儉a toile -2-


執務室に戻ってくると、そこはもぬけの殻になっていた。
少しばかり残念な気分になっている自分に気づいて、レイヴンは苦笑する。
一時とはいえ先ほどまで華やいでいたこの部屋も、もとの殺風景で色味のない場所へと戻ってしまった。

しかしソファを見遣ればエステルとリタ、そしてパティの荷物が放られたままだ。
テーブルにはリタが読んでいたのであろう研究書類の束が無造作に置かれ、窓から吹き込んだ風がぱらぱらとページを捲る。
この状況を見る限り、そのうち戻ってくるのだろうとレイヴンはひとつ息を零して部屋の扉を後ろ手に閉じた。

 「さて、と・・・・・・とりあえずお仕事始めますかねぇ」

抱えた書類をデスクへと置く前に、開け放っていた窓を閉じる。
カーテンは開けたままにデスクへ書類を置けば、どさり、と思いのほか大きな音が響いた。
この量は今日中に片付くかどうか怪しいところだ、とレイヴンは短く息をついて椅子へと腰かける。

早速取り掛かろうか、と一番上の書類に手を伸ばしたところで部屋の扉をノックする音が聞こえた。
それに短く応じれば失礼します、と礼儀正しい聞きなれた声。
扉が開くと、先ほど別れたルブラン小隊が姿を現した。

 「聞きましたぞ、レイヴン殿!しばらくこちらにいらっしゃられるのですな」
 「あぁ、まぁそういうことだからよろしく」
 「レッ、レイヴン殿が・・・・・・レイヴン殿が執務室に・・・・・・」

何をどうしてそこまで感激するのか、ルブランは感極まった様子で男泣きをしている。
つられて彼の後ろに控えていたアデコールとボッコスまでもが同じ反応をしてくるため、
レイヴンは大きく肩を落としながら息をついた。
執務室にいるだけで泣くほど喜ばれるというのもどうしたものか。

 「・・・・・・して、レイヴン殿」
 「ん?」
 「その、お着替えにならないので?」

ちらり、と向けられたルブランの視線にはじりじりと焦げ付くような、強烈な期待が込められていた。
デスクワークをするだけならこの楽な羽織姿でいいではないか、と思いながらも、
考えてみればフレンが不在ともなれば予期せぬ来客も想定しておく必要はあるかもしれない。
休廷期とはいえ評議会の議員が、あるいは何処かの貴族の来訪が、と。

そう考えると仕方なしか、と渋々とレイヴンが立ち上がれば、ルブラン小隊が揃って嬉しそうな顔をしているのが目に映った。
できることなら今の羽織姿で済ませたかったが、色々なことを想定するとどうにも騎士服に着替える他なさそうだ。
執務室から扉1枚隔てた先にある寝室に足を向けて、潜った扉を閉じる。

 「仕方ないねぇ、まったく」

髪を纏める紐を解いて、癖のついた髪を手櫛で梳いた。
執務室同様に殺風景な寝室にはベッドとクローゼットぐらいしかものがなく、
そのクローゼットを開ければ変わらずそこには目的のものが仕舞われている。

名残惜しくも羽織を脱いでベッドへと放り、久方ぶりに手に取った騎士服へと手早く着替えた。
以前、騎士団とギルドとの二重生活をしていたころが、随分と昔のことのように感じる。
そして最後に手に取ったのは使い慣れた深紅の剣。

 「・・・・・・」

シュヴァーンが小隊長へと昇格した折の贈り物、改めてそれを手に取ると色々な記憶や想いが巡る。
鞘を右手に、左手ですらりと抜刀すれば鮮やかな深緋が姿を現した。
カーテンを閉じたままで暗いこの寝室の中にあっても、その色彩は己を主張するかのようにレイヴンの瞳に映る。

 「後で、お手入れしますかね」

目の高さに持ち上げた刀身を右に左にと僅かに傾けながらレイヴンは目を細めた。
この緋を見ていると、強烈な憤怒と仄かな憂愁を秘めた贈り主の瞳の色と重なり、ふっと沸いた罪悪感に苛まれる。
少しの間ぼんやりと眺めた後に鞘へと刀身を収め、レイヴンは少し寂しげに笑った。

右に剣を携え、目蓋を閉じて深呼吸をひとつすれば自然と背筋が伸びる。
ひとつ、昔と違うとすれば、姿こそシュヴァーンだが中身はあくまでレイヴンである、ということだろうか。
そんなことを考えながら閉じていた目蓋をゆっくりと持ち上げ、レイヴンは執務室へと戻った。

 「シュ・・・・・・シュヴァーン隊長おおおおお」

予想通りすぎるルブランたちの反応に、しばしの追慕もなりを潜め、レイヴンは左手で目を覆い溜め息を零した。
いちいち反応がオーバーすぎるが、着替えただけでこれだけ喜んでくれるのなら安いもの、ではある。
たまにはよしとしよう、とレイヴンは気を取り直して椅子に腰かけた。

