儕rioridade


カナンの地の出現により、一般の人間がマクスバードを遠のいていたことが不幸中の幸いだった、とか
仮にいつものマクスバードだったら大混乱が起こっていたり、あるいは巻き添えになっていたかもしれない、とか
半ば他人事のように思っている自分に気づきながらも、ルドガーは黙したまま、ぼんやりと朱色に染め上がる地面を眺める。

 「……お前は、俺なんかのために……」

響き渡った剣戟も発砲音もなりを潜め、静まり返っていたマクスバード。
ぽつりと零されたユリウスの声が、クリアにルドガーの耳へと届いた。
ルドガーは深く長く息を吐きながら目蓋を閉じ、血生臭い空気を吸い込んだところで再び目蓋を持ち上げる。

 「分史世界の、10年後の俺は皆のことを殺していた」
 「……」
 「そんなことを自分がするはずはないと思ったし、実際その分史世界の時歪の因子は10年後の俺だった……けど」

可能性はゼロではなかったのだ、と目の前の惨状を眺めながらルドガーは呟いた。
つい昨日までは戦友であったはずの彼らは、今や微動だにせず、呻き声すらも聞こえない。
己の服を見れば、彼らの返り血と己のそれとで深紅に、否、すでに酸素に触れたそれは黒ずみはじめていた。

 「カナンの地に行くためには、仕方ない?時歪の因子化が進んでいるから、仕方ない?そんなの……俺は納得できない」

ルドガー自身、ユリウスを犠牲にしてでも進まなければ、エルを助けてビズリーを止めることはできないと分かってはいた。
時歪の因子化が進んでいる以上、確実に進むためにはルドガーが犠牲になることよりもユリウスが犠牲になるべきということも。
それがこの世界の未来のためと理解はしている、しかしそれはあくまでも頭での理解でしかなかった。

 「何でだよ……たったひとりの、大切な家族なのに……世界のために必要だからって、そんなの……あんまりだ」

理屈だけで選べる選択肢だというのだろうか。
これまでも分史世界を、正史世界のためという自分都合で壊してきた、それならば―

 「そんな世界、俺はいらない」

ユリウスの犠牲を強いられる世界など、いっそ壊れてしまえばいい。
そう呟いたところで、ルドガーは口を閉ざした。
背中の向こうで、ユリウスが息を呑んだ様子が伝わってくる。

海から吹き抜けてくる風は、相変わらず潮の香りよりも戦いの名残が強い。
そんなことを思っていた矢先、強烈な眩暈を感じたルドガーは直立不動であった体を折り、その場に屈みこんだ。
からん、と手が白くなるほど握り締めていたはずの双剣は乾いた音をたてて地面に落ち、その勢いで地上に数回弧を描く。

 「ルドガーッ!」

時歪の因子化が進み、苦しげな色の混じる声色でユリウスが名前を呼ぶ。
改めてルドガーは己の体を見つめ、斬られた跡、刺された跡、打撲の痛み、術による切り傷と火傷、と
きっとこれは彼の、彼女のあの時の一撃か、とかつての戦友たちが苦渋の表情で己に向かってきていた姿を思い起こした。

誰にだって、どうしても譲れないというものはある。
彼らにとってそれはこの世界の未来であって、ルドガーにとっては大切な兄だった。
彼らとは生涯のよき友となれたかもしれなかった、それでも、そうだとしても、ユリウスの犠牲を強いるのであれば話は別だ。
ルドガーの譲れないものを差し引かなければ彼らの願いが叶わないというのならば、生涯の友という可能性すら握り潰すしかない。

 「大丈夫か」
 「平気だよ、兄さんは心配性だな……」
 「……っ、こんなに、ぼろぼろになって……」

声を震わせるユリウスに屈みこんだまま抱きすくめられ、その温もりに触れるだけでルドガーは酷く深い安堵感を覚える。
この温もりが、世界の代償として失われるなど、そんなことがあってはならないのだと、改めてルドガーは強く思った。
大切なものは沢山あった、エルも、この手にかけてしまった仲間たちも、そして彼らの望むこの世界の未来も。
だとしても、選ばなければならないというのならば、迷わずこの温もりを選ぶ、ただそれだけのことなのだ。

