僣elleborus


先日トリグラフを訪れた折にいくつか依頼を受けていたため、
この日は一通り依頼をこなし終えた後、その報告のために再びトリグラフへと立ち寄った。
依頼内容には魔物の討伐やヘリオボーグ基地へ小荷物を届けるといったもので、
さしあたって討伐対象となっていた魔物が案外と強力で、体力の消耗が激しかったことに街についてから気づく。

 「報告はこれで終わりかな・・・・・・はぁ、今日は何だか疲れちゃったね」
 「つーかーれーたー!もうダメッ!」

最後の報告を終えてトリグラフの街並みの中、ティポが疲労を訴えた。
つまるところ、エリーゼがかなり疲弊しているということなのだろう。

 「今日はもうバランのところで休もうぜ」
 「ふむ、ではそうしようか」

さすがにこれからリーゼ・マクシアまで戻る元気もなければ、既に時間も夕暮れ時だ。
ここはアルヴィンの提案に異論を唱える者もおらず、バランの住まいがある方向へと歩き始める。
口にこそ出さなかったが、ジュードとしてはバランの家に世話になれるのは願ったり叶ったりでもあった。
以前から彼には聞いてみたいことがあったため、彼のところに行けるのは大いにありがたい。

バランがヘリオボーグ基地に行っていて留守の可能性も考えたが、
今日まさにそこへ行ってきたものの彼の姿はなかったため、恐らくは自宅で仕事をしているのだろう。
万が一留守だったら宿無しということになってしまうこともあり、ジュードはあまり彼が留守の可能性を考えたくなかった。

 「あれ、いらっしゃい」

昇降機で2階へあがり、バランの住まいを訪れた。
かちゃりと音をたてて開いた扉の向こうからバランの姿が覗く。
とりあえず在宅だったことに胸を撫で下ろしながら、ジュードは今晩の宿をお願いできるかと訊ねた。

 「いきなり押しかけちゃって本当に申し訳ないんだけど・・・・・・今夜泊めてもらえないかなって」
 「あぁ全然構わないよ、君たちならいつでも大歓迎だ。なんてったって、アルフレドが世話になってるしね」

何だその言いようは、とげんなりとした様子でアルヴィンが言葉を返すも、バランはいつも通りははは、と笑う。
どうぞ、と中へと招かれてバランの家へと足を踏み入れた。



すっかり疲れてしまっていたエリーゼは夕食まで横になるといって、今頃付き添っていたレイア共々夢の中だろう。
ミラとローエン、アルヴィンは大量に消費してしまった消耗品の補給のため、買い物に出ている。
そしてジュードは今、台所で今夜の食事の準備に励んでいた。

 「お、やってるね」

台所であれこれと夕食の準備を進めていると、後ろからバランの声が聞こえてきた。
いかにも、匂いに釣られてやってきましたといった様子で近づいてくる。
火にかけてある鍋には7人分のシチューが、コトコトと煮えている。

どうしてジュードが夕食を作っているのかといえば、
さすがにいきなり押しかけておいて何もしないというのも礼儀がなっていないと思ったというのがまずひとつ、
そしてもうひとつは以前からバランに聞きたかったことを聞くために食事の準備係という役割がジュードには必要だったからだ。

 「丁度よかった、バランさんにお願いしたいことがあるんだ」
 「うん?」

ジュードは今しがた完成してオーブンから取り出し、調理台の隅で冷ましているものを指差した。
僅かに首を傾げながらも、ジュードの指が示す方向へとバランが目を向ける。
そこにあるのは、さっくりと狐色に焼きあがったピーチパイだ。

 「へぇーデザートまで作れるなんて、ジュードくんは一家に1人欲しい逸材だねぇ」
 「あはは、そんなに大したものは作れないけどね」

大袈裟なバランの物言いに、ジュードは右手を口元に添えて笑った。
調理台に置いてあったナイフを右手で取り、隅に置いていたピーチパイの丸皿を左手で引き寄せる。
さくり、と乾いた音をたてて、まだ少し熱の残っているできたてのピーチパイを切り分けた。

 「レティシャさんのピーチパイ食べたことあるって前に言ってたから、これの感想聞きたくて」
 「ということは、それってアルフレドのために作ってるわけだ」
 「あー・・・・・・うん」

にやりと含み笑いを浮かべながら改めてそうと問われると、ジュードは気恥ずかしさを覚える。
ここ最近は大分アルヴィンも少しずつながら元気になってきてはいるものの、
それでも色々とあった手前、以前のような調子とまではいかない状況だ。
そんな彼に対して何かできないかと考えた結果、ジュードが思い至ったのがこのピーチパイだった。

