傳ellis perennis


今晩の滞在地はイル・ファンだ。
ここ数日で受けていた依頼を一通りこなし終えたところで、今日はこのまま宿をとることにした。

今となっては指名手配も解除されて、医学校の関係者やかつて診察の対応をした患者との会話も大分しやすくなった。
とはいっても、指名手配中も彼らの多くは大丈夫なのかと問うたり、何も見ていないから逃げろと言ったりと、
別段邪険にされてしまっていたというわけでもなかったが。

 「イル・ファンってほんと綺麗だけど、やっぱり生活リズムがね・・・・・・」
 「うん、僕も久し振りだとちょっとね・・・・・・でも前も話したけど、食事の時間を規則正しくすれば大丈夫だよ」

がやがやと人の賑わう中央広場を歩きながら呟くレイアに相槌を打つ。
夜域のイル・ファンにおいていかに規則正しい生活をするのかが、この街に長く滞在する人間にとって大きな課題となる。
その点では学校へ通っている間は毎日同じ時間に起きて同じ時間に学校へ行くという
決まりきったスケジュールがあるためこの街には馴染みやすかったのかもしれない。

イル・ファンのホテルは綺麗でとても豪華だ。
他の街の旅人を受け入れる宿とはそもそも違い、ここは観光客などの富裕層が利用するような場所のため、
部屋も小さな個室がどうしても多く、6人という大所帯にはなかなか利用しにくい。

 「申し訳ありません、6名様ですと本日は2人部屋が2つと1人部屋が2つになってしまうかと・・・・・・」

1人部屋が6個と言われるよりはよかった、とここは思うべきなのだろうか。
さすがに連日依頼をこなすために強行軍できた手前、椅子で寝るという選択は誰もしたくないはずだ。
高くついてしまうが、そもそも体をしっかり休められなければ宿を取る意味もない。

 「・・・・・・というわけで、今日は2人部屋と1人部屋を2つずつになったよ」
 「そうか、それなら私は1人部屋を使うとしよう。今日は四大と少し話したいのでな」

特に異論もなく、ジュードは1人部屋の鍵を1本ミラへと渡した。
そして彼女が1人部屋なのであれば、レイアとエリーゼが相部屋ということになる。
本人達も含めてこちらも異論はないため、レイアに2人部屋の鍵を1本差し出した。

 「んじゃ俺1人部屋」
 「おやおや、私も1人部屋を狙っているのですが」
 「・・・・・・なんだろう、この疎外感」

アルヴィンとローエン、2人揃って1人部屋希望とは思わず自分との相部屋が嫌なのだろうかなどと考えてしまう。
いっそ間をとって自分が1人部屋を使ってやろうかと思ってしまった。

 「アルヴィンさんに1人部屋はいけませんよ・・・・・・ジュードさんが見張ってないと」

一瞬アルヴィンが息を呑んだ。
ローエンにしては随分と直球すぎる物言いだなとジュードは少し不思議に思ったが、
ジュードの手からすっと1人部屋の鍵を取り上げるなり翁の笑みを浮かべる。

 「物事をすべて悪い方に捉えて、ひとりで勝手に塞ぎこんでしまいますからね」
 「・・・・・・なっ、んだよそれ」
 「ほっほっほ、それでは」

陽気に笑いながら颯爽と歩き去っていくローエンの後姿を見送る。
わざわざあそこで拍を置くとは意地が悪い、というよりはちょっとしたいたずら心、ぐらいなのだろう。
すぐ横で大きな溜め息をつきながらアルヴィンが髪を掻き揚げた。

 「・・・・・・えーっと、ごめんねアルヴィン。もう2人部屋の鍵しか残ってないから、今日は僕と相部屋ね」

ちゃらり、と軽い音をたてて、つまみ上げた鍵をぶらりと揺らした。



部屋で荷物をとくと、先日入手した学術書を荷物から取り出す。
アルヴィンはこちら側のベッドに背を向けるようにしてもう片方のベッドの縁に座り、大剣の手入れを始めていた。
空いているほうのベッドに座って読もうかとも思ったが、大剣の手入れのせいで少し前屈みになっている
アルヴィンの背中が少し寂しげに見えて、ジュードはそんな背中に寄りかかるようにして腰掛ける。

