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フランス革命 〜歴史における劇薬〜 遅塚忠躬著 岩波ジュニア新書 を通した近代社会の考察
本書は、高校生向けにフランス革命の近代史上における意味合いと革命の本性について述べた著作である。フランス革命という複雑な一大政治過程が、大変見通しよく解説されており、革命の背景や理念、その効果、つまりは近代社会の成立に寄与したものの発生と革命辞退の苛烈さについて、なぜそのような効果が生まれることができたのかということを大変わかりやすく説明している。フランス革命を学ぼうとする際にはもっとも適切な入門書であり、フランス革命を学ばれた方でも十分楽しめる内容である。フランス革命はたぶんに伝説化されている嫌いがあるように思えるし、フランス革命を解説した書物はその著者のスタンスが現れやすいと思う。フランス革命をどう捉えどう理解するかには千差万別でどれが正しいだのという議論は成り立たないだろうし、それはその人の生きる時代背景が大きく影響してくることであると思う。だから、多くの解釈が存在していいはずであり、実際に存在している。そのように多様に説がある中でもフランス革命という事実は揺るぎないだろうことは確かである。従って新資料がいくつ出てきても事実総体としてのフランス革命とその後の社会はその新資料がでた社会まで通じるものである。つまりはもう一度フランス革命が何であったかを整理し自らの考え方を見る鏡になると思う。
この本に基づいて、以下の点についての私の考察を述べてみたいと思う。
1.近代社会とは何か
2.革命とは何か
3.フランス革命の意味
1.近代社会とは何か
近代社会の重要な要素として均質化がある。均質化という意味では近代以前の社会に於いてもその社会階級内における均質性、同じ身分であるという意味での均質性はあったが、これは狭い均質性であり、上層から下層への多段的なヒエラルキーの中にあるものである。つまりは王侯を頂点として貴族、農民というピラミッド構造のそれぞれの階段の中にある要素同士の均質であって、階層を超えたところには区別がある。この階層を構成している要素は「身分」である。身分は実力に基づいて恣意的に構築されている。勢力を実力によって構築していた頃は軍団を効率よく運営するためのヒエラルキーとして作られたモノがそのまま社会を構築した。これは軍団そのものが社会の構成員であったからである。村が社会単位であった古代に於いては構成員はすべて等しく義務を負ったのである。しかしながら、集団が大規模化し、集団内部に於いて生産部門と統治部門が分離してくると、統治部門は統治の根拠が必要になる。その根拠が実力であり、その延長上に身分が発生したと考えられる。ここで言う実力とは軍事力と宗教力があげられる。軍事力は外部に対する集団の独立性を確保するための文字通り実力的装置として作用する。宗教力は内部に対して集団の統一性を維持するための社会的装置として作用している。宗教力は統一された体系的価値観を提示することによって、同じ価値体系を受け入れるものは根本的に同質であるということを担保した。つまりは、集団に参加できる条件を与奪する力なのである。かくして、原始社会は武力と宗教によってコントロールされていた。この構造は、必然的にヒエラルキーを作り出し、その結果が身分階層の出現である。
近代社会ではこの階層を構築する要素を否定することで均質化を図っている。つまりは、身分階層を発生させる武力と宗教の世俗化、大衆化である。社会すべての構成員が、等しく武力と宗教というこれら装置のすべてに参加する形を取ることで、社会全体の身分ヒエラルキーが武力と宗教内部のヒエラルキーによって決定されないようにするのである。武力と宗教という2系統の支配ヒエラルキーによって構成されている前近代社会は二重支配という矛盾を自ら抱えることになるが、近代社会は統一的支配が行われる。前近代から近代への移行は統一の一形態と考えることも可能である。統一的支配に最も適合したスタイルは、無段階ピラミッドの形を取ること、すなわち支配被支配の二極化であり、究極的には支配被支配の同時性である。支配被支配の同時性が達成されることで初めて完全な統一された一個社会が完成するのであり、近代社会とは一個一体の社会である。
