儚esponsabilidade - 4 -


暗いトンネルを通り抜けた時のように世界は突如としてホワイトアウトし、気づけば見慣れた天井を見上げていた。
窓から差し込むのは朝の柔らかな日差し、このシチュエーションには覚えがあり一抹の不安を感じたのも束の間のこと。
頭の後ろに感じたのは腕枕の感触と、そして自分の腹の上に置かれている右手を握る、自分よりも少し大きな手。
仰向けになっているルドガーの体は左側から抱きこまれているような格好のようで、体の左半分に人肌の温もりが伝わってきた。

左耳のすぐ上から聞こえてくるのはあのハミングで、それでいて途切れ途切れになっているその音色は酷く不安定な旋律だった。
それでも、その声は間違いなく、ルドガーが会いたくて会いたくて仕方がなかった彼のもので、
あの絶望的な場所から彼のもとへと戻ることができたのだと知る。

 「兄、さん」

どうにか発したその声は、掠れた音となって零れ落ちた。
ルドガーの呼びかけに気づいたようで、ルドガーの右手を握るその手がぴくりと反応する。
聞き慣れたあのメロディが途切れ、ルドガーは緩慢な動きながら左上の方へと顔を向けた。
ルドガーの視界に、彼の顔がはっきりと映る。

 「……ルドガー、目が……覚めたのか」

眼鏡を外し、憔悴しきった顔をしているユリウスが驚いたように目を見開いていた。
ルドガーの手を握っていた彼の手が離れて右頬へと伸びてくる。
まるで今にも壊れてしまいそうなものを扱うかのような手つきで、頬へそっと触れたあと、親指の腹がルドガーの瞼を撫でた。
ゆるゆるとルドガーも右手を持ち上げて、ユリウスのその左手に重ねる。

 「昨日の夜から今朝にかけてが峠だと言われて、もしかしたらこのまま、お前は目を覚まさないんじゃないかと……っ」

くしゃり、と顔を歪めたユリウスがルドガーの額へと頬を寄せた。
よかった、本当によかった、と繰り返す彼の声は震えている。
彼の温もりを感じている中で、ぽたり、ぽたりとルドガーの頬を濡らすものがあった。
その雫は、知らず零れていたルドガー自身のものと混ざり合いながら、頬を伝って首筋へと流れていく。

 「ずっと、夢を見てたんだ」

やはりあれは夢だった、根拠はないがきっとそうなのだろうと思いながら、ルドガーはそう発した。
徐に発せられたその言葉に、ユリウスが短く相槌を打ち、ルドガーの頬を撫でる。
見ていた夢はクランスピア社の前で起きたできごとの続きのようで、それでいて異なった世界だったこと、
ジュードたちがいて、そしてユリウスのいない世界だったと、ルドガーは話を続けた。

 「兄さんを俺が、俺が殺したんだ、カナンの地に行くために……でも、エルを助けられなかったらしくて、さ」

それはまさに選択を違えた可能性の世界、その妙なまでの生々しさはまるで分史世界のようだった。
ある意味それは、ユリウスがルドガーの、世界のために選び取ろうとしていたものの先にあったかもしれない現実。
ここまで相槌を打って聞いていたユリウスも、さすがに思うところがあったようで口ごもってしまった。

 「ジュードたちは皆優しくて、心配してメールもくれるんだ……でも、いないんだ……兄さんが、いない」

あの強烈な孤独感が再び嵐となり、ルドガーの心を掻き乱す。
今は隣にユリウスがいるというのに、その感情を思い出したがあまりに、ぽろりぽろりと零れ落ちる雫は増す一方だ。
頬を撫でるユリウスの手に重ねていた右手をユリウスの背へと伸ばしながら、
ルドガーは体を左へと捻ってユリウスへとしがみつく。

