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郭子儀図襖絵(部分)[郭子儀の間](国 重要文化財)(2カ所クリックで拡大)

郭子儀図襖絵(部分)
(2カ所クリックで拡大)

郭子儀は八方にらみで孫たちを見守った。
郭子儀図は今描き上げたかと思うほど、美しさと鮮やかな色彩に驚かされる。絵柄の所は和紙の白を残しその上に貝がらを焼いて作った白色の胡粉で描いている、青緑は孔雀石を砕き、銅さびの緑、赤色のしんしゃ等の顔料を用いているので200年以上経った今日でもその鮮やかさを失っていない。
郭子儀の眼は当時、襖絵に多く用いられた八方にらみの手法で描かれているので、見る人がどの角度からみても郭子儀と視線があう。その優しい眼差しでやんちゃ坊主を見守ったのか・・・。
郭子儀の間は四天王の一人で南方を守る増長天像になぞらえると説明があった。
郭子儀 かくしぎ(中国の唐時代の武将、政治家)
円山派の祖として仰がれている。
円山応挙は、はじめに狩野派の石田幽汀に学び、その後、自然の写生に専念したり、西欧の遠近法等の手法を学び、彼独自の新しい画風としての写生画を完成しました。その写生画はあらゆる階層の人々に支持されて、ついに画壇の第一人者となり、円山派の祖として仰がれています。(資料:大乗寺案内冊子)
鮮やかな色彩で無邪気な子供を描く。郭子儀図襖絵(部分)
郭子儀図襖絵(部分)
俵屋宗達と云えば『風神雷神図』尾形光琳なら『紅梅白梅図』。では、円山応挙と云えば「幽霊の絵」、「鯉の絵」、「龍の絵」というあいまいな返事が絵の好きな人にも美術関係の方からも聞くことが多かったが、今展にやってくる国宝『雪松図』(ゆきまつず、せっしょうずともいう)と重文『雲龍図』が記憶に残る代表作といえそうだ。
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