儉a toile -3-


フレンを強制的に休暇へと放り出して2日目。
その日は午前中に新人騎士たちの実地訓練があり、ザーフィアス城にはウィチルを残し、ソディア共々クオイの森へと向かった。
随分と前にこの森にいた巨大獣も倒してしまっているため、手のかかる敵はおらず、何事もなく訓練は終了する。

ザーフィアス城まで戻ってから、新人騎士たちの面倒はソディアが引き取ってくれたため、レイヴンは真っ直ぐ執務室へと歩き始める。
最近は変形すれば剣としても使えるとはいえ、基本的に弓ばかり使っていたため、久し振りに剣を振るった。
長年扱ってきた武器とはいえ、少しばかり鈍ったように感じる。

 「・・・・・・ん?」

剣の鍛錬も怠らないようにしなければ、と考えながら廊下を歩いていると人の話し声が聞こえてきた。
きっとその名前が聞こえてこなかったならば、レイヴンは別段気にも留めずに足を進めていたことだろう。
フレン、シュヴァーン、アレクセイ、と連なった名前がレイヴンの歩みをぴたりと止めた。

 「フレン団長がザーフィアスを離れているからとはいえ、どうして留守中の責任者がシュヴァーン隊長なんだかな」
 「本当にな、あのアレクセイの懐刀に留守を預けるなんて、フレン団長も信を置きすぎだろう」

前方の曲がり角の先から聞こえてきたそんな会話に、レイヴンは苦笑を禁じえなかった。
留守番役にレイヴンを指名したのは実際にはソディアではあるものの、概ねレイヴンとしても彼らの言には同意の心持だ。
仰る通りで、と小さく零しながら腕を組み、進行方向を向いたまま廊下の壁に寄りかかった。

 「大体、未だにどうしてシュヴァーン隊長が隊長首席なんだ?首席どころか隊長から格下げになってもおかしくない」
 「そこはフレン団長が続投を決めたらしい、あの方もそんな甘い判断で大丈夫なんだか」

やっぱりそう思うよねぇ、と心の中で呟きながらレイヴンは溜め息をついた。
レイヴンとしては自分の評価に引き摺られて、フレンの評価や信頼が揺らぐことを懸念している。
だからこそ、隊長首席などという地位はもう不要と何度も言ってきたが、フレンが頷くことはなかった。
しかし憂慮していた通りの状況が生じている以上、フレンの休暇が明けたらもう一度話すべきか、と無精ひげを撫でる。

 「大罪人アレクセイは死んで当然だったとして、その腹心にフレン団長が悪影響を受けなければいいけどな」
 「まったくだ、シュヴァーン隊長のせいでフレン団長がアレクセイと同じようにならないことを願うばかりだ」

ぴたり、と顎に触れていたレイヴンの手が止まった。
それまでの話は言われて仕方ない、と思っていたが聞き流すことのできない言葉が心に突き刺さり、
レイヴンの心の中にほの暗く深い澱みを生み出す。

否、これも結果だけを見れば本来言われても仕方ないことなのかもしれない。
とはいえど、その結果に至るまでの、彼の人が歪んでいく過程を見て、その原因を知っている身としては、
"死んで当然"という言葉にぢりり、と胸の奥が燻るのを感じずにいられなかった。

 「・・・・・・死人にくちなし、か」

ついて零れたのはそんな言葉だった。
あの歪みの原因を見聞きして知ったとしても、彼らは"死んで当然"などと言ってのけるのだろうか。

しかしきっとここで自分がその事実を語ったところで何の意味もなさず、むしろ蛇足にしかならない。
アレクセイを擁護すれば、そんなレイヴンに信を置いているフレンへの評価や信頼も一層揺らぐことだろう。
理由はどうであれ、今もなお自分は彼の人に関する事象に対して見て見ぬふりしかできないのか、とレイヴンは辟易した。

 「何よあれ、あったまきた!」

唐突に、後方から聞こえてきた激怒する少女の声にレイヴンの体がびくり、と揺れた。
咄嗟に振り返ろうとしたが、続け様すぐ横を小さい影が走り抜けていくのが見え、改めて前方へと視線を投げる。
前方の曲がり角へと凄まじい速度で駆けていった少女、リタの後姿にレイヴンは目を瞠った。

