僵niphofia - phase 11 -


ローエンから聞いた部屋に入ると、丁度アルヴィンは湯からあがってきたばかりのようで、頭からタオルを被っていた。
そんな様子で縁に腰掛けていた彼が、きょとんといった顔でジュードを見ている。
最初は何かと思ったが、その反応は先ほどのエリーゼと少し通ずるものがあった。

 「ん、どうかしたの?」
 「いや、ジュードくんが何か見慣れない格好してんなーって」

やはりその事だったかと納得して、ジュードは荷物を椅子へと置いて、
アルヴィンが腰掛けていないほうのベッドの縁に、彼と向かい合うようにして腰をおろした。

 「包帯巻いてもらう前に向こうでお湯借りたから、診察室に予備で置いてた研修医用の服に着替えてきたんだよ」
 「・・・・・・まだ左肩の調子悪いのか」
 「関節部分にまだ痛みがあったから、念のために包帯で固定してきただけ」

傷が開いたりといった問題があるわけではないが、それでもアルヴィンは複雑そうな顔をしている。
拭き終えたばかりの彼の頭は、いつものようにセットされておらず、ぼさっとしていた。
しばし訪れた沈黙の間、そんな彼をジュードはぼんやり眺める。

 「ジュード」
 「うん?」

徐に名前を呼ぶ声、アルヴィンが話したいといっていた話題を切り出そうとしている様子だ。
思わず身構えてしまいそうになるのを押さえ込み、ジュードはいつも通りに応対した。

 「マグナ・ゼロのハ・ミルで、何か言われたんだろ」
 「・・・・・・言われたって、あのアルヴィンの幻に、ってことでいいのかな」
 「あぁ」

別段隠すような話ではないが、避けたい話題かといえばその通りだ。
あまり触れたくない話題が直球で飛んできたため、どうしたものかとジュードは考えるが、
下手に誤魔化すのも嫌で、大人しく問いかけに答える。

 「うん、まぁそうだね」
 「何て言われたんだ」
 「・・・・・・僕のことが嫌いだって」

何とも無い、という調子で言おうと思っていたジュードだったが、思いのほか声のトーンがさがっていた。
これはまずかったかと思ったが、改めて目の前に座るアルヴィンを見るとその思いが強まる。
驚いたような傷ついたような、一言で言ってしまえばショックを受けたといった表情で彼はジュードを見ていた。

すくり、と立ち上がるとアルヴィンは拭き終えて肩にひっかけていたタオルを椅子に放り、ジュードとの距離を詰める。
目の前まで近寄ったところで、ベッドに腰掛けるジュードの左右に手をついて、アルヴィンはジュードの顔を覗き込んだ。

 「俺は、嫌いなんかじゃないし、寧ろ・・・・・・」

間近に迫るアルヴィンの瞳が揺れている。
言いたいことがあるのに言ってしまっていいのか分からない、言ってしまって大丈夫なのだろうかと、
判断に困って戸惑っている、そんな目をしていた。

彼が言おうとしていることは何となく察しがついていたから、分かっていると言ってあげるべきなのかもしれない。
ただ、分かっていながら不安を感じているのも事実で、ジュードとしてはできるなら言葉にして聞きたいと思った。
ジュードはただ黙したまま、小さく首を傾げるような格好でアルヴィンの言葉を待つ。

 「・・・・・・好きだよ、お前のことは」

胸の奥でもやもやとしていたものが、すうっとしたような、まるで霧が晴れたように感じながらも、
アルヴィンにしては珍しく直球な物言いに、ジュードは顔が熱くなりそうになった。

 「ちゃんと話すから、それ前提で聞いてくれないか」
 「うん」

不安そうな顔をしている目の前の顔へと、ジュードは右手を伸ばした。
そっとアルヴィンの左頬に触れると、ベッドに突いていた彼の左手が重ねられる。
湯上りのせいか、まるで子供の体温のような温かさがあった。

