僂amellia sasanqua


ソグド湿原に出現したという強力な魔物を討伐しに、シャン・ドゥから川を下って探索していた折のことだった。
シャン・ドゥの宿を出た時には晴天だった天候が、探索中に突然翳り始めた。
いつ大雨がきてもおかしくないのではないかという、それぐらいに濃い色の雲が流れている。
かなり進んではみたものの目標らしい魔物の姿はなく、雨が降り出す前に戻ろうかと思ったところで、頬に一滴の雫が落ちてきた。

 「ジュードー雨降ってきたよー?」
 「うん、今日はもう仕方ないから引き上げよう」

レイアの言葉にそう返すと、今来た道を戻り始めた。
次第に強まる雨足に、地面の泥濘も酷くなる。
急いで戻りたいとは思うものの、歩きにくいこの地面になかなか進めずにいた。

 「視界が悪くなってまいりましたね」
 「この状況での戦闘は避けたいところだ」

ローエンの言葉にミラが相槌を打つ。
そうこうしているうち、どうにか船着場まで到着した。
船頭の老人もこの雨の中待っていてくれたようで、まずは礼を述べる。

 「よし、じゃあ急いで戻ろう」

まずはエリーゼ、レイア、ミラと女性陣を船に誘導した。
それにしてもこれほどの豪雨などどれぐらいぶりだろうか、とジュードは冷えてきた体を抱え込む。
川の水面には無数の雨雫が打ち付け、到着した折のあの静やかな様子からは一転していた。

そんなことを考えているうちに女性陣は3人とも船にあがったようだ。
次いでローエンがその船の縁へと手をかけた時のことだった。

 「む・・・・・・ジュード、・・・・・・」
 「え、何?」
 「ジュード!」

ミラが船上から声を張り上げる。
名前を呼ばれたのは分かったものの、その後の声は湿原の水溜りと川の水面を打つ雨音に掻き消された。
もう一度言ってほしいと言おうとしたところで、
ジュードの左斜め前あたりに立っていたアルヴィンに鋭く名前を呼ばれて左肩を掴まれる。

何かと思いアルヴィンを見上げると、ジュードの後方を見て慌てている様子だった。
そして掴まれた左肩をそのまま押し込まれ、足元の泥濘に嵌って体が右の方へと倒れこむ。
どうにか体を捻り、仰向けに倒れこむ格好となった。

 「・・・・・・え」

条件反射で瞑った目を開くと、雨で霞んだ視界の中にアルヴィンの姿を捉える。
それともうひとつ、魔物らしき影が彼と接触していた。
その影が数歩後退すると、ぐらりと彼の体が傾いて、そのまま地面へと伏す。
一瞬で雨に流されてしまったが、その魔物の角は朱く濡れていた。

 「ア・・・・・・アルヴィン!」

慌てて立ち上がり、アルヴィンのもとへと駆け寄った。
魔物はローエンのゼヴァードフェイトを受けて怯んだのか、更に数歩後退する。
完全に、雨音と水の匂いに惑わされて、魔物が近づいていることに気づけなかった。

 「アルヴィン、アルヴィン!」

アルヴィンの上体を抱えると、くたりと彼の頭が左肩のあたりに寄りかかる。
その顔は真っ青で、腹部はコートの内側に着ているシャツが鮮血で染め上がっていた。
自分のせいだと、ジュードは頭が真っ白になる。

そうだ今は止血しなければと、ジュードは汚れてしまった右手を服で拭ってからアルヴィンの腹部へと翳す。
その赤はどんどん彼のシャツの上を広がり、ジュードの右手の震えも止まらない。
出血が酷い、そしてこの大雨の中で彼の体温がどんどん奪われてしまう。

 「ジュード、手伝うよ」

船から降りてきたらしいレイアとエリーゼが向かい側へと屈みこむ。
どうやら先ほどの魔物はミラとローエンが対処してくれているようだった。
レイアとエリーゼの手がジュードの手元へと伸びてくる。