どれが現実で、どれが夢なのか。
ユリウスがいないなど夢に違いないと最初は思っていたものの、時間が経つにつれて不安は増す一方で。
本当は彼のいないそこが現実なのではないのか、そう考えては恐怖していたことを、ルドガーはぽつりぽつり、と語った。

 「皆が、優しくしてくれても、俺は……俺は兄さんのいない世界なんて、嫌なんだ……辛くて、寂しくて、死のうとしたんだ」

ルドガーの頬を撫でていたユリウスの手がルドガーの背にまわされて、ぎゅっと体を引き寄せられる。
密着した体全体に彼の温もりを感じながら、ルドガーはユリウスの胸に顔を寄せ、肩を震わせた。
ルドガーに腕枕をしている方のユリウスの手は、ルドガーの髪を優しく梳き撫でる。

 「そしたら、エルからメールがきたんだ……"めがねのおじさん、ないてるよ"って……ふたりとも、いないはずなのに」

今にして思えば、シンクに包丁が置かれていたのは、すべて夢だったからなのだろう。
包丁は危ないから使い終わったらすぐに洗ってしまう、これは幼いルドガーに対してユリウスが約束させていたことだ。
その約束はいつしか習慣となって身についていて、ルドガーがシンクに包丁を置いておくことはまずもってありえない。
都合よく置かれているものだ、とは思いながらも、あの時はそこまで考えが及ばなかった。

だからきっと、エルからメールが届いたのも、きっと夢だったからなのだろうとルドガーは思う。
しかしそう思いながらも、あれは存外、エル本人からのメッセージだったりするのではないかとも思っていた。
あの時、そのまま包丁を手に取っていたら、もしかしたら本当の意味で自分は死んでいたのかもしれない。

 「そしたら聞こえたんだ、兄さんのハミング……兄さんの部屋から聞こえて、鍵かかってたはずなのに扉開いたんだ」

その後のことを、ルドガーはよく覚えていなかった。
あの世界からはどうにか脱出することができたものの、視界は暗転して、
次に記憶がはっきりしているのは、目を覚まして見慣れている自室の天井を見上げたあの時だ。

 「もう、兄さんに会えなかったらどうしようって、俺……」
 「……同じことを、俺も……もうお前と、こうして話すこともできなかったら、このまま失ってしまったらと、怖くて仕方がなかった」

黙したままルドガーの話に耳を傾けていたユリウスが、ルドガーを抱きしめる腕に力をこめながらそう呟いた。
ルドガーが目を覚ました折にユリウスが言っていた言葉もまた、ルドガーが今しがた口にした言葉と同じなのだと。
この一晩、失う恐怖にひとり怯えながら、ユリウスはルドガーに寄り添い続けていたのだという。

 「同じなんだ、俺もお前のいない世界なら必要はない、もしお前がこのまま目を覚まさなかったら、後を追うつもりでいた」

後を追う、その言葉にルドガーの鼓動が跳ねた。
ルドガーの背へとまわされたユリウスの左手の震えが伝わってくる中、
それでいて彼の言葉は非常にクリアで、本当にそう心に決めていたのだとルドガーにも伝わってくる。

それほどまでにユリウスの心を追い詰めることになってしまったのだ。
そして、まさにそれは夢の中のルドガー自身と重なるもので、
あんな思いをユリウスにさせてしまうところだったのだと気づいて、胸が苦しくなった。

 「もう少し、自分を大切にしてくれないか……あの時、避けられないと分かっていながらあの少女を庇っただろう」

あまり人のことを言えたものではないがな、とユリウスが自嘲気味に笑う。
それを言うなら、魂の橋になるなどと言い出したユリウスはもっての外で、
こればかりはたとえ兄の言葉とは言えども、確かに言えた義理ではないとルドガーも思った。

それでもはっきりと分かっていることはある、自分たちは一蓮托生なのだと。
お互い執着するのは相手に対して、自分自身のことはおざなり、いつだって行動理念は相手のために、だ。
片方が倒れればもう片方も倒れる、倒れない限りはどんなに厳しい道程でも前に進める。
つまりは、ユリウスを想うのなら自分が倒れてはならないし、彼も自分を想ってくれるのなら倒れられては困るのだ。

