儚esponsabilidade - 3 -


激しい痛みを伴って暗転した視界、次の瞬間には見慣れた天井が広がっていた。
どうして今自分は自室にいるのだろうかと記憶を遡りながらぼんやりと天井を眺めていると、
ふいに横から黒い影が入り込み、ルドガーははっとしたが、その人物を捉えて再び驚いて言葉に詰まる。

 「あ、よかった、目が覚めたんだね」

人のいい笑みを浮かべながらルドガーを見下ろしているのはジュードだった。
どうして彼がここにいるのか、もとより生きているのか、何が起きているのか分からない。
ただでさえ思考が鈍っている中、何がどうなっているのかとルドガーは半ばパニックになりかけていた。
そんなルドガーの様子を不審に思ったのか、ジュードは少しきょとんとした後、眉尻を下げて大丈夫かと尋ねてくる。

 「えーっと……倒れる前のこと、覚えてる?クランスピア社の前でアルクノアに襲撃されていたんだけど」
 「……あ、あぁ」

それはルドガーの記憶と合致する話で、頷いて応じれば心配そうな顔をしていたジュードの表情も幾分か和らぐ。
確かにクランスピア社を出た先でアルクノアの襲撃を受けて、人質にとられた少女を助けたら彼女に刺されたのだ。
しかし目の前にいるジュードの存在が理解できない、彼は確かに、確かにこの手で殺しているのだから。

 「たまたま駅に用事があって通りがかったんだ、アルヴィンも一緒に」

ジュードが言うには、この日はバランの用事で一緒にヘリオボーグから戻ってきていたらしい。
そしてバランの用事というのがアルヴィンからの荷物の受け取りだったようで、
バランは荷物を置きに自宅へ戻り、ジュードは取引先へ向かうアルヴィンを駅まで見送るつもりだったようだ。
それとなく相槌を打ってはみたものの、アルヴィンも存命という状況にルドガーの頭は追いついてこなかった。

 「ここまでルドガーのこと運んでくれたのもアルヴィンなんだよ」
 「そう、なんだ……」

あんなことがなければ、彼らとの関係もこういう感じで続いていたのだろうか。
そんな可能性が脳裏にちらついて、ルドガーは内心苦笑する。
あの選択を誤ったとは思っていない、思うはずもない、だからこんな可能性あるわけがないだろう、と。

 「本当は調子が戻るまで付き添っていたいんだけど、明日にはヘリオボーグに戻らないとなんだ……ごめんね」
 「いや、助かったよ」

そう応じれば、ジュードはにこりと微笑んだ。
よく知っている彼の笑顔がそこにあり、ルドガーの中にある彼に対する罪悪感が顔を覗かせる。
しかしながらジュードは今目の前にいて、この状況は結局どういうことなのかという点は未だ解決する気配がなかった。

こうも奇妙な状況になると分史世界かと思うところではあるものの、
そもそも分史世界はエルがオリジンに願ったことで消滅している。
だとすればこれは夢なのだろうか、クランスピア社の前で倒れてから今もなお自分は意識がないのかもしれない。
それにしても夢を夢と意識するというのもまた不思議な話ではある。

 「あ、でもね、アルヴィンが取引先の用事が終わったらこっちに来るみたい、ルドガーひとりじゃ心配だからって」

"ひとり"というジュードの言葉にぴくり、とルドガーは反応した。
それは、この家でひとり、ということなのだろうか。
考えてみれば、"あちら"と同じシチュエーションでジュードとアルヴィンが生きているとすれば、
つまるところマクスバードで彼らと道を違えていないということになる、それはつまり、そういうことなのだろう。

急速に回転しはじめるルドガーの思考回路はひとつの結論にたどり着いた。
ここにはユリウスがいないのでは、という結論に。



本当にこれは夢なのだろうか、と疑い始めたのは"こちら"で目を覚まして3日目のことだった。
一晩眠って、起きてみればアルヴィンがやってきて、状況が変わっていないことに嫌でも気づかされる。
そして彼と他愛もない話をして2日目が終わり、就寝し、起きても世界は変わらなかった。

前日アルヴィンと話している中で"こちら"の状況について確証のとれたことがいくつかあった。
まず、予想を違えずユリウスは魂の橋となり、命を落としていること。
そして、オリジンの審判でエルを助けようとしたものの、結果的に時歪の因子化の進行によって彼女を失ったこと。
"こちら"でもエルを救えなかったという歯がゆさと、想定内とはいえユリウスの死という現実にルドガーの精神はかき乱された。

 「……また、こっちなのか」

リビングにはアルヴィンから差し入れにともらった果物を詰め合わせた籠が置かれていた。
そういえば"あちら"ではユルゲンスから同じようなものを受け取っていた、ような気がする。
だんだん、"あちら"でのことが記憶から遠ざかっていくことにルドガーは恐怖した。

本当は、"こちら"が現実で、"あちら"が夢だったのではないか、と途方もない絶望を感じる。
ユリウスが生きる世界は、このユリウスのいない世界から逃避するために作り出した夢だったのではないか、
"こちら"での日が過ぎていくほどにその可能性が高まっていくように思えて、ルドガーは焦燥感に駆られた。

 「お前だけだよ、相変わらずなのは」
 「ナゥ〜」

しばらく療養するように、とGHSで釘をさしてきたヴェルも相変わらずだったかもしれない。
そんなことを思いながらルドガーはルルを抱きかかえてソファへと深く座った。
不安から目を背けたいというのに、ルドガーの視線は自然とユリウスの部屋への扉へと向けられる。

