僭rigio - 2 -


ザーフィアス城へと戻り、ユーリとジュディスは一旦シュヴァーン用の執務室に通して
騎士団の控え室でレイヴンは騎士たちから話を聞き始めるが、終始自分たちの正当性を主張するばかりだった。
これでは話にならない、ある程度話を聞いたところで会話を打ち切る。

とりあえず何にせよ、例のギルドの5人組にも、ユーリとジュディスにも確定的に非はない。
それだけでも収穫と思っておくか、とレイヴンは執務室へと向かった。
城内を巡回している騎士たちからの敬礼には軽く手を振って応じ、目的地の扉を開ける。

 「ふふ、お疲れ様」
 「思ったより早かったな」

応接用のソファに腰かけるジュディスがにこやかな笑みで出迎えた。
向いのソファではユーリが仰向けに寝転がっている。
部屋の棚からティーカップを持ち出して紅茶を飲んでいたようで、
ソファの間のテーブルにはティーポットとソーサーに乗せられたティーカップが置かれていた。

 「はぁ、とりあえず着替える」

と、一言残してレイヴンは寝室の方へとそのまま足を向ける。
完全に寛ぎモードに入っているこの2人を見て、レイヴンは一気に脱力してしまった。

騎士服をベッドに放り投げて、既に放られている服へと着替えて、最後に紅蔦色の羽織をばさり、と着込む。
髪を纏めるのも面倒に感じて、服だけ着替えたところでふらりふらりと寝室を出る。
そのままよれよれとした足取りで執務用の椅子にどかり、と座ってレイヴンは声にならない声をあげた。

 「あぁああ・・・・・・疲れた」
 「おじさま、紅茶はいかがかしら」
 「飲む飲む、ジュディスちゃんが淹れてくれた紅茶に俺様癒されたいわ」

レイヴンは浅く座りすぎてずるりとスライドしていた上体をどうにか起こして座りなおす。
デスクの引き出しから報告用の書類を引っ張り出して、羽ペンに手を伸ばした。
その頃合、ソファから立ち上がったジュディスが茜色の紅茶が注がれたティーカップをソーサーに乗せてデスクへと置く。

 「はー・・・・・・癒される」

羽ペンへと伸ばすつもりだった手はティーカップへと向きを変え、早速口に含めば柔らかな香りが広がる。
深く長い息を吐いたところで、カップをソーサーに戻して改めて手を羽ペンへと伸ばした。
視界の中でソファに寝転がっていた黒い塊がもそり、と起き上がる。

 「で、俺らはお咎めなしってことでいいんだよな?」
 「いいわよ、どうせ何もしてないでしょ」

上体を起こしてソファに座りなおし問いかけるユーリにげんなりとした調子でレイヴンは応じる。
ユーリとジュディスが何もしていないことなど、はなから分かっていたことだ。
単純に、あの場で2人を解放すると件の騎士たちが不満の声をあげて騒ぐだろうと安易に想像がついたため、
穏便にことを済ませるためにはこの2人もザーフィアス城まで付き合ってもらう必要があっただけのことだ、と説明する。

 「かといって私たちだけ回収するでもなくて、彼らも連れて戻ったのは常習犯だからなのかしらね」
 「さすがジュディスちゃん、ご明察」

聡いジュディスの言葉に相槌を打ちながらも、レイヴンはつらつらと報告書を書き綴っている。
何にせよ、今回の件は圧倒的に巡回の騎士に不備があり、ギルド側に過失はないと言い切れる状況だ。
双方の話を聞いて判断したい、というフレンの意向があったお陰で帝国とギルドの関係に大きく影響せずに済んだものの、
これで黙秘した例のギルドの5人組が悪いとしていたらと思うと、少しばかり背筋が冷える。

 「同じようなことされたギルド連中がいてね、奴さんが"騎士団に話しても無駄だ"ってだんまり決め込んじゃって」
 「そんでおっさんの出番、ってわけか」
 「そーゆーこと」

報告書の最後にある署名欄のところで一旦手が止まる。
ふむ、と首を傾け一考し、小さく息をついてそこにはシュヴァーンの名前を記した。
そのタイミング、ふっと手元が陰ったためレイヴンは顔をあげる。
いつの間にか立ち上がっていたユーリがレイヴンの手元にある報告書を覗き込んでいた。