 「じゃあ、さ……俺も気をつけるけど、兄さんも、な」
 「あぁ、約束だ」

ふっ、とユリウスの腕から力が抜けて、ルドガーも彼の背にまわしていた腕の力を緩める。
密着していた体と体の間に僅かに隙間ができ、ルドガーはユリウスの顔を見上げた。
透き通るようなアイスブルーの瞳が充血してしまっている、きっと自分も充血してしまっているのだろう、とルドガーは苦笑する。

ふいに縮まる距離、髪を撫でていたユリウスの右手がルドガーの頭を支えながら、更に上へと顔を向かせた。
条件反射的に目を瞑れば視界は暗転し、まもなくして少しかさついた感触がルドガーの唇に触れる。
愛しい人とはいえ相手は兄で、しかしそんな背徳感すらも、ルドガーの背筋にじんわりと染みて幸福感へと還元されていく。

 「……愛しているよ、ルドガー……頼むから、もう手の届かないところにはいかないでほしい」

そっと離れた熱の先、瞑っていた目を開けば、綺麗な青い瞳と視線が交わった。
ただその瞳を見つめていると、ルドガーの思考は蕩けてもうそれ以外が目に入らなくなる。
知らず、仰向けになったルドガーをユリウスが見下ろしており、彼の左手がルドガーの頬へと触れた。

 「俺も、愛してる……から、置いていかないで、くれ」

零れ出たのは懇願の言葉、それに同意するかのようにユリウスは瞳を細める。
再び降りてきた熱はルドガーのそれに触れて、ルドガーは両手でユリウスの頬を包み込んだ。
きっと自分が倒れている間はまともに食事もしていなかったであろうこの兄に、
起きられるようになったらまずは美味しい料理を振舞おう、そう思いながらルドガーはそっと目蓋を閉じた。



それからしばらく、ベッドにふたり並んで寝転がりながら話をしているうち、話題はルドガーが倒れている間の話になった。
あのクランスピア社の前での一件があってから今日で5日目になるらしい。
もし夢の中で目を覚ましたのが2日目の朝だったとしたら、3日目にアルヴィンが来訪し、
4日目に命を絶とうとしたことになりるが、どうにもルドガーの容態が急変したのは丁度4日目のことだったという。

傷はすでに完治しているものの出血量の多さもあり、4日目の変調からその日の夜から5日目の朝にかけてが峠になると
4日目にルドガーの傷をみてくれていたらしい精霊術師が言っていたのだとユリウスが語った。
彼が言うには2日目は安定していたものの、3日目から少しずつ呼吸のペースが落ちていっていたようだ。

 「夢の中でのお前の状況が、容態と繋がっていたのかもしれないな」

ユリウスにそう言われると、確かにそうかもしれないとルドガーは思った。
2日目はジュードがいて驚きはしたものの、まだそれが夢だと信じて疑うこともなかったが、
3日目にアルヴィンと話している中で自分がユリウスを殺したことやエルを救えなかったというそこでの現実を知って愕然とした。
そのあたりから容態に影響が出始めていたのかもしれない。

話しているうち、目を覚ましたときのようにルドガーは仰向けに、そしてユリウスに左から抱きこまれる格好となっており、
その状態から左へと寝返りを打てば、すっぽりとユリウスに抱き込まれる格好となる。
ずれたシーツをユリウスの左手が持ち上げてかけ直し、ぽん、ぽん、とその手で背を撫でられた。