切り分けたピーチパイを小皿に取り、小さいフォークを添えて差し出せば、礼を述べながらバランがそれを受け取る。
早速と渡したピーチパイをフォークで小さく切って刺し、彼はそれを口へと運んだ。
どうだろうかとそわそわしながら、ジュードはバランを見上げる。

 「どう、かな・・・・・・」
 「んーこれはこれで美味しいんだけど、レティシャおばさんのとはちょっと違うかもしれないね」

バランが首を傾げると、さらりとその動きにあわせてベージュ色の髪が揺れる。
考えるように小さく唸りながら、バランはもう一度フォークでパイを切る。

 「んー・・・・・・あぁそうだ、たぶん使ってる香料が違うんだと思うよ」
 「香料?・・・・・・リーゼ・マクシアで買った手持ちのを使ったから、ちょっと違ったのかな・・・・・・」
 「こっちとそっちじゃあ、食文化が基本的に同じでも、使うものは多少異なってくるだろうからね」

言われてみれば確かに自然の有無というだけでこれほど差があるのだから、
香料ひとつとってみてもリーゼ・マクシアとエレンピオスが異なっていてもまったくおかしくない。
これは盲点だったなと、こんなところで改めて2つの世界の違いを実感することになるとは思いもしなかった。

 「たぶんこれ使ってみたら、レティシャおばさんのと味が近くなると思うけど」
 「それ使っちゃってもいいのかな」
 「どうぞ?あっても使わないんじゃ意味がないからね」

バランがこつり、と僅かに音をたてながら作業台に置いた小瓶にはシナモンのようで少し違うものが入っている。
独特の香りは確かにシナモンと通ずるものがあり、これなら合いそうだなとはジュードも思った。
まだもう1回作るだけの材料は残っている、折角なのでバランに教えてもらった香料で作ってみることにした。

 「それにしてもジュードくんはまめだなぁ」
 「え?うーん、まぁ喜んでもらえるのは嬉しいからね」

残っているパイ生地を丸皿に広げ、大目に準備しておいた桃を綺麗に並べて、早速その香料を使う。
手際よくパイ生地で蓋をするようにして丸皿を覆い、あとはオーブンで焼き上げるだけだ。
さすがに先ほど1回作っているだけあって、作業自体はものの数分ですべて終わる。
何が面白いのかジュードには分からなかったが、興味津々といった様子でバランが一連の作業風景を眺めていた。

 「何だか僕まで楽しみになってきたよ、ジュードくんのピーチパイ」
 「ちゃんとできてるといいんだけど」

バランの言葉に笑顔で応じた後、低い位置にあるオーブンの前に屈み込んで、ジュードは中の様子を窺う。
とはいえ、まだ入れたばかりで時間はたっていないため、ぱっと見ではそんなに変化はなかった。

 「そういえば、話は変わるけど、最近アルフレドは元気にしているのかい」
 「んー・・・・・・バランさんと再会してすぐの頃よりは、元気になったかな」
 「そっか、それはよかった」

いつのまに切り分けたのか、先に作ったピーチパイのひとかけらがバランの持つ小皿に追加されていた。
これはこれで美味しい、と言っていたのはお世辞ではなく、本当に気に入ってくれたようだった。
言葉の合間にフォークで一口サイズに切っては口へと運び、切っては運びを繰り返している。

 「根っこのところは変わってないのに随分とまぁ擦れて帰ってきたから、ちょっと心配だったんだよ」

バランは肩を竦めた後、再びさくり、とピーチパイにフォークを刺す。
ちょっと、と言いつつ本当のところは結構心配していたんじゃないのかと、何となくジュードは思った。
恐らくバランが知っているアルヴィンは、レティシャが語っていた幼い頃の彼そのままのはずだ。
気が弱くて寂しがりやで、神経質で泣き虫だった彼と、今の彼とでは随分と受ける印象も違っただろう。

 「20年もあれば色々ある、もとよりあっちに行ってたわけだし・・・・・・ただ、昔を知っている身としては、ね」
 「アルヴィンは・・・・・・レティシャさんとあまり一緒にはいられなかったし、最期も立ち会えなかった」

エレンピオスへ帰るために、レティシャを故郷に帰らせてあげるために、アルヴィンは必死になっていたとジュードは語った。
そしてアルヴィンのことを認知できなくなってしまったレティシャには息子としてではなく、
まるでお茶のみ友達か何かのように、第三者の立場で話を合わせていたことを話すと、
さすがにバランも言葉が見つからないようだった。