 「正直言うと、苦手意識みたいなものは感じてた」

ふい、とそれまで真っ直ぐこちらに向けられていたアルヴィンの視線が横に逸れる。
これまで彼が口にしてこなかった本音の部分を語ろうとしているのだから、言いづらいところも多分にあるのだろう。
彼の頬に触れる親指の腹でその頬を撫でると、その視線がジュードの方へと戻り、困ったような笑みが向けられた。

 「別にお前が悪いことは、何にもないんだ」

ジュードはただ黙って耳を傾けた。
少しの間をおきながらも、アルヴィンは深呼吸をひとつ、ゆっくりと順番に話を進める。

 「俺は何年もひとつの目的に縛られて、それだけのために生きてきた」
 「・・・・・・エレンピオスに戻る手段を得る、っていう目的だよね」
 「あぁ、そういう枠組みの中で生きてきたもんだから、今更生き方変えるのも難しくてな」

アルヴィンがその目的だけのために生きてきたのは、ジュードがこれまで歩んできた年月よりも長い時間だ。
いきなり生き方を変えるなんてことが難しいのも当然といえば当然だろう。
しかもそれは、元はといえば彼が大切に思っている母親を故郷に帰らせてあげたいという部分が大きかったはずだ。

今にして思えば、彼が裏切るたびにどうしてそんな酷いことをするのかと思ってはいたが、
彼もまたこれだけ複雑な事情を抱えていたのだから、寧ろ今こうして共にあることのほうが驚くべきことなのかもしれない。

 「だから、お前ら見てると自分自身のことや自分がやろうとしていることに関して色々考えさせられてきたものの、
  どうしても譲れない部分もあって苛立つ一方だった・・・・・・あれだ、レイアとアグリアの関係と似たようなもんだ」
 「前にエリーゼと話してたあれだよね」

アルヴィンは小さく頷いて応える。
アグリアの死について悩むレイアを心配するエリーゼと3人で話した折のことだ。
あの時も確かに、アルヴィンはジュードをレイアに、アルヴィンをアグリアに置き換えて同じようなことを話していた。

 「お前のその真っ直ぐな生き方が羨ましくもあったし、そんなお前を見ていて焦りも感じた、不甲斐ない自分に苛立ちもした」

しかしそれはすべて、アルヴィン自身のこれまでの行動理念とジュード、
あるいはミラとの衝突や摩擦により生じたものであって、結局のところはやはりジュードやミラが悪いわけではなく、
しがらみの中で無意識のうちに盲目的になってしまい、考えることを半ば放棄してしまっていたことが原因なのだと彼は言う。

そこまで一息に語ったところで、アルヴィンは深い息を吐いた。
脱力したように、とすんと彼の頭が落ちてきて、彼の額がジュードの右肩へと触れる。

 「こんな生き方してきたからな、自分の居場所なんてもうアルクノアにしかないと思ってた・・・・・・けど、違うって気づかされた」
 「・・・・・・うん」
 「お前はこんな俺の言葉を信じようとしてくれたし、何度も手を差し伸べてくれた・・・・・・ホント、感謝してる」

右肩に乗っているアルヴィンの頭へと、右頬を寄せるようにしてジュードは少し頭を倒す。
僅かに湿気の残った髪からは、ふわりと洗いたての髪の香りがして、目を細めた。

 「お前のことも、お前がくれた居場所も大切に思ってる・・・・・・だから、物理的にも精神的にもお前を失うことが、一番怖い」

あの時、マグナ・ゼロのハ・ミルで滅多なことでは涙を流したりしない彼が泣きながら自分を見下ろしていた様子を思い出す。
一定の好意は持ってくれているのだろうとはジュードも思っていたが、思いのほかそこに込められていた意味は深いものだった。
本当にアルヴィンは、自分のことを想ってくれているのだと知り、彼に対して不安を覚えた自分に申し訳なくすら思った。