 「ん、どうしたよ」
 「・・・・・・アルヴィンの背中に哀愁が漂ってたから」
 「なんだよそれ」

苦笑交じりの声色でそう答えながらも、アルヴィンは先ほどまでよりも深めに腰を下ろしなおした。
寄りかかりやすいようにと動いてくれたのだろう、微妙に開いていた隙間が埋まり、
腰の辺りから背筋にかけて丁度よく寄りかかれている。

 「・・・・・・」
 「・・・・・・」

その後は特に会話もなく、ジュードは膝の上で開いた本の文字を目で追う。
しばらくして後ろから聞こえてくる音が変わり、どうやら大剣の手入れは終わり、今度は銃を見ているようだ。

それは何ページ目を捲ったタイミングだったか、後ろから大きな溜め息が聞こえてきて顔をあげる。
顔だけ振り返るようにして、肩越しに後ろを見遣れば、彼の肩はなだらかなカーブを描き、
後頭部があまり見えないあたり、少し前屈みに俯いているようだった。

 「・・・・・・どうしたの」

いや、と小さく呟く声が聞こえたような気がしたが、それは聞き間違えだろうかと思う程に小さい声だ。
しつこく尋ねたほうがいいのだろうか、それともそっとしておいてあげたほうがいいのだろうか。
そんなことを考えながら再び本へと視線を落とすも、いまいち字面が頭に入ってこなかった。
やはりもう一度尋ねてみるかと、本に栞を挟んで顔をあげたタイミングに、アルヴィンのほうから話を切り出された。

 「なぁ、お前ってどうして何でもかんでも受け入れられるんだ?」

随分と唐突な問いかけだった。
それと同時に、この話はアルヴィンが以前からジュードに対して気に入らないと思っていた部分のことだったはずだ。
わざわざそんな話題を、盛大な溜め息の後に振ってきた理由は、自分に対する嫌悪なのだろうかなどと、
思わず少し悪い方向へ考えてしまったが、それはそれと一旦置いておく。

 「多分、僕はそういう人付き合いの仕方しか知らないんじゃないかな」

ぱたん、と小さな音をたてて閉じた本の表紙に組んだ両手を置く。
受け入れていれば、いつか自分のことを相手も受け入れてくれるのではないか、
現状を受け入れたうえで次のことを考えたほうが、同じ境遇の相手に取り残されないのではないか。
良く言えば柔軟、悪く言えば優柔不断、ただそれは自分で納得してしまえば生きやすい方法だったのは事実だ。

 「・・・・・・けど、さすがに僕だって受け入れられないことはあるよ?他の人よりボーダーラインが低いのかもしれないけどね」
 「ふうん」

尋ねられたことには誤魔化さずに答えたはずというのに、返ってきたのは随分と投げやりな相槌だ。
これでは答え損だなと思ったが、ふっと背中から体温が離れ、考えを中断してジュードは振り返ろうとする。
しかし振り返る前にどういうわけなのか、再度背中に温かさを感じた。

 「えーと、アルヴィン?」
 「これは?」

問われたことは、この状況は受け入れられる側か受け入れられない側か、ということなのだろうとは理解できた。
後ろからまわされたアルヴィンの腕が腹部の辺りで交差して、強い力で後ろから抱き込まれている。
頭が重いのは、彼の顎が頭に乗っているからだ。

 「まぁ、別にいいかな」
 「へぇ」
 「さすがに誰からでもっていうわけじゃないよ?知らない人に突然やられたら、条件反射で殴っちゃうかもしれないし」

先ほどと同じように発せられた相槌のあと、頭から重みが離れた。
しかし次いで、その重さは左肩に落ちてくる。
再び問い掛ける声とともに吐き出された息が耳を掠めてくすぐったかったが、その点を除けば先ほどと大差ない状況だ。

 「これ、さっきとあんまり変わらないよね」
 「ま、そうだな」
 「肩凝りそうだから、長時間じゃなければいいんじゃないかな・・・・・・相手によるのは同じだけど」

ふうん、という相槌は相変わらずだったが、言外に何か思うところがありそうな声色ではあった。
ただその声色の意味するところまでは読み取れず、そしてこの問答はまだ続くようだ。

 「・・・・・・っ、ちょ」

一瞬何をされたのか分からず、体がひくりと揺れた。
間を置いて、温かな何かが耳の付け根に触れたと理解し、触れたものの正体もおよそ予想はつく。
この流れは予想外で、更にその体温が耳を塞ぐように、直接耳に声を流し込むように触れて問い掛けてきた。