 「ちょっと、あんたたち待ちなさいよ!」

前方にある廊下の角を曲がったあたりからリタの声が響いて聞こえる。
あぁこれは彼女を止めなければ、と直感的に思いながらも、思いがけない状況にレイヴンは硬直したままだった。
彼女の声に応じる気だるそうな男たちに声が聞こえたあたりで、どうにか廊下の壁に寄りかかっていた体を起こす。

 「レイヴン、大丈夫です?」
 「へ?あ、あぁ何だ、嬢ちゃんもいたの」
 「ふむ・・・・・・うちはリタ姐の様子を見てくるのじゃ」

すぐ隣に立って心配そうな顔でエステルがレイヴンの顔を覗き込んでくる。
そしてパティが小走りにリタが走っていった方へと向かっていった。
完全に出遅れてしまい、パティの後姿を見送りながらレイヴンは頭を掻く。

 「まぁ、俺はああいう風に言われても仕方がない身の上だから、さ」

レイヴンの言葉に、エステルは小さく息をついた。
そうしている間も、遠くからはリタが憤慨している声が聞こえてくる。
先ほどよりも少しばかり距離が離れてしまったせいか、発している言葉の内容までは聞き取れなかった。

 「仕方ないで割り切れないから、ああしてリタは怒っているんです」
 「リタっちは優しいからねぇ」
 「リタは優しいです、でもそういうことではありません」

凛としたエステルの言葉に、レイヴンは前方へと投げていた視線を右隣へと落とす。
彼女は怒りや悲しみといった感情を織り交ぜた、複雑そうな表情をしていた。
相変わらずと、遠くからはリタの声が響いている。

 「私たちはレイヴンのことを知っています、だから仕方ないでは納得できません・・・・・・私も、怒っています」

その言葉を聞いて、自分がさっき感じていた燻りと同じ感情を彼女たちも抱いているのだとレイヴンは理解した。
レイヴンがアレクセイに対する彼らの発言にそう感じたように、彼女達はレイヴンに対する彼らのそれに憤りを感じている。
どうしてそこまで自分のために、と思ったがその答えは酷くシンプルで、自分自身もまさに今し方経験した感情だった。

 「この場にいないユーリたちだって、同じように怒りますよ、それに・・・・・・ほら」

気づけば、がやがやと曲がり角の向こうが騒がしくなっている。
ざわめきの中に聞きなれた声が混ざっていることに、エステルも気づいているようだ。

 「我らがシュヴァーン隊長を愚弄するとは言語道断!」

クリアに聞こえてきたその声と言葉に、あぁこれでは収拾がつかなくなる、とレイヴンは肩を落として大きく溜め息をついた。
隣ではエステルがくすくす、と可愛らしく笑っている。
聞こえてくるざわめきの大きさから、声の主であるルブランとその小隊以外もいるようだ。

 「皆、レイヴンのことが好きで懸命に尽力していると知っているんですから、仕方ないなんて寂しいこと言わないでください」
 「まったく・・・・・・嬢ちゃんには敵わんよ」

さすがにそろそろ仲裁に入らないといけないな、とぼやきながらレイヴンは苦笑した。
ようやくと踏み出せた一歩、続けてもう一歩と曲がり角へと進む。
数歩遅れてエステルもついてきてくれているようだ。

曲がり角に差し掛かり、騒ぎの方へと体ごと向きを変える。
詰められている数人の騎士たちがレイヴンとエステルを視界に捉えて瞠目した。
そんな彼らに詰め寄る騎士はルブラン小隊を含むいくつかのシュヴァーン隊の小隊、そしてフレン隊の小隊だった。

 「シュヴァーン隊長!それに、エステリーゼ様も」
 「もう、おっさんも何とか言ってやりなさいよ、こんな奴らにとやかく言われる筋合いはないでしょ!」
 「リタ姐の言うとおりなのじゃ」