 「・・・・・・僕はいなくなったりしないし、突き放したりもしないよ」

だから、と言葉を切ると肩に寄りかかっていたアルヴィンの頭が持ち上がる。
垂れ下がった前髪の合間から、ちらりと彼の瞳が見えて、視線が交わった。

 「僕はいつだって側にいるから、アルヴィンも今度こそ側から離れないでほしいなって・・・・・・僕も、好きだから」

言おうか悩んだものの、彼からははっきりとその言葉を貰っている手前、言わないのはフェアではないとジュードは思った。
言葉尻は随分と小さな音量になってしまったが、その言葉はしっかりとアルヴィンの耳に届いていたようで、
最初は少し驚いたような顔をしていたものの、まもなくしてその表情には安堵の笑みが滲む。

 「分かった、約束する・・・・・・つっても、信じてもらえるか分かんないけどさ」
 「約束するって言われたら信じるよ。アルヴィンも知ってる通り、僕ってそういう性格だからね」

だからこそこれまでもアルヴィンの言葉を信じてきたし、裏切られても戻ってくるたびに彼を受け入れていた。
それがジュードの性格で、人付き合いの仕方だったのだから、今回の約束とてそれは同じだ。

 「だから、あとはアルヴィン次第ってことだよ」
 「前だったら、お前のそういう性格にも苛立ってたんだけどな・・・・・・今となってはホントに救われてるよ」
 「・・・・・・さっき言ったじゃない、突き放すようなことはしないって」

可能性があるなら、それが僅かだったとしてもそこに賭けたいと思う。
それが他でもない好意を持っている相手であれば、尚のことだ。
突き放してしまえば、僅かな可能性すらも握りつぶしてしまうことになる、そんなことをジュードはしたくない。

 「・・・・・・違う、突き放せない、が正しいかな・・・・・・突き放したらそれまでになっちゃうし、そんなの寂しいじゃない」

突き放さないのではなく、突き放せないのだと、ジュードは訂正した。
小さな可能性にも縋ってしまうのは、心が離れていくことへの不安や恐怖が理由だ。
親しくしていた人間が離れていくことはとても寂しいし辛い、ある種の防衛本能のようなものなのだと補足する。

 「僕は、孤独が怖い・・・・・・だから、捨てられるっていうあの言葉は、僕にとって本当に恐怖なんだよ」

だから当時、むきになって言葉を返してしまったのだとジュードが苦笑しながら言うと、アルヴィンは酷く悲しそうな顔をしていた。
右手を握っていた彼の手が離れて、ベッドについていた彼の右手とともにジュードの背へとまわされる。
ぎゅ、と抱き寄せられて、その人肌の温かさがじんわりと染みてくるようで、ジュードは少し泣きそうな気分になった。

 「ホントごめん、ごめんな・・・・・・俺は何度もお前の手を振り払って、突き放しちまった」
 「・・・・・・ううん、今こうやってアルヴィンが一緒にいてくれるだけでも、僕は嬉しいんだよ」

ありがとう、と小さく呟きながら、ジュードもアルヴィンの背に両腕を伸ばした。
抱き込むアルヴィンの腕に一層に力が込められて少し苦しさを覚えたが、
それすらも、今ここに彼がいることや彼が自分を想ってくれていることを強く感じられて、ジュードはただ嬉しく思う。

 「ちゃんと、お前と話せてよかった」
 「うん」

ふ、っとアルヴィンの腕から力が抜けて、頬を寄せ合うようにして前屈みになっていたアルヴィンの上体が起きる。
彼の背から手を離しながらそんな様子をジュードが眺めていると、こつりと額と額が触れた。

やんわりと微笑み合っていると、彼の両手がジュードの頬へと伸びる。
僅かに顔を持ち上げられ、零距離の吐息を前にして、ジュードはゆっくりと目蓋をおろした。


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気づいたら10話越えしていましたがこれで終わりになります。
11話は割りと自分なりに解釈したことをつらつら書いてみました。
ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。