僊nemone coronaria - phase 7 -


体を揺さぶられる感触にふっと目蓋を持ち上げると、ローエンが立っていた。
おはようございます、と降ってきた声にもう朝なのだと気づいた。
なかなか眠れなかったとはいえ、気づかないうちに寝ていたらしい。

 「おは、よ・・・・・・」
 「大丈夫ですか?」
 「うん」

言外に色々と心配されていることは、覚醒しきっていない頭でもなんとなく理解してはいた。
とりあえずこの強烈な眠気をどうにかしないといけないなと、ベッドから出て洗面台へと向かう。
冷えた水で顔を洗うだけでも、幾分か目が覚めてきたように感じた。
そうだ、寝ぼけた頭でいる場合ではないのだ、と。



身支度を整えてエントランスへと向かうと、ミラたちはまだ来ていないようだった。
念のためローエンが先ほど部屋をノックして声だけかけてきたようだが、起きてはいるらしい。

 「待ってる間に朝ごはん、適当に買ってきちゃうよ・・・・・・さすがに厨房借りて作るほどは時間ないし」
 「はい、そのほうがよさそうですね」
 「じゃあ行ってくるから、荷物見ておいてもらってもいいかな」

荷物の見張りをローエンに頼むと、彼は笑顔で頷いた。
宿の外へと出ると空は相変わらずの夕暮れで、何とも変な感覚ではあるがこれから向かうイル・ファンは夜域だ。
ずっとイル・ファンにいた頃は常に夜空だったからまだしも、この微妙な切り替わりは本当に感覚が麻痺する。
そんなことを考えながら商店の並んでいる場所まで足早に向かい、料理屋で出来合いのものを買おうと店主に声をかけた。

 「すみません、サンドイッチ6・・・・・・5人分で」
 「はいよ、ちょっとまってな」

うっかり6人分買おうとしてしまったが、今は5人しかいないことを思い出す。
習慣とは怖いものだ、などと他人事のように考えながら、自分の寂しさを誤魔化した。
こんな買い物ひとつ調子が悪くて、本当にどうかしている。
差し出された袋を受け取って代金を払うと、地味に追ってしまった痛みに肩を落としながら宿に戻った。

 「あ、ジュードおかえりなさい」
 「ジュードおはよー!」

ぼす、と音をたてて世界が暗転した。
宿に戻って来るなりの、この随分な歓迎ぶりは朝食を買いに行っていたからなのだろうか。
袋を持つ左手はそのままに、右手でティポを掴んで引っ張るが、いつも通りびよんびよんと伸びるだけだ。

 「おはようティポ・・・・・・ほら、もう出発するからそろそろ剥がれてくれないかな」
 「ティ、ティポ!ジュードが困っているから離れてくださいっ」

苦笑気味にそう言うと慌てた様子でエリーゼが声をあげて、その後ようやく世界が明るくなった。
そのうちティポに丸呑みされるのではないかと、最近たまに思うことがある。

 「えーっと、朝ごはん買ってきたから船で食べよう。もうすぐイル・ファン行きの船便が出るから」

ローエンが座っている椅子の近くに置いておいた自分の荷物を右手で持ち上げる。
部屋の鍵は既にカウンターへ返しておいてくれているようだったので、そのまま再び外へとでた。
丁度定期船が乗り場に到着したようで、自分たちと同様に朝一でイル・ファンを目指す人々が
ちらほらとチケット売り場の窓口へと集まってきている。

売り場への列にはジュードが並び、他は乗り口のほうで待っている。
今度は間違えないようにしようと思っていたところで順番が回ってきた。

 「イル・ファン行き5人分お願いします」
 「はい、イル・ファン行きを5名ですね」

間違えずに言えたと思わず安堵の溜め息が零れそうになる。
我ながら何をやっているんだと少し思いながらも、代金を支払って差し出されたチケット5枚を受け取った。
乗り口で待っている皆のもとへと駆け寄ってチケットを配り終えると、早々に定期船へと乗り込む。
あとはもうイル・ファンにつくまで待つしかない。

 「それじゃあ朝ごはん渡しておくね」
 「あさごはーーーん!」

甲板にあがったところで朝食を渡そうと声をかけると、ティポの声が響いた。
ティポの歓喜の声が上がるということは、エリーゼが余程お腹を空かせていたということになる。
恥ずかしそうにティポを押さえ込むエリーゼを微笑ましく眺めながら、順番にサンドイッチを配った。

 「到着まではいつも通り自由行動にして、もうすぐ到着のアナウンスが流れたらここ集合ね」

それぞれ散らばっていくのを見送ったあと、ジュードも移動を開始した。
別段行きたい場所もないが、ぼうっと海でも眺めたい気分ではあったため甲板から見晴らしのいい場所を探す。
適当に人も少なめでよさそうなところを見つけ、縁に両腕をついて深い溜め息をついた。

イル・ファンについたらまずはホテルで部屋をとって大きい荷物は置いて、それから捜索を開始するとして、
まずはどこから調べたものかと考える。
真っ先に思い浮かぶのはラフォート研究所だ、しかしあそこは確か現在は閉鎖されているはずだ。
そしてラフォート研究所とオルダ宮は、クルスニクの槍を移動させるための地下通路で繋がっている。

 「でも崩落してるって話だし・・・・・・」

とはいえ怪しい場所というとそこぐらいというのが実情ではある。
ファイザバード沼野での戦争時にクルスニクの槍を運び出している点から、
アルカンド湿原へも道は続いているはずなので、地下通路への侵入はイル・ファンの外側からも可能なはずだ。

そう考えていくと、アルクノアにとって現在の状況においても融通が利いて使いやすい道であり、
その道から繋がる場所に拠点が存在していたとしても不自然ではない。

ラフォート研究所は閉鎖されており、アルカンド湿原からの入り口は場所が分からないため、
とりあえずはオルダ宮側から例の地下通路に入ってみる他ない。

 「・・・・・・はぁ」

手持ち無沙汰だな、と揺れる波間を眺める。
こんな時は大抵アルヴィンがふらっとやってきて、いつものように彼の腕が肩に落ちてきてくるのが常だ。
本当に自分の時間は彼の存在がかなりを占めていたのだと思い知らされる。

彼との他愛ない会話は時間を忘れさせてくれて、船旅もあっという間だというのに、
今日は酷く、イル・ファンが遠方に思えて仕方がなかった。
はやくついてほしいと思うものの、まだラコルム海停を発ってからそう時間は経過していない。

 「はやく・・・・・・会いたいなぁ」

会って話たい、話を聞きたい、謝りたい。
そんな呟きは船が生み出す波の音に掻き消された。

イル・ファン到着まではまた数刻かかりそうだ。


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何かしてる時は前を向いていられるけど、ふと時間が空くと後ろを向いてしまう的な。