儉imonium sinuatum - phase 8 -


真っ暗な世界に真っ直ぐとした白い道が前後に1本だけ走っている。
その白さが少し眩しく思えるほど、周囲には何もない、ただ黒い空間が広がっていた。
肩越しに振り返ってみても、そこには白い道しかない。

 「なんだよ、ここ」

ふと、何かの気配が現れたような気がして、アルヴィンは体を向けている方へと顔を向き直る。
道の少し先に、ぼんやりとした人影らしきものが見えた。
無用心と思いながらも何も手がかりのない状況もあり、アルヴィンはそのまま数歩前へと歩き進める。

ゆっくりとした速度ながらも白い道の上をその人影も移動しているようで、アルヴィンは小走りで追った。
次第にその人影がはっきりと見えてきたところで、アルヴィンの足は徐に減速し、止まる。
大人2人とその間に幼い1人の子供の姿をしたその人影が、ゆるりと振り返った。

 「な・・・・・・母さん、それに・・・・・・父さん?」

その人影は、数節前に亡くした母親と、もう顔も思い出せなくなりかけていた父親の姿だった。
2人の間にいるのは、リーゼ・マクシアにたどり着いた頃の自分の姿をしている。
右手に父親、左手に母親と、両親と手を繋いだ幼い子供の姿をした自分は無邪気な笑顔を浮かべていた。
昔はあんな風に笑えていたのに、今ではもうそんな笑い方は忘れてしまった。

 「ま、待ってくれて!」

柔らかい笑みを浮かべてこちらを一瞥すると、3人は再び前方へと歩き始めた。
思わずと呼び止める言葉を発しながらアルヴィンが一歩踏み出すと、後ろから左腕を掴まれて引きとめられる感覚があった。
かくん、となった体をそこに踏み留め、引かれた左腕の方へと顔を向ける。

 『だめだよアルヴィン、いかないでよ』
 「・・・・・・お前、なんで」

しがみつくようにしてアルヴィンの左腕を抱え込んでいるその人影はジュードだった。
さすがにこれはどういうことなのかと、そんな彼の様子を目を見開いて見つめる。
少し項垂れた様子で、その表情は窺えなかったが、酷く心細そうな声色で、いかないで、と繰り返していた。

 「・・・・・・ん?」

くいくい、と今度は右腕を下に引っ張られた。
左腕にひっついたジュードを見下ろしていた視線を、今度は右腕のほうへと向ける。
小さい少女の人影が、ジュードと同じように右腕にしがみついて項垂れていた。

 『いっちゃ、だめです』
 「おいおい今度はお姫様かよ、一体どうなって・・・・・・っ!」

いやいや、と首を横に振りながらアルヴィンの右腕にしがみついているのはエリーゼだ。
ますますわけが分からないと、改めて前方へと目を向けると、先ほどまであったはずの白い道が途切れていた。
しかもそれは、アルヴィンのつま先のすぐ先で、その下には果てしない黒がただあるだけだ。
途切れた先の白い道で、3人の人影が立ち止まってこちらを見ている。

 「あぁ、これってそういうこと」

ようやく状況が分かった、とアルヴィンは大きく溜め息をついた。
そのまま視線を落として目蓋を瞑る。
深呼吸をしてから再び目蓋を持ち上げ、前方へと視線を投げた。

こちらを向いていた母親が小さく手を振っている様子が見える。
あぁもういってしまうのかと、少し寂しさを覚えたが、アルヴィンは小さく頭を垂れた。
すう、と闇に溶け込むようにして3人の人影が消え失せて、じんわりと手の先から人の温もりを感じ取る。

 『アルヴィン、はやく』
 『はやくしないと絶交、です』
 「ホント、こんなとこで迷子ってる場合じゃなかったな」

そう苦笑しながら言葉を零したところで、アルヴィンの左右から淡い光が溢れ始めた。
光の粒が上へ上へと舞い上がっていく様は、まるで降りしきる雪を逆さ向きに見ているようにも思える。
そろそろ戻らないといけない場所がある、とアルヴィンは少し上を見上げながらゆっくりと目を瞑った。



薄暗い部屋、木目の天上が視界に広がっていた。
ぼんやりとその模様を目で追いながら、自分は一体どうしたのかと回らない頭でアルヴィンは考えはじめる。
ローエンから頼まれてイル・ファンまできて、ジュードに会って、一晩過ごして、
エリーゼと会ってそれから、と順を追って思い起こしていけば、記憶が途切れたところまでどうにか思い出せた。

ラフォート研究所で煙が上がっているのを確認して戻る際に、後ろからぶつかってきた男がいた。
恐らくあの時、その男に何かされて自分は酷い眩暈を起こして倒れたのだろう。
他に急激に体調がおかしくなるきっかけが思い当たらない、そもそも前日はジュードと過ごしていたし朝食もそうだ。
例えば何かをされたとすれば、あの人ごみの中接触した人物ぐらいしか思い当たらない。

