儚esponsabilidade - 1 -


クランスピア社の社長という立場についてから、自分の負わなければならない責任について考えることが増えた。
選択には相応の責任が生じる、当然のことではあるものの、これは一連のできごとを通じて改めて痛感したことだ。
大小の違いこそあれど、自分の選んだことに対する責任というものは、どんな選択にもついてまわる。

こと、エレンピオス随一の大企業であるこのクランスピア社の社長という重責もさることながら、
大切な兄のために散らせた命に対する責任も、どんなに目を逸らそうとしてもついてまわる。
何度もその罪悪感から逃げ出そうと試みた、それでもルドガーは最終的に向かい合わされるのだ。
よもや逃げる手立てはないのだと思い知ったのは、幾度目の逃避であったか、今となってはもう思い出すこともできない。

 「いってらっしゃい、兄さん」
 「ここでは名前で呼ぶんじゃなかったのか」
 「ヴェルいないからいいだろ」

席を立ち、苦笑したユリウスに不貞腐れ気味に言葉を返せば、くすくすと彼が笑う。
仕事中はユリウスを名前で呼ぶと決めたのはいつのことだったか。
兄と弟ではあるものの、ここでは弟が社長で兄は副社長という今一歩噛み合わない状態だ。
そんな状況も相まって、ヴェルから立場というものもあるからと指摘されたのがことの発端だった。

今日はユリウスがヘリオボーグの研究所へ出向く日だ。
所長であるバランの源霊匣研究を今ではクランスピア社がサポートしており、
時々ユリウスが研究所で実際に進捗を確認したり、あるいはアイディア出しの手伝いをしている。
研究への出資を言い出したのは他でもないルドガー自身で、これはジュードに対する自分なりの責任の取り方だった。

 「今日は精霊術師を招いて臨床実験をするらしい、長引いたら遅くなるだろうから、夕方までに戻らなかったら先に帰っていてくれ」
 「ん、わかったよ……あぁ、ちょっと待って」

早速と発とうとしているユリウスに、ルドガーは慌てて立ち上がって彼のもとへと小走りに駆け寄る。
ユリウスが扉の前で立ち止まり、ルドガーの方へと振り向き、微笑みながら首を傾げた。
そんな彼の向かいからルドガーは腕を伸ばし、しがみつくように体を寄せれば、ユリウスが抱きとめてルドガーの背を撫でる。

 「兄としては、弟に甘えてもらえるのは嬉しいんだが、な……他の社員に見られたらどうするんだ、ルドガー社長?」
 「皆入ってくる時はノックするから大丈夫……うん、充電終わり」

ユリウスの肩口に埋めていた顔をあげ、ルドガーは彼を見上げて微笑んだ。
仕方ないな、と困ったような呆れたような色を添えた笑顔を浮かべた後、ユリウスの顔がすっと近づき、
ルドガーのこめかみに彼の唇がほんの一瞬だけ触れて、小さなリップ音を立てて遠ざかる。

 「……兄さんこそ、ここでそれは見られたらどうするんだよ」
 「"皆入ってくる時はノックするから大丈夫"、なんだろう?」

オウム返しのように先ほどルドガーの発した言葉をユリウスが繰り返した。
何だか悔しくなってしまってルドガーがむくれていると、背にまわされていたユリウスの手が離れて頭を数回撫でられる。
小さく笑った後、ユリウスの姿は扉の向こうへと消えていった。



この日は誰かと会う用事も入っておらず、ルドガーはデスクに積まれた報告書へ目を通す作業を黙々とこなしていた。
単調な作業故なのか、あるいはユリウスがヘリオボーグへ向かったからなのか、
終わりの見えない思考のループに嵌ってしまったような気がしながらも、一度考えはじめてしまったものはなかなか止まらない。

結局のところ、源霊匣研究への出資はジュードの命を奪ったことに対する償いや責任と言いながらも、
傷口をガーゼと包帯で巻いて、その傷が目に付かないようにして心の平穏を保ちたいだけなのでは、と思うことがある。
そう思う一方で、そこに巻かれた包帯というもの自体は嫌でも視界に入るわけで、いずれは癒えていく傷のように、
犯した罪への意識が薄まることのないよう、目に見えるようにこの罪悪感をかたちにしようとしているのかもしれない。

 「……どっちにしても身勝手な話だよな」

ぽつりと零した言葉にルドガーは自嘲的な笑みを浮かべた。
己の身勝手さなど百も承知している、たったひとりの人間のために世界の未来すら投げ捨てた自分なのだから。
この立場に収まった理由ひとつとっても、もとはといえばユリウスと自分とそして兄弟の生活を守るため、という
酷く身勝手で自分都合なものだ。

