Happy BirthDay 80th
〈LIBERTY〉グループの航跡とEYCクルーザーレースの歴史
1964-1997
令和5年 (2023年 )第 64回パールレースで〈LIBERTY VII〉は7月29日 21:33:19にフィニッシュし、休憩棟のレース本部に帰着報告して無事にレースを終えました。 パールレースは台風 (2018-2019年 )やコロナ禍 (2020-2021年)などで連続4回中止され、2022年はエントリーしたものの、回航は黒潮の蛇行による逆潮と南西の強風と波に阻まれ浜名湖手前で断念し、御前崎港に退避することになりスタートが叶いませんでした。令和5年 (2023年 )は 6年ぶりの参加となり、スタートから神の島、利島回航辺りまでは順調でしたが、大島過ぎ辺りから失速し順位を落とし江の島フイニツシユ。フィニッシュ側 レース本部には江の島ヨットクラブ(EYC)が主要な組織で活躍し、運営に携わるクラブメンバーの皆さんには大変お世話になっております。 〈LIBERTY〉 グループの60年前からの江の島での活動を思い起こしながら、EYCの クルーザーレースの記憶をたどりたいと思います。 (LIBERTY〉は昭和39年(1964年)からディンギーをグループで自作し、昭和40年 (1965年 )江の島にそのディンギーを陸置きしてからのスタート。昭和41年 (1966年 )から中古 24ftクルーザーも係留し、伊豆諸島などへのクルージング主体に楽 しんでいました。その後「JOG21」、次は昭和47年 (1972年)加藤ボートの新艇「SK25」に乗換えました。当時は日本外洋帆走協会 (NORC)に艇登録し登録番号(セ ール番号)が付与された証明書が発行されました。 昭和51年(1976年)にビーターソン30に乗換えレースにも参加するようになり、相模湾小型クルーザーレース(SSCRカネボウカップ)などに参戦していました。このころはまだ現役で仕事優先、島廻りレースなどに参加する余裕はなかつたですね。昭和 62年 (1987年 )クルージング艇の「サーカム35」 になり、バブル時代のサムタイム湘南ヨットフェスティバルや他のオープンレースに豪華賞品を狙って参加していました。まだEYC主体の江の島でのクルーザーレースはなくて、葉山や小網代で開催さるオープンレースが中心でした。 平成4年(1992年)5月に(LIBERTY VI)となる『X-412』を香港で進水させて沖縄宜野湾港マリーナに回航し、6月に座間味島へクルージングしたりしてその後に江の島に回航しました。そして7月の第33回鳥羽パールレース(小網代フィニッシュ)に参戦してからレース参加が多くなりました。平成5年(1993年)からは秋谷沖でのSTCシリーズ年間レースに参戦して、逗子・小網代・油壷などや江の島からの強豪たちにもまれ続けて、平成12年(2000年)にSTCシリーズが最後となるまで参加しました。 平成5年8月には徳島の阿波踊りレースに遠征して遠来賞を頂きました。夏には伊豆七島へのクルージングが恒例でしたが、平成7年(1995年)には小笠原父島までクルージングで航跡を伸ばしました。平成9年(1997年)からパールレースのフィニッシュが初島に変わりました。このころは故沖さんや萩野さんを中心に12月開催のプーケットキングスカップレガッタに参加するチームも出てきました。
1999-2008
平成11年(1999年)にはクルーザー系のNORCとディンギー系のJYA(日本ヨット協会)が統合され、日本セーリング連盟(JSAF)が発足し外洋の名前が消えることに寂しさを感じていました。平成12年(2000年)からは関東相模湾サーキットシリーズ(KSC)にも時々参加して島廻りレースの楽しみと過酷さを充分に味わいました。 (LIBERTY)の活動は湘南海域やパールレースが主でしたが、故岩田さんと山岸さんの率いる(MAUPITI)がハワイでの2000年ケンウッドカップヨットレースに参戦することで(LIBERTY)メンバーもクルーで応援することになりました。初の海外レースをハワイの海で、チームでマンションを借りてシリーズレースに参加できたことは、感謝とともに大変良い経験ができました。 平成12年(2000年)には故西田さんがレース委員長で6月にクルーザーレースの江の島カップが開催されました。これが翌平成13年(2001年)からあのEYCクルーザーポイントレースとして年間シリーズレースとなり、江の島のクルーザーレースが月例で開催されることになりました。レース後は旧ヨットハウス2階のクラブルームでの成績発表とパーティー、狭いながらも参加艇同士親近感のある楽しい時間を共有していました。年末にはXmasパーティーを参加艇クルーの皆で会場設営や手作りの料理を分担し開催していました。そこで年間表彰もあり、参加艇やクラブ員で大いに盛り上がり翌年」につながり継続されていきます。またこの年3月にノルウェー国王の国王・王妃が国賓として来日され、天皇・皇后両陛下(現・上皇・上皇后両陛下)のご案内で懐かしいの江の島ヨットハーバー・クラブをご来訪されました。EYCメンバーとも交流されノルウェー杯レースの開催をご了承頂きました。その後大使館の協力でノルウェー杯を寄贈頂き、平成14年(2002年)の「日本・ノルウェー友好記念江の島ノルウェー杯オープンヨットレース」の開催をなり、現在の「ノルウェーフレンドシップヨットレース」へと継続されています。 平成15年(2003年)には故松本さん・故西田さん・故沖さんや浪川さん他の尽力で、第18回全日本外洋ヨット選手権を江の島ヨットクラブがホストクラブをなり、京浜急行電鉄(株)を冠スポンサーとして誘致し「KEIKYU 2003 JAPAN CUP ENOSHIMA」の10月末からの開催に至りました。