儉imonium sinuatum - phase 2 -


もともと長旅から戻ったばかりだったため、適当に消耗品を補充すればいつでも出発できる状態だ。
食事を終えて、ローエンとユルゲンスの2人と別れてから買い物を済ませ、早速とシャン・ドゥを発つ。
この街に戻ってきた折は久し振りにシャン・ドゥでゆっくりできるかとも思ったが、随分と妙なことになった。

 「まぁ、結果オーライだよなこれ」

役得と言ってしまえばそれまでだ。
建前上はこれも仕事ではある、とはいえそのお陰で長らく会えずにいたジュードと会えるうえに、
しばらくの間は同じ時間を過ごせるのだと思えば、シャン・ドゥとラコルム海停を1日の間で往復することになっても文句はない。
今の時間であればイル・ファン行きの定期船も出ているし、今日中には到着するだろう。

ラコルム街道をのんびりと通り抜け、ラコルム海停へと到着した。
以前は夕暮れに染まっていたこのラコルム海停も、今となっては霊勢による影響がなくなり普通の青空が広がっている。
時間の感覚がマヒするという意味では常に夕暮れというのも考え物ではあったが、今になってみると物足りなさも感じていた。

 「イル・ファン行き1人分、よろしく」
 「あぁ丁度よかったですね、今停泊しているのがイル・ファン行きの定期船なのでもうすぐ出ますよ」

それは本当にいいタイミングだと、代金をチケット売り場の男に渡してチケットを受け取る。
手短に礼を述べ、早速とアルヴィンはイル・ファン行きの定期船の乗り場へと足を向けた。
足取りが軽いのはきっと気のせいではない。



ひとまずイル・ファンに到着したらジュードのもとを訪れて、まずは話がしたい。
したい、というよりは聞きたいと言ったほうが正しいかもしれない。
そんなことをぼんやりと船上で考えているうち、定期船はイル・ファンの海停へと入っていった。

 「さってと」

甲板からの下り階段を軽い足取りで降りた。
断界殻がなくなった今、イル・ファンには夜域という霊勢が存在しないため、空を見上げると見慣れない夕暮れ空が広がっていた。
ラコルム海停の夕暮れにせよ、このイル・ファンの夜空にせよ、20年も見てきた光景が変わることには違和感を覚える。

 「・・・・・・あれ、そういやどこ行けばいいんだ」

茜色に染まるイル・ファンの海停、アルヴィンは船をおりてから腕を組んで立ち尽くした。
思い返してみると、アルヴィンはジュードの住んでいる場所がイル・ファンのどこなのかを知らない。
医学校の場所は把握しているが、彼は今の時間医学校なのか、それとも別の場所なのか分からない。
そう考えてみると、存外自分はジュードに関する情報を持っていないのだなと浮かれ気味だった気分が急激に冷めていった。

 「ま、とりあえず医学校かね」

短いながらも息をひとつつき、アルヴィンはタリム医学校に向かって歩き始めた。
しかし歩きながら考えてみたが、例えばこのままタリム医学校の受付に行ったとして、
易々とジュードの居場所を教えてもらえるのだろうかという疑問にぶつかった。
とはいえ、他にあてがないのでは仕方が無いと、外来受付の扉を潜る。

 「お姉さん、ジュード・マティスって今ここにいる?」
 「あら・・・・・・貴方確か、以前ジュード先生と一緒に来られた方ですよね」

入り口の正面にあるカウンター越しに、受付の女性へと声をかければ思いがけずもそのような返答が帰ってきた。
これはさすがに予想外、と少しアルヴィンは驚いた。
以前旅をしていた頃に何度かこの診察室のある棟へと足を運んだことはあったが、そう頻繁に出入りしていたわけではない。
随分ととんとん拍子に事が運ぶものだと、却って何かあるんじゃないかと思ってしまうのは警戒しすぎなのだろうか。

 「そーそ、用事あって来たんだけど、こっちにいない?」
 「少しお待ちくださいね、先生のスケジュールを確認してみます」

受付の女性が手元に視線を落としている間、アルヴィンはカウンターに寄りかかりながら待合室をぼんやり眺めた。
相変わらずの盛況ぶりで、そろそろ診察時間も終わる頃合だったはずだが、いまだに人影が多い。
さすがは天下のタリム医学校というべきか、最近はエレンピオスからもちらほらと診察を受けにくる人が来るようになったと、
いつだったかジュードからの手紙にも書いてあったことを思い出した。