それでも自分なりの責任の取り方というものを考えるようになったのは、多少なりとも前に進もうとしているからなのだろうか。
それとも、それすらも勝手な解釈でしかなく、むしろ身勝手さを拗らせているだけなのだろうか。
この自問自答に解などなく、そもそもこうして問答を繰り返し苦悩し続けることもまた自分に科せられたものなのかとすら思う。

 『ルドガー社長、ユルゲンス様がおいでになられています。アポイントなしなのですが、いかがいたしますか』

ふいに耳に届いたのはエントランスの受付嬢からのコールだった。
思考の底で澱んでいた意識が急速に現実へと戻ってくる。
デスクに置いている懐中時計を手に取り開いてみると、思いのほか時間が経過していたようだ。

 『……社長?』
 「あぁごめん、大丈夫だから通して」
 『承知しました……あの、体調が優れないようでしたらあまり無理はなさらないでくださいね』

では、とこちらの応答を待たずにコールが切られる。
返答が遅れてしまったせいでどうにも心配をかけてしまったらしく、ルドガーは小さく息をついた。
この話をヴェルに聞かれたら、社長たるもの、とまた説教を受けることになりかねない。
そんなことをぼんやり考えているうちに、部屋の扉を叩く音が響いた。

 「こんにちは、ユルゲンスさん」
 「突然すまないな、この間仲介してもらった商談が無事に成立したから、礼を言いに来た」

ユルゲンスは嬉しそうな笑みを浮かべながら、デスク越しにルドガーの正面へと歩み寄ってきた。
彼の言う商談とは、今もなお続けているリーゼ・マクシア産の果物類の売買に関して、
輸入を考えているエレンピオス側の商店への繋ぎ役をルドガーが買って出たものだ。

これは謂わば、アルヴィンの命を奪ったことに対する償いとでも言うところだろうか。
彼が死んでからユルゲンスは一度この商売から手を引こうとしていたが、
アルヴィンとともに苦労しながらも頑張ってきたことをすべて捨ててしまうのは彼に失礼だから、と
仲介をした折にユルゲンスが語っていたことは記憶に新しい。

 「よかったらこれを食べてくれ、日持ちしないもので悪いが」

とすん、と音をたててデスクに置かれたのは小振りのかごに盛られた色彩豊かなリーゼ・マクシアの果物だった。
すでに甘い匂いが香っており、自然と口元が緩むのを感じる。
これだけの量があればそのまま食べるもよし、ケーキやパイにするのもよし、と頭の中でレシピを巡らせた。

 「ありがとう、今夜の食後にいただくよ」
 「あぁ……そういえば、まだ見つからないんだよな」

ユルゲンスの声のトーンが下がり、彼の言わんとしていることを察してルドガーは苦笑する。
彼の言う"見つからないもの"、それはアルヴィンを、彼らを殺した犯人のことだ。
クランスピア社のエージェントも捜査に協力していることを知っているからこその問いなのだろう。

 「マクスバードが異常な状況の中で起きた手前、なかなか調査が進まないみたいなんだ」
 「そう、か……早く見つかってほしいな」
 「……そうだな」

悔しげに顔を歪めるユルゲンスにかける言葉が見つからず、辛うじて出たのは短い相槌の言葉だけだった。
彼は知らない、今目の前にいる話し相手こそがその"見つからないもの"だと。
彼から奪っておきながら、自分勝手に償いをして、彼から礼を受けているのだから酷い話だ。
それでも、彼は何も知らないし、このまま一生知ることもないだろう。

 「……っと、忙しいところすまないな。いきなり押しかけておいてこんな話をして」
 「いや、大丈夫だよ」

またいつでもきてほしい、と声をかければユルゲンスが再び人のいい笑顔を浮かべて頷いて応じた。
軽く手をあげ、扉の向こうへと向かっていくユルゲンスの後姿を見送り、扉が閉じたところでルドガーは息を吐く。
重大な真実を告げないまま、彼から感謝の意を受けることの罪深さに心の疼きを感じた。
これはバランに資金提供をもちかけて、話を受けたときの彼の笑顔に対しても感じたものだ。

あのできごとを後悔してはいないが、だからといって罪悪感がないわけではない以上、
こうやって自分は、彼らを手にかけたという事実から逃げることなどできず、
この先もこうして罪悪感に苛まれながら歩いていくしかないのだろう。

