儉imonium sinuatum - phase 22 -


その後、アルヴィンはジュードとベッドで熟睡し、気づけば窓から朝日が差し込んでいた。
前日の豪雨から打って変わり、空に雲こそ残ってはいるが綺麗な青空が広がっている。
抱きかかえて眠っていたジュードはまだ眠ったままで、顔にかかる髪を耳にかけてやりながら彼のこめかみに唇を落とした。
ベッドを抜け出して身支度をしているうち、その物音で目が覚めたのかジュードもベッドから降りてくる。

 「おはようさん」

応じるようにジュードは頷いて見せる、まだ声は出ないようだ。
いまだ眠たそうにしている彼の頭をわさり、と撫でてやれば、柔らかい笑みがこちらを見上げてくる。
彼の額に掠めるように口付ければ、片手で額を押さえ込み、その笑顔に朱色がさした。
そんなやり取りをしていると、部屋の扉がとんとん、とノックされてアルヴィンはそれに応じる。

 「あぁ、診察の時間か」
 「おはようございます」

扉の向こうから姿を見せる白衣姿の男は、ジュードの主治医だった。
アルヴィンはひとまずソファへと腰かけて診察が終わるのを待つことにしたが、その移動だけでも足が痛む。
これは当分出歩けないな、と改めて感じた。

 「ジュードさん、具合はどうですか」

ジュードのいるベッドの方を向いている側のソファへと座ってはいるが、医者の後姿でジュードの手元は見えない。
恐らく問いかけへの返答をしているのだろう、万年筆が紙の上を滑る音がベッドの方から聞こえてきた。
問診のあと、体温や脈拍を測ったりしている様子を遠目に眺める。

 「体温は平熱ぐらい、脈拍も安定しています」

傷口もしっかり塞がっているようで、残すところの問題は声が出ないことだろうか。
ジュード本人が言うには、左胸に傷を負ったことによる声帯まわりの神経麻痺が原因とのことだった。
その見解はこの医者とも一致しているようで、一過性のものではあるようだが不安に思う。

 「声はまだかかりそう、か」
 「そうですね・・・・・・色々とご事情もあったようですから、精神疲労も影響しているのかもしれません」

アルヴィンがイル・ファンに来るまでの間も長らく気を張り詰めていた彼だ、
一連のできごとを受けて、精神的に疲労していないはずもない。
その影響があるというのであれば、回復にはまだしばらくかかりそうだとアルヴィンは思った。

 「声の問題以外は体調も回復していますし、自宅休養に切り替えてみましょうか」

このまま入院しているよりも、勝手を知っている自宅の方が精神的にも休まるだろう、と医者は言う。
確かにそれはそうだろう、ジュードも頷いて応じていた。
しかしそうなると、声がでないことによる不便も多少なり出てはくるだろう。

 「声帯のトラブルは呼吸に影響することもあるので、経過観察のために定期的に通院はお願いすることになりますが」
 「まぁ、通院が必要でも休養なら自宅の方がいいよな」

こくりこくり、とジュードが縦に首を振っている。
さすがに土砂降りの中で帰る気にはならないが、今日は天気もよく、退院するなら丁度いいだろう。
そんなことを考えながら窓越しの空を見遣っていると、医者の男が何かを思い出したように短い声を発した。

 「アルヴィンさんも、担当医が経過観察のためにもしばらくイル・ファンに滞在してほしいと言っていましたよ」
 「俺も通院確定なわけね・・・・・・まぁこんなで街の外歩きまわるとか無茶にも程があるしな」

イル・ファンの海停は街から繋がっているが、ラコルム海停からシャン・ドゥまではラコルム街道を歩いていく必要がある。
相手にならない魔物ばかりとはいえ、さすがに足も右手も痛む状態で挑む気にはならない。
ジュードのことも気がかりだ、しばらくはイル・ファンに滞在することにするか、とぼんやり考えた。



手続きを済ませた後、アルヴィンはジュードとともにタリム医学校を後にした。
大人しく松葉杖を借りようかとも思ったが、右肩を痛めたせいで右手の勝手が悪い状態で、
更に左手が塞がってしまうことには不安があり、少し左足を引き摺るような情けない歩き方ながらも松葉杖は遠慮している。

中央広場方面の道を歩いていると、前方から見慣れた姿がこちらに向かってゆったりとした足取りで向かってくる様子が見えた。
相手の方もこちらに気づいたようで、小さく頭を下げている。