 「兄さんを諦めたら、それ以外のすべてが救えたのかもしれない、それでも……これが俺の選択だから」

ごめん、とルドガーはユリウスの肩口に顔を埋め、苦笑した。
クルスニク一族の悲しい宿命からルドガーを守ろうとしたユリウスの意志も、
世界の、ルドガーのための礎となろうとした想いも、そして終わりの近い命を意味あるものにしたいという願いも、
すべてを踏みにじってなお彼に縋る己に、ルドガーは謝罪の言葉しか出てこなかった。

 「……謝らないでくれルドガー、俺は……」

ルドガーを抱きしめるユリウスの腕に力が篭もる。
そんなに強く抱きしめられると、血まみれの己のせいでユリウスの白い服が汚れてしまうじゃないか、と
ルドガーは疲弊からくる意識の遠のきの中でぼんやりと思った。

 「俺は、クルスニク一族のことでお前に辛い思いをさせたくなかった、魂の橋のことはこれが最善の選択だと思っていた」

でも違ったんだな、とユリウスがはか細い声で零した。
結果的に仲間の命を奪うという、より辛い選択をルドガーに強いることになってしまった、と彼は言う。
彼の腕に篭められていた力が抜けて、自然と顔をあわせる格好となり、
ルドガーの視界に映ったユリウスの優しい微笑みの中には困惑の色が混ざっていた。

 「参ったな……こんな状況だというのに、お前のその想いが、何よりも嬉しいと思ってしまっている自分がいる」
 「兄さん……」
 「お前はいつだって、俺の心を救ってくれるんだな」

こつり、と額と額が触れ合った。
我ながら酷い話だな、とルドガーは思う。
かつての仲間たちの屍の上に己の幸せがあるというのだから。

 「……おいで、ルル」
 「ナァ〜」

ユリウスが惨劇を見守り続けていたルルを呼ぶ。
短く応じる声をあげて、ルルはルドガーとユリウスのもとへとゆったりとした足取りで歩み寄り、すぐ横で座り込んだ。
丸い瞳はユリウスを見上げ、伸ばされた彼の手に顎を撫でられると気持ち良さそうに目を細める。

 「ルドガー、俺はお前の選択を受け入れる。だから、お前の負ったものを俺にも背負わせてくれ」

そう言って、ユリウスはルドガーを支えながら立ち上がった。
ルドガーがちらりとユリウスの顔を見遣ると、彼は紅の海を一瞥してから、ルドガーの方へと視線を戻す。

 「家に、帰ろうか」
 「……うん」

ユリウスが上着を脱いで、ルドガーの肩へとかけた。
彼の上着も幾分か黒ずんでしまっているものの、ルドガーの衣服よりもはるかにいい。
列車に乗ってトリグラフへ帰り、ユリウスとともにあの部屋へ、とルドガーはあの惨劇を意識から遠ざけた。

ビズリーがオリジンの審判に至れば、精霊はすべて彼の支配化におかれるだろう。
そして分史世界もオリジンに消させてなくなる、それはそれでいいのかもしれない。
もし、彼が審判に至らなかったとしたら、いっそ分史世界に逃げてみようか、などとルドガーは考えた。

 「しばらくお前の手料理を食べてなかったから、無性にあれが食べたくなった」
 「トマトソースパスタ?」
 「あぁ……お前が作ってくれるものなら何だって嬉しいんだがな」

ルドガーを支えながら歩くユリウスは、酷く穏かな様相で。
つられるように、ルドガーも微笑して応じた。

リーゼ・マクシアの要人、それどころか国王と宰相を手にかけた以上、真なる平穏を取り戻すことはできないだろう。
それでも、隣の温もりを失わずに済んだのであれば、どんなに茨の道であったとしても、
この選択を後悔することは絶対にないと強く思いながら、ルドガーは歩みを進めた。

心のどこかで、何かが壊れていくのを感じながら。




血まみれの兄弟EDに会話があったら、と考えてできあがったお話。