ルドガーは朝方のユリウスの感触を思い出すかのように、己の体を両腕で抱きしめながら、ゆっくりと目蓋を閉じた。



その後も報告書のチェックを続け、気づけば夕暮れ時になっていた。
いまだにユリウスが戻ってくる気配はなく、一応GHSも確認してみたものの新しいメールはきていない。
実験が長引いているのか、或いは懇親会でもやっているのかもしれない。
いまいちと今日は仕事に集中しきれない自分がいることにルドガー自身気づいてはいて、早々に仕事を切り上げることにした。

ユルゲンスから貰った果物入りの籠を片手にぶら下げエントランスへと向かうと、ヴェルとノヴァの姿が視界に入る。
ルドガーが気づいたあと、彼女たちもルドガーに気づいたようで、ヴェルは一礼し、ノヴァは手を振った。
このまま帰るつもりだったが、折角と思い、ルドガーは彼女達の方へと足を進める。

 「ルドガー久し振り、元気してた?」
 「ちょっとノヴァ」

相変わらずの調子で話しかけてくるノヴァに、ルドガーは頷いて応じた。
彼女のすぐ隣に立っているヴェルは、例え同窓生でもここの社長である以上はこの場では相応の態度で接するように、と
くどくどとノヴァに説教をし、その猛攻にノヴァは頬を膨らませてむくれている。

 「お帰りになられるところでしたか……それは?」
 「あぁ、ユルゲンスさんがさっき会いにきてくれて、その時に貰ったんだ」

そうですか、と何か疑問を感じているような声色でヴェルが相槌を打った。
恐らくは今日のスケジュールの中に彼との約束はなかったはず、とでも考えているのだろう。
約束はしていなかったけれど、商談の件でお礼に来ていたのだと捕捉すれば、幾分か納得したように彼女は頷いた。

 「ユリウス副社長がご一緒でないのであれば、ボディガードにエージェントを連れてお帰りください」
 「いや、そんなに遠くないしいいよ」

そういう問題ではない、と言いたげなヴェルの視線にルドガーは眉尻をさげて笑う。
であれば、本社前までは見送るという彼女の言葉には頷いて応じ、
彼女との用事が終わったらしいノヴァもまた一緒に外へと向かうことになった。

ビルの外へと出ると、空は茜色に染まっている。
さて帰るか、とルドガーが思った頃合、ふと妙な気配を感じた。
何処からか誰かに強烈な眼差しを向けられているような感覚がした次の瞬間、
遠くで乾いた音が鳴った後に左頬を何かが掠る。

 「え、今のって」
 「ルドガー社長、一旦中へ……エージェントを呼んでまいります」
 「他を巻き込みそうだから俺はここに残るよ、2人は中に戻ってくれ、あとこれ持っていてくれないか」

広場に数人の異質な人影を捉え、今本社内に逃げ込むのは戦闘慣れしていない人間も巻き込みかねない。
こうなっては自分で始末をつけるしかないだろう、とルドガーはユルゲンスから受け取った籠をノヴァに渡した。
色々と言いたげながらも承知した旨を口にし、ヴェルはノヴァの腕を引いて中へと戻っていく。
ビルの入り口から離れて数歩、近くの建物の屋根にも幾つかの人影を捉えた。

 「アルクノアか」

その武装を見て、ルドガーはぽつりと零した。
差し詰め、列車テロの件のすべてを彼らに擦り付けたことでエレンピオス軍が彼らの掃討に躍起になっている状況もあってのことだろう。
それらしい脅迫文は何度かルドガーの手元に届いたことがあるため、想像には容易かった。

広場に立っているアルクノアの構成員は10名ほど、高所からの射撃を狙っているのは5名ほどだ。
ルドガーの姿を捉えて早速と動き出した彼らに対し、ルドガーはベルトから下げている鞘から双剣を引き抜き構える。
彼らの足並みは揃っていないし動きも機敏とは言い難く、遠方からの砲撃を警戒しながらでもやりあうには余裕があった。
さすがに公共の面前で、正当防衛とはいえ命を奪うのはリスクが高いため、致命傷にならない程度に手加減はしている。

 「く、くそっ……」
 「そろそろ退いてほしいんだけどな」

1分とかからず9人は気絶し、仰向けに倒れ込んだ最後のひとりの喉元に切っ先を突きつける。
はき捨てた言葉は酷く冷淡な響きを伴い、倒れているアルクノアの男は短い悲鳴をあげたところで鳩尾を蹴りつけて気絶させた。
そうしているうち、ヴェルが呼び寄せたのであろうエージェントたちが本社から出てくる気配を背中に感じる。
瞬く間に彼らは散り散りになり、高所から狙撃してきていたアルクノアの人間を取り押さえていった。

