儚esponsabilidade - 2 -


逸る気持ちをどうにか抑えて最善のタイミングを見計らった、はずだった。
紙一重ではあったものの、共にヘリオボーグから戻ってきた精霊術師の術は的確なタイミングに放たれ、
銃撃がルドガーにあたることはなかったというのに、彼の体は今まさにぐらりと傾き地に臥せる。
頭が真っ白になり、咄嗟に彼の名を叫んだが、彼が起き上がることはなかった。

 「ルドガー、ルドガーしっかりするんだ……っ」

ルドガーに駆け寄り、横向きに倒れている彼の体を抱えようと仰向けにしたとき、それが目に入った。
彼の左わき腹を中心に滲み広がる紅色、そこからあふれ出たそれは、ルドガーの服のみならず地面すらも染め上げる。
自分のすぐ隣で泣きじゃくっている少女へとゆるりと視線を向ければ、その手には緋色に染まったナイフが握られていた。

 「ごめんなさ……ごめ、っなさい……っ」

その手に握るものは何だ、何故この少女は泣いて詫びているんだ。
理由の如何はユリウスの知るところではないにせよ、少なくともルドガーのこの傷が彼女のせいであることは明白。
真っ白になっていた頭はその真実に触れた瞬間に深紅に染まりあがり、強烈な怒りが煮え滾った。
しかし今はこんな少女をどうこうしている場合ではない、最優先事項はルドガーの手当てだ、とどうにか自分自身を抑え込む。

 「……すまない、治癒をお願いしたい」
 「酷い傷……今すぐに」

駆け寄ってきた精霊術師にルドガーの治療を頼めば、早速と地面に座り込んで精霊術を発動させている。
抑制しきれない怒りのあまりにぐらりぐらりと視界が揺れるのを感じながらユリウスは立ち上がった。
クランスピア社のエントランス前にいたヴェルとノヴァがこちらへと駆け寄ってくる様子を捉えながら、
ユリウスはエージェントたちへと指示を出す。

 「エージェントは捕らえた人間を連れてこちらに集まってくれ、ヴェルは軍部に連絡を頼む」
 「承知しました」

ユリウスのすぐそばまで来たヴェルがGHSを耳に宛がいながら、ルドガーの様子を見て顔を歪めた。
何やら果物の入った籠を抱えているノヴァに至っては、彼の状況を見て顔面蒼白になっている。
怒りや不安といった負の感情に苛まれながら、しかし冷静に冷静にと自分自身を窘めながら、ユリウスは深呼吸をした。
震える手を強く握り締めながら、駆け寄ってきた手隙のエージェントへと少女の保護を指示する。

 「ユリウス副社長、軍部への連絡は完了しました、彼らの引渡しはすぐに行えます」
 「わかった、あとは騒ぎが広まる前に、通りから本社側への進入を規制するようにエージェントを配備してほしい」
 「すぐに手配します」

再びGHSを耳に宛がうヴェルを見届けたところで、ユリウスは足元へと視線を落とした。
地面に広がる緋色の染みは、気づかぬうちにユリウスの足先にまで達しようとしている。
その様子を見ていると、激しい怒りを通り越して、ただ呆然と立ち尽くしてしまった。

 「ユリウスさん、どうにか傷は塞がりました」
 「世話をかけてしまったな……」
 「いえ……ですが出血の量が多いので、できるだけ早く落ち着ける場所に運んだほうがよいかと」

ユリウスは再度その場に屈み込み、青白いルドガーの頬へと手を伸ばした。
顔色の悪さもさることながら、触れたその頬の温度も低い。
ただでさえこの出血量だ、精霊術師の言うとおりベッドへ運んでこれ以上体温が下がらないようにしなければならない。

しかしここからどうしたものか、とユリウスは考えた。
一旦本社の中へ引き上げるにしても、社員たちに社長であるルドガーが負傷した状況を目の当たりにさせることは芳しくない。
かといって、ここから自宅まで彼を運ぶにしても人目は多く、どちらの選択にしても懸念は多そうだ。
とはいえこのままにすることなどできないとすれば、せめて落ち着ける自宅を選択するべきだろうか、と結論を出した。