彼の部屋の扉には鍵がかかっていて入ることができなかった。
案外と彼は生きていて、今はトリグラフを離れているだけなのでは、と楽観的なことも考えてみたものの、
仮にそうだったらきっとルドガーのGHSにメールが届いているか、誰かからこの状況を聞いて帰ってきているような気はする。
ユリウスのGHSへ通話をしてみようかと思いはしながら、繋がらなかった時の絶望感を思うとルドガーは試すことができなかった。

 「えっ……びっくりした」

メールのことを考えていた矢先にルドガーのGHSがメールの着信を知らせた。
まさか、と思いつつ見てみたものの、やはりそこにユリウスの名前はなく、差出人はエリーゼだった。
昨日はレイアとローエンからメールが届き、機械が苦手なガイアスの代わりに、
ローエンのメールにはガイアスからのメッセージも含まれていた。

また一緒にご飯にいこう、いつでも訪ねてきてくれ、最近はこんなことがあった、今度遊びにいくよ。

そんな彼らからのメールを眺めていると、胸の内を掻き毟られるような気分になった。
兄の命という選択は、こんな状況にあってもやはり後悔のない選択だったとルドガーは思っている。
それでも、その選択の裏でずっと抱えてきた罪悪感は決して消えることがなかった。
今、別の選択をしていた場合の可能性を目の当たりにして、その罪悪感が大きな波となってルドガーに押し寄せてくる。

 「……ルル、どうしよう」
 「ナゥ?」

それでもルドガーは"こちら"が夢であることを今でも信じ、願っていた。
確かにジュードたちとの平穏な日々もまた、幸せのかたちのひとつではあっただろうとルドガー自身思ってはいる。
しかし、ルドガーにとっては"こちら"が現実であっては困るのだ。

 「このまま、もう二度と兄さんに会えなかったら、どうしよう」

ついて出たのは"あちら"が夢であった可能性に対する恐怖。
ジュードたちへの罪悪感の生む焦燥感とは別に、"こちら"が現実である可能性に対する焦りもあり、
ルドガーの精神状態は酷く不安定なものになっていた。

少女を人質にして現れた大男を取り押さえる最中に翻る白いコートが、実はジュードの白衣だったのではないか。
精霊術によって狙撃手の手元が狂ったのも、実は精霊術ではなくてアルヴィンの銃撃だったのではないか。
意識が途切れる間際、ルドガーの名を叫んでいた声も彼らのものだったのではないか。
"こちら"は夢に違いない、きっと大丈夫だ、そう自分に言い聞かせるにも限界が近かった。

 「兄さんのいない世界なんて、嫌だ、無理だ」

でも"あちら"に戻る方法が分からない。
さながらゴールの見えない迷宮に迷い込んでしまったかのようだ。
どうすればいい、どうしたらこの絶望から逃れられるのか、ルドガーはルルの温もりへ縋るように抱きしめる。

いくら考えても答えが見つからず、ルドガーはそのうち気が触れてしまうのではないかと思った。
もし"こちら"が現実だというのならば、いっそもう、二度と目が覚めないようにすればいいのではないか。
そうしたらユリウスがいないという現実など見ないで済むのではないか、と。

 「……あのまま、死んでたらよかったんだ」

ジュードが通りがかったりしなければ、きっとあのままルドガーはアルクノアの手によって命を落としていた。
そうしたら、ユリウスのいないこんな世界から逃げることができたのかもしれない。
否、ここは夢であるかもしれない、そうでないかもしれない、もうよくわからない。
ルドガーの思考回路は完全に麻痺していた。

抱きかかえていたルルをソファに降ろし、ルドガーは徐に立ち上がった。
ふらりふらりとした足取りで向かうのは立ちなれているキッチン、シンクには都合よく鋭利に光る包丁が見える。
しかしその柄に手を伸ばそうとしたところで、静まり返った部屋に再びメールの着信を知らせるメロディが響いた。

 「誰、だよ」

もう放っておいてほしい、そう思いながらも鳴り止まないそのメロディに、
ルドガーの手はGHSへと伸びて今この時を中断させたのは一体誰なのかとメールを確認する。
しかし差出人は不明となっていて、他のメールのようにエリーゼやレイアなどの名前が表示されていなかった。

着信を告げるメロディはすでに鳴り止んでいる。
それでも、何だかそのメールが引っかかってしかたがない。
ルドガーは深く息をついてから、そのメールを開いてみることにした。


 『めがねのおじさん、ないてるよ』


短い、たったその一文だけが書かれたメールだった。
間違いなくそのメールの差出人はもういないはずの少女で、その内容も死んでしまったはずの兄が泣いているのだという。
ルドガーは目を見開き、驚きのあまりにGHSを握るその手の震えを抑えることができなかった。
兄のいないこの状況に血が上っていた頭が急速に落ち着きを取り戻していくのを感じる。

 「これは……」

どういうことなのか、と落ち着きを取り戻したルドガーが考え始めようとした途端のことだった。
静まり返っていたはずのリビングに、聞き慣れたハミングが薄っすらと響いてくる。
突然のできごとにルドガーは慌ててリビングを見回してみたものの、そのハミングを奏でる本人の姿はなかった。

 「……兄さんの、部屋から?」

周囲を見回しているうち、ハミングがユリウスの部屋の扉越しに聞こえてきていることに、ルドガーは気づいた。
そんなはずはない、部屋の扉には鍵がかかっていたし、そもそも魂の橋となってユリウスは、と思いながらも、
ハミングに引き寄せられるかのように、ルドガーはユリウスの部屋へと繋がる扉の方へと歩み寄り、扉に触れる。

まるで鍵など最初からかかっていなかったかのように扉は開き、ルドガーの視界はそこで暗転した。


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"こちら"の世界はフェイト・リピーターな世界。
多分つぎでおわりです。