全35艇・江の島からも地の利を得て(LIBERTY VI)を含めて7艇が参加してインショア・オフショアともにレベルの高いシピアなレースが展開され苦戦もしました。EYCがこのように2000年代初頭からのビッグレースを含む多様なクルーザーレースの開催に努力と情熱を傾けたことで、レース委員会を中心としたクルーザーレース運営のレベルアップに繋がったと思います。 平成 16年 (2004年:)には第:45回パールレースのスタートが鳥羽から五ヶ所湾に、フィニッシュが初島から江の島に変更され参加しました。着後ホームポートにすくに戻れるのは大変楽でパール参加は継続中です。平成 20年 (2008年 )には先島諸島の与那国島までロングクルージングに出かけて帰りは波照間・石垣・宮古 。沖縄・屋久。種子島を巡り、最後はパールレースで江の島に戻りました。
2009-2025
平成 21年 (2009年 )は韓国釜山から博多の第 19回日韓親善アリランレースに参戦、その後福江島に寄り皆既日食の沖縄に行き久米島レースと座間味島レースに参戦し、
屋久島の縄文杉や種子島のロケッ卜基地などを巡り、下田からトランスサガミレースに参加し江の島に。
平成 22年 (2010年)9月に現在の(LIBERTY VII)と なるBENETEAU FIRST40に乗換えました。クルーザーポイントレースにはロングクルージングで不在以外は継続的に参加し、逗子のオープンレースにも参加しました。パールレースは恒例行事で参加継続。クルージングは平成 24年 (2012年 )には瀬戸内を抜けて松山堀江から別府北浜マリーナヘ、その後反時計で四国一周をしました。
平成25年(2013年)にはまたアリランレースに参戦した後沖縄へ。久米島レースと座間味島レースを楽しんで、最後にはパールレースで江の島フィニッシュ。結果は何とAクラス優勝、ご褒美のような帰港に感激しました。平成26年(2014年)には3度目のアリランレースに参戦、その後九州を博多・平戸・福江・長崎・阿久根・笠沙恵比寿・山川・谷山・内之浦・別府と一周し、安下庄・堀江。大三島・尾道。真鍋島・宇野・綱不知・勝浦と巡っ
て江の島帰港。この歳は故西田さんが設計された現在のヨットハウスが完成しました。EYCクラブルームも狭いながら内装を施し平成27年(2015)新年からオープンしました。平成28年(2016年)にはEYCクルーザーポイントレース11月のナビスコカップがルヴァンカップにタイトル名が変更され、ヤマザキビスケットの飯島さんのご支援も継続を頂き銀杯を競うレースとして定着していきます。平成29年(2017年)は横浜バイサイドマリーナ沖でのタモリカップに参加してレースとパーティーを楽しみました。江の島クルーザーポイントレースは江の島キールボートシリーズレースに名称も変わり毎年継続参加していましたが、令和2年(2020年)と令和3年(2021年)はコロナウィルス禍の継続もあり、2020年東京オリンピック開催で全艇が江の島から他に移動して、EYCはクラブルーム使用も制約されてレースを含めて活動するのが厳しい状況でした。
令和4年(2022年)にはようやく江の島キールボートシリーズレースが年間を通じて復活し〈LIBERTY〉は全レースに参加して2022年間優勝を果たして初めて年間タイトル獲得しました。令和5年(2023年)もEYCクルーザーレースには参加継続中で、パールレース
結果は冒頭のとおりです。
昭和50年代からクルーザーレースに参加して、2000年代からはEYCの江の島キールボートシリーズに毎年参戦して、EYCのレース委員会はじめご支援ご協力をいただく運営の皆様には大変お世話になっています。感謝するとともに、今後も益々のご隆盛を祈念いたします。
--written by H.Hoshino--
Liberty New Video Coming Soon
Liberty VII パールレース参戦記 2025
Liberty 2024
Liberty EYC Race FEB/MAR 2024
Liberty New Year 2024
Liberty 若大将カップ 2023
Liberty Pearl Race 2023
Liberty May 2023 Activities
Norway Cup APR/23/2023
Liberty VII 春いちばんレース MAR/12/2023
Liberty VII Illumination Cup DEC/11/2022
Liberty VII Levain Cup NOV/20/2022
Liberty VII 湘南レース NOV/13
Liberty VII 若大将カップ 2022
Liberty VII Neptune Race 2022
Liberty VII Shonan Race 2022
Liberty VII Road to Pearl 2022
Liberty VII Activities 2021
Liberty VII Trans Sagami 2020
Liberty VII Dolphins Encounter 2020
Liberty VII 58th Pearl Race
Liberty VII Pearl Pace 2014
Liberty VII 54th Pearl Race
Liberty VII Arirang Race 2013
Liberty VI Oldies
Liberty VI 久米島レース参戦記 2009
Liberty VI 座間味レース参戦記 2009
Liberty VI 湘南ヨットフェスティバル 2008
Liberty VI ネプチューンレース 2008
Liberty VI パールレース参戦記 2008