 「ん・・・・・・っ、それ、セクハラじゃないの」
 「お、ボーダーライン越えちゃった?」

アルヴィンが顔を少し引いて、とぼけたような声でもう一度問うてくる。
無意識に体に篭もってしまっていた力がふっと抜けた。
一体何がしたいんだと、少しげんなりしつつも回答に迷う、どう答えたものか。
今嫌だったかというとそこまで嫌でもなかったと思っている自分がいることに気づいて、何とも言えない気分だ。

 「理由が嫌がらせなら、嫌かな」
 「嫌がらせじゃなきゃいいのかよ」
 「・・・・・・相手による」

俺はいいの?なんて聞かれるだろうかと様子を窺うも、アルヴィンがそう詰めてくることはなかった。
多分彼はジュードのことを試しているのだろうと、測っているのだろうと察しはつく。

ボーダーラインを越えたと判断したら、先ほどのようにそれとなく誤魔化して、
かといって他の人間ならいいが彼にされるのは嫌だ、という決定的な拒絶を恐れているのだろう。
積極的のようで随分と不器用で、臆病なやり方だと思った。
余程のことでもなければ、拒絶などしないというのに。

 「じゃ・・・・・・これは」

次は何かと思えば、アルヴィンの左腕が体から離れた。
少しの間を置いてから再び彼の顎が左肩に乗せられて、左胸のあたりで何かがかちゃりと音をたてる。
何を思ってこんなことをしているのだろうかと、少し頭を右に傾けて彼の顔を窺った。

目を伏せるその表情はどこか悲しそうな、寂しそうなもので、
どうしてそんな顔をしながら、震える手で彼は銃口を突きつけているのだろうと考える。
わざわざ傷を抉って塩を塗りこむような行為をして、自戒でもしているつもりなのだろうか。

 「その位置で撃つとアルヴィンも死んじゃうから、これはだめだよ」

本来なら彼の左胸は自分のそれより高い位置にあるはずだが、
今は彼の顔が肩のあたりにあって、少しだけ背を屈めている状態だ。
その状態でもしもあの銃が放たれれば、自分だけでなくて彼の左胸も貫通するだろう。
それは許容範囲外だ。

組んだままにしていた手を解いて、右手でその銃身をやんわりと握って下ろさせる。
空いている左手で、緩くグリップを握っている彼の震える左手を離させ、シーツの上に銃を置いた。
その重みを受けて銃が少しベッドへ沈む。

 「なんだよ、それ」
 「アルヴィンは僕に拒絶してほしいの?」
 「・・・・・・っ」

拒絶されず、好意を持ってくれているのか、それとも本当は心のうちで拒絶しているのかという期待と不安の間で、
それぐらいならいっそはっきり拒絶してくれた方が諦めがつくし楽になれるのではないかと、
アルヴィンはそんなことを考えているのだろうか。
そしてその一方で、それでもやはり明確な拒絶が怖くて、
詰めるような問いかけができずにいる、そんなゆらゆらとした不安定さがあるように感じた。

耳元で息を呑むのが聞こえる、どうやら図星のようだ。
きっと彼にとっての、ここまで繰り返されてきた問いかけへの回答の正解は、
どうしてそんなことをするんだという怒りや恐怖といった感情を彼に対して向けることだったのだろう。
思いのほか低すぎた自分のボーダーラインに、あの最後の問いはなけなしの切り札だったのかもしれない。

肩から重みが離れ、自分を抱え込んだままだった彼の右腕も離れた。
途端、左肩を後ろに引かれて、ぽすりと状態がベッドへと倒れる。
膝にあった本が取り上げられて遠くにばさりと落ちる音がした、きっとアルヴィンが向こうのベッドへ投げたのだろう。

 「これでも、お前は・・・・・・っ」

仰向けになっている体の上に馬乗りになられて、アルヴィンの両手が胸倉を掴んでベッドへと更に押し付けてくる。
息苦しいが、唇を噛み締めて泣きそうな顔をしている彼の顔を見ているほうがよほど苦しい。
彼の状態が前屈みになり、ごつんと額と額がぶつかって少し痛かった。

 「ごめん、僕にはアルヴィンのこと拒絶できない」

目を細めながら、視界の大半を占めるアルヴィンの顔へ、瞳へと視線を向ける。
あぁ今自分は少し期待しているんだなと、今更になって気づいたことがあった。
この限りなく近い彼との距離は、あとどれ位まで縮まるのだろうなんて、思ってしまっている自分がいる。