 「・・・・・・アルヴィン?」

左手側から聞こえてきた声に、僅かに頭を左へと傾けると薄暗い部屋の中に浮かび上がる姿がある。
ベッドに寄せられた椅子に腰掛け、アルヴィンの左手を握ってこちらを見ているのはジュードだった。
酷く疲れた顔をしていたが、その手を握り返すと深い溜め息が零れる。

 「よかった」

すっと手が離れて、椅子から立ち上がったジュードが覆いかぶさるようにして抱きついてきた。
自分の右頬に彼のそれが触れ、摺り寄せられる。
離された左手を彼の背に回してぽんぽんと撫でれば、彼の手が髪を梳いていった。

右手も彼の背に回そうかと思ったが動かず、どうしたのかと思ってジュードごしに見た右手側にはエリーゼがいた。
彼女は眠ってしまっているようで、アルヴィンの右手を握ったままベッドにうつ伏せている。
その背にはジュードの上着がかけられており、彼は今はインナーの白いシャツ姿だった。

 「俺、あの後どうした?」
 「・・・・・・高熱出して意識失ったんだよ、急性の中毒症状起こしてた」

右の耳元でもごもご、とシーツに埋もれたジュードの声が状況を説明する。
もう少し対応が遅れていたら命は無かったと語る彼の声は少し震えているようだった。

アルヴィンが意識を失った後、ジュードとエリーゼで応急処置をし、
通りがかった教員に頼んで診察室へ運んだのだという。
今は外来受付側の棟にある、入院用の一室にいるという状況らしい。

 「確認したら、うなじのあたりに細い針で刺されたような小さい傷跡があったんだけど、心当たりある?」
 「ラフォート研究所から戻る時に、後ろからぶつかってきた奴がいたから、多分そいつだな」
 「・・・・・・ごめんね、これ僕のせいだよね」

繰り返し、ごめんとジュードが謝る。
確かに彼に同行していたことで狙われた可能性はあるが、そもそもアルヴィン自身の油断が招いたことだ。
きっかけが彼にあったとして、リスクを理解していながら防げなかった自分が悪いのだと、アルヴィンは言う。

 「それに、お前とエリーゼのお陰で戻ってこれたわけだしな」
 「戻ってこれた・・・・・・って?」

シーツに埋めていた顔を少しこちらに向けて問いかけてくるジュードの頬へと唇で触れると、
照れくさそうな顔をしながら、アルヴィンの首筋に顔を寄せてくる。
彼の背中を優しく擦り、先ほど見た光景について語れば、彼の顔がふっと持ち上がった。

 「目が覚めたら左手にジュードくん、右手にエリーゼ姫って状態で・・・・・・まぁホント、助かったわ」
 「それ、本当に危なかったってことだよ?・・・・・・引き止められてよかったけど」

肩を落とし、溜め息を零すジュードに今はもう大丈夫だと笑って応じるが、彼は相変わらず心配そうな目で見ている。
ジュードの背に回していた左手を持ち上げて、彼の右頬を包み込むようにして触れて、目蓋を親指の腹で撫でた。

 「・・・・・・まだ明け方だからもう少し寝てて」
 「倒れたのって昨日の日中ってとこか?」
 「そうだよ、16時間ぐらい前かな」

数日寝込んでいた、というわけではないようでその点に関しては胸を撫で下ろす心地だ。
しかし恐らくジュードは睡眠をとっていないのだろう、少しくまができている。

 「お前も寝とけ」
 「ううん、僕は平気だから」

体を起こしたジュードがやんわりと微笑みながら、アルヴィンの額へと手をのばす。
そのまま、その手で目蓋を閉じさせるようにして両目が覆われた。
ふっと気配が近づいてくるのを感じた直後、唇に温かい感触が落ちてくる。

触れたものが彼の唇と気づいて、お返しとばかりにアルヴィンは薄っすらと開いた唇の隙間から舌を忍ばせた。
ジュードの唇を舐め取り、その口内をゆるりゆるりと緩慢な動きで探るうち、彼の吐息が漏れる。
その吐息が鼻を抜ける音に煽られるが、すぐ近くでエリーゼが眠っていることを思い出し、その熱の塊を引かせた。

 「ふ・・・・・・っもう、はやく寝てよ」
 「はいはい、いい夢見れそうだわ」

目蓋ごしの体温が遠ざかり、おやすみというジュードの声とともに、
掠めるようにして彼の唇が頬に触れ、小さなリップ音をたてて離れていった。
頬を朱色に染めて照れくさそうにしているのだろうことは想像に容易い。
そんなことを考えながら、アルヴィンは押し寄せる眠気に逆らうことなく、そのまま眠りへと落ちていった。


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8話にしてまだまだ序盤という。