これで終わりか、そう思ったところでもうひとり、通りの方から姿を現した。
その大男も武装からしてアルクノアの構成員で、彼は腕を引いてきた少女の首にナイフの切っ先を宛がっている。
人質のつもりなのだろう、ルドガーとエージェントに対して武器を捨てるようにと声をあげた。

 「早く武器を捨てろ」

少女は怯えた表情を浮かべている、年齢はそう、エルと同じぐらいだろうか。
残すところはこの男ひとりなのだから、構わず攻撃して取り押さえれば終わりだと理解しつつも、
この場であの少女を見捨てることがどうにもできそうにはなかった。
思うところがある故とはいえ、いずれにしても民間人の保護を優先しなかったともなれば、それはそれでまずいというのも事実だ。

ルドガーが武器を捨てるようにエージェントたちへ合図をし、自身の双剣も地面へと放った。
それを見届けたところで、男は少女をルドガーの方へと押しやり、少女は丁度男とルドガーの間のあたりに座り込む。
途端、エージェントたちが取り押さえていたアルクノアの構成員たちが少女に向けて銃口を向けた。

 「危ない……っ」

咄嗟に少女に駆け寄りながら、これは銃撃されたら避けきるほどの時間はないだろう、とルドガーは冷静に考えていえた。
自分を狙って射撃した場合避けられる可能性は高いが、少女を射撃してそれを自分が庇った場合であればその限りではない。
よくよく考えたものだと、妙に感心してしまった。
あと一歩で届く、どうにか手を伸ばしてルドガーは少女を抱え込んだ。

 「ウィンドカッター!」

今か今かと思っていた銃撃は発砲音こそしたものの狙いが逸れたようでルドガーに当たることはなかった。
聞こえてきたのは精霊術、はっとして顔をあげると誰かがまさに今、大男を取り押さえた様子が目に映る。
風に靡いた白いコート、そこにいたのはユリウスで、彼の横にはワンドを持った女性が立っていた。
恐らく彼女が先ほどの精霊術を使ったのだろう。

 「今だ、取り押さえるんだ!」

突然の精霊術で怯み、的を外したアルクノアの構成員を、ユリウスの声に応じるようにエージェントたちが再び捕縛する。
いつの間に戻ってきていたのかは定かでないものの、何にせよ彼の手際のよさはさすがだと思った。
さすがにこれで一件落着だろう、とルドガーは腕の中で沈黙している少女を覗き込む。

俯いたままでいる少女に怪我はないかと問いかけようとしたところで、ルドガーはわき腹に鈍い痛みを感じた。
先ほどの銃撃が当たっていたとして、痛みを感じるとすれば背中、しかし実際には腹部だ。
どうにか背を起こして見遣ると、少女の震える手にはナイフが握られており、その切っ先はルドガーの腹部へと突き刺さっていた。

 「ごめ、っなさ……パパの病気、治すお薬、買うお金くれるって……っ」

少女は手のみならず肩も震わせ、泣いていた。
父親のためにひたむきなその姿に、エルの姿がちらついてしかたない。
じんわり、じんわりと痛みは強まり、ルドガーは右手を地面に突いてどうにか体を支えた。
そして少女を抱えていた左手を彼女の背から離し、その頭を撫でる。

 「パパのために、必死だったんだな」

ルドガーの言葉に、少女は驚いたように顔をあげた。
少女の気持ちには覚えがある、大切な人のためならば他人の命を奪うことも厭わない、それはよく知っている感情だ。
しかしそんな覚悟を決めるにはこの少女は幼すぎる、だというのにそんな取引を持ちかけたアルクノアが悪いのだと、ルドガーは思った。

 「ルドガー!無事か?!」

自分の場合はそう、今心配そうに声をあげて駆け寄ってくる彼のために他人の命を奪った。
この少女を責めることなどできるはずもない。
君は悪くないよ、とどうにか少女に微笑んだところで、ぐらりと視界が歪み、ルドガーの体を支える右腕から力が抜けた。

どさり、と横向きに倒れ込んでからも少女はごめんなさい、ごめんなさい、と泣いていた。
意識が途切れる最後の瞬間に聞こえたのは、ルドガーの名を呼ぶユリウスの悲痛な叫び声だった。


Next ≫


一応書いておくと、ルドガーの死にネタではないです。
ユリルドなのにユリウスの出番が・・・・・・次はユリウス視点のお話。