被支配の同時性が完成される必要があるが、権力を手にしたことだけに満足してしまったために、ロベスピエールの唱える「徳」は、邪魔な存在として捉えられたのではないだろうか。ロベスピエールの唱えた「徳」は、私が述べたような単純なものではなく、多分に伝統的な道徳に依るところがあった。社会を形成する規律の一つである道徳もまた革命によってその再構築がなされていたことをロベスピエールは見逃してしまったのではないだろうか。つまり、ロベスピエールは近代社会が自律していくために必要な「公共の福祉」という(彼は「人民の福祉」と述べている。)原理の必要性に気づいたが、その実践方法が徳治という近代社会にはそぐわない方法を選んでしまったために、彼のリードする「フランス革命」は頓挫したのである。公共の福祉が近代社会を維持していくために必要な原理であると認識され、そして実践されるには、フランス革命が「完了」した後、尚、時間を要したのである。 

表紙に戻る