リーゼ・マクシアとエレンピオスは、最近になってようやく飛行船による航路が開拓されはじめてはいるが、
如何せんその技術はエレンピオス側のものであるため、リーゼ・マクシア側での調整が難航している。
以前クルスニクの槍によりエレンピオスの軍勢が現れた折、"空飛ぶ船"とリーゼ・マクシアの人間は酷く驚いていた。
リーゼ・マクシアの人間にとってこの飛行船はよく分からない未知ものであり、なかなか受け入れ難いのだろう。

 「お待たせしました、ジュード先生は今のお時間だとラフォート研究所にいらっしゃるかと」
 「あー研究所のほうか・・・・・・サンキュ、助かったわ」

カウンターに寄りかかっていた体勢から起き上がって礼を述べれば、受付の女性はにこりと微笑んで応える。
それでは早速とラフォート研究所に向かうことにするかと、アルヴィンは扉の方へと歩き始めた。

外来受付口からイル・ファンの街へと出るとすっかり空は暗くなっており、
断界殻によって世界が二分されていた頃を彷彿とさせる光景が広がっていた。
そんな街並みをぼんやりと眺めながらタリム医学校前から中央広場に向かう。

一応ホテルの部屋を押さえておくべきかとも考えたが、
そうしている間にジュードがラフォート研究所から他の場所に向かってしまっては折角の情報も水の泡だ。
ひとまず中央広場を通り抜け、真っ直ぐラフォート研究所前へと足を進めた。

 「ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ」

ラフォート研究所の前には多数の衛兵が配置され、早速とアルヴィンはそのひとりに呼び止められた。
先ほどと同様にジュード・マティスに用事があると伝えれば、一層不審そうな反応が返ってくる。
逆にこの反応のほうがアルヴィンとしては想定していたものだったため、別段驚きも焦りもしなかった。

 「・・・・・・確認をする、ここにフルネームで署名を」
 「フルネーム、ね」

そう言われてはアルヴィン、と名乗るわけにもいかない。
差し出された紙面に、アルフレド・ヴィント・スヴェントとペンを走らせて衛兵に押し返した。
あとはもう待つばかりと、ラフォート研究所の内部へと入っていく衛兵の後姿を見送る。

間もなくして前方にある扉が開き、先ほどの衛兵が戻ってきた。
答えは分かりきっていたものではあったが、中へと入ることを許可されたようだ。
再びラフォート研究所の内部へと歩き始める衛兵の後を追うようにして、アルヴィンも歩き始めた。

 「ここだ」
 「どーも」

ラフォート研究所の一角。
ジュードがいるらしい部屋へと繋がる扉の前まで案内され、衛兵は再び入り口の方へと去っていった。
研究所内部の廊下には多数の衛兵が巡回をしており、以前クルスニクの槍がここにあった頃よりも厳重に思えた。
ひとしきりそんな研究所内部の様子を眺めた後、アルヴィンは部屋の扉へと歩みよる。
ロックのかかっていない扉に近づくと自動的に開き、中には白衣姿の人影がいくつか見えた。

 「アルヴィン!」

白衣の人影の中、こちらに気づいたジュードが嬉しそうな顔をして名を呼ぶ。
そんな彼の様子に、自然とアルヴィンの顔も綻んだ。
アルヴィンの元へと駆け寄ってきたジュードもまた白衣姿で、中に着ているのは研修医用の服だろうか。
扉のすぐ横、腕を組んで壁に寄りかかりながら短く挨拶の言葉を口にする。

 「久し振りだね、こっちに来るなんて聞いてなかったから、突然でびっくりしたよ」
 「俺もまさかの急展開に驚いてるとこだよ」

さすがに事の経緯をここでつらつらと話すことも憚られ、端的にそう言いながらアルヴィンは肩を竦める。
言外に色々含みながらのその言葉に、ジュードは一瞬きょとんとした様子で小さく首を傾げた。

 「うん?何かあったの?」
 「そりゃこっちの台詞・・・・・・てか、まだお仕事中なんじゃないの、ジュードくん」

顎でジュードの後方を指し示すと、ジュードがはっとした様子で振り返る。
彼よりも年上であるだろう白衣姿の研究員たちが反応に困っているというべきか、
何とも表現し難い表情でこちらの様子を眺めていた。

 「あー・・・・・・うん、ごめんね、もうすぐ終わるから」
 「んじゃここで待ってりゃいいか?」
 「そうしてもらえると助かるかな」

にこり、と笑うジュードの頭をぽんぽん、と撫でると照れくさそうな笑みに変わる。
踵を返して離れていくジュードを見送っている間、白衣姿の研究員たちからの視線がちくちくと痛く感じた。
なるほど何処にいても彼は人気者というわけだ、と手近にあった椅子に腰掛けて彼の仕事が終わるまで待つことにした。


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浮かれたり凹んだり忙しいアルヴィンさん。