 「……そういえば、あの子はどうなったんだ」
 「あの子?」

ユリウスの体温に微睡むなかで、ふと頭をよぎったのは、クランスピア社の前でルドガーにナイフを突きつけたあの少女のことだった。
怪訝そうな声で応じたあとに誰のことか分かったようで、彼女はエレンピオス軍の監視下に置かれているとユリウスは言う。
あんなことがあった矢先、家に帰ることもできず心細い思いをしているのではないかと、ルドガーは小さく息をついた。

 「あの子、父親の病気を治す薬を買うためのお金をくれるって言われて、アルクノアに協力したって……勾留は可哀想だな」
 「……事情はどうであれ、お前が危うく命を落とすところだったことに、変わりはないだろう」
 「それは、そうだけど……でも」

ユリウスの声色は酷く冷淡なものだった。
ルドガーを窮地に立たせたあの少女に対して、ユリウスが怒りを抱いていることは想像に容易い。
それでも彼にしては随分と珍しく、負の感情を顕わにしており少しばかり気圧されてしまった。

 「理由があるから仕方なかった、頭では理解できてもそれで割り切れないこの気持ちは、きっとあの時のお前と同じなんだと思う」

あの時、という言葉がさすものはマクスバードでの一件とすぐ分かる。
真っ当な理由があるからといって兄の命を譲ることなど、あの時ルドガーにはできなかった。
確かに、あの時ルドガーが感じていた感情と、今ユリウスが感じているのであろう感情は同質のものと言えるのだろう。
抱き込むユリウスの腕に僅かに力がこもるのを感じて、ルドガーは目を細めた。

 「……でもさ、気持ち分かるよ、あの子の」

しかし一方で、大切な人のために己の手を汚すことも厭わないその強い想いも、あの時のルドガーが持っていた想いと同じだ。
あの少女は大切な父親のためにアルクノアとの取引を呑んだのだ、あんなにまだ幼いというのに。
そんなひたむきな姿は、やはりエルと重なるものもあって、そして自分自身も持っていた感情であるが故に、
彼女のことを他人事のようには思うことができず、無碍にしたくはなかった。

 「それに、どうしてもエルと重なっちゃって、さ」
 「お前のあの無茶も、それが理由か……」

もう少し自分自身を大切に、とユリウスが言っていた折に口にした、少女を庇った時のこと。
咄嗟に動き出した足を止めることはできず、それでいて避けられる見込みのなさにも気づいてはいた。
ただそれでも、彼女を見捨てるような真似はどうしてもできなかった。

ルドガーを抱き込んだまま、ユリウスが大きく息を吐く。
その体の揺れに、ルドガーは何とも決まりの悪い心持になった。
心配をかけてしまったことも、褒められた行動でもなかったことはルドガー自身でも分かってはいる。

 「まったく、同じぐらいの年齢の少女が窮地に陥るたびに、お前は同じことをするのか?そうも言っていられないだろう」
 「助けられるなら助けたいよ、まぁ無理がないようにはするつもりだけど……」

そうルドガーが口ごもると、ユリウスが小さいながらも息を吐くのが聞こえてくる。
彼の言うとおり、同じぐらいの年齢の少女が危険な状況になるたび、これを繰り返すわけにはいかないと理解はしている。
頭では分かっているものの、きっとこれはエルひとりに辛い思いをさせて救えなかったことに対する罪悪感からくるものだ。
そう簡単に矯正できるものではなさそうだ、とルドガーは思う。

 「……ひとりで色々と抱え込みすぎなんじゃないか」

ぽつりと零れたユリウスの言葉に、ルドガーは見上げる格好で彼の顔へと視線を投げる。
視界に捉えた彼は、少し寂しそうな笑みを浮かべていた。
彼の言うとおり、もしかしたら自分は抱えきれないものを抱え込んでしまっているのかもしれない。
それでも、今抱えているものはすべて、あのマクスバードでの己の選択に対する責任からくるものだ。

