儕assando


己を取り囲むようにして躯が折り重なり、誰のものとも分からない赤い液体が足元を濡らしている。
左手に握る使い慣れた剣からはぽたり、ぽたりと雫が零れて足元の水面に波紋を作り出していた。

ぼんやりと波紋を眺めていた顔をあげれば、周囲の死屍累々が誰であるのかに気づく。
そう、よく知っている顔ばかりが折り重なっているのだ。
先に逝ってしまった人間のうえに、つい最近まで共に旅をしていた仲間の姿まで見える。

息遣いなどひとつとして聞こえない、ぽたり、ぽたりと雫の零れる音しかない。
恐ろしいほどに静まりかえった空間だけがそこに存在した。
これは己の手で引き起こしたのだろうかと血塗れた右の手のひらを見つめる。

ふいに、真後ろに気配を感じ、はっとして振り返って無意識に左の剣を薙いだ。
宙に揺れる長い黒髪と、紅の雫が視界を覆ったところで己の過ちに気づく。
どさり、と音をたてて崩れおちたその黒い輪郭は――



カプワ・トリムの賑わいは相も変わらず、綿雲の流れる青空の下に喧騒が響いている。
商店や屋台が客を呼び込む声に、ダングレストの名残を漂わせる無骨な男達の豪快な笑い声、
走り回る子供たちの楽しげな声と、次々に耳へと届いてくる声は右から左へと抜けていった。

 「あー・・・・・・」

ベンチに浅く座って思い切り後方へと体を倒し、空を見上げる格好でレイヴンは声ならぬ声を漏らす。
あんぐりと口が開いて傍目から見たら随分な様相となっていることだろうと自覚してはいたものの、
今すぐその姿勢を正すほどの気力が、僅かにもレイヴンには残っていなかった。

どれぐらいの時間をそうして過ごしたのかは定かでないにせよ、陽の位置が変わったと分かる程度には経っている。
向かうはザーフィアス、定期船に乗ってカプワ・ノールへ向かいたいところではあるものの、
連日の寝不足が原因となって、レイヴンの歩みも思考も見事なまでに停止していた。
それもこれも、すべてあの夢のせいだ。

 「おーい」

ふと、聞き慣れた声が聞こえた――ような気がする。
否、さすがにぐったりとしているレイヴンでもそれがよくよく知っている人間の声とすぐに認識できてはいた。
ただ、この声の主と今は顔をあわせる気分ではなかったために思考回路が強制的に遮断された格好だ。
やはりこれも、あの夢のせいということになる。

 「・・・・・・ふぐぉっ?!」

それ、は唐突に口内へと放り込まれた。
突然の異物感にいきおいよくレイヴンは上体を起こして条件反射的にその何かを吐き出そうとするも、
次の瞬間にはうっかりと飲み下していた。

 「お、ようやくお目覚めか?」
 「げほっ・・・・・・ちょ、ちょっと!喉に詰まらせて死んだらどうしてくれるのよ?!」

飲み下してみれば、その正体は至極普通のアップルグミだった。
とはいえ僅かに口内に残る甘ったるい味に、レイヴンは顔を顰めながら目の前に立つ男を見上げる。
潮風に靡く黒い髪に黒い服、左手に愛剣をぶらさげるその姿は紛れもない、ユーリ・ローウェルその人だった。
そして彼の隣にはパイプを銜えてゆったりと尻尾を靡かせながら座るラピードの姿もある。

 「いやぁ、何か見覚えのあるおっさんが干からびてたからつい」
 「つい、で窒息死させられたらたまったもんじゃないでしょ!死因:アップルグミとか勘弁して」

腕を組んで僅かに首を傾げながら、ライフボトル投入のほうがよかったか、などと更に言い出すユーリを前にして、
レイヴンは大きく溜め息をつきながら再びベンチの背へと体を倒した。
本来回復効果のあるアップルグミのはずだというのに、この流れで完全に逆効果だ。

 「だめ・・・・・・もうだめだわ、俺様死にそう」
 「確かに今にも干からびて死んじまいそうだなぁ」

先ほどまでと同じように空を見上げる格好になると、ユーリの顔が視界に入ってきた。
逆光でその表情はさっぱり見えないが、垂れ下がった彼の髪が顔を掠めてくすぐったい。
ゆらり、ゆらりと風を受けて宙を舞う様相が夢の中のあの人影と重なり、レイヴンは息をついた。