 「ヴェル、これからルドガーをつれて自宅に戻ることにする、すまないが後のことは頼んでも構わないだろうか」
 「はい……ですが、大丈夫でしょうか」

エージェントの手配連絡を終えてGHSを閉じたヴェルの問いかけには、色々な懸念が入り混じっている。
おそらくそれは先ほどユリウスも考えていたことであったり、あるいは安全性の問題もあるだろう。
安全性という意味では圧倒的にクランスピア社に留まることのほうが妥当ではあるものの、
こんな状況だからこそ、少しでも落ち着けるように住み慣れた自宅のほうがよいのではないかとユリウスは考えた。

 「いずれにしても懸念は払拭できそうにない、それなら療養は自宅のほうがいいだろうから、な」
 「……そう、ですね、では護衛としてエージェントをお連れください」
 「あぁ、そうさせてもらうよ」

羽織っているコートを脱ぎ、ユリウスは抱き起こしたルドガーの背にそれをかける。
丁度そのタイミングでヴェルが呼び寄せたエージェントが本社からこちらへと駆け寄ってきたため、
彼らの手を借りてルドガーを背負って立ち上がった。

しっかりと地面を踏みしめて立ち上がってみたものの、思いのほか背中からの重みを感じない。
想像していたよりも軽い弟の体重に、ユリウスは口をつぐんだ。
一緒に食事をとっているはずだというのに、どうして彼はこんなにも軽いのだろうか。
深呼吸をひとつ、もやもやとする気持ちを切り替えて、改めて傍で立ち上がった精霊術師へと顔を向けた。

 「駅まで見送るつもりが、こんな状況になってしまって申し訳ない」
 「とんでもありません、今晩は港の宿で一泊することにしますので、何かあればすぐに呼んでください」

もともと精霊術師の彼女は今日中にマクスバードを経由してリーゼ・マクシアへと戻る予定だったが、
ルドガーのことを案じてトリグラフに一泊すると言ってくれているのだろうと察しはついて、ユリウスは尚のこと申し訳なく思った。
一方で、彼女がいなかったらルドガーの命も危うかっただろうと思うと、背筋が凍る思いだ。

 「あっ、あのユリウスさん」

早速と帰路につくか、と思ったところで名を呼ぶ声のする方へとユリウスは体ごと向き直る。
そこにはノヴァが手に持っていた籠をこちらに差し出している姿があった。
何かと思い首を傾げると、どうにもそれはルドガーから預かっておくように頼まれていたものだったらしい。

 「ユルゲンス様がお越しだったようで、その時に受け取られたと伺っています」
 「そうだったのか」

ノヴァの話に補足するヴェルの言葉を聞いて状況を理解し、ユリウスは頷いて応じた。
果物だったら、ルドガーが目を覚ました時に食べるのにも丁度いいだろう。
しかしルドガーを背負いながらそれを持つのは難しそうでどうしたものかと考えていると、
護衛として同行するエージェントが代わりに持っていくとノヴァから籠を受け取ってくれたため、その言葉に甘えることにした。



エージェントたちに囲まれて移動する様は異様で、トリグラフの街の景色からは随分と浮いていたことだろう。
悪目立ちは避けたかったものの、ルドガーを背負って両手が塞がっている状態で襲撃でもされた日には元も子もない。
マンションの前まで来た時点で少しエージェントの数は減らし、マンションの1階にいた大家へ手短に事情を話したうえで、
この日ばかりは部屋の前にエージェントを置いておくことにした。

 「面倒をかけるな」
 「いいえ、むしろお役に立てるなら何よりです」

自宅まで果物の盛られた籠を持ってきてくれたエージェントが、リビングのテーブルへとそれを置く。
そのエージェントに礼を述べれば彼は折り目正しく一礼し、玄関の外へと出て行った。
彼の姿を見送ったところで零れた溜息は思いがけず大きく、静まり返ったリビングに響く。
まずはルドガーをベッドに寝かせて、服を着替えさせなければ、とユリウスは歩みを進めた。

片手でルドガーを背負いながら彼の部屋の扉を開けて、ゆっくりと彼のベッドへと腰を下ろす。
ルドガーが倒れてしまわないようにそっと体を捻り、一旦彼の背と膝の裏に腕を回してコートもろとも軽く持ち上げた。
シーツと彼の体の間にコートが広がるようにしてベッドへと寝かせたところで、ユリウスはルドガーの前髪を梳き撫でて体を起こす。