 「よう、じーさん」
 「危うくすれ違うところでしたね」

姿を見せたのはローエンだ。
その顔には彼らしくもなく、少し疲労が出ている様子ではあったが声の調子はいつもと変わらない。
右足に重心をかけるようにして立っていれば別段支障はなかったが、
近くのベンチをローエンに勧められ、アルヴィンはそこに腰かけた。

 「アルヴィンさん、その後怪我の具合はどうでしょう」
 「昨日に比べたらよくはなった・・・・・・つってもまだ痛むし、医者にも痛みが取れるまでは数日おきに通院しろってな」

足を痛めてる人間に通院しろとは無茶を言う、とも思いはしたが、松葉杖を断ったのはアルヴィン自身だ。
そこは理解しており、退院したとはいえジュードも通院が必要なため、その付き添いがてら行けばいいかと思っている。
アルヴィンがそう語れば、ローエンは頷いて相槌を打った。

 「おふたりとも、これを契機に少し骨休めをされたほうがよいでしょう」
 「あぁ、ユルゲンスにはあとで連絡いれて、しばらくはジュードのとこに厄介になろうかってな」

是非そうしてください、とローエンはやんわりと微笑みかける。
ジュードも少し嬉しそうな様子で小さく笑った。

ローエンもしばらくは事の収拾のためにオルダ宮へ滞在することになったようだ。
今回の件で捉えた人間は、エレンピオスの異界省を通じて生活保護を要請していく予定なのだとローエンは語る。
アルヴィンとしても彼らには思うところがあり、その柔軟な対応に内心少しほっとしていた。

 「ですが、アルヴィンさんのお陰で事態の収拾は早まったものの、全員を捕らえたという確証はまだありません」
 「まぁそれでもさすがに、表立ったことはしてこないだろ」
 「・・・・・・と、私も思ってはいるのですが、念のため警備兵の数はもとに戻さず人員を投入した状態で様子を見ようかと」

外出の際にはもうしばらく気をつけてほしい、というローエンの言葉にアルヴィンはジュードとともに頷いて応じる。
スヴェント家の人間から煽られたこともあって、アルヴィンをターゲットに絞っていた様子ではあったものの、
彼らがもともと源霊匣研究の妨害を行っていたことにかわりはなく、ジュードも引き続き狙われる危険性は十分にある状況だ。
互いに普段とは調子が異なる状況もあって、しばらくは外出自体、必要最低限に留めた方がいいだろう。

このままオルダ宮まで戻るというローエンとともに3人で中央広場まで向い、
ついでに食料の買出しをしておきたいというジュードの申し出に付き合ってから、ローエンはオルダ宮へと向かっていった。
片腕しかまともに動かせない状況もあり、買い込んだ荷物はジュードが持っている。

 「荷物持てなくて悪い」

そう声をかければ、右隣を歩いているジュードが首を横に振ってこちらを見上げた。
首を少し傾けて微笑むジュードに礼を述べれば、彼は小さく頷いて応じる。

いまだ、ジュードの声は戻らず、アルクノアの件も完全に解決したとは言い難い状況だが、
それでも、彼とともに家路につくことの幸福感に胸の奥が暖まるように感じる。

 「・・・・・・あー久し振りにジュードくんのピーチパイが食いたいんですけど、俺」

徐にそう言ってみると、ジュードは肩を少し揺らしながら笑う。
彼は抱え込んでいる袋の中身がアルヴィンに見えるようにと、荷物を僅かに傾けてみせた。
何かと思って覗き込んでみると、袋の中にはピーチパイの材料らしきものがちらほらと見える。
帰ったら作ってあげるから、と言われているような気がして思わず顔がにやけそうになった。

家に帰ったら母親が大好物を用意して待っていてくれた時と重なるこの感覚、
そういえば家、家族の暖かさはこんなくすぐったくて、嬉しく、幸せなものだったなと、
長らく忘れていたその感覚を彷彿とさせられた。

ふたり並んで歩く道に、すべてに決着がついたわけではなく少し不謹慎かと思いながらも
ただひたすらに押し寄せる幸福感をアルヴィンは感じていた。


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これでひとまず終わりです。
本当はまだこの後に話が続いているのですが、後日談ということでそれは別に書く予定です。
ということで、ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。