--

大阪・上海友好都市提携30周年記念 中国五千年の名宝「上海博物館展」
Dynastic Heritage of China 5000 Years
SHANGHAI MUSEUM
〈第一章〉青銅器・銅鏡・玉器−鬼神と神仙の世界 〈第二章〉仏像−救いへの厳かな祈り
〈第三章〉陶磁器−土の造形と釉の輝き 〈第四章〉絵画・書−文人たちの高雅な境地
取材日:2004年3月16日 掲載:3月20日 ストリート・アートナビ
中国の佛像彫刻は、インドからの佛像芸術の伝来とともに始まった。早期の佛像は、インドの佛像芸術の影響を受け、鼻が高く目がくぼみ、魁偉な像が作られた。今回展示されている北魏佛は左右対称、シンメトリーで体にボリュームが出て写実的に発展する。唐代の造像は中国佛像芸術の絶頂期である。完全に民族化し消化の時期に入った芸術様式である。唐代の佛は荘重な姿態と厳かな容貌に作られ、菩薩は慈悲深く華麗である。

「仏坐像」「菩薩立像」:中国の仏教美術が一番高まりをみせるもの
新石器時代から現代にいたるまで、途切れることなく生産されてきた中国陶磁は技術的な革新と芸術的な創造が一体となったもので、均整のとれた造形、深みのある釉色や文様表現などが特徴的な芸術作品といえる。本展では中国の焼き物の流れが時代毎におおつかみに分かる。また、日本では見かけることのない面白い形の人物像が展示されている。青磁盤は中国の皇帝の持ち物で神が宿ると云われる。宋→元→明と時代が移る中で彩色技法が華やかになる。

明代絵画は輝かしい伝統を有する中国絵画の基礎の上に立って新しい発展を遂げた。初期には宮廷に多くの優秀な画家が集められ、華々しい活躍をした。中期になると宮廷絵画は次第に下火となり、画壇の主たる活動は江南に移って、浙派(せっぱ)、呉派の二大画派が生まれた。浙派は水墨を基調とする職業画家集団であり、呉派は淡彩を基調とする文人画集団である。両派の熾烈な争いの後、文人画全盛の時代を迎えた。表現方法としては、筆を使い分ける、或いは爪とか指を使って描く場合もあった。中国の文人の概念は国の高位高官(高級官僚)で財力があり政治を動かす者で、その窮屈さからの解放から木こりや漁師の自由に憧れた。絵画は自分の意志で表現することは、昔から意識としてあった。その代表的な文人画は宮廷絵師の絵は上手いが自由でのびのび感がないのとは対照的だった。文人画は日本の絵画にも大きく影響を与え、江戸時代に長崎貿易を通じ本格的に日本に入り隆盛していった。日本の文人は財力がなく江戸時代の儒者であって藩の禄を食む程度だが、文人画への憧れと驚異を意識的に東アジアで共有したことが面白い。

「双雉図」呂紀筆:明時代の著名な宮廷画家である呂紀の描いた装飾的花鳥画。華麗な彩色を施した写実的な雉や鳩と、水墨による荒々しい樹木の描写が対照的な作品。/「双鷹図」八大山人筆:八大山人は明の王室出身の遺民画家で、明滅亡後は僧となり、独特な個性的な雑画を画いた。粗く力強い筆のタッチによる樹木や岩と対照的に、濃墨でやや精細に画かれ、眼光鋭くあたりを睥睨する一対の鷹は、また画家の心象でもあった。
記念品コーナー
※上記の説明、写真キャプションは展覧会報道資料、図録、同館学芸員の案内を参考にしました。
取材・写真・Webデザイン:ストリート・アートナビ 中田耕志
◎大阪歴史博物館の常設展会場から見る近くの桜と新緑の大阪城、遠くの生駒、葛城、金剛連山の眺めは絶景です。
←前の頁
このページのトップに戻る
History(個展)Top Pageに戻る→
Group(グループ)Top Pageに戻る→
SAN(ストリート・アートナビ取材)Top pageに戻る→
Museum Exhibition(美術館)Top Pageに戻る→
Art Can Net. アート館ネット Top Pageに戻る→