中学校@音楽に恋をして部活一色の日々 

 区立第14中の入学式。迎えてくれたのは吹奏楽部の「コバルトの空」の演奏でした。
「中学生ってスゴイ!」と感動し、迷わずに入部希望を行いました。
当時の14中吹奏楽部は、顧問の原田徹先生が新卒で着任したばかり。
楽譜も譜面台もひな壇もそろっていなかった中で、一つ一つが手作りでした。
古くなって廃棄する机をのこぎりで切ってひな壇にし、当時新発売だったきつねどんべえ(カップうどん)の空きカップを
壁に並べて防音装置に。
(今思えばあれは毎日先生が食べていたのかしら?)

都の吹奏楽コンクールに初出場したのもこの年でした。
朝は7時半から朝練、放課後も毎日。
家族が「夏休みに旅行に行く」と言っても、一人残り練馬の祖母の家に泊まって、14中まで通う・・・。
そんなことが苦ではなく、楽しくて仕様がない3年間でした。
私のパートのクラリネットは、オーケストラでいえばバイオリンの役割。
大勢のメンバーでハーモニーと音を合わせることがとても大切でした。

一人一人の音は単音で小さくても、みんなが集まればわくわくするような音楽ができるそんな体験でした。

中学校A14中の厳しさ 

山中湖自然教室(中学1年)。右から4番目 が私です。 


中学2年の日光林間学園。長かった髪の毛 はショートに
●14中は「厳しい」ことで有名な中学校でした。
校則・あいさつ・勉強・・・靴下は三つ折り。頭髪検査・・・。
私自身は、今でも疑問に思う校則もあります。
もっと生徒の自主性を尊重できないものか。自ら考え行動する力が必 要ではないか・・・。

ただ当時は、外から見ているほど窮屈ではありませんでした。
厳しい校則の中でも、小さな自由を見つけて生き生きと楽しく過ごせま した。

先生に一度だけ、ビンタされたこともありました。
「授業開始時にふざけていた」ということで・・・。
親は「!!」と感じるかもしれませんが、子どもは「自分が悪いんだから 仕方がない」と思い込むんです。
子どもって適応能力・吸収力があるんですよね。
だからこそ教育に政治が介入したり、時の権力者や大人の都合でその 内容が左右されてはいけないと思います。

ちなみに今は、14中は「体罰」はありません。先生方は一生懸命がん ばっていて、感謝してもしきれないくらいです。

●14中時代に身について、今でも財産になっていることがたくさんあり ます。

たとえば「あいさつ」。
14中では、「校内で大人や、14中生以外の人に会ったら、必ず『こん にちは』とあいさつをしよう」という運動・取り組みがありました。
今でも来賓で学校に行くと、数え切れないくらいの元気な「こんにちは」 のあいさつの声を連続して生徒からかけられます。
「あいさつは基本」。それをきちんと教えてくれたのが14中でした。

●もうひとつ、中3の国語の野口先生は、膨大な宿題と課題を出される 先生でした。
GWの宿題なんて、それはもう休み返上で、一日中漢字の練習をした ものでした。
それと同時に生徒の自主性、やる気を尊重される先生でした。
古典のフレーズや有名な詩歌を暗記して復唱できると、それがテストの 点数にわずかですが加点されるのです。
勉強ができる子もできない子も丸暗記はできるのです。

私が覚えたのは「島崎藤村の初恋」「平家物語の冒頭 祇園精舎の鐘 の声・・・」「奥の細道の『中尊寺平泉の章』と『月日は百代のかかくにし て』の冒頭部分」「徒然草」など。
よく先生が「中学時代に覚えたものは一生忘れないものよ」と言われて いました。
今でも復唱できることはちょっぴり私の自慢です。