毛並みを逆立てた猫のようなリタと、腕を組んで彼女に同調するパティにレイヴンは困り顔で笑う。
先ほどリタの様子を見てくると言っていた時に比べて、パティも心底不愉快そうな顔をしていた。
遠くレイヴンには聞こえなかったやりとりの中に、彼女の逆鱗にも触れるものがあったのだろうか。

彼女たちの前まで踏み出して、レイヴンはリタの頭をぽんと撫でた。
いきり立ち、詰められている騎士たちを指さしていたリタの手が下がる様子が視界に映る。

 「おまえたちも持ち場に戻れ」
 「し、しかし!」

リタに向けていた視線をルブランたちの方へと向けてそう言い放てば、
シュヴァーンを貶した騎士たちを差し置くことに承服できない、と彼らは口々に発した。
レイヴンは目蓋を閉じながら静かに息をつき、そしてゆるりと口元に笑みを浮かべる。

 「騎士の務めは、城の廊下で騒ぎ立てることではないだろう」

決して責めているわけではなく、彼らを諭すように、レイヴンはゆっくりとした調子で語りかける。
すっかり萎縮してしまっている騒ぎの根源をにらみつけながらも、シュヴァーン隊とフレン隊は黙り込んだ。
目蓋をもちあげれば、レイヴンの視界には様々な感情の入り混じった騎士たちの顔がある。

 「・・・・・・ありがとう」

レイヴンの発した謝辞に、複雑そうな表情をしていた騎士たちは目を瞠り、数秒の間をおいて敬礼した。
綺麗に揃った鎧の音に続いて、小隊長たちが持ち場へ戻るように指示の声をあげる。
すぐ後ろあたりに立っているのであろうパティが、感嘆の声を漏らしているのが聞こえた。

そう時間もかからず人の数が減り、この場に残るのはレイヴンとエステル、リタ、パティと、
未だ視線を彷徨わせながら立ち往生している数人の騎士たちだけとなった。
改めてレイヴンが彼らの方へと向きなおれば、怯えの色を過分に含んだ視線とぶつかる。

 「おまえたちの考えを否定するつもりはないが、そういうことは本人に直接進言するか、もう少し場所を考えて発言するように」

物事をどう思いどう考えるかなど、所詮は個人の価値観次第だ。
それ故、自分に対してどんな評価をしようとも、レイヴンは彼らを責めるつもりなどない。
ただ、本当に良しとすべきでないと思うのであれば、相手のためにもそれを説明し伝えるべきで、
逆にただの愚痴という次元の話であれば心の内に留める、あるいは意見の相違による衝突が発生し得る場所での発言は控えるべきだ。

レイヴンが騎士たちへ念押しの言葉を続ければ、彼らは慌てたように数回頷いてみせた。
その後、彼らは口早に失礼します、と発すると足をもつれさせながらもその場を後にし、
そんな彼らの後姿をぼんやりと見送りながら、レイヴンは深い溜め息をついた。

 「ふー・・・・・・そんじゃま、俺は部屋に戻るとしますかね」
 「あたしは調べ物しにいってくる」

リタに視線を向ければ、いまだ苛立ちが燻っているのか、むっすりとした顔をしている。
彼女の言葉にエステルは同行を申し出て、それに対してリタは頷いて応えた。
颯爽と踵を返してリタは歩き始め、エステルはレイヴンの方へと向いて一礼した後に彼女の後を追う。

 「おーい、リタっち」

レイヴンが呼び止めると、リタはその場に足を止めて肩越しにこちらへと振り返る。
その間にエステルは先を進んでいたリタに追いつき、彼女の横で同じように立ち止まった。

 「あんがとね」

へらり、と笑いながら礼を述べればリタは口篭った。
距離は離れているものの、その表情に照れくささをどうにか隠そうとしているような、そんな様子が窺える。
最終的にはふいっと顔を背け、彼女はそのまま歩いていってしまった。
そんな彼女の後姿と、並んで歩いていくエステルの姿を眺めながらレイヴンは小さく笑った。

 「んで、パティちゃんはどうすんのよ」
 「うちはおっさんの部屋で休憩でもするかの」
 「・・・・・・俺様の部屋は休憩所扱いなのね」

レイヴンが大袈裟に肩を落としてみせていると、パティはお構いなしといった様子で先に歩き出した。


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