 「レティシャおばさんがそういう状態になってしまったって話はアルフレドから聞いていたけど・・・・・・そんなこと」

壁に寄りかかり、空になった小皿にフォークを置いてバランが深い溜め息を零した。
あのレティシャとアルヴィンのやり取りは聞いていてとても胸に突き刺さるものをジュードも感じてはいたが、
小さい頃のアルヴィンをよく知っているバランにしてみれば、余計に思うところがあるだろう。

 「前にも話したけど、アルフレドはお母さん大好きっ子だったからね、痛々しいというか、健気というか」
 「うん・・・・・・」
 「弟分みたいなところもあるから、まだ子供っぽいイメージがあったんだけどけど・・・・・・随分大人びたことするようになって」

親から見たら子供はいつまでたっても子供、などという言葉に近いのだろうか。
ジュードから見たら11歳も年上のアルヴィンだが、バランにとっては、ジュードにとってのエリーゼときっと大差ない。
歳をとるのも嫌なものだね、とバランの苦笑する声に、ジュードは胸を締め付けられる思いだった。

 「・・・・・・完全に再現するのは無理だけど、そういうこともあったし機会があったらこれ作ろうと思ってて、
  その時にはバランさんに助言してもらいながら味を調整しようって決めてたんだ」
 「ありがとう、って僕が言うの変なんだろうけど。ジュードくんがアルフレドと一緒にいてくれて、本当によかったよ」

ありきたりな言葉で申し訳ないね、と言うバランをオーブンの前から見上げると、
眼鏡越しに、薄っすらと細められた目と視線が交わった。
アルヴィンはバランのことを性格が悪いと言ったりもしていたが、2人は本当に仲がよかったんだろうとジュードは思う。

目の前のオーブンからは甘いいい香りがしてきて、改めて中を見遣ればこがね色にパイが焼けてきていた。
いい頃合かと、ジュードがオーブンをあけるとほんのりと漂っていた香りが台所に満ちる。
それを取り出せばなお一層、甘い匂いがジュードの鼻をくすぐった。

 「あぁそうそう、やっぱり香料変えると近い感じになるね。懐かしい匂いがする」

調理台に直接置かず、熱が逃げるように少し高くなっている網の上におろす。
壁に寄りかかっていたバランがかつりかつりと音をたててジュードの左横まで近づいてきた。
徐にとすん、と右肩が重くなり何かと思えばバランの右手が乗っている。

 「美味しそう、ジュードくんやるねぇ」
 「・・・・・・あーアルヴィンもよくこれやるんだけど、バランさんの影響なのかな・・・・・・」

アルヴィンに比べれば少し軽い気はしたが、その重みはいつもアルヴィンが肩を抱いてくるそれと重なる。
ちらりと左上を見遣ると、いつもアルヴィンの顔がある位置にバランの顔があり、
違うところとしてはさらりと揺れた彼の髪がジュードの左耳に触れて少しくすぐったい点だろうか。
改めて近くで見てみると、少し垂れ目なあたりなどが少し2人は似ているなとジュードは思った。

 「おいバラン、ジュードに何してやがる」

後方から聞こえてきた第三者の声に、ジュードは肩越しに振り返った。
台所の入り口あたりで紙袋を抱えた声の主、アルヴィンが顔を引き攣らせて立っている。

 「えー?ジュードくんと親交を深めていただけなんだけど」
 「ったく、何が親交を深めてるだ」
 「やだなぁ、そんなに妬かなくてもジュードくんをとったりしないって」

ははは、と笑いながらのバランの物言いにアルヴィンは肩を竦めて応じた。
そんなやり取りを見てジュードがくすりと笑っていると、ふっとバランの顔が左の耳元へと近づく。

 「色々迷惑かけることもあるだろうけど、これからもアルフレドのこと、よろしくしてやってくれると嬉しいよ」

口早にそう言うなり、バランの右腕がジュードの肩から離れ、ぽんぽんと2回ほどその肩を叩く。
後ろに引いたバランの顔を振り返りながら見上げると、優しげな笑みを浮かべていた。
小さく呟かれた彼の言葉は、きっとアルヴィンには聞こえていない。

