僣ylotelephium sieboldii


源霊匣の研究に追われる日々は酷く慌しく、睡眠時間も随分削られているような気がする一方で、
この生活は自分らしく、日常に戻ってなおあの旅の延長線上を歩くことができている事実をジュードは嬉しく思っている。
アルヴィンに借りたシルフモドキを通じて知った皆の近況もとても充実しているようだった。
ひとつ残念に思うことがあるとすれば、近頃は彼らと顔を合わせる時間がないことだろう。

 「だめだ・・・・・・今日はもう寝ようかな」

研究資料を纏める作業のために、ここしばらくの間は強行軍できていた。
睡眠時間など必要最低限で、さすがにこの日は押し寄せる眠気を無視できない。
イル・ファン内にある自室のベッドへと倒れこんでしまえば、あっという間にジュードは眠りの底へと落ちていった。



どれぐらい眠ったのかも分からない。
頬に擦り寄る温度に気づいて、ジュードはゆっくりと目を開けた。
その温度の正体は何かと見遣れば白くて小さな姿がそこにある。

 「ん・・・・・・そっか、窓開けっ放しだった」

ちらりと目を向けた窓は開かれたままで、我ながら無用心すぎるなと苦笑する。
改めてジュードを目覚めさせたシルフモドキの足を見れば、手紙が1通結ばれていた。
誰からのものかと開いてみれば、見慣れた文字で簡潔にまとめられた文章がそこに書かれている。

 「えーっと・・・・・・用事があってイル・ファンまで来たー・・・・・・?えっ」

勢いよく上体を起こし、部屋の灯りのもとでもう一度読み直してみた。
そこには間違いなく今イル・ファンに来ていると書いてある。
今はホテル・ハイファンにいるらしく、ジュードは慌しく廊下へと飛び出した。

 「あら・・・・・・ジュード先生おでかけですか」
 「はい、ちょっと知り合いがこっちに来ているらしくて」
 「そうでしたか、どうぞ楽しんできてくださいね」

外へと出ると、通りがかった顔見知りの看護師に声をかけられ軽く言葉を交わすと、早速ホテル・ハイファンへと向かった。
走りこそしないものの、自然と足早になる自分に気づいて何だか少しだけ恥ずかしくなる。
ようやくと到着してロビーの左手側にある併設のバーへと目を向けた。

 「よう」

カウンター席に座っていたアルヴィンがこちらに気づいて軽く手を上げた。
何節振りかと思わず顔が綻ぶのを感じながら、小走りに彼の元へと向かう。

 「何だ、抜けてきたのか?」
 「え?」
 「その格好」

アルヴィンの言葉に首を傾げていると指差された。
改めて今の自分の格好を見ると、研修医用の服に白衣を羽織っている状況だ。
そういえば自室に戻ってすぐにベッドへと沈んでしまったことを思い出す。

 「しかも髪、跳ねてるぞここ・・・・・・そんなに忙しいのか」
 「えーっと・・・・・・いや、まぁ忙しいは忙しいんだけど」

指摘された髪を手で押さえながら、ジュードはぽつりぽつりと事情を説明した。
ここ最近ろくに睡眠をとっていなかったがために、今日は部屋に戻ってそのまま眠ってしまったこと、
手紙を見て慌ててここへやってきたことを順々に話すと、アルヴィンはくくくと笑いを堪えながら肩を震わせる。

 「もう、そんなに笑わないでよ」
 「いや・・・・・・これ、笑うなってほうが無理だろ」

アルヴィンの右手側に腰掛け、ノンアルコールの飲み物を適当にひとつ頼む。
隣では相変わらず笑っているようで、体が揺れていた。

 「あー笑った笑った。ってあれ・・・・・・ジュード、お前まさか拗ねてんの?」
 「別に拗ねてなんか」

にやにやと笑いながらそう問われると、ついついむきになってしまう。
そんなやり取りをしている中、とん、と目の前に頼んだ飲み物が置かれ、ジュードは礼を述べた。
とりあえず飲んで落ち着こうとグラスに注がれているレモネードを口に含む。

 「んーこれはこれで」
 「ん?」

ぽつりと零れたアルヴィンの言葉に、ジュードは彼の方へと顔を向けて首を傾げる。
カウンターに左肘を突き、アルヴィンは左頬を手に乗せてジュードを見遣っていた。

 「いんや?白衣姿のジュードくんもなかなかいいもんだなーってな」

思わずレモネードを吹きそうになったのを寸でのところで堪え、ジュードはどうにか飲み下して咳き込んだ。
じとり、と隣を改めて見遣ると、当のアルヴィンはさして気にも留めた様子もないままこちらを眺めている。