 「で、こんなところでのんびりしてていいのか?ザーフィアスに行くんだろ、おっさん」

行き先を知っているということは、ユーリは今し方ザーフィアスから引き上げてきたところなのだろうか、と
ろくに回っていない思考回路でレイヴンはぼんやりと考えてみる。
恐らくはフレンあたりにでも聞いたのだろう。

 「そうだけど・・・・・・寝不足でふーらふらなの、今船に乗ったら船酔い確定よ」
 「不眠不休の強行軍、ってか?」

ユーリの問いかけに、レイヴンはゆるりゆるりと首を横に振った。
何もダングレストからカプワ・トリムまで直行してきたわけではなく、中継地点としてヘリオードで一泊している。
ただ最近は眠りが浅く、挙句夢見も悪いともなれば、まともに睡眠をとることができず疲れも取れない状況だ。

 「夢見が悪い、ねぇ」
 「だから今とーってもメランコリックな気分なわけ、干からびたくて干からびてるわけじゃないんですー」

気のない相槌が耳に届き、レイヴンは盛大に溜め息をついた。
それにしても、ユーリと顔をあわせるのはどれぐらいぶりだったか、と記憶を辿る。
凛々の明星は今や売れっ子ギルド、そして己はギルドと帝国の橋渡しとして奔走する日々、
こうして出先で偶然顔をあわせることはあるものの、行き違いになることのほうが圧倒的に多い。

あの旅を共にした面々と長らく顔を合わせずにいると、
少しばかりか寂しい気分になるのは歳のせいだろうかと、レイヴンは内心苦笑を禁じえない。
そういう意味ではこうして久々に彼と顔をあわせられたのも幸運ではある、しかし如何せんタイミングが悪かった。

 「ろくなこと考えてねぇからそんな夢見るんだろ、エステルが言ってたぜ?夢は記憶の整理だ、ってな」
 「青年ってばひっどーい、ろくなこと考えてないとか、俺様泣いちゃう」
 「はいはい」

本音を言ってしまえば、本当は心当たりがないわけではなかった。
レイヴンは目蓋を閉じて、再び溜め息を零す。
そしてゆっくりと目を開き、青空を背景にゆっくりと流れていく綿雲を眺めた。

 「はーぁ、青年たちとの旅も終わって、1人になる時間が増えたから余計なこと考えちゃってるのかねぇ」
 「随分とまー老け込んじまって」
 「何だかんだで歳食っちゃって、おセンチな年頃なのよ」

いつもならここで老け込んだとは失敬な、と返すところではあるものの、
レイヴン自身似たようなことを考えていた手前、すんなりと応じるような返答を無意識にしていた。
これにはさすがのユーリも虚を突かれたのか、少し目を丸くしているように見える。

 「・・・・・・はぁ」

小さく漏れたユーリの声に宙を彷徨っていたレイヴンの視線が彼の方へと自然と向いた。
途端、がしりと左の二の腕を掴まれ、勢いよく引き上げられる。
突拍子もないことでレイヴンは目を白黒させた。

 「は?え、ちょっ」

よろり、とベンチから立ち上がるはめになったレイヴンは数歩千鳥足、
その後は前方を進むユーリに引き摺られるようにして、長らくお世話になっていたベンチから徐々に離れていく。
助けを求めるようにしてレイヴンの後ろを歩くラピードを見遣れば、ふいっとそっぽを向かれてしまった。



引き摺られるようにしてつれてこられたのはカプワ・トリムの宿屋だ。
ラピードとは宿屋の前で別れてユーリが帳簿にペンを走らせるという一連の流れは、旅の道中を彷彿とさせる。
そんなことをぼんやり考えているうちに気づけば宿の一室へと放り込まれ、
その勢いのままふらふらと数歩歩いてベッドに突っ伏す格好となった。

 「ぶほっ」

気だるい体をのそりと起こし、レイヴンはベッドの上に座り込む。
そして勢いあまってのベッドとの顔面衝突で若干痛む鼻を擦りながら、すぐ横から見下ろしてくる黒い影を見上げた。

 「もー青年は加減ってものを覚えてちょーだい!」
 「いいから大人しく寝とけっての」

寝ろと言われて眠れるのならとっくにそうしている、と思いつつもやはり疲弊した体だ。
先ほどほんの少し倒れこんでいただけだというのにシーツと柔らかな枕の感触は確実に睡魔を呼び起こしている。
どうせまた同じ夢を見て早々に目が覚めてしまうだろう、それでも横になりたいという欲求は確かにレイヴンの中にあった。