2.革命とは何か
上述したように、二重支配による矛盾状態から完全なる一個の存在としての社会への脱皮が近代化であり、そのためには権力装置の解体と支配被支配の同時性の達成が必要である。すなわち近代化を行うには、革命が最も適した方法であると考えられる。なぜなら、「1.近代社会とは何か」の項で述べた考えに従えば、この行為は、二重支配を停止させて、すべてのヒエラルキーから社会を開放して一個体にするための、社会の均質化であるからである。革命という行為をこのように捉えると、革命の後には均質化された集団が残るわけであるが、この均質化された集団に於いてはすべてが均質であり自己と他者の区別すらない状況下に陥ると考えられる。なぜならば、すべての体系を破壊するのであるから、それは従来の関係を破壊すると言うことでありすべての社会の構成要素が相対的に捉えられることになるから、必然的に社会を構成すべき規律が失われてしまうからである。この点から革命を一時的全社会の停止と考えると、すべての権力装置が解体され、一つの支配権力に統合されるための行為が行われる必要があることになり、革命自体によって近代社会が誕生するのではなく、革命以前に十分に熟成された思想とその思想を実行することができる集団(実行主体)が存在し、革命をきっかけに、それらが日の目を見ることによって近代社会が誕生するのである。
フランス革命は、その背後に市民層(ブルジョア)の熟成とそれに伴う政治思想の熟成があった。彼らを直接的に突き動かしたのは産業の成熟による資本主義への目覚めであるかもしれないが、後付的な解釈と批判されるかもしれないが、近代社会成立を基点に考えると、資本主義自体が近代社会を前提として初めて成立するのであるから、資本主義を推進するための起爆剤としての産業の成熟にも思想の実行体として役割があったのである。近代社会は均質化にこそ、その本質があるのであるから、均質化を必要とする状況の出現と均質化を推進する実行体がすべてそろったのがフランス革命なのであると理解する。
3.フランス革命の意味
フランス革命は封建時代の二重の権力から新たな一個の権力へと交代がなされたものである。権力の交代劇は、一方が消滅し新たなものが発生したというものではなく、漸進的に交代が起こっているのである。漸進的とは言っても代わられる権力と代わる権力が同時に存在していた期間に於いては、両者とも社会を統一する権力としての機能を果たすことができない。なぜならば、相容れない2種類の別の権力構造が対峙するのであり、ある種の内戦状況に陥るからである。(もっとも前近代社会の二重支配生においては武力と宗教は相互補完の関係にある。だからこそ二重支配が可能なのである。)これが近代社会の基礎となる条件がない状況では、武力衝突、内乱に陥り社会が分裂する。フランス革命においては、近代社会という新しい権力の下地が十分にあったために、分裂することはなかった。近代社会とは「1.近代社会とは何であるか」の項で述べたように全社会の均質化による支配被支配の同時性を実現することによって達成される単一支配社会であり、革命にあたってのスタンスとしては、そもそも一体であるべきものが分裂している状況を解消するというものなのである。フランス革命においては国民意識=ナショナリズムによって自らの範囲が確立されているところに、現状の認識=封建制による不都合が意識され、本来あるべき自己の姿に帰るという理念がフランス社会の分裂を防ぎ近代社会へ「移行」することができたのである。このとき、旧権力の装置、すなわち王侯、身分階級、ギルド等は、すでにフランス社会の外部にあると認識される。また、外部にあると認識されない限り旧権力由来であっても受容されたのである。この社会外部内部の峻別によって旧権力と新権力の並立状況から新権力への移行がなされたのである。
フランス革命とは、国家概念が成立することすなわち支配被支配の同時性、言うなれば国民の自我が、確立することなのである。当然、それが確立することは同時に二重支配の停止、現象的に見れば封建社会の崩壊という、プロセスに見えるのである。すなわち、フランス革命とは究極的な国家統一事業なのである。
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