 「どうだろう……でも、マクスバードでのあの選択に対しては、相応の責任を負うべきだとは思ってる」

もとより、責任をまっとうするなどという綺麗な言葉の裏で、
ただ罪悪感という傷にかさぶたを被せようとしているだけとも言える。
それこそ少女を救うことで、エルを救えなかった自分自身の罪悪感を薄めようとしていただけなのかもしれない。

 「……なんて、責任なんて言ったら聞こえはいいけど、実際はただ罪滅ぼしをして罪悪感から逃れたいだけなのかも」

バランへの出資も、ユルゲンスへの取引先の紹介も、ジュードとアルヴィンをこの手にかけたことに対する責任、
責任という名の罪滅ぼしでしかなく、結局は自分が楽になりたいだけなのでは。
そういえば襲撃を受けたあの日は、日中にそんなことばかりを考えていたような気がする。
もしかしたらあの夢は、そんなルドガーの罪悪感といったものが影響してできあがったものだったのかもしれない。

 「違う」

己の情けなさにルドガーが視線を逸らそうとしたところで聞こえてきたのは、力強い否定の言葉だった。
ユリウスは酷く真剣な顔で、まっすぐとルドガーのことを見つめている。
その視線を受けては逸らすことも叶わず、ルドガーはユリウスの言葉を待った。

 「違うんだルドガー、それはお前が優しすぎるから、そう感じているだけだ」

優しさ、その言葉は今の自分にはあまりにも程遠く感じ、ルドガー自身知らず知らず目を背けてきた言葉だった。
純粋な親切心や優しさからくる行動すらも、引きずり続けている罪悪感がフィルターとなって、
歪なものであるかのように錯覚してしまっているだけなのだと、ユリウスは語る。

本当に、そうなのだろうか。
今も昔もルドガーの優しさは変わらないのだという彼の言葉を聞きながら、
そんな素晴らしいものではないと抵抗する気持ちもまた、罪悪感によるものなのだろうと、薄々気づいていながらも、
素直にその事実を認めることすら、今のルドガーには困難なことだった。

 「それは逃避じゃない、ちゃんと向き合ってやれることをやっているだけだ……大丈夫、間違ってなんかない」

それでいいんだ、そうルドガーを肯定するユリウスの言葉がすとん、と心に落ちてくる。
もしかしたら自分は、自分の考えや行いに対する肯定の言葉が欲しかったのかもしれないとルドガーは思った。
ただ我武者羅に手探り状態で日々を過ごしている中、本当にそれが正しいのかが分からなくなって、道を見失いかけていたのだろう。

 「ただ、あの時にも言った通りひとりですべてを背負わないでほしい、いつだって傍にいるんだ、もっと頼ってほしいし甘えてほしい」

抱え続けている罪悪感も、成そうとしている責任も、全部分けてくれ。
ルドガーの右頬を撫でながら、慈愛に満ちた笑みを浮かべながらユリウスが言う。
もともとあの時の選択はユリウスが選び取ろうとしていたものとは大きく異なったもので、
何より自分自身で選んだものだったが故に、ひとりで抱え込みすぎていたのかもしれない。

 「……俺は、十分甘やかされてると思うんだけどな」
 「むしろ甘やかしたりないぐらいだ」

もっとお前を甘やかしたい、そう呟きながらユリウスがルドガーの頭を引き寄せ、強く抱きしめる。
いつだってほしいと思うものを与えてくれるのは彼で、傍にいてくれるのも彼で、
これ以上甘やかされては何もできなくなってしまいそうだ、とルドガーは思った。

目が覚めたとはいえまだ本調子とは程遠い体調、泣いたりもしたし、随分と長いことふたりで話をした。
ユリウスの匂いと温もりに深く心休まるのを感じているうち、急激な睡魔が押し寄せてくる。
また眠ったらあの夢の続きを見てしまうのではないかと少し不安もあるが、きっと大丈夫だろう、と
ルドガーはユリウスの体に身を寄せながら目を瞑った。