 「へぇ、真面目に書いてんだな」
 「あのねぇ、報告書を適当に書いてたら無意味でしょうが」

報告内容を記すものなのだから、適当ではあとで質問攻めに合ったうえに書き直すはめになるだけだ。
それこそ面倒ではないか、とレイヴンはじとりとユーリを見遣る。
気のない彼の相槌に思わずと溜め息が零れた。

 「ん、シュヴァーンの名前使ってんのか」
 「え?あぁ、印がシュヴァーンのしかないのよ」

ユーリの問いかけに応じながら、レイヴンはデスクの引き出しから印を持ち出す。
印にインクを馴染ませて署名の横におき、ぐいと押し付けた。
そっと印を持ち上げれば、綺麗に印が押されて報告書の完成だ。

印をさっさと片付け、レイヴンはできあがった報告書を手に取る。
何度か読み直しながら報告内容は綴っているが、最後の確認にと一通り目を通してみたが問題はなさそうだ。
これを明日フレンに渡せばあの5人組は開放になるだろう。
が、あの騎士たちはどうしたものかと頭を捻る。

 「ふふ、以前のおじさまならそれでも使っていなかったわ、きっと」
 「ジュディの言うとおりだな」

レイヴンは報告書を読み直していた視線をユーリとジュディスの方へと持ち上げた。
ふと、そんな事を言われて、本当にそうだろうかと考えてみる。

確かにレイヴンとして生きると決めてからは徹底的にシュヴァーンを否定してきたが、
何もシュヴァーンのすべてを否定することもない、と少しは思えるようにはなってきたのかもしれない。

 「・・・・・・どーだかねぇ」

レイヴンは小さく笑った。



翌朝、レイヴンは欠伸をかみ殺しながら前日同様に軽い足取りで騎士団長の執務室へと向かう。
部屋の中の光景は昨日と変わらず、寧ろあの後もずっとそうしていたかのように
姿勢を正して書類とにらみ合いをしているフレン、そしてソディアとウィチルの姿があった。

 「レイヴンさん、昨晩は早速ご迷惑をおかけしたようで・・・・・・」
 「およ、青年あたりにでも聞いた?」

申し訳なさそうな笑みをフレンは浮かべており、レイヴンの問いかけに頷いて応じた。
レイヴンのもとから宿に戻ったものとばかり思っていたが、
どうやらユーリはこの親友のもとに立ち寄っていたようだ。

 「本当にすみません・・・・・・ユーリたちの件も助かりました」
 「いやまぁフレンちゃんは悪くないでしょーよ、とりあえずこれ報告書ね」

ひょこりひょこり、と小さく跳ねるようにフレンのデスクへと歩み寄り、レイヴンは昨晩作成した報告書をぺらり、と置いた。
小さく礼を述べた後にフレンがそれを手に取り、ある程度目を通したところで彼が溜め息を零す。

 「やはりこちら側の不手際でしたね」
 「そうねぇ、まぁ例の5人組開放すれば大事にはならないんじゃないの」

フレンとしても開放する方向で異論はないようで、開放してしまえば一応は一件落着だ。
残すところはやはり巡回をしていた騎士たちの処遇についてになるが、
ひとまず担当区画を調整すれば彼らが同じことを繰り返しはしないだろう、とレイヴンは口頭で提案する。

 「そうですね・・・・・・レイヴンさんが仰っている通り、少し巡回の配置を調整してみます」
 「根本的な解決にゃならんけど、あれはギルドに対してかなり先入観が強そうだったから、ひとまずそれでいいっしょ」

フレンのはきりとした同意の相槌に、とりあえず自分の仕事はこれで終わりかなとレイヴンは一息ついた。
意識改革などというものは一朝一夕で解決できる問題ではない、そこは長い目でやっていくしかないだろう。

ふ、と険しい表情だったフレンの口元に笑みが浮かぶ。
あの報告書に彼を微笑ませるような内容はこれっぽっちもないはずだったが、何かあっただろうかとレイヴンは首をかしげた。