 「ルブラン、いつまでここで油売ってるつもりだ」
 「もっ、申し訳ありません!」

口調こそシュヴァーンを思わせるものではあるが、幾分かその声色はレイヴンのそれ。
先ほど手に取った書類を再度デスクから拾い上げて視線をそこに落としながら、
頑張ってこい、とレイヴンが言えば嬉々とした声で礼を述べ、慌しくルブラン小隊は執務室を出ていった。

 「うわ、何時の間に着替えたのよ」

ぎょっとした様子の声は、ルブランたちが嵐のように去っていくのとすれ違うようにしてレイヴンの耳に届いた。
その声にレイヴンが視線を持ち上げれば、訝しげな顔でこちらを見るリタがいる。
続いてエステルとパティが執務室の中へと入ってきた。

 「一瞬部屋間違えたかと思ったじゃない」
 「俺様だって好きでこっちに着替えたわけじゃありませーん」

リタの物言いに、レイヴンがじと目で溜め息交じりに応じればエステルはくすくすと笑った。
彼女たちはそれぞれに紙袋を抱えており、どうやら買い物に出かけていたらしい。
パティが抱えていた荷物をソファに置き、レイヴンの方に向き倣って腕を組んで、小さく唸った。

 「その格好でおっさんの口調は何か変じゃの」
 「おろ、やっぱり?んじゃ変えましょーか」
 「いいわよそのまんまで、めんどくさいわね」

心底嫌そうな顔で言うリタに、レイヴンは思わず苦笑してしまう。
彼女はどうもシュヴァーンが好きではないようだ、というのは旅をしていた頃から薄々感じていたことだ。
きっとバクティオンでの一件が響いているのだろうとレイヴンとしては思っている。

 「戻ってきたら3人とも居なかったからどうしたのかと思ったけど、お買い物いってたのね」
 「はい、色々と買ってきたんですよ」
 「うむ、おっさんの部屋は殺風景すぎなのじゃ」

エステルの言葉にそうかそうか、と相槌を打ったところに被さったパティの言葉にレイヴンは首を傾げた。
買い物の話からどうして部屋が殺風景、という話に至ったのかと考えること数秒、
リタが抱えていた袋から何かを取り出してことり、と小さく音をたててデスクにそれを置く。

 「猫?」
 「猫の花瓶です、リタが選んだんですよ」

可愛いですよね、とエステルが嬉しそうに語るのを聞いて、リタは照れくさそうにしている。
それは白い陶器でできた、座っている猫のかたちをした小さめの花瓶だった。
緩い輪郭を描くその白猫をパティが手に取ると、水をいれてもらってくるといって小走りに執務室を出ていく。
花瓶に水、殺風景な部屋だからとどうやら買ってきてくれたらしいとここにきてレイヴンは理解した。

 「レイヴンの好きなお花が分からなくて、勝手に選んでしまいました」

エステルがテーブルに置いた紙袋から、あの白猫に合わせて短めに切りそろえたのであろう生花を取り出した。
色合いは紫を基調として、薄紫や桃色がバランスよく織り交ぜられた花束だ。
それはレイヴンの色調に併せて選んでくれたのだろうと何となく分かって、照れくささを覚える。

 「ただいまなのじゃ!」

ぱたぱた、と足早にデスクへと駆け寄ってきたパティが両手で持っていた白猫の花瓶をデスクへと置いた。
そこへエステルが花を生ければ、3人揃って何とも満足そうな顔をする。
そして何か思い出したようにパティがソファに置いていた彼女の買い物の袋をがさごそと漁った。

 「んふふ、うちはこれを飾るぞ」

ずるり、と袋から引き摺りだされたのはパティの顔と同じぐらいの大きさの額縁。
彩度の落ち着いた品のいい金縁の額はデスクに立てて置けるようになっており、パティは白猫の横にそれを置いた。

 「どうじゃ、海が恋しくなるじゃろう」

その額に収まっているのはカプワ・トリムの港の絵画だった。
海の青には彩り鮮やかな船が、空の青には流れていく白い雲が描かれている。
この絵からはありありとカプワ・トリムの情景が浮かんで、確かに海が恋しく感じられるとレイヴンは同意した。

 「やー何かありがとうね、お陰でデスクが華やかになったわ」
 「その花瓶、割ったりしたらぶっとばすわよ」

腕を組んでそっぽを向いて物騒なことをいうリタだが、それが照れ隠しだと分からないはずもない。
心の奥がほっこりとして、レイヴンはもう一度ありがとう、と3人の少女たちに笑いかけた。


≪Back || Next ≫