兮fter Limonium sinuatum - 1 -


うとうととしながらゆっくりと目蓋を持ち上げると、いつもなら我が家の窓ごしに広がる空が視界に入るところだが、
今日は普段とは少し光景が違い、のろのろとした思考回路のまま顔を少し動かした。
右肩を下に横を向いている体勢から枕の方へと顔を向けると見慣れた顔がそこにあり、
あぁそういえばアルヴィンが来ているのだったとジュードは思い出す。

 「・・・・・・」

名前を呼ぼうと思ったが声が出ない、薄っすらと息が抜ける音だけが聞こえて改めて溜め息を零した。
つい数日前から失われている声は一体いつになったら戻るのだろうかと思う反面、
もしこのまま声が戻らなかったらアルヴィンがずっとここにいてくれるのではないだろうかという
ジュード自身、しようもないと思うことを考えてしまい、ふるふると首を横にふる。

声がでないままでは学業にせよ源霊匣研究にせよ支障がでてきてしまうことは分かりきっているはず、と
己に言い聞かせているうち、頭上から小さく唸る声が聞こえて改めて彼の方へと視線を向ければ、
閉じられていた目蓋がゆっくりと持ち上がり、視線が交わった。

 「んー・・・・・・はよ」

ジュードの枕になっていたアルヴィンの左腕が僅かに動いて、その手がジュードの髪を梳くように動く。
おはよう、と発することができず口惜しいところではあるが、左手を彼の頬へと伸ばして触れ、小さく頷いて応じた。



さすがに昨日の今日、イル・ファン内はいまだに厳戒態勢という状況が続いており、
タリム医学校もラフォート研究所もまだ再会の目処がたっていない状況だ。
現状のジュードとしてはありがたさ半分、ミラとガイアスがくれた猶予が1分1秒と削ぎ取られていく不安半分、
それでも今目の前で美味しそうに自分の作った朝食を食べている彼のお陰で均衡を保ってはいるように感じる。

 「・・・・・・ん?」

ほかほかと湯気ののぼる野菜のコンソメスープをスプーンで掬い上げながら、アルヴィンがこちらに視線を投げ遣ってくる。
こちらの視線に気づいたのだろう、スプーンをそのまま口に運んだ彼ににこりと微笑みかけてみた。
すぐ近くに置いていたメモ帳と万年筆を手にとって、文字を綴る。

 『アルヴィンが美味しそうに食べてくれてるなって』
 「あぁ、ジュードの飯は美味いからな」

さらりとそんなことを言われて、顔が熱くなるのを感じた。
否、今のは別に普通に褒め言葉として受け取ればいいものを、どうしてそんな反応をしてしまったのか、
ジュード自身よく分からないが、そんなジュードを見てかアルヴィンも少し照れくさそうな顔で頬をかり、と掻いている。

 「お前、そんな反応されたらこっちまで恥ずかしくなんだろ」

照れ隠しにトーストしたパンを食べるとさくり、と乾いた音が妙に大きく聞こえた。
ふいっと逸らした視線を改めてアルヴィンの方へと向けると、彼も彼で視線を逸らしつつカップを傾けて紅茶を飲んでいる。
いつものセットしている髪型ではなくぼさり、とした髪型の彼はあまり見慣れていないので改めて新鮮だなと思った。

そろそろ朝食も終わりという頃合だ、とジュードは昨日焼いたピーチパイの残りをデザートとして用意しようと席を立つ。
ついでに紅茶のおかわりも用意しようかなどと考えながら、狭い台所でとりあえず湯を沸かし始めた。
こぽこぽ、と湯が沸く音を遠く聞きながら、窓の外を見遣れば清々しいほどに晴れ渡った空が見える。
あとで掃除と洗濯をしてしまおうか、とこれからの今日のスケジュールを頭の中に思い浮かべた。

 「・・・・・・」

やっぱり掃除は明日でいいかな、なんて考えたところで手早く紅茶のおかわりを用意して、
かぶせていた透明なカバーをはずして昨日焼いたピーチパイの残りを切り分ける。
一晩おいてすでに冷めてしまってはいるものの、さくりという音とふわりと香る甘い匂いは相変わらずだ。

 「なぁ、食器はここに置いとけばいいかね」

徐にかけられた声の方へと視線を向ければ、台所の戸口に食器を左手に持ったアルヴィンが立っている。
彼からの問いかけに頷いて応じれば、その手に乗せられていた食器が流し台に置かれた。
切り分けたばかりのピーチパイを白い皿の上にのせたところで、ふっと背中に体温が触れる。
何かと思って見上げれば、そこにはアルヴィンの顔があって後ろから抱きすくめられている状況だった。

 「お、デザート?」

腹の辺りを抱き込んでいるアルヴィンの左腕をぽんぽん、と撫でる。
頭上に載せられていたアルヴィンの頭がジュードの右肩へと移り、首筋に顔を埋められてくすぐったかった。

アルヴィンはふとした時に、急に甘えん坊な子供のような一面をちらつかせてくる。
そんな姿を見せられると思わず甘やかしたくなってしまうのは、
自分がその立場だったら甘やかしてほしいと思っているからなのだろうか。

 「んじゃ、これは俺が持ってくわ」

そう言ってアルヴィンはおかわりの紅茶が入っているティーポットとミルクと砂糖の乗せられた盆を左手に取る。
ジュードはピーチパイを切り分けた2つの皿を両手にそれぞれ持ち、先に台所を出るアルヴィンの後を追った。
テーブルに戻り、アルヴィンの前に片方の皿を置いて、自分の分は自分の前に置く。
アルヴィンが運んだティーポットを手に取り、アルヴィンのカップへと淹れたての紅茶を注いだ。

 「サンキュ」

少し首を傾げ気味に笑いかけて、ジュードは自分のカップにも紅茶を注いだ。
目の前ではアルヴィンがカップに角砂糖を2ついれて、ミルクを注いでスプーンでぐるりと混ぜている。
本当に甘いものが好きなんだなと思いながら、ジュードは角砂糖を1つだけ自分のカップへと放り込んだ。

相変わらずアルヴィンは美味しそうにピーチパイをフォークで切っては口へと運んでいる。
旅の最中も自分が作った料理を振舞い、皆が喜んでくれることがとても嬉しく感じてはいたが、
必要に迫られてというよりも純粋に誰かのために作ってあげたいと思えることはいいものだなと感じた。

 「ジュードくんの視線をすんごい感じるんですけど」

先ほどと同様、ついついアルヴィンの一挙手一投足を眺めていたせいでアルヴィンが苦笑している。
はっとして再びメモ帳に万年筆を走らせた。

 『ごめんね、何か自分が作ったものを美味しそうに食べてもらえるのを見てると、何だか幸せだなぁって思っちゃって』

そう書いたメモをアルヴィンに見せると、仕方ないな、といった感じの笑みを向けられた。
左手にあったフォークが皿の上に置かれて、アルヴィンの手がジュードの頭へと伸び、くしゃりと撫でられる。
その優しい手つきが何だか嬉しくて、ジュードも微笑んで応じた。


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世の中がポッキーの日に賑わっている中、ただの新婚さんを書く私。
このシリーズは基本的にこういう話が続きます。