 「ん、眠いのか」
 「うん……もう大丈夫だから、兄さんも寝よう」

この一晩眠ることなくルドガーに付き添っていたユリウスの疲弊の色は濃かった。
頭上で苦笑を漏らしたあと、応じるように相槌を打つ声を聞きながら、
ルドガーはユリウスの服を握りながら、眠りの底へと落ちていく。

それ以来、ユリウスのいない世界の夢を見ることはなかった。



療養期間の間にノヴァがヴェルを連れて家を訪れた時には、安心したせいかノヴァが大泣きをし始めたり、
ヘリオボーグから心配してお見舞いに来てくれたバランや取引の合間に顔を覗かせてくれたユルゲンスから
色々と差し入れをもらったりと、彼らに対して隠しているものもあいまって、ルドガーは何とも申し訳ない心持だった。
それでも、いつでも隣にいてくれるユリウスの存在に、幾分か心の負担は軽くなったように感じる。

それが果たして正しいことなのかは定かではない。
ただ、それを伝えたときのユリウスは、酷く嬉しそうに微笑んでくれたことをルドガーは覚えている。
そんな彼の反応を見て、負った責任はまっとうするとしても、独り善がりにはならないようにしようと心に決めた。

 「……本当によかったのか」
 「ごめん、兄さんが納得いってないのは分かってたんだけどさ……やっぱり放っておけなくて」

ようやく仕事に復帰したこの日、最初にやったことはエレンピオス軍に勾留されているあの少女の解放要請だった。
この件に関してユリウスは猛反対まではしないにせよ、終始顔を顰めていた。
それでも、もとはといえば幼い少女の弱みにつけこむような格好で彼女を利用したアルクノアが悪い。
言ってしまえば、彼女もまたあの一件においては巻き込まれた側でもあるのだ。

並んで歩く帰り道、右上の方から聞こえてくる小さなため息に、ルドガーは苦笑するほかなかった。
逆の立場だったとすれば、きっと自分もユリウスと同じ反応を示していたことだろう。
とはいえ、あのまま家族のもとに帰れないというのはやはり可哀想だと思い、ルドガーは解放という選択肢を選んだ。

 「やれやれ……もう決まったことを蒸し返すのはよくないな」
 「いや、俺が兄さんの立場だったら同じこと言ってそうだし……我侭聞いてくれてありがとう」

そう笑いかければ、眉間に皺の寄っていたユリウスの顔に、仕方ないな、といった様子の笑みが浮かぶ。
がしがし、と少し強く頭を掻き撫でられて、ルドガーの髪がくしゃりと崩れた。
ユリウスの手が離れたところで、手櫛でそれを整えていると、ぽつりと呟く彼の声が聞こえる。

 「今日の夕食に期待しておくか」

その言葉に思わずと、ルドガーは笑い声を零した。
納得できないなりにルドガーの気持ちを汲んで理解を示してくれたユリウスに、
今夜は彼の好物をお腹も心も満たされるぐらい存分に振舞って、この感謝の気持ちを表そう。
頑張るよ、と小さく応じれば、ユリウスは嬉しそうに微笑んだ。



責任と罪悪感という表裏に悩まされながらも、きっと自分は、自分たちは進んでいくのだろう。
それでも、茨の道であろうが蛇の道であろうが、躓きかけてもお互い支えあえる人がいるから心配などない。

茜色の夕陽を受けて、金と銀は同じ時を刻み続ける。
今も昔も、そして、これからもずっと。


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最後詰め込みすぎて長くなりすぎて分割も考えたけどこれは1話にまとめたくなって、その結果がこれでした。
ルルごめん、ルルごめんよ、ルルは気を遣ってリビングですよすよしてたんだ。

前に書いたシリーズの設定の流れで、お互いが思ったことや感じたことを共有する中で
よりお互いへの依存度が増していくような話を書こうと思ったのがきっかけで、
気づいたら何だか色々詰めすぎた感もありけりですが、お楽しみいただけたらこれ幸い。