儉a toile -4-


フレンの休暇もこの日で3日目、夕方頃には彼とユーリが帰ってくるらしい。
そうそうまとまった休みの取れない身の上、もう少しゆっくりしてくればいいものを、と思いながら、
レイヴンは朝から執務室に引き篭もって黙々と事務仕事を進めていた。

報告書の文字を追いながら、魔物の数が少し増えているという地域へ騎士を派遣するべきか、
あるいはダングレストに戻った折にユニオン経由でどこかしらかギルドに要請するべきか、と選別していく。
それをとりまとめて、フレンに提案する資料に落とし込まなければ、とレイヴンは顎を撫でた。
前日の訓練に関する報告もまとめなければ、と考え始めた頃合、扉をノックする音が耳に届く。

 「シュヴァーン隊長、よろしいでしょうか」

聞こえてきたのはルブランの声で、レイヴンが短くそれに応じれば執務室の扉が開いた。
手元の書類を眺めていた顔を持ち上げて前方へと向けると、ルブランだけではなく数人のシュヴァーン隊員が見える。
しかしそれよりも、彼らの先頭に立っているルブランが抱えている不似合いなそれに、レイヴンの目は釘付けになった。

 「どうしたんだ、その花」

何と問いかけたらいいものか、と思ったものの出てきた言葉はひどくシンプルな問いかけだった。
レイヴンは右ひじをデスクについて、その右手に頬を寄りかからせる。
結果、半ば首を傾げるような姿勢でルブランの手に持たれた花瓶、そこにいけられた花々を見遣った。

 「シュヴァーン隊から隊長に、です」

白磁の花瓶に生けられているのは橙を中心とした緋や黄といった色合いのそれで、
先日エステルが生けてくれた花々がレイヴンの色だとすれば、こちらはシュヴァーンの色。
しかしどういった風の吹き回しなのかと思い、問いかけてみれば昨日のひと騒動あってのことらしい。

 「ああいったことを言う輩はおりますが、我々はシュヴァーン隊長のもとにいられることを嬉しく思っています」
 「気持ちばかりですが、受け取っていただけたらと」

ルブラン以外の騎士たちが次々と声をあげた。
ろくに隊長として彼らの面倒を見ることができていない自分に、その気持ちを受け取る資格はあるのだろうか、と考える。
寧ろ昨日の件に関しては、話し込んでいた騎士たちの考えのほうがよっぽど正論だとレイヴンは思っていた。

それでも彼らはぜひ受け取ってほしい、と言う。
そうまで言われて無碍にするのもどうだろうか、自分も難しく考えすぎているのではないか。
何より、今自分は素直に嬉しいと、本当は思っているんじゃないか、とレイヴンは己に問いかけた。

 「あの・・・・・・ご迷惑、だったでしょうか」

不安そうな騎士の声に、随分と黙り込んでしまっていたのだとレイヴンは気づき、
問いかけへ否定の言葉で応じながら、くしゃりと笑った。
自然と閉じられた目蓋を持ち上げて騎士たちの方を見遣れば、今度は彼らのほうが驚いたような顔をしている。
考えてみれば、彼らの前でこんな風に笑ったことはなかったかもしれない。

 「ありがたく飾らせてもらう」

レイヴンの言葉に安堵の声が聞こえてくる。
早速とばかりにルブランが歩み寄ってきて、レイヴンから見て右手側のデスクの角付近に花瓶を置いた。
その丁度反対側、左手側の角付近には白猫の花瓶に紫が基調となっている花が飾られている。

仕事中に失礼しました、と元気のよい声をあげて敬礼をすると、騎士たちは執務室から早々に持ち場へと戻っていった。
再び静まり返った執務室の中、レイヴンはひとつ息をついてから仕事を再開する。
視界の端に入る橙の花に無意識ながら口元が綻んだ。



昼食を簡単に済ませてから午後もひたすら書類との格闘を続けた。
時間を忘れるほどに仕事に没頭して数時間、再び扉を叩く音が聞こえたと同時に扉が開いてレイヴンは顔をあげる。
レイヴンの返答を待たずに扉が開いた時点で予想はついていたが、そこにはユーリとフレンの姿があった。

 「おーおかえり若人たち、もっとゆっくりしてくりゃよかったのに」
 「って、俺も言ったんだけどな」

肩を竦めた後、部屋に踏み入れてユーリはどっかりとソファに座り込んだ。
そんな彼に続いて、苦笑まじりのフレンが室内へと一歩踏み出して扉を閉める。
しかしこの短い期間ながらも、休暇のお陰で幾分かフレンの疲労は解消されているように見えた。

 「すみませんレイヴンさん、留守をお願いすることになってしまって」
 「気になさんな」

あぁそうだ、とレイヴンはフレンを手招きした。
僅かに首を傾げながら、彼はユーリの座っているソファの後ろを通りすぎてデスクへと近づく。
先ほどまとめた書類ともともとレイヴンがザーフィアスに来た理由であったユニオンからの提案書の束をフレンへと差し出した。