 「・・・・・・まじ、そういうのやめろよ」

期待してしまうだろう、ときっと言おうとしていたのだろうと思った。
震えた声はその前で途切れてしまって、更に距離が詰まったのはほんの一瞬のことだった。

アルヴィンの顔が少し傾く、唇に触れた感触は少しだけかさついている。
胸倉を掴み押された状態のままだったせいで、余計頭が酸欠でぼうっとしてきた。
こういうことには慣れていないから、呼吸もままならない。

 「ん・・・・・・ぅ」

苦しくて、どうにか持ち上げた右手でアルヴィンの胸を数回叩いた。
反射的なものだったのか、彼の顔が少し持ち上げられて小さなリップ音を残して唇が開放される。
口で大きく息を数回つくと、休憩は終わりだと言わんばかりに再び彼の顔が近づいた。

 「んっ・・・・・・ぁっ、ふ・・・・・・っ」

開いたままだった唇の合間を熱が通り過ぎて、何が起きたのかと目を少し見開く。
目の前にあるのはアルヴィンの細められた瞳だった。
どうしてそんな悲しそうな表情でこんなことをしているのだろうと、ただでさえ再び苦しくなった呼吸が更に困難になりそうで。
まもなくして完全に閉じられた目蓋の裏で、今もなお拒絶される瞬間を待っているのだろうかと
酸欠でまともに動かない頭でぼんやりと考えた。

しかしそんな脆い思考状態など、口内に侵入してきた熱に淘汰されているうちに途切れてしまう。
頭がもう真っ白で、自分の舌が彼の熱に絡め取られ、まるで電流が背筋を流れていくかのようだ。
こんな感覚は知らない、知らないものへの不安を俄かに感じたところで、再び唇が離れる。
思い切り吸い込んだ空気は濁流のように流れ込み、思わずごほごほと咳き込んだ。

 「・・・・・・っ、ごほっ」
 「気持ち悪かっただろ、嫌だって押しのけろよ・・・・・・何で、抵抗しねぇんだよ」

ようやく咳が落ち着いてきて、それでもまだ乱れた呼吸は浅く速い。
胸倉を掴んでいたアルヴィンの手がようやく緩み、深呼吸を繰り返した。
上体を起こして項垂れる彼の表情は見えない。

 「だから、さっきも言ったよ僕、アルヴィンのことを拒絶できないって」

両肘をベッドに突いて、くらりとする頭を持ち上げて起き上がる。
馬乗りになっていたアルヴィンは体をずらしてすぐ左横に寝転がり、その反動でぎしりとベッドが軋んだ。
起き上がってから数回の空咳のあと、体を横に捻って彼の方を向く。
仰向けに寝転がり、目の辺りを左肘で覆っている。

彼のことは好きだなと思ってはいたものの、その種類は今まで自分で思っていたものと少し違ったようだった。
寝転がったまま動かないアルヴィンに思わず苦笑する、本当にどうしようもない、見ていないと足を踏み外そうで。
ローエンの言葉はご尤も、見張っていないと勝手に塞ぎこんでいってしまいそうで危なっかしい。

 「アルヴィンって、基本的に強引で強気なのに、妙に自虐的だったりしてよく分からないよ」
 「・・・・・・俺にMっ気はねぇぞ」

まだ少し弱っている声色ながらも、言っている言葉は普段の反応で、
その落差が何だかおかしいなと、ジュードは小さく笑った。

多分、お互い持ってる感情は同じなのだろうと思う。
ベッドの外に投げっぱなしになっていた足ごとベッドへと上がり、
アルヴィンの側によってぼさついてしまったその頭をそっと撫でた。

 「・・・・・・何か、僕たちって本音ぶつけ合うの下手なんだろうね」
 「かも、な・・・・・・いやージュードくんは大人だねぇ、けどああいう時は鼻で息するんだぜ?」

目元を覆っていた腕をぽすり、と音をたててベッドへと投げやりながらアルヴィンが眉尻を下げて笑っている。
そんなことを唐突に言われ、今更になって顔が熱くなってきてしまい、ジュードはふいっと顔を背けた。




R-18は読み専なのでこれが限界なんです、あまあま期待してた方すみませんすみません。