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蕪栗沼とは |
蕪
栗沼は、宮城県北部(北上川水系)の平野部にある、面積約150ha(1.5平方キロメートル)の低地性湿地です。沼といっても大部分はヨシ
やマコモなどの植物におおわれていて、水面は少ししかありません。周辺は沼を干拓してできた水田に囲まれています。 周辺3つの水田とともに遊水地として整備 されており、増水時に一時的に水を貯めることで周囲の家屋や水田を洪水から守っています。1998年から水田だった白鳥地区が沼に復元されたことで、水面の面積が約3倍に なりました。 北
から見た蕪栗沼(左側が白鳥地区)
国の天然記念物に指定されているマガンの国内有数の越冬地で、 国内に飛来する半数の約7万羽が利用しており、国際的に重要な湿地を保護するラムサール条約に指定(2005年)されています。またオオヒシクイやオジロワシなどの天然記 念物、オオタカやチュウヒなどの絶滅危惧種など約200種の鳥類が観察されています。 蕪
栗沼の風景(2016.11.30撮影)
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蕪栗沼は、宮城県大崎市と登米市、栗原市の3つの自治体に囲まれています。また、北上川水系の迫川の支流のひとつ「旧迫川」の上流部を流れる
小山田川の流域にあり、小山田川、萱刈川(かやかりがわ)、瀬峰川、駒林川の4つの河川が合流する場所にあります。沼全体は遊水地として河川法で
保護されています。
蕪栗沼は、もともと北上川があふれた水が流れ込む自然遊水池でした。蕪(かぶ)
のように美味しい栗の林が沼の辺に広がっていたことが、蕪栗の名の由来とされます。1610年、伊達政宗の命によって北上川の河川改修と新田
開発が行われるようになり、沼も周辺が水田に干拓され、現在のような形となりました。
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1947-48年、カスリン・アイオン台風の水害によって大きな災害が起きました。それをきっかけに、蕪栗沼と周辺の水田に遊水地を建設する
計画が1954年に立てられ、1970年から2001年にかけて工事が行われました。遊水地内にあった家屋は周辺に集団移転しました。 遊水地工事のようす
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これまでに約1500種の動植物が確認されています。鳥類約200種、魚類32種、昆虫約800種、植物約400種です。多くの渡り鳥の越冬
地、中継地となっているため鳥類が多いのが特徴です。また低地性湿地に特有の希少種が多く見られます。 |
1999年、大崎市(旧田尻町)で渡り鳥の食害を補償する条例が制定され、これまで害鳥とされていたマガンとの共生を目指す動きが活発になり
ます。2005年には、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)に登録されました。また日本国内では珍しい
ガ
ン類(ヒシクイ、シジュウカラガン、カリガネ)が定期的に利用しているほか、オジロワシやチュウヒなどワシタカ類の数も多く、渡り鳥にとって重要
な生息地となっていることが評価されました。 条約の登録証(1545号)
蕪栗沼・周辺水田の正式登録名は"Kabukuri-numa and the
surrounding rice
paddies"といい、当時世界に1588箇所あった登録地の中で初めて、「水田」という名称で登録された湿地です。蕪栗沼をねぐらとする天然記念物マガンが、水田を採
食地(餌場)として利用している実態が認められた結果です。登録地の中に水田を含むケースは伊豆沼・内沼や片野鴨池、スペインのエブロデルタ
など多くあります。「水田」という名称が認められたことで、水田が渡り鳥をはじめ多種多様な生物の生息地となっていることが世界的にも評価さ
れました。水田を条約湿地にする動きは、その後、渡良瀬遊水地やコウノトリ生息地の円山川・下流域周辺水田などにも引き継がれています。
周辺の登録地水田にある看板
これまで農地は農作物をつくるだけの場所と思われてきました。しかし最近では湿地の維持や地球温暖化の防止などの環境保全機能(これを農業 の多面的機能と言う)があらためて評価されてます。蕪栗沼・周辺水田の登録で、稲作農業が渡り鳥の生活を支えていることが世界中の人々に認め られたのです。環境省は「農業と自然保護の両立を目指す、世界のモデルになり得る画期的な試み」(朝日新聞H17.11.9より)と評価して います。 |