タイの政治情勢は混沌としていて、デモやクーデターが起こることも珍しくありません。 ASEANの会議がデモで中止になったり、デモを取材していた日本人記者が射殺された事件もありました。これらは、一般住民の自由運動というよりは、一部での利得権の奪い合いといった感じで、これを武力で得ようとする辺りは政治の幼稚さが出てます。

日本のニュースを見ていると、タイはとても危険な国に見えると思います。
しかしまあ、実際はそれほど危険は感じません。新宿歌舞伎町でヤクザの銃撃戦があっても、平気でヨドバシカメラに買い物に行く感じに似ているんじゃないかと思います。特に、政治に関与できないロングステイヤーにとっては、全く関わりのない問題に見えます。

ところが……

2010年5月にタイで暴動が起こり、バンコクでは伊勢丹のあるビルが「赤シャツ」軍団に放火され ました。
このとき、チェンマイでも夜間外出禁止令が出され、私の生活にもちょっとした影響が現れました。
以下は、そのときの状況を書いたものです。

2010年5月19日

赤シャツの親分2人が投降。というニュ−スをYaHoo Japanで読んでから、自室で勉強(タイ語の授業が結構キツいのだ)。やれやれこれで平和になるだろうと思って夕方に買い出しに出ると、なんだが遠くの空に黒煙が見える。
「どこかで火事でもあったのかな」と呑気に歩いていると、なんとセントラルデパートが閉まっている。「にゃにぃ〜 定休日?? 明日の朝食が買えんではないか」と困ったが、しかたなくセブンイレブンでちょっと高目のパンを買う。

夕飯はどうしようかと思ったけど、面倒になったのでいつもの近くの食堂へ。 この食堂は、日本語のメニューが置いてあるため日本人が多くたむろしているところ。25バーツ(約80円)にしては量の多い飯を出しています。
で、ここにいた日本人と話をして、初めて夜間外出禁止令のことを聞く。「20時から翌朝6時まで外出禁止ですよ」って、この時点で20時過ぎてるじゃん。w

外出禁止って言ったって、タイは外食文化の町。外に出ないと飯を食うことは難しい。そんな事情もあってか、外出禁止令と言っても実際には多くの人が外に出ている。言われてみれば車の量が少なかったかなという程度。
外出禁止令って、ちょっとでも外に出たらおまわりさんに職務尋問されるようなものを想像していたので拍子抜け。

しかし、あ〜っ、夕方に見た煙は赤シャツがタイヤを燃やしていたのか〜。写真を撮っておけば良かった。それにセントラルが閉まっていたのは途中で営業停止していたとのこと。セントラルデパートは反・赤シャツのグループなので、大事を取って休んでいるんだそうな。
部屋に帰ってテレビをつけてみると、確かにいつもと微妙に違う感じ。緊急討論会みたいのをやってたりするし。しかし多くのチャンネルはファッションショーとか歌番組とかいつもと同じ感じだが?

2010年5月20日

翌日、朝起きたらすぐにテレビをつけてみたけど、普段と何も変わってない感じ。学校に行くために外に出ても、いつもの平和そのもの。
ただ、大きな交差点には軍人が数人立っていて、手にはライフル銃を持っている。コワ〜 と思ったが、西洋人は軍人と並んで記念撮影して楽しんでいる様子。

授業終了後にセントラルデパートまで行ってみたら、まだ閉まったまま。
だ〜〜っ、また朝食が買えない。私は朝はコーヒー派なのだが、洋食系は外で食べると妙に高く付くので、セントラルデパートでだいたい2日分の食料を買っていたのです。紙パックの牛乳や、20バーツほどの洋風サラダバーは、なぜかセントラルデパートでしか売っていないので、ここが営業してくれないと生活費が高くなる(いつの間にかセントラルデパート依存症??)。
あと、銀行の窓口が閉まっているのも困りもの。せっかくの円高なのに、円をバーツにエクスチェンジできないではないか。

2010年5月21日

ようやくセントラルデパートが営業開始。でも18時で閉まってしまう。あと、サラダバーがまだやっていなくてがっかり。
デパートの前には銃を持った兵士がたくさんいる。タイの子供は楽しそうに兵士とたわむれている(そして、ちゃんと子供の相手をしてあげる兵士)。う〜む、慣れてますねぇ。

2010年5月22日

ようやく平常が戻ってきました。たぶんナイトマーケットも盛況にやっていることでしょう。


そんな感じで、夜間外出禁止令は危険さは感じなかったけど、生活には微妙な不便さが出ました。でもまあ、こんな呑気なことを言っているのは、周辺に何も事件がなかったせいでしょうね。
もしセントラルデパートが、バンコクの伊勢丹が入っているビルみたいに焼けてしまって6ヶ月営業停止になっていたら大騒ぎなところでした(ちなみに、伊勢丹側は結構無事っぽいらしいです。紀伊國屋書店や大戸屋はどうなったんだろう?)。