僊nemone coronaria - phase 4 -


王の狩り場を進み、ようやく到着したリーベリー岩孔は以前と様子が異なっているようだった。
魔物の姿こそあるが人の姿も気配もない。
以前はアルクノアの拠点となっていたため、まばらながらも彼らの姿があった。

 「誰もいないみたいですね・・・・・・」
 「ですが、どうやら人の出入りはあったようです」

ローエンの言葉に足元を見ると、薄っすらと何人かの足跡が見えた。
その足の向きはどちらの方向にもあり、確かに出入りはあったようだった。
やはり先ほどの荷馬車は怪しいかもしれないと思ったのは皆同じだったが、
念のためにリーベリー岩孔内を一通り見てみることにした。

順を追って小部屋や通路を見て回ったが人影はなく、いるのは魔物だけだった。
そうして見回って今たどり着いた場所にも誰もいない。

 「やはり誰もいないようだな」
 「このタイミングでここを離れたようですね、ほんの少し前までは人がいたようです」

そう言いながらローエンが差し出してきたのはランタンだ。
触れてみるとほんのりまだ温かさが残っており、つい先ほどまでそれが点いていたのだろうと分かる。
アルヴィンを連れてきたことで動いた、と考えても何ら違和感がない状況だ。

 「ん?何か光ったような」

ふと、暗がりの中できらり、と何かが光ったように見えた。
それは今いる小部屋の奥の隅で、そちらの方へと歩み寄ってみる。
途端、空気に薄っすらと血生臭さを感じて足元へと視線を落とすと、点々と血痕があった。

 「これ・・・・・・まだ乾いてない」
 「えっ、これって血の跡・・・・・・だよね」

屈みこんで触れたそれは温度こそ流石に失われて地面が吸ってはいるものの、触れてみると手についた。
上から見下ろしているレイアもぎょっとしたような声をあげる。
その体勢のまま、先ほど何か光って見えた場所へと視線を向けると見覚えのあるものが転がっていた。

 「・・・・・・これ、アルヴィンの・・・・・・」

はっとして足を踏み切り、見つけたそれに駆け寄って手に持ってみた。
見間違えることはない、それはアルヴィンがいつも使っている銃だった。
その表面にも血痕が残っており、それもいまだに乾いてはいない。

 「血が、ついています・・・・・・まさかアルヴィンのでしょうか」
 「これってどーゆーことなのっ」

すっとここまで霧がかかっていた思考がクリアになっていくのと同時、血の気が引いていくのを感じた。
アルヴィンと一緒にいた3人の男がアルクノアであることはもう確定と見ていい。
しかし彼らはアルヴィンを連れ戻そうとしていたのではない、そんな生易しいものではない。

彼らの目的はアルヴィンの連行だったのだろう、何か理由を作ってアルヴィンに同行させただけだ。
そうでもなければ、こんな争った跡が残っているはずがない。
連行される理由を考えるには情報が少ないが、例えば生き残ったアルクノアの人間が、
ジランドを自分たちが倒す様子を見ていたとすれば、アルヴィンの裏切りを見逃しはしないだろう。

指でとん、と頭を叩く。
恐らくあの露店の主が行っていた"行く人間に対して戻る人間が少ない"のは、魔物に襲われたのではなく、
生き残ったアルクノアの人間がリーベリー岩孔に集まっていて、
戻ってくるのは物資調達や他の場所にいる仲間との連絡など、そういう用事がある人間だけだったということなのだろう。

アルヴィンの銃がここに落ちているということは、乱闘になっているはずで、
だとすればこの血痕もアルヴィンのものと考えるのが妥当だ。
ここにきて彼が抵抗したということは、何か事実と異なることを理由にここまで連れてこられて、
その事実を知ってここから脱出しようとしたが、失敗したのだろう。
脱出できていれば途中で本人とすれ違っているか、アルクノアの人間が探索のために王の狩り場にいるはずだ。

