仕方ない、そうするしかない。

そう背を押されるがままに最愛の人を手にかけた。
それでも、自決させるよりも、仲間面をして兄を殺せと背を押してくる彼らの手にかかるよりも、余程いいと思った。

ただそれはその瞬間に至るまでの過程の話、心に負った傷の深さにかわりはなかった。


だから、だろうか。
エルを助けるために迎えた最期の時、ひどく心は穏やかだった。
ようやくすべてが終わる、彼を手にかけてしまった罪の意識と、彼のいないこの世界から脱せられる、と。

そう思っていた、信じて疑いもしなかった。


La porta del cuore ― 0 : ココロトビラ ―


暗転した視界は、もう二度と光を見ることもないだろうとルドガーは思っていた。
しかしそれはただ瞬きをしただけであったかのように、閉じた目蓋が再び持ち上がる。

 「……え」

一瞬で切り替わった景色、そこにはエルの姿もなく、カナンの地の異様な光景もなかった。
ただただよく知った、見慣れた場所にルドガーは呆然と立ち尽くしている。
目前にある窓からは暖かな陽射しが差し込み、その光の眩しさに目を細めた。

見間違えるはずもなく、そこはルドガーの部屋だった。
何が起きたのか分からなかった、否、察しはついたもののそれを肯定することができない。
この独特の感覚にはよくよく覚えがあった。

 「分史世界、なのか?俺の……」

ルドガーは呆然としながらも、思考回路は現状を把握するべく巡り始める。
オリジンの審判を通じて、分史世界をすべて消滅させるように願い、それは成就されたはずだった。
しかしルドガーが時歪の因子化したのは、その願いが成就された後だ。

分史世界は骸殻能力者が時歪の因子化することで生まれるが、ルドガーは時歪の因子化した最後のひとり。
オリジンの成したことがあくまでも審判時点で存在している分史世界の削除でしかなく、
分史世界生成のプロセス自体が残存していたとすれば、ここはたったひとつの、最後の分史世界ということになる。
恐らくは、そうなのだろう。

 「嘘、だ……嫌だ、嫌だ」

愕然としたルドガーはその場に崩れ落ちた。
ルドガーの分史世界であれば、きっとユリウスも存命していることだろう。
しかしそれは所詮、分史世界のユリウスでしかなく、正史世界でルドガーと暮らしてきた彼ではない。
その違いの重さは、エルとミラの関係を目の当たりにして十二分に理解していることだ。

瓜二つの別人に縋ったところで、それは所詮都合のいい紛い物、
ルドガーにとっての"本物のユリウス"に対する背信行為にしかならない。
逃避という意味ではここは楽園になり得たのかもしれないが、ルドガーにとっては地獄そのものだった。

 「ようやく、終わると思ったのに……もう嫌だ」

いっそ自決してしまおう、そう思ったルドガーが床に座り込んだまま周囲を見回してみたものの、
使い慣れている双剣も、銃も、槌も、そして金と銀の懐中時計も、そこには見当たらない。
まるであの一連の出来事が起こる前のように、あの不穏な日々を思わせるものの姿はひとつとしてなかった。

嫌だ、嫌だと繰り返しながら、ルドガーは必死となって凶器になり得るものを探す。
何かしらかあるだろう、それでもルドガーには見つけることができなかった。
起き上がることができればキッチンへ向かっていたかもしれないが、そんな気力ももう残っていない。
何度も部屋のあちこちへと投げていた視線も、まもなくして床についた手元へと落とされていた。


ルドガーの瞳は絶望に染まり上がり、しんと静まり返った部屋の中で心が崩れる音がした。


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兄の死後、はやくすべてを終わらせようとカナンの地を盲目的に駆け抜けた先、
やっと全部終わると思ったのに、終わらせてもらえないルドガーのお話。
鬱々しい話ですが、最後は幸せになれると……いいな。

分史世界に関する独自解釈もりもりになりそう、かつ長くなりそう。
いつもは1話からスタートですが、前置き的なお話なので今回は0話です。