儉imonium sinuatum - phase 9 -


再び部屋の天上を見上げた時、窓からは明るい日差しが差し込んできていた。
ごそりと右手側にあった気配が動いて、視界の中に少女の顔が入ってくる。

 「おはようございます。大丈夫、ですか」
 「ん・・・・・・あぁ、何とかな」

エリーゼは幾分か安心したような表情をした。
とりあえず体を起こそうと思ったが、彼女にまだ横になっているようにと窘められる。
そう言われては逆らう気もなく、アルヴィンは僅かに浮かせた背を再びベッドへと落とした。

 「あれ、ジュードはどうしたよ」
 「色々と手続きとかをしに行ってます」

部屋の中に見えないジュードの姿にそう問えば、ベッドに寄せている椅子に座りなおしながらエリーゼが応じた。
手続きというのは、恐らくは昨日から入院していた自分に関することなのだろう。
そういえば、と明け方に目が覚めた折のことを思い出したアルヴィンは顔をエリーゼの方へと傾ける。

 「サンキュな、右手」
 「あ・・・・・・べっ、別にお礼を言われるようなことはしてませんっ」

ふいっと顔を背けながら、照れくさそうにそう言い放つエリーゼに思わず笑いが零れた。
こうやってムキになるところが子供らしいと思いつつ、そういえばジュードもそういうところがあったなと思い起こす。
笑わないでください、と頬を膨らませる少女の頭へと右手を伸ばし、その頭をぽんぽんと撫でていると部屋の扉が開いた。

 「おはよう、起きてたんだね」

扉の向こうから姿を見せたのはジュードと、そして白衣姿の男だった。
静かに扉を閉めて2人がベッドへと近づいてくる。
医者なのでだろうその白衣姿の男が、失礼、と短く言葉を置いてからアルヴィンの額へと手を伸ばした。

 「熱はさがっているみたいですね、顔色も大分よくなっています」

額から離れた男の手が今度は首筋へと触れる。
少しかさついたその手の感触が慣れないが、仕方なしとアルヴィンは大人しくしていることにした。
ふと、その医者らしき男の隣に立っているジュードの視線が向いている先が少し気になる。
医者と同じくこちらを見下ろしているようで、彼がアルヴィンと視線を交えることはなかった。

視線の先は、恐らく今男が触れてきている首筋のあたりだが、別段そこに怪我をしていて患部を見ているというわけでもない。
何よりジュードのその目は彼らしくない、酷く冷淡に据わっている、そんな目をしていた。
男の手が僅かにその位置を動かすたびに、ジュードの視線が動く。
その据わった目は、この男の動きを見張っているような、そんな印象を受けた。

 「脈も異常なし・・・・・・昨日の今日ですからまだしばらくは無理をしないほうがいいですが、ひとまず退院しても大丈夫でしょう」

すっと首筋のあたりから男の手が離れていった。
やはりジュードの視線は彼の手を追っているようで、その動きにあわせてアルヴィンから視線が逸らされる。
気を張って、この男の一挙手一投足を見張り、警戒しているのだろう。

先日常に気を張っていて疲れるとジュードが言っていたことを思い出し、この神経質なまでの気の張り方をしていれば
それは疲れても当然であり、睡眠ひとつにしても深い眠りにはつけなかったことが安易に想像がついた。

 「ありがとうございます、それじゃあもう準備をしても大丈夫ですか」
 「はい、受付の方にも連絡をしておきますので、帰る時には外来受付に寄っていってください」

では、と小さく礼をして白衣姿の男が部屋を出て行った。
ぱたんと扉が音をたてて閉められたところで、ジュードが息をつくのが聞こえてくる。
アルヴィンは苦笑しながら彼の名前を呼んだ。

 「んなに警戒しなくても大丈夫だろ、なんか毛を逆立てた猫みたいだったぜ?」
 「えっ・・・・・・」

驚いたような目でジュードがこちらへと振り返った。
恐らく彼は気を張っていることに気づかれていないと思っていたのだろうが、あれはさすがに分かる。
勿論彼のことを知らない人間であれば気づかなかったことも考えられるが、アルヴィンにしてみれば一目で分かるレベルだ。

 「ジュード、すごく目が据わってました」
 「おっと、エリーゼ姫にもばれてんぞ」

椅子に座って静観していたのであろうエリーゼがジュードを横から見上げながらそう言うと、
がくりと肩を落としてジュードが深い溜め息をついた。
そして少し困ったような、恥ずかしそうな顔で彼が笑う。

 「・・・・・・だってほら、首に毒針刺されたみたいだったじゃない、アルヴィン」

だからアルヴィンが他人に触れられる様子は、かなりジュードの中では肝を冷やす状況だったのだと、たどたどしく彼が語る。
それもあって、思わずとあの医者である男を警戒してしまったらしい。
随分と心配をかけてしまったと、アルヴィンはかえって申し訳なくなってきた。