 「こっちの分厚いのがユニオンから騎士団への提案書、混成部隊の人員調整や配置に関することとかね」
 「分かりました」
 「それとこれが今日チェックした報告書で、ギルドと分担できそうな案件をまとめたやつだから」

レイヴンに礼を述べ、フレンはユーリの向かい側のソファへと座り、早速と資料に目を通し始めた。
そんな彼の様子を眺めながら、ユーリが欠伸をしている。
返ってきて早々仕事かよ、とでも思っていそうな目をしていたユーリが徐にデスクの方へと視線を向けた。

 「・・・・・・ん?おっさんてそんなに花好きだったっけか」
 「あぁ、これ?いやー聞いてよ青年」

声の調子が気づかず嬉々としていて、それを聞いたユーリは余計なことを聞いてしまったか、といった様子で顔を顰めた。
それでも一応聞いてはくれるようでレイヴンはエステルが花を、リタが花瓶を選んでくれたこと、
そしてシュヴァーン隊も花を飾ってくれたのだと話す。

 「それとさーパティちゃんがこれくれたのよ」

白猫の近くに置いている額入りの絵をユーリの方へと向ける。
彼はソファから立ち上がってデスクに歩みよると、その小さな額を手に取った。
よくよくとその絵を眺めてから、ユーリはあぁ、と小さく声を零す。

 「カプワ・トリムか、これ」
 「そーそ、おかげさまでこの通りデスクも華やかになったってわけ」

いいでしょ、とレイヴンはへらりと笑った。
ふうん、という気のないユーリの相槌は、それでいて何か思うところがありそうな感じもして、
手に取った小さな絵に視線を落としたままでいる彼の様子を覗き込むようにして窺う。

 「よかったな、おっさん」
 「・・・・・・何その、言外に色々ありそうな物言い」
 「さぁてな」

ことり、と小さな音をたててユーリはもとあった場所へと額を置く。
その時の彼は、酷く優しげな笑みを浮かべていた。
普段軽くあしらうくせに妙なところでこれだ、とレイヴンは苦笑を禁じえない。

ユーリがソファに戻ろうとしたタイミングで執務室へと来訪者が現れた。
コンコン、と響いたノックの音にレイヴンが応じると扉の向こうからエステルとリタ、パティが姿を見せる。
パティはティーセットを載せたトレイを両手で持ち、エステルとリタはそれぞれ菓子箱らしきものをもっているようだった。

 「いらっしゃーい」
 「お邪魔します」
 「おお!ユーリー、おかえりのちゅーなのじゃ!」

ソファの間に置いているテーブルへとトレイを降ろし、パティは小走りにユーリの元へと駆け寄る。
そんな彼女の額のあたりを、リーチの長いユーリの手ががしりと掴み、彼女の接近を妨害した。
ばたばた、とパティが両手をユーリに伸ばす様子を見て、リタが小さくばかっぽい、と零すのが聞こえる。

 「エステリーゼ様が戻られていたというのに、ご挨拶に伺わないまま休暇をいただいてしまって申し訳ありません」
 「いいんですよそんな、それよりもゆっくりできましたか?」
 「はい、おかげさまで」

フレンの向かいに腰かけながらエステルはにこやかな笑みを浮かべている。
そんな彼女の隣にリタが腰かけて手に持っていた缶箱をテーブルに置いた。
ようやくとユーリへのアタックを諦めたのか、むくれ顔で腕を組むパティの額にユーリはでこぴんをしている。

 「パティちゃんはほんと、青年のこと好きねぇ」
 「んふふ、ユーリはうちの婿だからの」

でこぴんをされた額を両手で押さえつつも、パティはレイヴンの方に顔をむけて笑う。
言ってろ、と肩を竦めながら言うとユーリはデスクから離れてフレンの隣へと腰かけた。
その後をパティが追い、ユーリの隣へと座って紅茶の準備を始める。

 「ん・・・・・・何か甘ったるい匂いがするんだけども」
 「あ、えーっと・・・・・・ごめんなさい」

自然と眉間に皺が寄るのを感じつつ問いただせば、エステルが申し訳なさそうに言葉を返した。
ザーフィアスでも有名なパティスリーで新作が出たということで、午前中に少女たちは買いに行っていたのだという。
その話を聞いて、ユーリの目が輝いたのをレイヴンは見逃さなかった。

 「でもレイヴンが食べられそうなおやつもあったんですよ、ね、リタ」
 「えっ?あぁ、そうね」

素っ気無く相槌を打つリタにくすり、とエステルは笑う。
エステルの持っていた缶箱はユーリの手に渡り、かわりにリタがテーブルに置いていた缶箱を取ってソファから立ち上がった。
デスク越しに立つと彼女は缶箱の封を切って蓋を開け、レイヴンの前にその缶箱を置く。

