僖urata dell'incubo - 1 -


今日は久し振りに一緒に眠ろうか、なんて言い出したユリウスに促され、
彼の部屋のベッドでルルも共々、横になってすでに数時間は経過している。
ルドガーは目を瞑っては開き、そしてまた目を瞑っては、しばらくして開く、を繰り返していた。

 「……」

眠ることがこんなにも怖いと思ったことがあっただろうか、とルドガーは小さく息をついた。
向かい合うようにして横になるユリウスに抱きしめられ、ルドガーも彼の背に手をまわして体を寄せ合い、
その温もりに深い安堵感を覚える一方で、ユリウスの時歪の因子化が進み、彼が消滅する恐怖にただひたすらに怯えている。

 「兄、さん」

頬を寄せているユリウスの肩口に一層に顔を摺り寄せ、ルドガーははひどくか細い声で兄を呼ぶ。
ベッドに入ってもう数時間、ユリウスが起きているはずもない、そう思っていた。
しかし意外なことに、ルドガーに腕枕をしながら頭を抱き込んでいたユリウスの左手が、
呼びかけに応じるようにルドガーの髪を梳く。

 「……起きてたんだ」
 「色々と考え事をしてしまっていて、な」

すっかりと暗くなっている室内に響いたユリウスの声はいつも通りの優しく穏かな音色でありながら、
その中に幾分か悲哀の色が見え隠れしている。
それも当然のことだ、ルドガーがユリウスの消滅に怯えることと同時に、
彼にとっても自身の消滅という現実を前にして思うところがあって然るべきだ。

 「眠れないのか、ルドガー」
 「うん」

そうか、と短く応じながらぽん、ぽん、とユリウスがルドガーの背を撫でた。
他でもないユリウスのことだ、ルドガーが眠れない理由もおよそ察しはついているのだろう。
それ以上のことを問うこともないまま、ただルドガーの不安を紛らわせるように、優しく抱きしめる。

 「……大丈夫だから、もう寝なさい」

徐に聞こえてきたのはあのハミング、そしてルドガーをあやすように背を撫でる様は、
寝つきの悪い弟をあやして眠らせようとしている兄、幼い頃の記憶が頭を過ぎった。
もう20になるというのに子供扱いは止してほしい、といつものルドガーであれば言っているところだったかもしれない。

眠りたくない、眠るのが怖い。
そう思いながらも隠し切れない疲労に包まれたルドガーの体は睡眠を欲していた。
温かな体温、優しい手の感触、心解きほぐす声とメロディ、それらがルドガーを眠りへと促していく。
嫌だ、嫌だ、と思いながらも遠ざかっていく意識の中、最後にこめかみへ温かいなにかが触れたような気がした。



僅かに振動を感じる。
すっかりと深い眠りにおちていたルドガーはその僅かな振動に重たい目蓋を持ち上げた。
自身を抱え込むユリウスの温かさに、目を開いてなお、未だ眠っているような感覚に陥る。
そんな寝惚けた頭で何が振動しているのかと考えているうち、それが枕元に放られていたルドガーのGHSだと気づく。

 『ルドガー?』

GHSを開いて左の耳に宛がうと、通じて聞こえてきたのは良く知った、聞き慣れた少女の、エルの声が聞こえた。
驚きのあまりにルドガーの眠気など一瞬で覚め、勢い良く上体を起こす。
ルドガーを抱え込んでいたユリウスの腕がベッドへと落ち、隣で眠っていた彼は小さく唸った。
恐らくはあの時のように、ビズリーのGHSから連絡をしてきているのだろう。

 『よかった、繋がった……エル、お願いして分史世界全部消してもらったよ』

ふと、エルの言葉にルドガーは疑問を持った。
彼女の言葉はまるで、オリジンの審判にあたって彼女が大精霊オリジンに分史世界の削除を願ったかのようだ。
ビズリーに同行している以上、彼が精霊を自身の支配下に置くと願うのではなかったのか。

 「……エルが、オリジンに願ったのか」
 『うん』

質問の意図が伝わったようで、エルは事の経緯を話し始めるも、その内容は信じ難い内容だった。
彼女が言うには、確かにビズリーはオリジンの審判にあたって彼の願いを口にはしていた。
しかし、その内容に憤慨した大精霊クロノスが、深い傷を負いながらもビズリーに喰いかかったのだという。
そしてその不意打ちに対すべくビズリーが骸殻の力を発したあと、事態は急変した。

 「ビズリーが……時歪の因子化した?」
 『うん……』

ルドガーの口にした言葉を聞いて、隣でまどろんでいたユリウスも上体を起こした。
本当なのか、と問いかける彼の声に、ルドガーは小さく頷いて応じる。
ビズリーの指示でエルがこう告げている可能性もあるのかもしれないが、
オリジンの審判を通じてもし彼が精霊を配下に置いたとすれば、そのような小細工をする必要もないはずだ。

 『あのね、時歪の因子には上限があるんだって』
 「上限?」
 『エルたちが来た時は時歪の因子のカウントが999,998だったけど、今は999,999になってて、あと1で上限なんだって』

あと1人、時歪の因子化すると、それ以外の人間の時歪の因子化はすべてリセットされるのだ、とエルは告げた。
それはようするに、あと1人ユリウスよりも先に時歪の因子化すれば、彼が助かるということになる。
そこまで考えたところで、ルドガーは暗い心の奥底へと水雫がぽたり、と1滴零れ落ちて波紋を広げていくような感覚を覚えた。

 『エルは、もう助からないんだって……だから』

そう、そうなるよな、とルドガーは目を細めた。
残酷な考えが過ぎってしまった自身を責める一方で、広がる波紋によって芽生えた感情から目を背けることができない。
ルドガーの心は相反する感情によってぐちゃぐちゃにかき乱された。

 『じゃあ、もう切るね……今までありがとう、ルドガー……皆にもよろしくね』

ぷつり、と通話が切れる音がした。
切れてなお、ルドガーはGHSを左耳に宛てたまま身動きひとつ、取ることができない。
俯き気味に反応のないルドガーに、ユリウスが心配そうにその名を呼んだ。

幼い少女にすべてを背負わせたうえ、彼女のいう"皆"はもういない。
兄という選択が招いた結果だと理解はしている、それでも家族を選択することのどこが間違いだというのか。
間違いのはずはない、だというのにこの激しい罪悪感と、覚めやらぬ焦燥感は一体何なのか。
それでいて深い深い心の深淵でユリウスが助かる道を得た悦びを感じている自分自身がいて、ルドガーは気が狂いそうだった。

 「……兄さん、助かるって」

左手に握っていたGHSを耳から遠ざけて閉じたあと、ルドガーはユリウスの方へとゆるりと顔を向ける。
途端、首筋にまで及んでいたユリウスの時歪の因子化がすっ、とその色を変えていった。
表れたのは肌色、時歪の因子化がリセットされた瞬間だった。

兄の生還に笑うべきなのか、エルを失ったことに涙すればいのか、己の無力さと非情さに怒ればいいのか。
様々な感情の波が幾重にも押し寄せた後、ルドガーの心には、仲間たちを手にかけた時と同じ緋色の静寂が訪れていた。


Next ≫


血まみれの兄弟EDの流れでユリウスを助ける方法を考えたらこんなことになってしまった……そんなお話。
うちのユリルド、ルドガーのヤンデレ具合が酷いんですが、どうしてこうなったのか。