 「バーラーンーッ」
 「あはは、はいはいすいませんね」

台所の入り口横にある、身の丈より低い棚へと抱えていた荷物を降ろしたアルヴィンが声を上げる。
つくづく、バランを相手にした時のアルヴィンは子供っぽいとジュードも思わず顔が綻んでしまった。
不貞腐れたような顔をしているアルヴィンの横を通り抜けて台所から出て行くバランの笑顔は
先ほどのそれとは違って、いつもアルヴィンに向けているいたずらが成功した子供のようなそれに変わっていた。

 「ふふ、本当に2人って仲がいいよね」
 「バランの奴、油断も隙もありゃしねぇ・・・・・・って」

何かに気づいて驚いたような顔をした後、アルヴィンがすたすたと足早にジュードの元へと寄ってきた。
この匂いを感じ取ったのだろうかと、ジュードは調理台の方に向き直る。
ずしり、と後ろから覆いかぶさるアルヴィンに、背中がほんわりと温かく感じた。

 「・・・・・・どうしたんだよこれ、つか何で2個も焼いてんの」
 「あっちを先に作ってバランさんに味見してもらったんだけど、いいこと教えて貰ったから今作り直したんだよ」

できたてほかほかのピーチパイにナイフを入れると、凝縮された匂いが一気に押し寄せる。
切り取ったパイを新しい小皿に取り、左向きにフォークを置いて頭上に顎を乗せているアルヴィンに差し出した。
食べてみて、と言えばジュードの右肩からぶら下がる格好になっていた右腕が持ち上がり、その手が皿を受け取る。
続け様に左腕も持ち上がって、丁度ジュードの目線の高さに小皿がきた。

さくっと音をたてて、目の前の皿でパイが小さく切られる。
頭上から少し左にアルヴィンの顔が動いて、ジュードの左肩の上あたりで、そのフォークの先がアルヴィンの口元へと向かった。
そんな様子を少し顔を左上に向けてジュードが眺めていると、数回口を動かしたあたりでその動きが遅くなる。
そしてまもなくして、ごくりとアルヴィンの喉が動いた。

 「・・・・・・美味い」

寂しそうで少し泣きそうな、それで懐かしさに顔を綻ばせるように、アルヴィンは笑った。
しかしその笑みはほんの一瞬で、堪えきれないといった様子で唇を噛み締めると、アルヴィンの目が細められる。
左手のフォークを右手の皿に置いて、その皿をアルヴィンが調理台に置いた。

そんな様子に、逆効果になっていたらどうしようかとジュードは少し不安に思う。
大丈夫だろうかとジュードが考えていると、自由になったアルヴィンの両腕に、そのままの体勢で後ろから抱き込まれた。
左肩越しに触れ合った頬と頬を擦り合わせる仕草は、まるで母親に甘える子供のようだった。

 「元気出してもらおうと思って作ったんだけど、逆に思い出して寂しくさせちゃったかな・・・・・・ごめんね」
 「いや・・・・・・何ていうか、何だろうな・・・・・・元気が出たっていうよりは」

何て表現したらいいのだろうかと、アルヴィンはジュードの首筋に顔を寄せながら考え込んでいる。
もごもごとそこで喋られると少しくすぐったいが、ジュードはそのままの状態でアルヴィンの答えを待った。

 「・・・・・・幸せだなって、思った」

その一言には色々な意味が込められているのだろうと、何となくジュードは思った。
そこまで言ってもらえるのなら作った甲斐もあるというもので、左肩に埋められている頭を右手でぽんぽん、と撫でる。

 「うん・・・・・・じゃあこれからは、僕がピーチパイ作ってあげるから、ね」
 「・・・・・・あーあ、プロポーズでもされてるみたいっつか、餌付けされてる気分になってきたわ」

むくり、と顔を起こしたアルヴィンの目がこちらを窺うように見ている。
くすくすと笑いながら、ジュードは首のあたりで交差しているアルヴィンの腕を撫でた。

 「ふふ、どうだろうね」
 「まったく・・・・・・ジュードくんには敵いませんよ」

すっと起き上がったアルヴィンの体がジュードの背中から離れて、すぐ左隣に立ち直した。
調理台に先ほど置いた小皿を再び手に取ると、昔はいつもそんな嬉しそうな顔をして食べていたのだろうと想像ができるような、
そんな少年のような表情をしてアルヴィンはピーチパイを食べ始める。

見ているこっちまで幸せに感じてしまうような、
そんなアルヴィンの様子を眺めながら、ジュードは夕食の準備を再開した。




バランさんまじいい人。
餌付けといえばTOVのジュディスが言ってた、ふっと食べたくなる味のスキットが好きです。