『蟹工船』の舞台の感動を引きずって、隣の居酒屋で出演した俳優さんとの交流会。 2009年5月例会
出席した会員は、定年退職したり、間近な年齢の人たちだったので、原作の小説やら、過去に見た山村聡監督の映画や、村山知義の舞台と比較した話が出た。
知義の超リアリズムの舞台装置と違って工事現場のような、二段に組み込まれた鉄製フレームの装置は、斬新で良かったとの評価。
音響と光の中で、ロープ一本で前後に揺られるシーンは、そのままで甲板のシーンが想像できたという会員の発言があり、俳優からは、狭い場所での演技だから、落下する恐れもあり、命がけでしたとの冗談も出た。
「しまった」と叫ぶ学生の言葉の意味についても、色々な意見が出た。
小説『蟹工船』を読んで、現在の自分たちと同じだと、派遣労働者は感じたのだ。現在、労働の場にいる若い人が出席したら、もっと、今日的な『蟹工船』が語られたのにと残念である。 (墨田1 深井泰義)
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若井直美さん(五篠雅子)と清水明彦さん(権堂)を囲んで
『グレイクリスマス』交流会 2009年12月例会
12日の終演後、劇場裏の喫茶店でコーヒーと紅茶を飲みながら感想などを話し合った。
参加者は俳優座の若井なおみさんと文学座の清水明彦さんを含めて15人。待つ間に参加者の自己紹介をしたが、次のような感想もあった。
・今日は自分と重なることが多かった。朝鮮語の「蛍の光」が心に響いた。
・今日の芝居は戦争直後のことで、自分の人生と重なる。話が切実だった。
拍手でお二人をお迎えし、まずお二人の演劇の道へ進んだ経緯から伺う。
俳優を志したのは24才。芝居で食べられるようになるとは思っていなかったと清水さん。
中学で演劇部に入り、高校でも続けていた。大学を出て受けたのが俳優座。
今日の演出家高瀬久男さんの授業を受けていたと若井さん。
皆さんの感想は――、
・戦後の民主化についての話などもよかった。
・「蛍の光」は朝鮮の愛国歌だったということを初めて知った。
・わけも分からず朝鮮人、朝鮮人と言った昔。今思うと悪いことをした。
・人夫として働いていた近所の人、 関東大震災後のことも思い出す。
・色々と価値観が変わった時、今の時代とダブルことがあった。
・三田さんの憲法についての長ゼリフは若い人に聞かせたい。どう取られるか心配だが――。
・朝鮮戦争が始まったのは小学生の時だった。何で? と思った。
・「グレイクリスマス」という題をどうして付けたのか自問自答した。
・ヒロポンやビタミン剤を打ったことがある。戦争中は働かせるため興奮剤として打った。
・皆忘れているが、自分のこととして考えてもらいたい。
・接収された華族の家へ行ったことがある。
・戦後引き上げてきた。本当に変わったと思う。
華族の出る映画などを見て言葉の感じをつかんだと言う若井さん。
稽古中に朝鮮戦争の始まった年を言い間違えたこともあって、舞台に出る直前まで台本が離せなかったという清水さん。
話は尽きませんでしたが、参加者全員で記念写真を撮って散会しました。
(松林ふき子)
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