 「香辛料がきいたプレッツェルなんです」
 「ほへー・・・・・・」
 「紅茶にもあうし、お酒とも相性がいいとお店の方が仰っていたんです」

缶の中を覗きこんでみると、こんがりと焼きあがったプレッツェルが何種類かあるようだった。
恐る恐る、試しにその中のひとつを左手で摘んでみる。
意を決するようにそれを口の中に放り込んでみると、そこに甘みはなく、程よいしょっぱさとぴりりとした辛味があった。

 「あぁ、これなら俺様いけるわ」
 「本当です?よかった、リタがお店の方に甘くないお菓子はないかって聞いてくれたんですよ」
 「ばっ!ちょ、エステル余計なこと言わないで!」

膝の上に広げていた本から勢いよく顔を持ち上げ、上擦った声でリタが捲くし立てる。
彼女の向かいに座るユーリが楽しげに、照れるな照れるな、と煽ったばかりに彼女は色々な感情で顔を赤くしていた。
そんな様子を微笑ましく眺めていると、いつの間にかすぐ横まで歩み寄ってきていたフレンが
紅茶の注がれたティーカップの乗せられたソーサーをレイヴンの手元に置く。

 「レイヴンさんどうぞ」
 「お、あんがとね」

書類は横に押しやって、レイヴンは早速とそのティーカップに手を伸ばして淹れたての紅茶を口に含んだ。
なるほど確かにこのプレッツェルは紅茶と合うらしい。
お茶請けとはあまり縁がないレイヴンにとっては何だか新鮮な心持だ。

エステルとフレンはソファへと戻り、それぞれ紅茶をパティから受け取っている。
レイヴンもソファのほうに行こうかとも思ったが、漂う甘い匂いだけでも胸焼けを起こしそうだ。
この席からなら5人がよく見えるからいいか、とレイヴンは目の前にある缶箱へと手を伸ばす。
先ほどと違うプレッツェルを口に放り込むと、今度はまた少し違う香辛料の香りが口内に広がった。

 「何じゃ、休暇というよりも武者修行じゃの」
 「さすがは戦闘馬鹿ね」

話はフレンの休暇中のこと、休むというよりもひたすら体を動かしていたらしい。
今日もザーフィアスに戻ってくる前にユーリと手合わせをしてから帰路に着いたというのだから、
リタの言うとおり、さすがは戦闘馬鹿と言わざるを得ないが、団長となって事務仕事の増えたフレンにはいい息抜きになったのだろう。

 「というわけでおっさん、俺と手合わせしようぜ」
 「どういうわけよ、っていうかやーよ、青年の太刀筋読みにくいし」

ユーリは型に嵌らない、そういう意味ではフレンとのほうがまだマシに思えるが実際のところはどっちもどっちだ。
なまじ昨日の新人騎士たちの実地訓練で、少しばかり腕が鈍っていることを感じたタイミングで、
よりにもよってこの戦闘馬鹿たる若者たちと手合わせなど御免被りたい。

 「だったら僕とお願いします」
 「えーフレンちゃんの剣戟重いから勘弁だわ」

心底残念そうな顔をするフレンに良心の呵責を僅かに感じつつも、レイヴンは何とかやりすごす。
わがままなおっさんだ、とユーリとパティ、リタとに集中攻撃をされてものらりくらり。
エステルはそんなやり取りを聞いてか、くすくすと笑った。


桃色、栗色、黄金色に漆黒が揺れて、白猫は可愛らしく、紫と橙の花々が香り、空色と水色も鮮やかに。
人気のない殺風景だったこの部屋に笑い声が響いて、様々な想いの込められた絵の具が白いカンバスを華やかに彩る。
からからに乾いていた心に暖かな湯水が注がれて、心が満たされている、と改めてレイヴンは思った。

 「・・・・・・ったくもー分かったわよ、後で付き合うってば」
 「今の確かに聞いたからからな、約束守れよ?」

仕方ないねぇ、と苦笑しながら応じればユーリは相も変わらずの不敵な笑みを浮かべ、フレンは嬉しそうに笑っている。
右の鞘に手を伸ばして、緋色をそっと撫でれば白銀が脳裏に浮かんだ。
その色彩に少しばかり切なさを覚えながらも、レイヴンは一呼吸、じとりと彼らを見遣る。

 「俺様の本気に後悔しても知らないわよ、青年もフレンちゃんも」
 「はっ、そうこなくっちゃな」
 「楽しみにしています」

レイヴンはやんわりと微笑みながら、持ち上げたティーカップを傾けた。

彩りのない世界に感情の嵐が巻き起こって、まるで幾重もの波紋のように色という色が、そして世界が広がって。
きっと虹色のパレットは、目を背けていただけで、本当はいつだって手の届く場所にあったのだ。
白く塗りつぶされたカンバスに、再び息吹をもたらす日が訪れることを、ただひたすらに待ち焦がれながら。

10年の時を経て、再び手に取った絵筆が美しい世界を描き始める。


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色づきはじめた世界は一度塗りつぶされてしまったけれど、きっと今なら、笑顔の溢れる美しい世界がもう一度描けるはず。