 「・・・・・・僕の、せいだ」

しっかり周囲を警戒していれば、もっと早く探索を切り上げていれば。
そんなことを考えている場合ではないと分かっていながらも、弱音が口から零れた。
動揺しすぎて術も安定しない、手元の光は強まったり弱まったりを繰り返している。

 「し、しっかりしてよジュード・・・・・・3人がかりなんだから、大丈夫だってば」
 「アルヴィンは頑丈だからへいき、です・・・・・・」

レイアとエリーゼに励まされるが、2人の声も震えていた。
地面までは広がっていないため貫通こそしていないようだったが、それにしても十分傷は深い。
術に集中しなければと思いながらも精神状態は大荒れで、ジュードは俯きながら唇を噛み締めた。



魔物の処理が終わったミラとローエンの手助けを受けてアルヴィンを船へと乗せると、
シャン・ドゥへと急いで戻り、宿へと向かった。
ようやく精神的に落ち着いてきたのか、とりあえずアルヴィンをベッドへ寝かせてから
他のメンバーにはお風呂を勧める程度には気を回せるようになった。

今日の宿は2部屋、男女で分かれてこちらの部屋に備え付けられた風呂は今ローエンが使っている。
すっと伸ばした手の触れたアルヴィンの額は、とても熱かった。

 「・・・・・・熱い」

水分を含んだ服を着替えさせるのはなかなか難しかったが、どうにか清潔な服に着替えさせた。
止血自体はソグド湿原の時点でできていたが、それでも出血の量を考えればまだ安心できる段階ではない。
体温を失った体は、今度は急激な熱を持ち始めていた。
これだけの怪我を負えば、その傷の修復のために体温が高くなってしまうのは仕方がない。
体温を失ったままでいるのに比べれば、本人は辛いだろうが熱を出したほうが回復傾向という意味でまだいい。

 「ジュードさん、体を冷やしますよ」

肩を落として俯いていると、風呂場へと繋がる扉が開いた音の後にローエンの声が聞こえた。
顔をあげて振り返ると、前髪が額に張り付いて水滴が頬を流れる感触に気づく。
そういえば戻ってきてから髪もろくに拭いていないどころか、服も着替えていなかった。

 「これでは医者の不養生です」
 「うん、そうだね・・・・・・」

苦笑して返したつもりが、笑えていなかった気がする。
改めてベッドの方へと向きなおし、アルヴィンの右手を取った。
脈は少し速い、あの出血で貧血気味になっているせいかもしれない。

 「・・・・・・湿原で、動揺して全然術が使えなくて・・・・・・。レイアとエリーゼがいなかったら、助けられなかった」

これでは何のために医学生なんてやっていたのだろう、と震える両手でアルヴィンの手を握った。
かつ、かつ、とゆっくりとした歩調で靴音が響く。
音は真後ろで止まり、次いで冷え切った体に温かな手が触れた。
両肩に置かれたのはローエンの手だった。

 「何もひとりですべてをこなす必要はありません、借りれる力を借りて最善を尽くすことの何が悪いのでしょう」
 「・・・・・・でも」
 「怪我の原因に責任を感じていることは私も理解していますとも。
  ただ、その責任をひとりで取れなかったことを責める必要はありません、最悪の結末を回避できたのならそれで十分です」

互いに助け合うことなど、これまでもやってきたことではないかと、ローエンに優しく諭される。
それは分かっているが、肝心な時に動けないようでは今まで学んできたことなど無意味だったのではないか。
そう思わずにはいられなくて、己の無力さを痛感する。



ミラとレイア、エリーゼがお風呂からあがり、こちらの部屋へくるなり、
ずぶ濡れのまま髪も拭かず着替えずにいたことをレイアに怒鳴られ、
引き摺られるように部屋に備え付けられている風呂場へと連行されて放り込まれた。
医者の不養生とは確かにローエンの言うとおりで、ずぶ濡れで張り付く服を脱いでいると気だるさを感じる。