 「ここまで一緒に来て、揉めて、そのまま連れ去られた・・・・・・として、多分あの荷馬車かな」
 「恐らく、私たちが探しにくる可能性を考えて、別の拠点に移動したのでしょう」
 「・・・・・・えっ、え?どういうこと?」

話が見えないと、レイアがジュードとローエンの顔をきょろきょろと見る。
しかし今は順を追って説明している場合ではない、急いであの荷馬車を追う必要がある。

 「アルヴィンは多分裏切ったわけじゃなくて、むしろ危険な状況ってことだよ・・・・・・急いで引き返そう」

屈んでいた体を起こし、血痕を拭ったアルヴィンの銃を荷物に仕舞いこんで外へと駆け出した。
やはりあの時、何か言おうとしていた彼の言葉を聞いておくべきだった。
彼の口から事情を聞いてから判断するべきだった、手を振り払わなければよかった。
後悔ばかりが頭を過ぎるが、後悔するのはアルヴィンの無事を確認してからだ。

 「シャン・ドゥから陸路と海路、どちらをとったかが問題だな」

リーベリー岩孔を抜けて王の狩り場を進んでいる折、ミラがそう呟く。
モン高原方面での陸路か、ラコルム街道から海停に出ての海路か。
それはそもそも、彼らの目的地が分からない以上は予測しようもなく、シャン・ドゥでの聞き込みが必要だ。
しかしあの街であの荷馬車が目立つのかは分からない。

やはりあの時、荷馬車を追うべきだったのかとも一瞬思いはしたが、
リーベリー岩孔で情報を得てなければ、あの荷馬車を追っていても意味がなかったかもしれない。
結局のところは遠回りでもリーベリー岩孔まで行く必要はあったわけで、何とも歯がゆい思いだ。

 「とりあえずあの露店の店主さんに話を聞いて、あとはモン高原方面とラコルム街道方面で聞き込みと、
  それとないとは思うけど一応ソグド湿原にいつも連れて行ってくれる船頭さんにも話を聞いてみよう」

ようやく巡り始めた思考回路は停止していた分、いつもよりも回転が速くなっているように感じる。
しかしこれは焦りから来るものだと自覚はしていて、口早に戻ってからの話をする自分を客観的に考えた。
平静を装っているようで焦燥感にやられている、油断すると思考回路がまたショートしかねない、と。

遠目ながら、ようやく街の灯りが見えてきた。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるように、大丈夫だ、大丈夫だと暗示をかける。
シャン・ドゥへと駆け込み、再び先ほどの露店へと向かった。

 「すみません、度々申し訳ないんですけど」
 「ん?おお戻ってきたのか、どうしたんだ随分と慌てて」
 「さっきここ、荷馬車通りませんでした?」

今日の販売は終わったのか、店仕舞いをしているところの店主へと声をかける。
思い出すまでもないといった様子で二の次に肯定の言葉が返ってきた。

 「あぁ通った通った、馬を使うのは珍しいうえに、王の狩り場から出てくるなんてそうないからな、よく覚えてる」

言われてみれば、あの荷馬車は馬を使っていた。
それのどこが珍しいのかと一瞬考えるが、この辺りでは魔物を調教して使役していることを思い出す。
つまりあの荷馬車はこの街では浮いた存在ということだ。

 「さすがにどっちの方へ行ったかは分からないですよね」
 「珍しいこともあるもんだって思ってしばらく眺めてはいたが、橋渡るとこまでしか見てないな」
 「・・・・・・それだけでも十分です、本当にありがとうございます」

元々ないとは思っていたが、やはりソグド湿原方面はなさそうだ。
目に付く存在ということは対岸側に行けば見た人がいるかもしれない。

大きい荷物はまだ宿に置きっぱなしだ、このまま行くとすれば荷物を持って宿をキャンセルしなければならない。
店主と別れると、対岸に渡るべく橋へと急いで向かった。


≪Back || Next


これでもまだ折り返していないという長丁場です。