 「ルル、起きてたのか」
 「ナゥ」

戻ってきたときはソファで寛いでいたルルが、ユリウスの横をすり抜けてルドガーのベッドへと飛び乗る。
ルドガーの頬に擦り寄るように、彼の顔のすぐ横でルルが丸くなった。
そんなルルの頭をぽんぽん、と優しく撫でてからユリウスはリビングへと引き返す。

その後人肌ぐらいの湯とタオルを用意し、ルドガーの腹部に広がる流血の痕を拭ってから服を着替えさせながら
彼の体の下に敷いていたコートを引き抜いて床へと放り、ルドガーをベッドへと横たえてシーツを被せる。
そこまでの工程をユリウスは無心で黙々とこなし、気づいた時にはすでに夜の帳が下りていた。

 「……」

ベッドに寄せた椅子に深く座って、膝に肘をついて組んだ両手の項に額を乗せ、ユリウスは瞼を閉じて深く息をついた。
どうしてよりにもよって自分の留守中にこんなことになったのか、自分がいる時だったらこんなことにはならかったのでは、と
ユリウスはこの状況を回避できた可能性を思い浮かべては、その歯がゆさに苛立ちを募らせる。

分史世界のようなその場限りの状況であったら、自分は間違いなくあの少女を殺していたことだろう。
ユリウスはそう確信を持っていた。
彼女の手に握られている血塗れたナイフを目にした時の激しい憎悪は、それぐらいのことをやりかねない程の鮮烈な負の感情だった。

 「まったく……お前はもう忘れてしまったのか、入社試験の時にもこんなことがあっただろうに」

意識の戻っていないルドガーに聞こえているはずもないと理解しながらも、ユリウスは顔を持ち上げ、苦笑しながら問いかける。
クランスピア社の入社試験、襲われている女性社員を躊躇なく助けた時に首筋へ添えられたのはナイフだったではないか、と。
とはいえ、人質として出てきたあんなにも幼い少女にまさか刃を突きつけられるなど、
想像に容易くはなかっただろうとはユリウスも思うところではある。

ただひとつ、ルドガーが目を覚ました時にはっきりと言っておきたいことはある。
あの少女を庇うには如何せん無理があった、彼女を抱え込んで銃撃を避けるほどの余裕はなかったはずだ。
だというのにルドガーは、あの試験の時と同じように躊躇することなく駆け出していた。
あのまま撃たれていたら、それこそルドガーの命はなかっただろう。

 「もっと自分を大切にしてほしいんだがな……」

ルドガーは優しい、根本的に優しすぎるのだ。
彼なりに思うところあってのことだったのかもしれないが、そうだとしてもあれは無謀以外の何物でもない。
それでも身を挺してでもあの少女を守ろうとしたルドガーは、やはり優しすぎたのだろう。
そこまで他人を想えることは彼の長所であり、一方では短所でもあると、ユリウスは常々思っていた。

ルドガーは誰かのためにと思ったら、どんなにリスクの高いことですらも構わずに選び取る、そういう人物だ。
言わずもがな、その結果があのマクスバードでの一件であり、そして今回の負傷にも繋がっている。
一朝一夕でどうにかなるものではないと理解しながらも、こういう面ではヴェルの言うように立場を弁えて欲しいとは思う。

 「……ルドガー、お前のいない世界になんてなられては困るんだ、お前がいなくなる位ならいっそあの時……」

魂の橋となっていたほうがましだ、という言葉を呑み込んで、ユリウスは口を閉ざした。
それは言ってはならない言葉だ、自分の命の代償となったあの緋色の光景が脳裏を過ぎる。
今の自分が彼らの犠牲の上に成り立っている以上、どんな理由があってもそんなことを言ってはいけない。
ユリウスはそう自身を叱咤し、心底自分は今の状況に参っているのだと痛感した。

傷口も塞がり、寝息も規則正しい、それでもユリウスはただただ不安だった。
最愛の人を失う恐怖に打ちひしがれながら、ユリウスはこの晩、ルドガーに寄り添いながら眠りについた。


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ユリウスは大人なので自分のことを律することはできるけど、
傍目の印象とは裏腹に内心ではかなり感情が荒ぶっているんじゃないかな、とかそんなイメージ。

次はルドガー視点。