 「・・・・・・アルヴィン、発言が何か親父くさいよ?」
 「親父くさいとは失敬な」

そうは言いつつもさして怒った様子もなく、アルヴィンは笑っている。



つい先日、近況に関しては手紙をやり取りしたこともあって特に目新しい話がないのはお互い様だったようだ。
そんな状況もあってか、話の内容はすっかり旅をしていた頃のあれはこうだった、といった思い出話に摩り替わる。

 「ジュード先生、どうも。休憩中ですか?」
 「ん?あ、こんばんは、その後具合はどうですか」

ふと後ろから声を掛けられて振り返ると、つい先日診察をした丁度アルヴィンと同じぐらいの年齢であるだろう青年が立っていた。
確か彼はイル・ファンの海停で荷物運び中、自分の足に荷物を落としてしまい痛めてしまったと話していたはずだ。

 「先生のお陰でこの通りですよ」
 「それはよかった、でもまだ経過観察中ですからあまり無理はしないでくださいね」
 「心得てますよ、また次の診察もよろしくお願いします」

それでは、と笑顔で去っていく青年の後姿を見送る。
今日は妙に声をかけられるなと思ったが、自分の今の姿を思い出し、それが原因だなとジュードは小さく息をついた。
後方へと向けていた体を改めてカウンターの方へと向きなおして隣へと視線を向ける。
どこか遠くを眺めているアルヴィンに、何を見ているのかと視線の向いている先へとジュードも顔を向けた。

 「・・・・・・さっきの人がどうかした?」

視線の先には、先ほど声をかけてきた青年がロビーから外へと出て行く姿があった。
彼がどうかしたのだろうかと問い掛ければ、少しばかり不服そうな表情で大袈裟な溜め息をつき、アルヴィンが肩を竦める。

 「ジュード先生は随分ともてもてだなぁーって思っただけ」
 「はぁ?!もう、何でそうなるのさ」

アルヴィンは演技じみたように"随分ともてもて"のあたりを強調してくる。
今の会話はどう見てもただの医師と患者とのやり取りのレベルだ。
それがまたどうしてそんなじと目で見られながら、そのような言い方をされなければならないのか。

 「・・・・・・アルヴィン、もしかして拗ねてるの?」
 「別に拗ねてなんかないぞ」

試しに先ほどのお返しとばかりにそう問い掛けてみると、先ほど自分が答えた内容が同じような調子で返ってきた。
他にも何か言いたいことでもありそうではあったが、この調子だと誤魔化されるのが関の山とジュードは追求するのをやめる。
ふぅ、と一息ついたところで、そういえば今日は異常な眠気に襲われていたんだったと思い出したかのように欠伸が零れた。

 「お前疲れてんだろ?無理しないで帰っとけって」
 「んー・・・・・・でも折角アルヴィンきてるのに、もったいないよ」
 「それじゃ、続きはお前の住んでるとこで話すか?そうすりゃ、いつでも寝れるだろ」

確かに部屋まで来てもらえればいつでも寝れるかも、などと低下した思考回路が答えを出す。
考えてみればイル・ファンにいることは伝えてあるものの、具体的にどこに住まいがあるのかをアルヴィンには教えていなかった。
ついでにこの機会に教えておこうかなと、ジュードはアルヴィンの提案を受け入れる。

 「あーっ、ジュード先生だ!」

カウンターの席から立ち上がったところで、ロビーのほうから子供の声がジュードの名を叫ぶ。
少し慌てた様子でその子供にかけよった母親らしき女性が、申し訳なさそうにしながら会釈をした。
確か交易商を営む家族で、カラハ・シャールからイル・ファンに向かう途中で怪我をしたとのだったか、と思い起こす。

 「人気者は辛いねぇ」

そう茶化しながらも、会計はしておくからとアルヴィンに背を押された。
ここは素直に甘えておこうと、ジュードは小さく礼を述べてからロビーのほうへと歩み寄る。
その少年はすっかり元気になった様子で、にこにこしながら見上げてきた。

 「すみません先生、お連れの方がいらっしゃるようでしたのに」
 「大丈夫ですよ。それで、もう発たれるのですか?」

少年の母親が言うには、すでに父親が街の出口で待っているらしい。
ホテルの前までは見送りにでようかと、少年に手を引かれるまま扉を潜った。

 「ちゃんとお母さんの言う事聞いて、もう怪我しないようにね」
 「うん!」
 「ふふ、それでは先生ありがとうございました」

深々とお辞儀をする少年の母親と元気よく手を振る少年をにこやかに見送る。
今日はこの格好で出てきてしまったせいでいつもよりも声をかけられることが多いものの、
元気になって日常へと戻っていく姿を垣間見れるのは、何よりも励みになるものだとしみじみと感じた。