 「何か面白いとこでもあった?」
 「あ、いえ、署名がシュヴァーン隊長の名義だったので」

昨晩のユーリとジュディスとのやり取りが頭を過ぎり、レイヴンは苦笑した。
揃いも揃って同じことばかり言う、と呟けばフレンは少し困ったように微笑む。

 「素性ばらしてからもこっちじゃシュヴァーンの名前のが通るからってだけよ」
 「以前は徹底的にシュヴァーン隊長であることを否定されていて、個人的に少し寂しく思っていたので」

些細なことながら嬉しく思ったのだとフレンに言われて、そんなにも大層なことだっただろうかとレイヴンは唸った。
レイヴン自身としては、例えば報告書で使う印がシュヴァーンのものしかない、だったり、
騎士団仕事であればレイヴン名義よりもシュヴァーン名義の方が何かと融通が利くだろう、
といった程度の考えだったため、そこまで言われると逆に反応に困ってしまう。

ただ、レイヴンとして生きると決めてからは、かえって面倒じゃないのかとユーリに言われるほどには
シュヴァーンであることを否定してきていた節はある。
その頃に比べれば、昨晩も思ったことだが、多少なりシュヴァーンを全否定しなくてもいいのではないかと
無意識ながらに思うようになってきているのかもしれない。

 「シュヴァーン隊長を尊敬する人間としては、その存在を無かったことにされてしまうと悲しいんですよ」
 「そういうもんかねぇ」
 「そういうものですよ、敬う相手の存在というものは得てして大きいものですから」

たかだか署名ひとつで大袈裟な話だと思いながらも、ただフレンの言葉には同意できる。
確かに仰ぐ人間の存在が欠如した時の空虚感に関しては身に覚えのあるものだ。
そういう意味では、あの空虚感を一部の騎士たちには与えていたのか、と思うと僅かに罪悪感を感じないこともない。

 「レイヴンさんとしても、多少なり心境の変化があったのではないですか」
 「・・・・・・ま、自分の中で色々と折り合いつけられてきてるのかもしんないわ」

肩を竦めつつ困ったように笑って応じれば、フレンが笑みを深める。
近頃の若者たちは自分よりもよっぽど大人で色々見透かしてくるから困る、とレイヴンは内心でぼやいた。



ギルドの5人組を引き取り、丁度今日ダングレストへ引き返すユーリとジュディスに便乗してバウルで空を渡る。
たかだか1日、時間にしてみれば実質半日程度ではあったが、何だか随分と疲れたように感じた。
とりあえずダングレストへ戻ったらユニオンに顔を出す前に酒場でのんびりしようか、などと遠い景色を眺めつつ考える。

 「疲れましたオーラ出してるわりに案外元気そうだな」
 「そーお?真面目にお仕事したから、俺様普通にお疲れモードよ」
 「あら、でも何だか機嫌が良いんじゃなくて?」

疑問形ながら確信をもって問いかけていると分かるジュディスの笑みに、レイヴンは困り顔で頬を掻く。
彼らはどれだけ人の内心を見透かせば気が済むのだろうか、もとより自分はどれだけ内心だだもれなのか、と。
実際のところ、機嫌が良く見えるとすれば心当たりはあった。

意識的にそうしていたつもりがなかったとはいえ、案外と自分の中でレイヴンとシュヴァーンを両立させつつある。
両立といっても以前のようなそれとは少し違う。

この2つは完全に乖離した存在だった、いわば白と黒、それが自分自身でも知れずと混ざりあって
新たに生まれた色の中に"今の自分"を見出せたような、そんな心地を覚えた半日だった。
それに気づかせてくれたのはユーリとジュディス、そしてフレンだ。

 「ふふ、おじさまが元気そうで安心したわ」

レイヴンが言葉を返す間もなく、納得した様子でジュディスが微笑む。
彼女の横ではユーリも笑みを浮かべていた。

やれやれ、まだ自分はこの歳にもなって成長途中らしい。
まったく勘弁してくれ、と苦笑して言いつつも、胸のうちに清々しい風が吹きぬけていくような感覚がとても心地よく思えた。


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羽織の色を和名で言うと何色が近いのかを調べてみたら、浅蘇芳か紅鳶か小豆あたりな感じかなと。

個人的に、レイヴンはレイヴンとして生きていくって決めたとはいえ、
それは過去のレイヴンとはまた違うレイヴンだと思うんです、って書いてたらゲシュタルト崩壊してきた。