 「・・・・・・風邪引いたかも」

風邪なんて引いてる場合ではないのに何をやっているんだかと、情けない自分に毒つく。
体の汚れを落として湯船に浸かると、頭がぼうっとした。
別段狭い湯船というわけでもないのに、気づくと膝を抱え込んている。

 「あーもう・・・・・・」

今日はてんでだめだった、空が陰ってきた時点でもう探索を切り上げるべきだった、とか、
土砂降りで視界不良は分かっていたのだから、いつも以上に周囲への警戒に努めればよかった、とか、
もっと速やかに止血を済ませて魔物の始末へ加勢できればもっと早く戻ってこられたのではないか、とか。
とか、とか、とかと、次から次へと問題点を取り上げれば取り上げるほど、気持ちが沈んでいく。

両手で顔を覆って、肘は膝につく。
レイアとエリーゼにも随分と情けないところを見せてしまった。
本当なら彼女たちをフォローするぐらいの気持ちでいなければならなかったのに。
ローエンにも随分と気を遣わせてしまったし、ミラはミラでレイアとエリーゼを気にしてくれていた。

 「はぁ・・・・・・」

外から聞こえてくる雨音を遠く聞きながら、ジュードは大きな溜め息をついた。
目を瞑ってただ雨音に耳を傾けていると、扉越しにレイアの声が聞こえてきた。

 「ジュードー、着替えここ置いとくよー?」
 「あ、うん。ありがとう」

そういえば脱衣室に放り込まれた時、着替えの準備をする間もなかったことを思い出す。
座っていた椅子から引き摺り上げられてそのまま連れて行かれたのだから当然といえは当然だ。
今日は本当に皆へ気を遣わせすぎてしまっているなと、再びジュードは溜め息を零した。



アルヴィンのベッドサイドの灯りだけ点けて、ジュードはその明かりを頼りに本を読んでいた。
ローエンは何かあれば起こしてくださいと言い残して、今は睡眠をとっている。
女性陣3人も隣の部屋で今頃は夢の中だろう。

アルヴィンの呼吸は浅く速い、体温も未だ高い。
そして魘されているように小さく唸っている。

 「・・・・・・アルヴィン」

栞を本に挟んでナイトテーブルに置いた。
椅子から立ち上がって眉間に深い皺の寄っている顔の汗をタオルで拭う。
見るからに苦しそうで、両手で顔を包み込むようにして頬へと触れた。

 「ごめんね」

自分のせいでごめん、とジュードは呟く。
今ならきっとばれない、そう思って徐にジュードは顔を近づけてみた。
こつん、と額と額を触れさせてみると、改めてその熱が伝わってくる。
閉じられた目が近い、鼻が触れそう、吐息が絡まる。
こんな状況なのに自分は何をしているのだろうと現実に戻ってみたりもしたが、
最近気づいてしまった仄かなその感情も相まって、離れられなかった。

 「アルヴィン」

小さな声で名前を呟く。
返事などあるはずはなくて、ジュードはゆっくりと目蓋を閉じた。

 「・・・・・・ド」

はっとして、目を開いた。
しかし目の前にあるのは相変わらず閉じられた目蓋で、ジュードは少し顔を浮かせる。
起きた様子はない、でも確かに聞こえたのはアルヴィンの声だった。

 「・・・・・・アル、ヴィン?」

口元が何かを紡いでいる。
途切れ途切れの声に、何を言おうとしているのかアルヴィンの口元を見つめた。

 「じゅーどけがはない・・・・・・か」

読み取った唇の動きに音を乗せてみた。
音にしなければよかったと、後悔するほどにその言葉はジュードの心に突き刺さる。
こんなに苦しそうにしているのに人の心配なんてと、もう言葉にならなかった。
噛み締める唇が痛い、あぁ今すごく泣きそうだ、と妙に客観的なことを考える。