Captain
Helm
Jungle Cruiseで有名な経験豊富なキャプテン。浦安ではなく、本場アマゾンのジャングルの奥深くにある“奇跡の花”求めて航海し、アドリア海の真珠をいわれていた、ワインの美味しいクロアチアまで探していたが、諸事情でアマゾンよりクルーズツアー船長が帰国して、なんと、日本の湘南でHelmを取りレースで大活躍しているという噂のキャプテンです。

AfterGuard #001
Main Trimmer
カリブ海、アドリア海およびハワイ諸島のある太平洋で名をはらしたスパロウ船長がメイントリマーを担当。もちろん、レースに重要なタクティクスも海賊並みに発揮して、無風でも滑るように海面を走る技は世界七不思議のひとつになるほど、、、、

AfterGuard #002
HeadSail Trimmer
スパロウ船長とともに航海したウィル・タナーがジブセールをコントロールしています。もちろん、トリマーひとりだけでなく常にセカンドポジションにつけるようなクルー体制作りも行っています。これまた、アドリア海ではなくカリブ海海賊の息子ならではのことかな、、、、?

AfterGuard #003
HeadSail Trimmer
幽霊船「フライング・ダッチマン号」の船長であるディビー・ジョーンズ。七つの海に君臨する超自然の統治者。顔が髭の様に無数のタコの足で覆われた姿で、右手の人差し指がタコの触手で左腕が蟹の鋏であり、右足が蟹の足で引きずって歩いているが、ひとたびレースになればそのパワーは底知れないとの巷のうわさ。

Pit
Piano Player
ジャスティス・ビーバーでなく、ジャスティン・リーグの創立メンバーであり、アマゾン族の特使、女神であるワンダーウーマンがLiberty VIIのピット担当。バウマンのよきパートナー。というか全ポジションのサポート役が素晴らしい。バウのサポート、アフターガードへの気配り等、気が利くことが大切で意外と大事なクルーポジション。ラム酒、ジン、日本酒、スコッチ等、酒好きなクルーの性格、特性、行動パターンを常に把握していて心強い。

Grinder
Coffee Grinder
ゴッサム・シティの億万長者、慈善家、プレイボーイ、および「ウェイン・エンタープライズ」のオーナーであるバッドマンがウィンチグラインダー担当です。とても力のいるポジションですが、バッドマンならではスーパーパフォーマンスをいつも楽しませてくれています。もちろん、トリマーたちのサポートも担当します。酒豪であることは疑いなし、、、、。

Mast Man
ICE Man
パワーが必要なハリヤードホイストおよびクランカー要員としても活躍するポジション。ジブ、スピン、ジェネカーのアップ、ダウンには大変なタスク。バウのサポートをしたり、ピットのサポートをしたり、気が利くパワーマンに適しているかな。もちろん、責められて孤独なバウマンを慰める大切な役目と酒保関連のアイス調達任務(ICE Man)も、、、、。

Bowman
Foredeck Man
湘南在住の高校生時代に放射性のクモによるひと噛みで驚異的なクモのようなパワーを得て、大いなる力と大いなる責任について、運命的に学び、ヒーロー、スパイダーマンとなる。スーパーヒーローとしての新たな人生と湘南ヨットマンとしての普通の生活の間に翻弄されながら、バウマンとして成長して今日に至ったとの噂は本当なのか都市伝説なのか?

Floater #001
Floater
ヨットレースのポジションにはフローターと呼ばれるものがあります。いろいろな空きのポジションのサポートしたり、ハイクアウトで艇のバランスをとったり、目立たないですが重要なポジションです。もちろん、アフターレースでは一番大切なポジションでもあることは周知の事実です。

Floater #002
Floater
フローターはどのポジションに手助けが必要な場合, 迅速にその代わりまたはセカンドサポートをするポジションです。また、スワァー(Sewer)としてジェネカー、スピンを次のレグ用に素早くリパックしたりも、、、。最近はギアの進化でリパックの必要がかなり少なくなくなりましたが、ハーバー内での落水回数が増えた因果関係は、、。そうです、アルコール燃料消費も大切な役目かな?ウェブサイト広報担当も!