 「・・・・・・どうせすぐに起きるって」
 「ま、魘されてたら早々に起こしてやるよ」

素っ気無い口ぶりながら、ユーリが心配してくれていることはレイヴンにも分かる。
髪を纏める紐を解いてわしゃり、と頭をひと掻きした後、レイヴンは仰向けに寝転がった。
寝不足で眠気は常に感じてはいたものの、その比にならないほど急激な睡魔が押し寄せてくる。

これはもう起き上がれないな、とレイヴンが目蓋を閉じたところで人の手の感触が目蓋に触れた。
両目を覆うようにして置かれたのは恐らくユーリの右手だろう。
人の体温はこんなにも安心感を覚えるものだったか、などとらしくもないことを考えているうちに意識が途切れた。



ぽたり、ぽたり。
雫が規則的に零れる音が鼓膜を揺らし、朱色の波紋が広がっていく様をぼんやりと眺めている。

夢の中でそれを夢と認識はできず、レイヴンはいつもと同じように顔を持ち上げて周囲の屍の山へと目を向けた。
生命の気配など微塵にもない、衣服はすでに黒ずみ、誰も動かない。
己の右の手を見れば紅く、てかてかと嫌に煌いて見えた。

ふいに感じた気配は己の真後ろ、反射的にレイヴンは左手に握る剣を薙ぐようにして払いながら振り返った。
キィン、と金属と金属がぶつかる甲高い音が響き、宙を舞っていた長い黒髪がふわり、と相手の肩に落ちる。
持ち上げられたその眼差しと視線がぶつかる、他でもない、ユーリがそこにいた。

そこでレイヴンは違和感を感じた。
そう、何かが違う、こうではなかったと。
何が違うのかと考えあぐねていると、目の前で刃を交えているユーリの口元に不敵な笑みが浮かび上がった。
そして彼は言う。

 『ろくなこと考えてねぇからこんな夢みるんだろ』

あぁそうか、そういえばこれは夢であったと、レイヴンは思い出すようにして気がついた。
自然と肩から腕にかけて力が抜けていき、左手に握っていた剣はユーリの剣戟に弾き飛ばされる。
彼は左手を降ろしてその手の先に握る剣をぶらりと揺らしながら、右手を腰に据え、こちらに視線を投げてきた。

 『こんなところでのんびりしてていいのか?』

いつもの調子で、ユーリはそう問いかけてくる。
まったくこの青年のお節介病は人の夢の中にまで出てくるほどなのかと、レイヴンは思わず笑ってしまった。
確かにのんびりしている場合ではない。

多忙な毎日で気を紛らわしていたとはいえ、それでも先に逝ってしまった彼らのことは今でも頭にこびり付いて離れない。
感傷に浸りすぎて、また皆居なくなっていくのではないかなどと、気弱なことを考えだしたのは1人の時間が増えたからか。
何にせよ、この際経緯はどうでもいい、そんなあほらしい考え事はやめにしよう。
あんなにも悪運の強い連中がそう易々と居なくなるはずもない。

そんなことを思いながらレイヴンはゆっくりと目を瞑る。
目蓋に触れた温かな指先の感触が、ひどく心地よかった。



ふわりふわりと意識が浮上していくのを感じ、レイヴンはゆっくりと目蓋を持ち上げた。
部屋が暗い、窓の外へと視線を向けると星空が見える。
この宿にきたのはまだ陽が高い時間帯だったのだから、かなり熟睡していたのだろう。

 「・・・・・・あんれ」

上体を起こし、窓の外に投げていた視線を部屋の中へと戻す。
いると思っていたはずの人影はそこになく、彼の荷物も見当たらなかった。
まるで最初から他には誰もしかいなかったかのようだ。

状況的に見て、ユーリはもうここには、この街には居ない。
彼も多忙な身だ、しばらくレイヴンの様子を見てくれてはいたのだろうが、頃合を見て先に発ったのだろう。

 「俺もまだまだ、かねぇ」

レイヴンはやんわりと口元を緩めながら小さく息をついた。
次に彼と会った時にはお礼にクレープのひとつでもご馳走してやろうか。
レシピを想像しただけでもげんなりするが、彼に対する礼には丁度いいだろうと
先のことへと思考をめぐらせつつ大きく伸びをした。

今日はもう一睡して、明日カプワ・ノールへ向かおう。
そう決めたところでレイヴンは再びベッドに倒れこんだ。

今夜はぐっすりと眠れそうだ。




TOV何か書こうと思って最初に思いついた話でした。
カップリングの意識はなく書いてるので、どうとでも取れる仕様というか。

ユーリは辻斬りのように通りすがりにさりげなく人助けして通り抜けていくイメージ。