 「ほ、ほら、もう退院していいって言われてるんだし部屋に戻ろう・・・・・・エリーゼもおいでよ」
 「ジュードの家に、行ってもいいんですか?」
 「もちろんだよ」

照れ隠しのジュードの話題変換にエリーゼが応じたためか、ジュードが少しほっとしたような顔をしている。
そんな彼らの様子を微笑ましく思いながら、アルヴィンはゆっくりと上体を起こした。
体を動かすことはさほど問題ないが、体の気だるさは残っているため、いつも通りとはいかない。
ジュードの部屋に戻ったら湯を借りたいなとぼんやり考えつつ、ベッドから足を下ろして立ち上がった。

 「着替えたらすぐ行くから、先に降りててくんない?」
 「あ、うん」

ジュードの前はともかく、エリーゼの前で着替えるのはさすがに気が引ける。
何となくその辺りのことも汲み取ってくれたのか、エリーゼの手を引いてジュードが部屋から出て行った。
待たせると何かあったのではと思われかねない状況もあり、さっさと身支度を整えようと、
アルヴィンは部屋に備え付けられている小さな洗面台で顔を洗う。

多少すっきりとしたところでハンガーにかけられている服を手にとり、
手早く着衣を整えて髪型もいつも通り後ろへと流すようにセットした。

 「さてと」

一頻り準備が整い、ガンホルダーを装着して金色の銃も忍ばせる。
コートを羽織って手荷物と愛用の武器を手にすると、アルヴィンはひとつ息をついて、
忘れ物はないかと部屋を一通り見回してから、部屋を後にした。



外来受付のロビーまでくると、受付カウンターでやりとりをしているジュードと、側にいるエリーゼの姿があった。
別段急ぎ足というわけでもなくのんびりとした歩調で近づくうち聞こえてきたやりとりは、
どうやらすでに手続き関係も終わったのか、話が終わりそうな内容だ。

 「あぁ、丁度今手続き終わったところだったんだ」

アルヴィンが近づいてきたことに気づいたジュードがこちらを向いた。
いつも通りの柔らかい笑みで出迎えてくれたが、やはりその顔に疲労の色が強い。

 「ん、悪いな色々と」
 「いいよ、これぐらい・・・・・・それじゃあ、これで」
 「はい、どうぞお大事になさってくださいね」

受付カウンターの女性は、先日イル・ファンに着いた折にジュードの居場所を教えてくれた彼女だった。
早速と世話になってしまったことが少し気恥ずかしいところもあるが、とりあえずは手短に礼を述べる。
その後、ジュードとエリーゼとともに外来受付ロビーを歩いて、棟の外へと出た。
時間はまだ午前中、今日も天気がいい。

 「お」

外へ出て早々、視界の中に白い鳥がふわりと飛び込んできた。
右手を持ち上げるといつも通りにそのシルフモドキがアルヴィンの右手にとまる。
背中からとった封筒には見慣れた文字が躍っており、予想はついていたがバランからの手紙だった。

 「誰から?」
 「バランからだな、昨日おたくが講義受けてる最中に手紙だしたんよ」
 「もしかして、私が来た時ですか?」

エリーゼの問いかけに頷いて相槌をうちながら、手紙はコートの内ポケットへと仕舞った。
早いところ確認したい手紙ではあるが、さすがに歩きながら読むわけにはいかない。
手にとまっていたシルフモドキを空に放し、行こうかとアルヴィンが言えば、何かを思い出したようにジュードが声を漏らした。

 「あ、ちょっと食料買っていきたいから、お店寄ってもいいかな」
 「そしたら中央広場で買い物してくか」
 「うん、戻ったらお昼にしようね」

ジュードの言葉に、エリーゼが目をキラキラと輝かせている様は相変わらずだった。
とはいえ、アルヴィンもまた空腹を感じていることはかわりなく、考えてみれば丸1日食事をしていなかったのだから仕方ない。
はやく行きましょう、と急かすようにエリーゼがアルヴィンとジュードの手を引いて歩き始めた。

 「ジュードのご飯、楽しみです」
 「あはは、お昼は何にしようかな」

エリーゼの右手がアルヴィンの、左手がジュードの手を引いて歩き始める。
この光景が、先日見た両親と幼い自分の幻影と重なり、嬉しいやら悲しいやら、寂しいやら満たされるやら、
何とも表現し難い感情が溢れてくるのをアルヴィンは感じた。

しかし少なくとも、危機的な状況とはいえ今を幸せに思う気持ちに嘘はないと改めて思った。


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気づいたら、幸せアルジュエリー家族計画が進んでいる感じになっていたという。