音容の会  2007
[Lightship Boat ~Brisben~ ] size 45.5 X 65.2cm [旅立ち]  size65.2 X45.5cm [Trip For Esk ] size65.2 X45.5cm  [燈台船袖ヶ浦乃圖] size 45.5 X 65.2cm
 今年夏、オーストラリアの北西海岸のブリスベン市に仕事で2週間滞在した。ブリスベン市は街の中央部に大きな川が流れ、水運が発達している。多分、物資の集積地ととして、大陸開拓の起点として、栄えて来たのだろう。city catという水上バスが、頻繁に川を行き来していた。ガラスと鉄骨で組まれた高層建築が市の中心部を形成している。その市の中心部cityに渡る橋のたもとに、この船はあった。ドックに入って補修中だったのだろうか。あるいは、その状態で保存展示されていたのだろうか。この船の近くには、木造の小さな燈台も移設されていた。船に燈台を乗せようと言う発想が凄いと思った。燈台を浮かべならない理由はなんだったのだろうか。どのような使われ方をしたのだろうか。想像は膨らむ。人物を二人加えて宙に浮かべた。人物のスケールが船に比べて大きく、船が小さく見えるが、実際のものはもっと、大きい。  サマビルという私立の女子校の生徒のスナップ写真を下敷きにした。この学校で一番印象に残ったのは,東洋人が多いということだっだ。英語を母語として、日本語,中国語を学ぶ生徒が多いのも驚きだった。傘は、赤のチエックにすべきだった。手前の花は千葉のものだ。船に乗っている少女、丘に上がり歩き始める少女。鳥に運ばれる少女。牛飼いがそれを遠くから眺めている。この作品を描きはじめた時、私は遥か遠い日の雨の夜のことを思い返していた。それはずっと記憶の外に置かれていたことだった。最後のピースが嵌るように、全てのことが繋がったのだ。その瞬間、強い衝撃が私に襲いかかる。全ては自分が決めたことだ。自分で決めた。その決めた自分はいったい、何を知っていたのだろう。何も知らないのだ。しかし、決めねばならなかった。確固たるものがあっても無くても決めねばならなかった。  サマビル校のリンドル先生に、ブリスベン市の北西にある、エスクという小さな町にドライブに連れて行ってもらった。さすが、オーストラリアである。ちょっと、車で出掛けても軽く、300km。冬の乾季でひどい水不足だった。途中、山火事の煙が火山の噴煙のように何本も昇っていた。まるで、恐竜が出て来そうな風景だ。エスクは小さな集落でcountry fairという、お祭りの真っ最中だった。私の生まれ育った北海道に雰囲気がそっくりの町だ。もちろん、オーストラリアの方がずっと、お洒落だが 今年のお題はジャパニズム。浮世絵風の絵にしようかとも考えたが,ブリスベンの燈台船の裏返しで、日本を表すことにした。船上の人物は私の勤務する学校の生徒たちがモデルだ。集団体操のポーズをもとにしている。このポーズがいかにも昔風で,球や棒を加えてみたら、以外に面白かった。私が絵画を志したのも、この子たちの年齢の時だ。今年ほど自分の来た道を丹念に検証しようとしたことはなかった。カウンターパンチを喰らったボクサーのよう立っているのがやっとだ。殆ど、半べそだった。と,同時に絵を描く事の意味を改めて考えた。一昨年、画家の藤井勉さんにお会いした。卒業以来のことだった。そして、今年だ。この4点の連作は一つの場所をそれぞれ4つに切り取って作品とした。燈台船はこれからも使わせてもらうことにする。そして,もっと,強く物語性を持たせようと考えた。

戻る
戻る