アルヴィンの右頬に触れていた手を右肩へと移して、頬を寄せてみた。
耳元に口を寄せて、問いかけへの答えを呟く。

 「僕は平気だから・・・・・・早くよくなって」

前屈みになっていた体を起こして、アルヴィンの体から手も離す。
座っていた椅子に座りなおして本を手に取ると、彼の右手を自分の右手で握りながら読書を再開した。



気づかぬうちに眠りこけてしまったらしく、はっとして目を開けると視界に映ったのはシャン・ドゥの宿の天上だった。
慌てて上体を起こして部屋の中を見ると、ローエンの姿どころかアルヴィンの姿もない。
さすがにあの高熱ですぐに動けるようになるとは思えず、小さく首を傾けた。

 「お、ジュードくんおはよう」

突然かけられた声は、目を向けていた部屋の中心の方ではなく、少し後ろの方から発せられた。
びっくりして振り返ると、ベッドサイドに寄せられた椅子に腰掛けるアルヴィンの姿があり、小さく手を振られた。

 「な・・・・・・え、アルヴィンもう動いて大丈夫なの?」
 「言うと思ったよ・・・・・・あのなぁ、お前は俺の看病中に眠りこけたまま、風邪で高熱だしてかれこれ2日寝込んでたんだよ」

だから大人しく横になれ、と椅子から立ち上がったアルヴィンが数歩前へ出て、両肩を掴まれて後ろへ押し倒された。
ぽすっと軽い音をまくらがたてて、その瞬間に頭がくらりとする。

 「2日でも横になってないと、出血ひどかったんだし」
 「病人に言われてもね」
 「茶化さないでよ、本当に・・・・・・」

心配したんだから、とぽつりぽつりと零す。
とはいえ、元々その原因は自分だったこともあって、あまり強くは言える立場ではない。

 「あー・・・・・・悪い」

さすがに申し訳ないと思ったようで、ジュードの右肩を掴んでいた手を頭へと持っていきながらアルヴィンが詫びる。
左肩を掴んでいる彼の右手首を握って脈拍を調べてみると、特に異常はないようだった。
ジュードが手を離すと、彼の手も肩から離れていった。

 「・・・・・・お前、あの時怪我はなかったのか?」

それは覚えのある問いかけだった。
本当に気にしてくれていたのだろう、そう思うと申し訳なさと同時に胸がざわつく。

 「それ、アルヴィンが眠ってる時にも聞かれた」
 「は?」
 「寝言で、聞かれたんだよ」

驚いたように目を見開いた後、アルヴィンは少しだけ目を逸らした。
照れ隠しだろうかと、ジュードは微笑みながら見上げる。

 「それ、お前返事した?」
 「うん、僕は平気だから、はやくよくなってねって・・・・・・それがどうかした?」
 「・・・・・・あー」

その反応の意味するところはよく分からなかった。
何かと尋ねれば、夢で見たという答えが返ってくる。
一瞬、あの時実は起きていたんじゃないかとひやりとしたが、別段そういうわけでもなさそうだ。

 「・・・・・・ねぇ、アルヴィン」
 「ん?」
 「ごめんね」

ベッドサイドの椅子に再び腰掛けたアルヴィンへそう呟くと、彼の右手に前髪の辺りをがしがしと撫でられた。
その感触が気持ちよくて、少し気恥ずかしい。

 「夢の中で、お前が泣きそうな顔してずっと謝ってた」

だからもう謝らなくていいと、アルヴィンは少し困ったように笑う。
もう一度椅子から立ち上がると、彼が上から見下ろしてきた。
がしがしと撫でていた手は前髪を避けるように動いて、額に直接触れる。

 「熱、まだあるから眠っとけ」
 「・・・・・・うん」

あぁ本当に風邪をこじらせたのか、などと他人事のように思いながらゆっくりと目蓋を閉じる。
とりあえずアルヴィンが回復したのであればそれでいいやと、ジュードは意識を手放した。




ジュードはお風呂とかで一人反省会をしているタイプだと思う。
あと、面倒見のいいレイアが好きです、ほんと良い子だと思うし友達になりたいタイプ。
タイトル今回もお花の学名なんですが、後半部分がそのまんまという。