 「・・・・・・さてと」

そろそろアルヴィンのもとに戻ろうと、ホテル・ハイファン前の階段へと振り返ったところで後ろから左手を握られた。
何かと思い中途半端に振り返った体はそのままに、顔だけ後方へと向ける。
そこに立っていたのは先ほどバーで声をかけてきた青年だった。

 「あれ、どうかしましたか?」
 「あ・・・・・・いや、先生今おひとりですか」

首を少し傾けた後、何か用事だろうかとジュードは体ごとその青年のほうへと向きなおった。
また足が痛み始めたのか、それとも次の診察のスケジュールの都合が悪くなったのか、
あれこれと話題となりそうなことを思い浮かべてみる。

 「よかったらこれからお食事でもどうですか、お話したいことがあるんです」

それは話題となりそうなこととして思い浮かばなかった内容だった。
この場で済む話ならよかったものの、さすがにこれから食事というのは無理な話だ。
そんなに大切な話なら日を改めてもらうしかないかな、などと考えているとずしり、と首の後ろから肩にかけて重みを感じた。

 「あれあれーおたくさん、うちのジュードにまだ用事?」
 「アルヴィン・・・・・・あの、すみません」

重みの正体は慣れたもので、アルヴィンの右腕が肩にかけられたものだった。
その小さな衝撃に少し前屈みになった顔を持ち上げて、目の前の青年へアルヴィンの投げやりな態度について詫びる。
しかし青年は突然のことだったせいか、硬直したままだった。

 「仲良くおてて繋いで、どんなお話してたわけ」
 「もう、何ですぐそういう言い方するかな」

何ともいかがわしい物言いに、ジュードは大きく肩を落としながら溜め息をついた。
次いで、ぺしんと短い音をたててアルヴィンがジュードの左手を握る青年の手をはたく。
はっとしたように硬直していた青年が動いて、その手はすんなりと離れた。

すっとアルヴィンの右腕が離れて肩が軽くなる。
一歩前へと踏み出したアルヴィンが、目の前の青年に何かを耳打ちして彼の肩をぽんぽん、と叩いた。
何を話しているのかと首を傾げていると、青年が一歩後退する。

 「あの、お引止めしてすみません、これで失礼します」
 「え、あの」

慌しく一礼すると、その青年はタリム医学校方面へと駆けていった。
結局さっきの話はいいのだろうか、そもそもアルヴィンは彼に何を言ったのかと、
こちらに背を向けたままのアルヴィンへと訝しげな目を向ける。

 「ねぇ、あの人に何言ったの?」
 「ん?大人のオハナシ」
 「そうやって誤魔化す・・・・・・」

振り返ったアルヴィンをじとりと見遣ると頭をぽんぽん、と撫でられる。
俯き気味にもう一度大きな溜め息をつくと、それで、とアルヴィンに話を振られて顔を上げた。

 「どんな話してたんだ?」
 「自分が話したことは言わないくせに・・・・・・話したいことがあるから食事でもどうですかって言われたんだよ」

ちゃんと質問に答えたというのにアルヴィンはその回答に対して露骨なほどに顔を顰めた。
何か変なことを言っただろうかと考えるも、別段おかしなことは言っていないだろうとジュードは首を傾げる。
そんなジュードの反応を見てか、アルヴィンが両手をジュードの両肩に置いて顔を覗き込んできた。

 「お前、それ何て答えるつもりだったわけ」
 「この後用事があるから大事な話なら日を改めてほしい、って言おうとしたらアルヴィンが来たんだよ」
 「・・・・・・天然かよ」

今度はアルヴィンが大きく肩を落として俯きながら溜め息をついた。
一瞬の間を置いて体を起こしたアルヴィンは先ほどと同じようにジュードの肩に右腕をまわし、顔を寄せる。

 「それ、誰がどうみてもデートのお誘いだろ・・・・・・お前かわいい顔してんだからもうちょっと用心しろって」
 「・・・・・・えっ」
 「はぁー・・・・・・勘弁してくれよ、そっち方面は完全に天然なのな、お前」

あれは本当にそういうことだったのだろうか、と右手の人差し指をこつん、と頭について首を傾げる。
よくわからないが、その手のことには慣れていそうなアルヴィンが言うのだから、そうだったのかもしれない。

 「ったく、ほら行こうぜ」
 「え、あぁうん」

すっかり考え込んでしまっていたことにはっとして、ジュードは住まいのある方向へと歩き始めた。



後日、あの青年の診察をした際には随分と萎縮してしまった様子で、
本当にアルヴィンは何をしてくれたのかと、ジュードは誤魔化された時に追求しておくべきだったと後悔した。




アルヴィンの大人気ない威嚇行動。
ジュードは色恋沙汰には鈍い&疎い気がしてならない。
因みにタイトルはお花の名前です。